16人の勇者 19.勇者としての成長

第19章 勇者としての成長

 以上で、16人の勇者、一人ひとりの旅をご紹介してきました。
 長い旅にお付き合いくださり、心より感謝申し上げます。
 ここまで読まれた皆さまは、おそらくお気づきでしょう。
 この本に登場した16人は、どこか遠い世界の英雄ではありません。
 私たち一人ひとりの心の中に生きている16の姿なのです。

 さて、ここからは、この図表をどう使うのかについてご案内したいと思います。
 最終章は、2部に分かれています。第1部は、地図の活用の仕方がテーマで、第2部は地図の歩み方がテーマとなります。

第1部「16人の勇者地図の活用の仕方」
 16人の勇者は、性格分析ではありません。人は、16人の勇者の全ての要素を内面に擁しています。今、どこかの勇者が優勢だからと言って、その人にはその勇者の要素だけしか存在しないということはありません。潜在的なレベルで、あらゆる勇者の要素は息づいており、多元的多面的な存在なのです。また、一生その勇者が優勢であり続けるということでもありません。人は変化成長するからです。
 16人の勇者マップは、そうした人の成長や変化の道案内、人生と言う旅のガイドマップとして活用いただくことを目的に作成しています。
 以下、そうしたガイドマップとして活用する上でのポイント、留意点をご案内します。

①すべての勇者は必要であり、価値に優劣はない。
 全ての勇者は、人としてのある側面の勇者としての生き方を表現しているものであり、意味のない生き方は存在しません。
 また、それぞれの勇者の価値には優劣はありません。どの勇者もとてもユニークであり、光と影、課題が存在し、とてつもなく魅力的です。
 悪の勇者も存在しなければ善の勇者も存在しません。勇者は、一生懸命に成長のプロセスを歩んでいる存在であって、善悪や正誤の1元的見方をあてはめて裁くことはできません。そう言う見方は、冷たく的外れであって、勘違いなのです。

②成長の航路
 この地図には、16人の勇者が登場します。

 この世界には、ままならないものが二つあります。
 一つは、外側の世界であり、一つは内面の世界です。
 外面の世界は、時に不条理で、複雑で、思い通りにはいかないことが多く、予想のつかないことがらばかりです。だから、この世は、不安と恐怖でいっぱいです。
 また、内面の世界も、自分の思いのままにはなりません。感じたくない感情が沸き起こり、思いつきたくない邪悪な思いがやってきて、時々、とんでもないことを口走ったり、間違いを犯してしまったりします。そして、そういう自分に自信を持てません。
 人は、思い通りにならない内面と外面に挟まれて、そのはざまで、荒波の中、せいいっぱいエンジンをかけて、舵を切って人生を歩んでいます。

 成長の航路は、もちろん一つではありません。それは、人によって、荒波の嵐の中を、さまざまな方向に向けて活路を見出していくのであり、生き方は百科百様、人の数ほどルートが存在します。
 そのどれが正しく、どれが間違いということでもありません。全ての生き方は、広い世界でたった一人の生きざまであり、この長い宇宙の中でたった一回のドラマです。それは、たとえ間違えだらけで無駄だらけのように見えても、とてつもなくユニークであり、かけがえのないものであり、その人生の全てが尊く、図りしれない無限の価値を持つものでもあります。
 ですから、生き方や成長のルートには、序列もなければ、優劣もありません。
 16人の勇者マップでは、全ての生き方、成長ルートはそのありのままで美しく、個性的であり、大切なものであるという立場をとっています。
 どのような成長ルートをたどっても正解であり、間違いということはないのですが、ここでは、代表的な航路が3つあると考えています。

⑴力と支配を通る道。
①自然児・隠遁者→③一匹狼→⑤暴君→⑩覇王→⑫反逆者→⑬勇者→⑮国王→⑯賢者

 さまざまな力や技巧、ハイテクや機械技術、テクノロジーを駆使して世界の複雑さや不確実性に立ち向かい、この不条理で矛盾に満ちた先の読めない世界でたくましく未来を拓き、生き抜いていきます。
 努力の結果、成功を納めますが、序列や支配の無い豊かであたたかい人間関係を育むことや内面の統率に関しては、未だに苦手であり、心が満たされる満足を得ることができません。部下はたくさん得たけど、友達は一人もできませんでした。
 頂点にたどり着いたときに、その矛盾に耐え切れずに、力とテクノロジーの追求の旅を終えます。
 今までの自分と向き合い、対峙して、今までの自分の生き方とは全く異なる方向に向けて舵を切り、新たな冒険に踏み出します。
 そして、本当の自分、そして本当の関係性を求めて、さらなる成長を遂げていくことになるのです。

⑵内面を深めていく道。
①自然児・隠遁者→②放浪者→④職人→⑦求道者→⑪魔法使い→⑬勇者→⑭仙人→⑯賢者

 世界の矛盾や暴力に打ちのめされ、世に言う成功に背を向けて、真実の関係性、真実の自分を求めて探求を進めます。技術を学び、職人技を身につけ、一本の道を深く深く極めていくことで、気付きを深め、ついに小梧体験を得ます。満足と喜びとともに、他者にもこの救いを捧げたいと願います。
 しかし、ふと、寺院や制度などの安全な枠組みの中で、守られながら得ることができた学びであることに気づきます。愛や信頼は上手に扱えるけれども、敵意や悪意には全く無防備であり、守ってくれる構造がなければ、他人を救うどころか自分すら救うことができないことに気づくのです。
 逃げまどってきた世界の無秩序さ、理不尽さ、そこかしこにいるドラゴンと向き合い、踵を返して立ち向かっていきます。
 そして、自分の学んだ秘儀で他者に貢献すべく、荒波の嵐に船をこぎ出し、さらなる成長に向かうことになるのです。

⑶現実の中をバランスをとって真っ直ぐ進む道。
①自然児・隠遁者→⑥戦士→⑬勇者→⑯賢者

 世界の不確実性に対して、こころざしを定め、強い意志と粘り強さで実行し、現実を変えていきます。
 また、家族との愛ある豊かな信頼、仲間との裏の無い正直な関係、固く強く育まれる絆をもとに、自分の中の勇気、愛、自尊心という美徳を育んでいきます。
 紆余曲折はありますが、困難があっても逃げずに戦います。
 たとえ失敗し、敗北しても、言い訳せず、人のせいにせず、反省し、成長し、より強くなって障害を乗り越えます。
 自分の理想に向けて、日々努力を重ね、鍛錬し、強くなります。
 自分の中の弱さを見捨てず、癒し、手放していきます。
 強く優しい軸をぶらさずに、自分と他人、社会を救うべく、成長の旅を進めていきます。

③勇者の人生にドラゴンはつきもの
 世界中のどのような神話を探しても、ドラゴンが存在しない英雄譚は存在しません。英雄にとって、ドラゴンに象徴される痛みや苦しみ、耐え難い困難はつきものなのです。
 人も同じであり、この世で生きる限りは、痛みや苦しみ、困難を避けることはできません。うまく逃げ切る方法は存在しないし、たとえ逃げ切れたとしても、成長をすることができないので、勇者にはなれません。
 16人の勇者マップでは、困難や痛みは、避けるべき不幸とは考えていません。むしろ、それらと直面して立ち向かい、乗り越えるからこそ、勇者は、成長を遂げていくことができるのだと考えています。
 人は、困難にであい、もがき苦しみ、対処法を考え抜いて、自分を鍛えて成長し、壁を乗り越えることで成長していきます。
 怪獣がいるから表に出たくないとだだをこねるヒーローは存在しません。
 勇者は、たとえ自分が傷つき倒される恐れがあったとしても、愛する者たちを守るために剣をとって果敢にドラゴンに立ち向かうのです。
 ついには勝利を得、勇者として成長を遂げ、いつか自分のように悩み苦しんでいる者たちを救うのです。
 痛みや苦しみがあるからと言って怯んではいけません。道がないからと言って待っていてはいけません。人には十分な勇気がまどろんでいます。それを使うかどうかは、ひとえにあなたの選択なのですから。

④勇気こそが成長を促す
 マップを旅するために必要なものは、技術、知識、資格、スキルなど、さまざまなものがありますが、中でも、最も大切なものは、勇気であると言えます。
 勇者は、自分を取り巻く世界にも、自分の内面にも、不確実でコントロール不能なさまざまなやっかい事、不安や恐怖が付きまとっています。
 やっかい事に対しては、知識や技術で対処することができますが、圧倒される恐怖や不安に対しては、逃げずに立ち向かうためには何よりも勇気が必要です。
 成長とは、ある意味で、恐怖を克服していくことでもあります。勇者は、さまざまな勇気を学び体得して、恐怖を乗り越え、成長していくのです。

⑤新しい挑戦こそが自分の中の未知なる偉大さを引き出す
 人は、ややもすると日常に埋没しがちです。そこは文句や不満はあれども、安心できる領域であり、ストレスなく快適に過ごすことができる小部屋です。狭く限定された領域を出て、英雄としての成長に踏み出すために、いろいろな形で誘いを受けますが、快適な小部屋に固執する場合は、全ての働きかけを拒絶し、自分の部屋に引きこもります。しかし、そうした態度を続ける事は、決して自然なことではありません。人には、もっともっと大きく偉大なる可能性がまどろんでいて、その可能性を実現させることこそが、人の究極の使命だからです。
 狭く限定された快適ゾーンを抜け出すには勇気が必要です。なぜならば、小部屋の外には、思いもよらない危険があるからです。しかし、日常に埋没していた時には見えなかった自分の新たな可能性が顔をのぞかせるときは、思いもよらない危険に直面した時です。どうすればよいのか分からずにもがき苦しむときこそが、自分の新しい側面を引き出すチャンス、英雄としての成長へのチャンスなのです。
 だからと言って、やみくもに大それた危険に立ち向かうべきではありません。準備が整ってない課題に挑戦することは、無謀であって自然ではありません。それは、パニックゾーンと呼ばれる危険な領域であり、決して満足のできる成功には至りません。むしろ、必要の無い傷を受けて、長く苦しむことでしょう。
 挑戦は、程よいリスクに挑戦することが大切です。しっかりと目を開いて自分の人生を注意深く見つめたならば、聞こえてくる誘いの声、提示されてくる課題は、みな、こうした程よいリスクへの挑戦であるものです。人生に訪れるさまざまなイベントこそが、こうした今の自分にとってちょうどよい程度の挑戦への誘いでもあります。だからこそ、人生のもろもろの出来事を嫌ったり拒否したりせずに、誠実に向き合い、困難から逃げずに学び、準備を整えて乗り越えていこうとすることが大切なのだと言えましょう。

16人の勇者 18.⑯賢者

第18章 ⑯賢者

 賢者とは、仙境に留まる自由を持ちながら、それでも人々を愛するゆえに、再び下界へ降りた人です。

 仙人は、古き自分を脱ぎ捨てて大きな輝かしい自分へと生まれ変わります。その悟りの技術は、秘伝であり、成就することは容易ではありません。しかし、悟りを得た人は、その悟りを伝える義務があります。伝授し、成長を促すことは容易ではないので、迷いますが、覚悟を決めて故郷に帰り、真実を伝え始めます。
 かくして、仙人は、賢者へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 賢者は、真の自己との強いつながりをいつも維持しており、真の自己としての精妙で力強い至福感を日常で体験しています。ですから、自分が幸福になるために必要なものは少なく、他に要求することは、ほとんどありません。
 賢者は、隠し事をする必要がないので開放的でフレンドリーです。賢者は、防衛する必要がなく、とげとげしい態度は微塵もありません。いつもゆったりと平和的で、穏やかにふるまいます。
賢者の日常の暮らしの中に、その叡智と光が差し込み、周囲の人たちの間に混乱があったとしても、自然に解きほぐされて、平和になり、充実した楽しい雰囲気に満たされるようになります。賢者は、そこにいるだけで、その周囲の人たちを幸福にするのです。

 賢者は、周囲の人たちに、人としての礼儀を求めますが、決して権威者としてはふるまいません。思いがけないほど気さくであり、フレンドリーです。
賢者は、人の人としての痛みを知っており、人が間違いを犯す存在であることも知っているので、愚かな人たちを裁きません。そのありのままを受け入れて、愛します。時に叱ることはありますが、それは、憎しみではなく大きな愛の鉄槌であり、相手のかたくななハートをノックし、深い感動を与え、相手が主体的に成長しようとする意欲をかき立てるきっかけとなるのです。

 賢者は、良き指導者です。自分自身は、充分に満たされており多くを望まない代わりに、弟子たちの成長を願うのです。
 弟子を深くよく理解し、課題を見極めます。弟子の課題に応じて工夫された指導を行い、最も効果的に育成していきます。
 指導は、言葉だけではありません。言葉ではとらえられないより精妙なエネルギーを体験を通して体得していくように促します。
 弟子たちが、安全に学べるように、物理的な環境はもちろん、心理的、魂的な環境も整えます。邪を清め、聖なる力で満たすのです。それは、あまりにもさりげないものなので、弟子たちは気づくことも感謝することもできませんが、そうした庇護は確かに存在します。賢者のそうした気高い愛のもとで、弟子たちは育っていくのです。

 賢者は、良きアドバイザーでもあります。高い問題解決能力と人間関係能力を持っているので、周囲の人たちの抱えている問題を、高い視点、多様な角度から観察し、最適な方法を練って、解決に導くことができます。ですので、周囲の人たちは、賢者に、事あるごとにアドバイスを求めるようになります。賢者は、地域社会の良き相談役として、地域社会の平和と幸せに大きな貢献をするのです。

 賢者は、良き薬師でもあります。健康の仕組みに習熟しており、病気の意味と原因、その対処法を深いレベルで理解しているので、診断は正確であり、最も効果的な処方をして、周囲の人たちの病気を治します。
 そもそも、賢者は、病気が起こらないような雰囲気、自然なありかたを周囲にもたらします。賢者の内面の至福と平和のエネルギーが周囲に放射されて、周囲は、自然な形で邪が祓われ、寄り付かなくなります。
 周囲の人は、それがあまりにも自然であるので、気づくことはありません。当たり前のことと思って感謝することもありませんが、賢者の太陽の力は常に周囲を明るくしています。賢者は、その存在そのものが薬師なのです。

 賢者は、獲得した叡智を整理統合して、自分なりの哲学の体系を確立します。それは、嘘のない言葉で組み立てられた誠実な論理であり、読む人に生き方を指し示す聖典でもあります。
 しかし、賢者は、その自分なりの考え方や主張にも次第にこだわらなくなってきます。それとは違う主張をされても、論戦を挑もうとはせずに、異なる主張に耳を傾けようとします。
 言葉による表現は、所詮は真実の影であって、どんなに美しい文章であっても完璧には到底なりえないことを理解したからです。だから、どんなに権威ある文章であっても、社会が評価するほどの価値はありません。真実は、その言葉のはるか上の世界に存在しているのですから。

⑵影の側面
 時に、賢者の語る真実を快く思わない者たちもいます。真実は、愛と光であり、決して権力や支配、暴力を肯定しません。ですから、権力者や支配者、暴君の振る舞いは、真実には立脚していません。彼らが立脚しているのは、闇が語る詭弁なのです。
 闇は光には勝てません。だから、闇は光を恐れ、怒り、あらゆる陰謀を講じて排除しようと努めます。闇は分割して統治します。光が仲間を得て勢力を増大させることを恐れ、仲間の一部に罠をかけて誘惑して裏切者を作り、チームを切り崩して光を孤立させます。詭弁をもって光を悪者にでっち上げ、万民から分離し、万民から攻め殺させようとするのです。賢者は、そうした人の欠点、権力者たちのふるまいを理解して、真実を語る時には注意深くある必要があります。

 闇は、戦うことで滅ぼすことはできません。この世に責められ殺されるべきものは存在しません。存在するからには、狭い了見では計り知れない訳と役割があります。
 闇があるからこそ光の美しさを学べるのです。だから、暴力で排除しようとする試みは、決して最善の策ではありません。
 闇は、光の欠如=影であって実体はありません。闇を祓うことができるのは、光だけです。痛みは欠乏の結果であり、実体はありません。痛みをとることができるのは、欠乏を満たすことができる愛と思いやりだけです。
 ただ、光や愛をもってしても闇や痛みを急激に消すことはできません。闇が構造と力を手にするためには、気の遠くなるほどの時間と努力を費やしており、一朝一夕には解体することはできません。
 痛みには強いネガティブなエネルギーが取り巻いており、パンドラの箱を不用意に一気に開けてしまうことはとても危険です。それを癒やすためには、一滴ずつ、一滴ずつ、ゆっくりとデリケートに進めていく必要があります。
 賢者は、そのダイナミズムをよく理解して、不注意によって闇を刺激し、必要のない対立を起こす愚を避ける必要があります。ゆっくりと急がずに、思いやりをもって光を放ち、結果的に闇を静めていくのです。

⑶再び冒険の旅へ
 賢者は、天地とつながり、大自然の英気を集めることによって、子供のようなみずみずしく楽しく元気な心を取り戻します。言葉によって解釈する代わりに、初めてそれを見たような新鮮さをもってあらゆるものを興味深く味わいます。普通の人にとっては日常の飽き飽きとした風景であっても、賢者は、そこに新鮮な美しさを感じるのです。
 今ここには、深い深い秘密が隠されています。それは、とても精妙で力強く美しいものですが、準備が整った人にしか開示されることはありません。

 賢者は、長い修行を経て、今ここの力にアクセスすることができます。その力は、言葉では表現できません。言葉は、対象と自分を分離して、対象を上から目線で名付けることによって対象を操りますが、今ここの力は分かつことのできない自分自身の力なのです。
 ですから、他人行儀に名前を付けて操ることはできません。できることは、それを直接的に体験することだけです。

 実は、私とは、他との相互作用としてたち起こってくる現象です。他を愛して共感し、体験を共にできたら、もはや「境界線としての私」は静かに消え去り、そこにはただ「今ここ」という豊かな生命の躍動だけが残ります。賢者は、日常のありふれた世界に流れる今ここの美しさを自分として体験し、その至福を感じます。それは、何か特別な世界へ行くことではありません。いつも目の前にあった世界が、そのまま本来の姿を現すことなのです。

 賢者は、生き生きとした自然の息吹を楽しみ、自然の生命力を自分に吸収することを通して、次第に不自由な言葉にこだわることをやめて、自然児のような自然で素朴でみずみずしく、魅力的なありかたを取り戻します。
 かくして、賢者は、新しい次元の自然児となり、また新たな次元の英雄の旅へと旅立ちます。
 成長には限りがありません。ゴールにたどり着いて暇になることはありません。
 成長の可能性は永遠であると同時に冒険すべき領域も無限なのです。
 こうして、賢者は、一つのゴールを迎えると同時に、新たな冒険へと準備を整えていくことになるのです。

16人の勇者 17.⑮国王

第17章 ⑮国王

 勇者は、戦いに勝利することによって、貴重な宝を得ることができます。
 しかし、その宝は、自分だけのものではありません。
 国王とは、宝を自分のものにする人ではなく、宝を未来へ受け渡す責任を引き受けた人です。

 勇者の得ることができた宝は、大きな力を持つものであり、良くも悪くも世界を変える可能性のあるものでもあります。
 その力を求めて、奪いに来る者もいるでしょうし、奪われてしまったら、悪用されて、国や世界、地球に害悪を及ぼすかもしれません。
 また、勇者の死後、上手に宝を継承できないかもしれませんし、後継者たちが宝の扱いを間違えてしまう危険性もあります。
 宝のパワーが強力であるがゆえに、勇者は、それらの懸念に対処する必要に迫られます。宝を守り、継承していく方法を探るのです。
 かくして、勇者は、国王へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 国王は、宝を奪おうとする者たちから宝を守るために、体制や構造を作ります。
 国をおこし、城を建て、城壁を固めます。敵に負けないように、兵力を増強し、国土を広げて収穫を増やし、国力を高めます。
 宝の力は、その勢力増強の源泉でもあります。宝の魅力によって、多くの人の注目を集め、優秀な人材や富を集めて、急速に勢力は拡大していきます。
 また、国王は、後継者の手配も怠りません。組織を作り、ルールや法律を定め、協力体制を整えます。宝を守るための方法を確立し、教育を通して人材を育成し、揺るがない盤石の伝統を構築します。かくして、国王は、諸国列強に覇を唱える王者となるのです。

⑵影の側面
 国王の恐れるものは、無秩序と制御不能です。
 国王がリーダーシップを発揮しなければならない対象は、もはや自分やチームの範囲をはるかに超えて、大人数の組織、国、勢力圏となります。
 自己イメージが、小さな自分を超えて、組織や国家、国家連合へと広がるのです。

 国王は、巨大化した自己を上手に統制しなければなりません。やり方によっては、平和で幸せを実感できる世界となりますが、方向性を間違えると、対立、勢力争い、陰謀、不正義がまかり通る無秩序状態となってしまいます。
 それは、ほんの少しのずれであっても、末端に至る頃には大きな波紋となって影響を及ぼしますので、毛ほどのずれも起こさない注意深さが必要です。

 また、悪貨は良貨を駆逐するの例えの通り、組織の中の邪悪さを見逃すと、その広がりはあっという間です。気づいたらもう戻ることのできない隘路にはまってしまうことになるので、いち早く邪を見つけて祓うこと、組織の風土を善良で健康なものにする努力を怠ることはできません。
 国王は、こうした、多くの管理や仕事を、自分一人でなすことはできないので、組織を通して実現することになります。

 ある意味で、組織とは、国王の体であり、国王と組織は一体です。
 組織は、国王の人格を映す鏡でもあります。
 国王が恐怖に支配されれば、組織にも恐怖が広がります。
 国王が嫉妬すれば、組織にも嫉妬が満ちます。
 国王が人を信頼すれば、組織にも信頼が育ちます。
 制度は組織を支えますが、組織を動かすのは国王の心です。
 人は制度よりも先に、国王のあり方を見て学び、模倣するのです。
 そのため、国王の人格が高く洗練されているならば、組織もまた、高い志と思いやりに満ち、風通し良く、互いに信頼し合い、助け合う組織へと成長していきます。

 しかし、国王の人格が未熟であるならば、その影響は組織全体へと広がります。恐怖や猜疑心が蔓延し、やがて悪意や不正が組織の風土となってしまうのです。

 部下たちは、国王の悪いところばかりまねて、例えば、国王の持つ自分勝手でわがままで残酷な最も悪い欠点を受け継いで、その小さな国王の権化として悪徳なふるまいをします。
 組織の中に悪意や陰謀、嫉妬や憎悪などがたちこめると、たちまち風通しは悪くなり、各種ハラスメントが横行し、構成員のモチベーションは下がります。
 結果的に、効率は悪化し、業績は頭打ち、もしくは下降傾向になり、それだけではなく、大きな不祥事が発生する危険性も高くなってしまうのです。

⑶課題
 国王は、こうした組織風土の悪さを幹部や部下のせいにするべきではありません。
 広い目で見た場合は、悪徳の発生源はトップにあります。
 類は友を呼ぶように、トップの性質に共鳴する人たちが縁を持って集まってきますし、トップが語りふるまうように部下たちもふるまいます。

 その際、トップの美徳や高い意識からくるものは、基本的に模倣が困難なので、部下たちにとって身近に感じる低い意識、欠点をよく見て、まねるのです。
 ですから、組織は、トップの美徳の部分の反映というよりは、悪徳の部分の反映となりがちです。だからこそ、国王の人格の完成が必要となるのです。

 ゆえに、国王にとっての課題は、自分の人格を高めていくこと、自我という狭い枠組みを乗り越えて、組織や国家、人類への貢献という高い志を持つことになります。
 国王は、自分の中の欠点の多くを克服する必要があります。もはや感情の赴くまま、好きなようにふるまうことはできません。自制心をもって万人の見本となる必要があるのです。
 国王は、自分の中のいまだ癒やされていない痛み、焦げ付くような渇望、欠乏の恐怖に注意深くある必要があります。そうした側面を癒し、騒ぎ立てるエネルギーを開放し、悪徳に支配されるのではなく克服していく努力をする必要があります。

 そうした欠点は、魔がたちいる隙間となり、国王の考え方や意思決定、行動に魔が差す機会を与えることになります。トップのちょっとした間違いは、組織全体に深刻な悪影響をもたらし、数倍になって重大なトラブルを引き起こしかねません。トップのあり方は、想像以上に重要なのです。

 国王は、そうした自分のエゴという狭い了見の望みをいち早く癒し、とらわれることを止めて、もっと大きな自分である、家族、国、人類という大きなスケールの幸せを追及することが大切です。国王は、大志をもって大志に忠実に、揺るがない強い心で多くの人たちの人生に貢献するのです。

16人の勇者 16.⑭仙人

第16章 ⑭仙人

 勇者は、大きな力を持つ宝を守り続けるためにリーダーとなり、組織を束ねる権力者となります。しかし、その責務は重く、次々と起こる問題に対処しなければなりません。
 また、自分の在り方、特に自分の中の欠点によって引き起こされるさまざまなトラブルを解決していく必要に迫られます。
 勇者は、こうした多くの苦労を通して、自分を見つめなおし、自分の中に残っている痛みや恐怖、怒りや復讐心、劣等感や罪悪感を癒し、徐々に自分の中にたちこめていた厚い雲を吹き払っていきます。
 心の中に立ちこめる雲とは、自分の中の恐怖です。恐怖こそが自分の中の小さなエゴが渇望する欲求のエネルギー源となります。
 死への恐怖、食事を得られない飢餓の苦しみ、住まいを奪われることの不安、仲間外れにされることの恐怖、などなど、多くの懸念や恐怖こそが、戦って奪うこと、土地を獲得し城を作ること、抜きんでる存在になること、勢力を大きくすることのエンジンとなります。
 勇者は、多くの苦労に直面し、人格が陶冶され、成長することによって、恐怖の正体を見極めて、痛みや恐れにとらわれなくなっていきます。それに伴って、今までとめどなく沸き起こってきた欲望や渇望が弱くなり、おおよそ恐怖をエンジンとする欠乏動機から自由になっていきます。
 動物的な飢餓や性欲、支配欲、物欲、権力欲に至るまで、以前のような求めてやまない渇望が弱まるにしたがって、権力を部下に委譲し、財宝を分け与え、多くの職務を部下たちに任せ、任を辞して、自由になっていきます。
 かくして、勇者は、仙人へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 仙人に唯一残っている望みは、悟りであり、仙境に参入することです。しかし、冒険の世界と仙境(故郷)の世界の間には関門があり、境界の門番が控えています。仙境の世界には、穢れを持ち込むことはできません。仙人は、境界を通るために、冒険を通して身につけてしまった多くの穢れ、戦いで流された血、怒り、悲しみや絶望、恐怖やうらみ、自責の念などの重くくすんだエネルギーをみそぎ祓い清めます。こうして、仙人は、恐怖に由来する執着を手放し、死や喪失を受け入れ、身軽になって自由になるのです。

 境界における検査は厳しく、徹底しています。仙人は、テストをパスするために、徹底した修行を続けます。
 食べ物を選び、清い水を飲み、体を整えます。
 呼吸を工夫して体内の邪を祓い、大自然の清いエネルギーを取り込みます。
 瞑想し、祈り、天地と感応します。
 仙人は、いたずら好きで、笑うことが大好きです。笑いと言っても皮肉な笑いや冷笑ではありません、それは豪快で恰幅のいい笑いです。
 時に寂しくなって、下界におりて様子を探ったり、ちょっとしたいたずらやちょっかいを出して人助けをしたりしますが、多くは、再び山にこもって修行を続けます。下界では修行が進まないからです。

 仙人の修業は、必ずしも短時間で済むわけではありませんし、努力したからと言って必ず合格できる保証もありません。仙人は、根気強く行を継続し、気づきを深め、境地を高めていきます。行を通して、仙人の中にあったあらゆるエゴの痛みのエネルギーが癒され、力を失います。
 時に、頑固で強力な執着は、ハンマーで破壊され、分解されて、雲散霧消します。そのプロセスは、自我の死のプロセスであり、まさに仙人は今まで自分を構成していた自分の死を迎えることになります。
 しかしだからと言って仙人の存在が消滅するわけではありません。仙人の本質は、エゴではなくて、その背景にあるより精妙な輝きです。自我が人生を主導しているときには、その背景にある精妙な輝きは影を潜めていますが、自我が力を失い、自我の厚い雲が取り除かれると、背景にあった偉大なる輝きが顔をのぞかせるようになるのです。

 こうして、仙人は、古い自分を構成していた自我の恐怖やそれに基づく執着をすべて手放すことで、事実上の死を体験すると同時に、より精妙な体で天地と呼応し、そこに輝かしい新たな自分を発見します。自由な光豊かな存在として生まれ変わるのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、仙人は、一つだけちょっとした気がかりを残しています。それは、懐かしい故郷に、自分が学んだ真実を伝えたいという願いです。
 故郷の懐かしい人たちと再会し、酒を酌み交わして、楽しくお土産話を語り会いたいのです。気づきや学びというお土産を持ち帰って、故郷の人たちを喜ばせてあげたいのです。

 ただ、仙人は、故郷に戻ることを躊躇します。故郷に戻ったとしても自分が受け入れられるのかどうかを懸念しているのです。
 故郷の人たちに自分の学んだことを教えようとしても、理解されないかもしれないし、拒絶されるかもしれない、もっと悪いことに悪用されるかもしれないと心配しています。

 しかし、残念ながら、その心配は、多くの場合ほんとうに起こる可能性の高い予言であって、実際に懸念したようになる危険性が高いのです。

 仙人は、故郷の人たちの理解力や学習の可能性を全面的には信じてはいません。全ての人が、学びを正しく聞き入れ理解し、学びにつなげられるとは楽観していません。自分が帰ることによって、たくさんのトラブルや問題が発生し、自分が学びを伝えることで、幸せどころか不幸をもたらしてしまう未来の危険性を見通しているのです。
 ですので、仙人は、故郷に帰ることに迷いを生じます。

 仙人は、人として完成した存在であり、仙境は、仙人にとっての新しい境地であり、新しい宇宙です。
 せっかくここまで来れた喜びは深く大きく、それは、執着と言うよりは、勝利のご褒美であり、そこに居続けて、下界に戻らない事を人間心で責めることはできません。
 仙人にとって、今の平和で楽しい生活を手放し、危険をおかしてまで、または、いらぬ苦労を背負ってまで故郷に帰る必要はないと感じるのです。結果、多くの仙人は、故郷に帰ることをあきらめます。

⑶課題
 仙人は自由であり、故郷の世界に戻らない選択をすることを決して責めることはできませんが、仙人が学んだ貴重な悟りを、多くの人たちに分かち合えないことは、この上ない残念でもあります。
 一度でも光明を得た人には、責任があります。
 光を信じることができずに絶望の中で苦しんでいる人や、迷っている人、より深い罪を犯そうとしている人に、
「何を弱気なことを言ってるのだ!」と喝を入れなければなりません。
「君は捨てたものではない、君ならできる!」と勇気づけなければなりません。

 そして自らの光を取り戻すための教育、お手伝いをして、悟りの後継者を育成する必要があるのです。

 本来であれば、故郷の人たちの意識が、仙人の学びを謙虚に受け入れて学ぶことができるまでに成長していることが大切であり、それがかなわない現状で、仙人に必要以上の自己犠牲を強いることはできません。
 あくまでも、故郷の人たちが、自力で学び、成長を遂げて、学びを受け取る準備を整えることが前提として必要なのです。その努力をせずに、教えてくれないことを責めるわけにはいきません。準備ができていない人には開示できない秘密があるのですから。

 ただ、故郷のすべての人たちが準備を整えることができていないわけではありません。成長の可能性はそこかしこにまどろんでいるはずです。仙人は、そのような可能性を粘り強く探求し、故郷を見捨てることなく、面倒くさがらずに、万難を排してあらゆる伝授の方法を探していくことが課題となります。

16人の勇者 15.⑬勇者

第15章 ⑬勇者

 勇者は、数え切れない敗北を越えてきた人です。
傷つき、倒れ、それでも立ち上がり続けた人だけが、勇者という称号を受け取ることができます。
 勇者は、敵を倒したから勇者なのではありません。恐怖に支配されず、自分の良心と勇気に忠実であり続けたから勇者なのです。

 地球上で生きるということは、ある意味で、試練を通して成長する宿命を持つということでもあります。
 歓迎するとせざるとにかかわらず、ドラゴンは、そこかしこに存在し、攻撃を受け、傷つき、痛みを受けることを通して人は成長していくことになります。
 ただし、痛みを成長の糧にできるかどうかは、本人の意志と生きざまによります。
 自己防衛は、当然の戦略ですが、それが嵩じると、いいわけ、こじつけになり、何につけ人のせいにして、自分は何も瑕疵がないのに不当な攻撃を受ける弱くてかわいそうな被害者となります。被害者としてのアイデンティティは、堕落、怠惰、攻撃、暴力を正当化します。自己正当化の罠にはまった被害者は、自己憐憫と過剰防衛に勤しみ、自らを反省し成長する機会を失ってしまいます。

 自己成長に向かうためには、とてつもない勇気が必要です。
・被害を受けた自分と被害を与えた相手の不完全さを許す勇気
・自分の失敗を認め反省する勇気
・自らの愚かさ、弱さ、みじめさを笑い飛ばし、語れる勇気
・痛みや困難に敗北するのではなく、成長し、何度も立ち向かい、挑戦する勇気
そうした勇気は、人を育て、次第にドラゴンを追い、追いつき、ついには勝利します。
 ドラゴンに勝利した人は、勝利を得ることによって、貴重な宝を得ることになります。その宝とは、金銀財宝と言った豊かさだけではなく、学びや成長、仲間との友情、深層心理の深みから得た気づきや教え、悟り、チームを導くリーダーシップ、権力、などの形のないものであったりもします。
 勝利者は、奇跡的な成功を達成することによって、もはや以前の自分ではなくなります。勇者の称号を得て新しい自分へと生まれ変わるのです。
 かくして、人は、勇者へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 勇者は、勝利者です。困難に勇敢に立ち向かい、勝利することによって、勇者としての称号と地位、権力と力を得ることができます。
 勇者は、今まで自分をしばりつけていた多くの思い込みや呪い=自己嫌悪、恥、自己憐憫、自責、悲嘆、絶望、悲観を吹き払い、新しい称号を受け入れて勇者として生まれ変わります。
 それは、名前が変わっただけではなく、意識や考え方、態度や行動まで変わります。
 負け犬としてかがめていた背筋が伸びます。
 絶望して伏し目がちだった目が前を向きます。
 恐怖でくすんでしまった顔色が輝きを取り戻します。

 勇者のふるまいは自然であり、過度な緊張や警戒はありません。
 不安な未来や陰鬱な過去に気を取られるのではなく今ここに集中し、今ここの大きな至福とつながって豪快に笑うのです。

 それは、ヒマワリがバラに変わったわけではありません。勇者はもともとの自分の中の勇者性を取り戻したのです。
 太陽が存在しなかったわけではありません。あまりに恐怖と不安のくもが厚く立ち込めていて光が見えなかっただけなのです。勇者は、自分の中の呪いである恐怖と不安を吹き払って、自分の中の光を取り戻し、表現し始めたのです。

 勇者のみなぎる明るさや喜びは強烈であり、その輝かしさやエネルギーに影響されて、周囲の人たちも元気で明るく前向きになります。
 勇者の言葉には、うそや皮肉がありません。沸き起こる情熱は希望の言葉となり、あふれんばかりの喜びは幸せをもたらす物語となります。
 勇者はその力ある言葉で人を勇気づけ、元気と愛をもたらします。勇者はまさに周囲の人たちにとっての太陽でもあるのです。

 勇者は、言い訳したり人のせいにすることを止めます。言い訳や転嫁の衝動を感じるのは、自己防衛に勤しむエゴという小さく狭い自分が感じていることであり、決して自分自身の真実ではないことに気づいているからです。
 勇者は、起こる出来事や出会いは、全て偶然ではなく、起こるべくして起こったことであり、雪のひとひらひとひらが落ちるべきところに落ちるように、出来事も1mmのずれもなく起こっていると考えます。
 その出来事が、例え悲惨で不条理で、起こるべきではなかったと怒りを感じることであっても、そこには必ず前向きな意義が隠されており、そこから何かを学ぶことが大切だと知っているのです。
 ゆえに、勇者は、すべての責任を自分で引き受ける覚悟を決めます。
 トラブルが起こった縁をもたらしたのは自分であり、自分が反省し、自分が学ぶこと、成長することによって、どのようなトラブルでも乗り越えることができるという確固たる自信を得るのです。だから、勇者は、もろもろのことを無視したり、言い訳したり、人任せにしたりしません。全てを引き受けて、主体的にかかわり、改善すべく努力するのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、成功や勝利には、うぬぼれや傲慢さという罠が潜んでいます。
 人生の中で最も危険な時は、ピンチの時ではなく、成功に酔いしれて有頂天になっているときです。
 ピンチの時は、周囲はそれを知って同情し、さまざまな形で応援をしてくれるものですが、うぬぼれてつけあがり人を見下す態度を取りはじめると、周囲の目は厳しく、あっという間に信頼を失い、人望を失います。
 そして、傲慢さで失敗した人は、その後どんなに困難な状況になっても、もう誰も応援してくれなくなってしまいます。傲慢さの失敗は、挽回が難しいのです。

 勇者が為しえた大成功は、この危険な罠がつきものであって、注意深くある必要があります。勇者の成功が大きければ大きいほど、それは、自分だけの力でできたものではありません。友人たちとのチームワークや運、天の采配の為せる技であって、それらに対する感謝の気持ちを忘れてはいけません。このうぬぼれや傲慢こそが、勇者にとって陥りやすい第一の罠なのです。

 また、逆に、低く否定的な自己イメージの呪いを解ききることができずに、いまだに卑屈な意識を持ち続けて、勇者としての自分に尻込みしたり、自分に注目が集まることをおびえたり、リーダーとしての責任を担うことに怖気づいたりすることもあります。
 謙虚さと自虐は違います。
 謙虚さは、自分も相手も大切だと思える心情であり、人間関係が長続きします。
 しかし、自虐は、自分を嫌います。自虐の人は、縁の薄い遠い関係性の人には礼儀正しくふるまうので、謙虚な人だと勘違いされますが、相手が近づけば近づくほど自分に対するマナーを人間関係に投影します。いわゆる、自分に対しで虐待するように、相手に対しても暴言を吐いたり暴力をふるったりようになるのです。人は、自分にするように人にするのです。
 謙虚ではあるべきですが、自虐は慎まなければなりません。
 もし勇者が、いまだに自虐の罠にはまっており、自分の内面で分離と葛藤を持ち続けていたとしたら、自分の中の不穏さ、暴力は、外側に投影されて、人間関係やチームワークの中で、強引さ、ハラスメント、暴力が散見されるようになります。
 自制がきいている分にはまだその出現も少なく済みますが、大きなプレッシャーやストレスにさらされて、恐怖や絶望にこうべを垂れてしまったならば、もはや良心の自制は効かずに不正をなしたり、暴力をふるうことに躊躇がなくなります。かくして、勇者は暴君へと変容してしまいます。
 実は、勇者と暴君は同じコインの裏表です。どちらに転ぶかは、健全な自己認識を得られるかどうかにかかります。
 勇者としての自分を受け入れ、信じることができる健全な自尊心を持てている場合は、長所も欠点も含めたありのままの自分を受け入れ、痛みや失敗も含めた自分の人生を祝福し、かっこよいも悪くもある自分のすべての側面を愛することができます。自分を愛するように、他者の存在も尊いと認識し、他の欠点や失敗、愚かな側面も自分同様にその存在を受け入れる度量、清濁併せ呑む度量があるのです。
 自分の中の欠点を認めるということは、自分に甘いということではありません。それは、誤魔化そうとする自分を厳しく制御し、しっかりと反省できるということであり、今後に向けて成長できるということでもあります。
 一方で、自分の中の一部を嫌悪し、受け入れられずに否定している場合は、自分の中のその欠点が他人に暴露されることを恐れるあまりに、欠点の存在を全否定します。
 自分の中の醜さこそが自分の本質ではないかと恐れており、醜さを克服する事ができないのではなかと心配し、自分が成長する可能性を信じることができないので、自分が反省して変わるべきだというアイデアや指摘を拒絶します。
 自分に欠点が確かに存在するのに、詭弁をもって「自分は悪くない」と主張します。「自分は完璧であり、変わる必要がない。悪いのはあなたであって、あなたが変われば問題は解決する」と主張するのです。
 完全無欠で非の打ちどころのないファンタジーの自分を自分だと信じ込んでおり、そのような自画像を他者にも信じ込ませようとします。それは、うぬぼれであり傲慢だということなのですが、本人は他人にそう映っているとはつゆ知らず、裸の王様になってしまいます。
 自分の中の欠点を嫌悪するので、他者が持っている同様の欠点にも敏感です。他者の長所ではなく欠点ばかりを見るようになり、それを指摘し、攻撃して、矯正するように勧告します。
 しかし、実は、嫌悪し、直せと言っている他者の欠点は、自分の欠点なのです。

⑶課題
 勇者の課題は、自分の光だけではなく、自分の闇をも愛する度量を持つことです。
 勇者は、自分の弱さを否定する必要はありません。傷ついた自分も、恐れている自分も、失敗した自分も、自分自身だからです。
 光だけを愛そうとすると、人は暴君になりますが、闇をも抱きしめられたとき、人は初めて真の勇者となるのです。

 自分の中の問題を相手に見てそれを責めることを投影と言います。投影の罠に絡み取られると、反省すべきは自分ではなく他人だと思い込んでしまいます。変わるべきものは自分ではなく他人であると感じるのです。
 ですから、本来自分の欠点であるので自分が反省し変わらなければ本質的に問題が解決しないにもかかわらず、それを相手の人や環境のせいにするので、いつまでも成長することもできないし、本質的問題を解決することもできません。
 投影の状態では、歩けどもあるけどもたどり着かず堂々巡り、がんばってもがんばっても空回りをしてますます事態は悪化する、知らないうちに友が去り、孤独になっていく、そんな罠にはまり込んでしまうのです。
 変わらなければならないのは他人ではなく自分だったのです。

 勇者とは言え、成長のプロセスにあり、ゴールにいるわけではありません。まだまだ克服すべき欠点があるし、成長の偉大なる可能性もあります。
 欠点があるからと言って、それは決して自分の本質ではなく、痛みを持った小さな自分、生傷を守ろうとするかさぶたたのです。
 内なるエゴは、退治すべき敵ではなく、「恐れから世界を必死にコントロールしようとしている、自分の中の幼く未熟な一部」なのです。
 光は、そうした傷や痛みから差し込んできます。
 痛みは成長のチャンスでもあるので、拒否したり恐れたりすべきものではありません。痛みを受け止める度量、反省につなげる謙虚さ、そして成長を信じる勇気こそが自分の本質なのです。
 勇者の課題は、自分の本質は決して醜い愚かさではなく、輝かしい勇者なのだと気づくこと、自己卑下や自虐を止めて、健全なる自尊心を取り戻すことです。
 偉大なる自分の側面に怖気づかずに受け入れること、そして、人から注目を集めることを恐れずに楽しむこと、リーダーとしての責務を受け止めることが大切なのだ言えましょう。

16人の勇者 14.⑫反逆者

第14章 ⑫反逆者

反逆者とは、自分がこれまで服従してきた権威を裏切り、かろうじて残っていた自分自身の小さな良心の炎を人生の玉座に据えた人です。

その瞬間、反逆者は「裏切り者」というレッテルを貼られます。
しかし、彼が裏切ったのは恐怖であって、真実ではありません。
むしろ、それまでは偽神に屈服し、自分自身の良心を裏切り続けていたのです。
反逆者とは、その厳しい真実に気づき、初めて自分の良心に忠誠を誓った人なのです。

⑴ 光の側面
反逆者は、自分を取り戻す人です。
恐怖の中で自分を見失い、長い年月、自分自身ではない何かに従って生きてきました。
権威、テクノロジー、世間、組織、常識、成功、名誉、あるいは誰かの期待。
それらは、自分を守り、安心を与えてくれる神のように思えました。

しかし、どれほど従っても心は満たされません。
従えば従うほど、自分らしさは失われ、心の奥底では、小さな違和感が渦巻いてきました。
財を得、権威は身につき、部下はたくさんできましたが、友達は一人もできませんでした。
反逆者は、その小さな違和感をもみ消すことはできませんでした。

最初は、かすかな疑問にすぎません。
「本当にこれでいいのだろうか。」
「私は、本当にこれを信じているのだろうか。」
「これは、本当に正しいことなのだろうか。」
その小さな内面のささやきに耳を澄ませるところから、反逆者の旅は始まります。

反逆者は、これまで絶対だと信じていた権威や価値観から少しずつ距離を置き始めます。
一歩離れて眺めてみることで、それまで神だと思っていたものが、実は偽神だったことに気づき始めるのです。

偽神は巧妙です。
善意や正義、伝統や常識という美しい衣をまとい、人々に服従を求めます。
卓越した科学技術を駆使して完璧な管理の檻のシステムを構築します。
恐怖を利用して支配し、本来であれば望まない罪を背負わせます。
人々を分断し、互いに争わせることで力を奪い、成長を阻害します。
さらに、ルールや制度までも巧妙に利用して、構造的な搾取を生み出します。

反逆者は、笑顔の仮面の下に隠された邪悪な欺瞞や科学技術の美名に隠された小賢しさと悪意に気づき、確信し、抜き差しならないところまで追い込まれます。
そして、ついに、裏切者の名を着せられることを覚悟のうえで、自分の良心に従う決意をするのです。

反逆者の心は複雑です。偽神に対する不信、怒り、そして、偽神に仕えてしまった自分への嫌悪、恥、世界観の崩壊。
強烈な恐怖と混乱と痛みにあがらってまでも、一歩踏み出す決断をしたのは、真実に生きたいという願いからです。

もちろん、その決断には代償があります。
裏切り者と呼ばれ、理解されず、孤立し、時に容赦ない攻撃を受けるのです。

それでも反逆者の決意は揺らぎません。
反逆者は、恐怖に従うことをやめます。
人生の玉座に消えかかっていた自分の良心を据えた時、
そのとき人は、初めて自分の人生を生き始めます。

反逆者とは、他人に勝つ人ではありません。
自分を失わせていた恐怖に勝ち、自分自身を取り戻した人なのです。

⑵ 影の側面
反逆者は、偽神の欺瞞に気づいた人です。
だからこそ、その欺瞞に対する怒りも人一倍強くなります。

裏切られた悲しみ。
利用されてきた悔しさ。
欺かれてきた怒り。

反逆者の偽神に対する怒りは正義の怒りであり、偽神の邪悪さを暴露し、くさびを打ち込む原動力にもなります。
それらは決して間違った感情ではありません。

しかし、糾弾する偽神は、自分とは無関係の存在ではありません。
かつて偽神は、自分自身でもありました。そして今もなお、その種は自分の中に息づいています。
自分だけが潔白で、偽神だけが邪悪なのだという認識は、幼い二元論であり、真実ではありません。
偽神にも、そこへ至る痛みや恐れがありました。
その一切を顧みることなく、一方的に悪と断じて裁くならば、それは正義ではありません。
偽神を裁く心そのものが、新たな偽神を自分の中に生み出してしまうこともあるのです。
その時、裁き、非難攻撃する者の玉座に据えられているものは、決して良心ではなく、正義の名を借りた偽神なのです。

実は、偽神とは、権力者のことではありません。
本当の偽神とは、人生の玉座に座り、自分こそが主人であると思い込んでいる自分であり、狭い了見のままで思い通りに世界を支配しようとするエゴです。
神になろうとする偽神は外にもいます。
しかし最も巧妙な偽神は、自分自身の中に住んでいます。

反逆者は、偽神を倒す人ではありません。
偽神の巧妙さを見抜き、自分の中にある偽神の暴走を許さない人、偽神からの自由を獲得する人なのです。

⑶ 課題
反逆者の課題は、自由であり続けることです。

反逆者は偽神を人生の玉座から降ろしましたが、偽神は、だからと言って簡単にあきらめません。
偽神は、とてつもなくしぶといのです。
あらゆる姿に身を変え、あらゆる手を尽くして、人生の玉座を奪い返そうとします。

・昨日まで戦っていた権力。
・自分が掲げる正義。
・仲間からの賞賛。
・人々の期待。
・成功した自分自身。
そのどれもが、いつしか良心に代わって玉座を奪い取るかもしれません。

だから反逆者は、一度反逆すれば終わりではありません。
何度でも立ち止まり、自分の心を見つめる必要があるのです。

今、人生の玉座に座っているのは、本当に良心に基づくのだろうか。
そう問い続けるのです。

良心は、大声では語りません。
恐怖や怒りのように人を支配することもありません。
静かに、しかし確かに、「こちらだ」と語り続けます。

その小さな声を聞き続けるためには、謙虚さが必要です。
反省する勇気が必要です。
そして、自分もまた間違える存在であることを忘れない度量が必要です。

反逆者は、誰かを倒すことで完成する人ではありません。
偽神が自分の中によみがえろうとするたびに、それに気づき、何度でも良心へ帰り続ける人なのです。

16人の勇者 13.⑪魔法使い

第13章 ⑪魔法使い

 魔法使いは、目に見えない力を理解し、世界に癒やしと奇跡をもたらす探究者です。

 魔法使いが探求しようとする世界は、とてつもなく深くて広い領域です。
 物理学の世界では、私たちが目で見て認識できる素粒子は、宇宙全体の4.9%に過ぎず、26.8%が暗黒物質(ダークマター)と呼ばれる未知の物質によって、68.3%がダークエネルギーと呼ばれる未知のエネルギーによって占められていると考えられています。物理学的な見地からは、私たちが世界だと認識している世界は、全宇宙の5%程度ですが、真実は、その大半が、現在私たちでは認識できない謎にみちているということになります。

 このような視点から考えると、私たち人間は、科学技術も進化していろんなことを知っているように思いこんでいるけれども、宇宙的な視点からすると、幼稚園児にもなっていない状況なのかもしれません。なにしろ、宇宙の95%以上の存在が、分からないのですから。
 物理学の視点に立つと、私たちが生きる基盤としている考え方や生き方、常識や政治も盤石なものだとは言い切れません。なぜならば、全宇宙の5%弱に過ぎない知識を基盤に構築されているからです。そこには、もしかしたら、大きな勘違いや思い込み、間違いがあるのかもしれません。全てを知っているつもりでいても、それは井の中の蛙であって、狭い了見の間違えた思想をもとに、裁いたり、批判したり、攻撃しあっているのかもしれません。

 魔法使いは、そうした常識の詭弁や間違いに気づくことで、常識を疑い、その支配から抜け出すとともに、常識では推し量れない領域の存在を知り、探求を始めます。魔法使いの周囲の人たちは、魔法使いが、妙なことを口走ったり、変なことに興味を持ち、やり始めたりすることを危うんで、常識を取り戻すように忠告しますが、魔法使いは、そのような指摘をものともしません。常識や権威の主張よりも自分の気づきの方が正しいという確信を持っているからです。

⑴光の側面
 魔法使いが求めることは、
・なぜこの世には苦しみがあるのか? なぜ病が起こるのか?
・死の意味とは? 幸せとは?
・感情とは? 人間関係とは?
・病を治す方法とは? よりよく生きる方法とは?
など、常識や従来の科学では答えることができない問いに対する答えを求め、技術を得ることです。魔法使いは、邪を祓い、痛みを癒し、幸せをもたらしたいのです。

 魔法使いは、顕在意識ではたどり着けない答えを潜在意識の世界に求めて、心理学、カウンセリング技法、人間関係、チームと組織の活性化手法、などの科学的な専門書のみならず、さまざまな宗教書、宗教芸術、宗教の行法なども熟読し、自分の気づきと照らし合わせながら、理解を深めていきます。探求を通して出会うさまざまなご縁に導かれて、多くの師匠、先輩と出会い、多くの気づきや理解を深めます。呼吸法、瞑想法、ヨガ、太極拳などさまざまな手法を試み、相性の合う方法を修行し体得していきます。

 魔法使いが探求しようとしている世界には、日常の常識では認識することができない秘密がたくさん存在しています。そして、その秘密は、聴く耳がある人にしかささやかれません。準備が整った人にしか真実は開示されないのです。
 魔法の世界の探求を潜水に例えると、ダイバーは自分が潜れる部分しか見えません。浅くしか潜れないダイバーは、浅い部分しか見えません。自分が見ている領域を世界のすべてだと思い込みますが、実は、もっともっと深い部分にもっともっと大きな謎が隠されています。そして、その底の深さは、無限大。尽きることのない可能性がまどろんでいるのです。

 魔法使いは、徐々に今まで身につけてきた思い込みや誤解、間違えた信念を解きほぐし、真実に触れて理解を進めていきます。そして、その理解の度合い、修行の進み具合に応じて、世界の真実や秘密が開示されて、魔法の力を身に着けていきます。魔法の力と言っても、呪文を使うなどの特殊なものだけとは限りません。

・人の話を真剣に聴くことによって、人の痛みを癒し元気をとりもどす。
・やさしさや思いやりをもって人と接することでチームの雰囲気を変える。
・自分が変わることで、相手を変える。
・草花の美しさにしばし足を止めて、花を舞う蝶に機嫌よく挨拶する。
・世話をし、面倒を見ることで、人を病や死の危機から救い出す。
・唄い、ともに踊ることで、分離を乗り越え、共感の喜びをもたらす。
・コミュニケーションを改善し、愛を取り戻すことで、組織をよみがえらせる。
・3人寄れば文殊の知恵が起こり、話し合うことで正解に近づく。
・名づけ、物語ることで、人を勇気づける。

 いずれも、特殊な呪文や行法はありませんが、目に見えない力を使って人を癒し、元気づけたり勇気づけたりすることであって、まさに魔法の力と言えます。魔法使いは、目に見えない力の背景にある仕組みやダイナミズムの理解を深め、それらを上手に改善し、自分や他者、チームや組織に幸福をもたらす技法を習得していくのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、魔法使いは、自分の力不足で成果を出せない事や調子が悪い時にはうまく力を発揮できないこと、好不調の差が大きいことを苦にして、焦ってしまうこともあります。
 本来であれば、自分の成長の度合いに応じて開示される能力でもあるので、自分の未熟さを受け入れ、自分の可能性を信じてゆっくりと克服していくべき課題なのですが、時に、今結果を出せないことが原因で名声や評判を傷つけることを恐れてしまい、薬物などの他の力を使って手っ取り早く乗り越えようとしたり、トリックを仕掛けてだまそうとしたり、自己正当化の理論を信じ込ませようと洗脳しようとしたりする誘惑に負けることがあります。
 それは、甘い誘惑なのですが、安易な道であり、自分の真の成長を阻害すると同時に悪徳に身を染めてしまう罠でもあります。ですので、他への依存の誘惑を断ち切り、自分を信じて独立自尊を貫くことが必要です。

 また、魔法使いの願いは、自他の幸福をもたらすことですが、その幸福が、敵を倒して勝利することであったり、誰かを陥れると言った、利己的で誰かを苦しませたり危害を加えようとする願望である場合もあります。
 魔法使いが、そのエゴイスティックな願望を聞き入れて、その願いに自分の魔法の力で加担する場合は、それは黒魔術となり、邪悪な方法に身を染めることになってしまいます。

 魔法の世界には、天使もいれば悪魔もいます。どちらを選ぶかは、2者択一であり、魔法使いは、自分の意志の力を使って、どちらを選ぶのかを決めなければなりません。

 天使は決して勧誘しませんが、悪魔の誘惑は強力です。それは、くもの巣を張り巡らせてわなを仕掛け、巧妙に近づき、アメとムチでしばり、恫喝し、操作や陰謀で陥れます。自信を打ち砕き自尊心を損なわせた後に、甘い救いの手を差し伸べて支配し、搾取します。
 悪魔の誘惑は、死の恐怖に匹敵するくらいの強力な力を持っており、それを拒否して乗り越えるためには、大志と勇気と誠実さが必要なのです。

 この分水嶺で道を踏み外し、悪に転落する魔法使いも決して少なくありません。
 彼ら彼女らは、能力がなかったわけではありません。ただ、自尊心と勇気が欠如していただけなのです。
 魔法の世界を探求しようとこころざす者は、そうした罠があることを十分に理解して、大義や志に向けて、健全なる自尊心を胸に、注意深く罠を避け、どんな時でも自分が信じる良心に従って善を選ぶ勇気を持つことが必要なのです。

⑶課題
 魔法使いにとっての課題は、宇宙(サムシンググレイト、ロゴス)との連携を強化していくことです。
 実は、魔法の力は、自分のエゴが生み出しているわけではありません。自我という狭い枠組みの中から生み出される力は、けっして宇宙をつかさどる偉大なる力にはかないません。
 そして、エゴには認識しようのない自分自身の偉大なる可能性は、サムシンググレイトと無関係ではありません。自分自身を深く探求することを通して、その中にある秩序、構造、真善美、そして、自分自身の真のアイデンティティとしての愛、ロゴスと会うことになるのです。
 魔法使いは、自分自身の可能性、そして宇宙を信じ、自我を超えるものに対して尊敬の念を持ち、頭を下げ、手を合わせて感謝する謙虚さが必要です。そこには、人間関係と同様に、礼儀とマナーが存在します。それもただの形だけのものではなく、真剣さや誠実さと言った心の在り方も必要になるのです。
 ただし、宇宙やサムシンググレイト、ロゴスと自分との関係性は、直接的なものでなければなりません。その間をとりもつ介在者を入れてはいけないということです。

 宇宙を実感することは容易ではありません。その秘密は、深い深い海の底に存在しているのであって、水辺をうろついている現状では、なかなか手が届きません。神は偉大であり、自分のような者が直接かかわるなんておこがましいという思い込みや畏怖もあります。ですので、その間を取り持つことができる誰かに介在してもらい、神の代理人になってもらおうとするのです。

 介在者は、司祭のような人だけとは限りません。権威のある本、仏像、言葉、絵、などなど、代理人としての役割を担うと感じれるものであれば、どんなものでも介在者となりえます。
 しかし、それらは、決して神そのものではないことを忘れてはいけません。それは偶像崇拝の罠であって、それに救いを求めるということは、自分自身を信じる気概や直接に神とかかわることができる可能性を放棄してしまうということ、
 すなわち、人が生きる上で最も大切な使命を放棄してしまうという重大な間違いを犯してしまう事につながります。

 決して司祭や本、仏像を大切にしてはいけないということを言っているわけではありません。行を進める方法の一つとして活用することは、むしろ役に立つことだと言えますが、それらを神として信仰することは間違いにつながるということを忘れるべきではありません。

 宇宙を構成する物質と、人の肉体を構成する物質は同じものです。ですので、人と宇宙は本質的には同じものです。
 ただ、一滴の海水と海は本質的に同じものとはいえ、その偉大さには絶大な違いがあるのと同じように、人と宇宙は同じものとはいえその偉大さには絶大な違いがあります。
 だからと言って、全く縁がないものではありません。むしろ、本質的には人は宇宙であり、人は、直接的に宇宙を自分だと感じ取ることができる能力をまどろませているのです。

 だから、その可能性を放棄してはいけません。自分の中にまどろむ力を信じて、他に依存することなく、独立自尊の精神を忘れずに魔法の世界と向き合うことが大切なのだと言えましょう。

 魔法使いが、自分自身を信じ、宇宙への畏敬を忘れず、良心を選び続けることができた時、その人は魔法を使う人ではなく、人々が自ら奇跡を起こせるような世界を創る人になります。
 そして魔法使いは、癒やしという枠を超え、人類そのものの未来を変える存在へと歩み始めるのです。

16人の勇者 12. ➉覇王

第12章 ➉覇王

覇王は、力とテクノロジーによって世界を統一しようとする覇者です。
科学・制度・技術を用いて世界規模の課題を解決しようと志します。

この混乱と無秩序に満ちた世界を、
暴力と搾取が横行し、人々が恐怖と苦悩の中で生きるこの社会を、
自らの力によって正さなければならないと確信しています。

覇王は、この世に真の平和をもたらせるのは、自分しかいないと信じています。

人々は弱く、迷い、欲望に流されます。
民主主義も、善意も、理想論も、結局は争いを止められません。
だからこそ、自分が持つ卓越した力とテクノロジーと支配構造で世界を統一し、秩序を打ち立てるしかない。
それが覇王の信念なのです。

覇王は非常に優秀です。
・数手先を読み、資源を大胆に集中させ、一気に勝負を決めます。
・群を抜いた科学技術やハイテクで多くの問題を予見し、解決します。
・わずかな違和感も見逃さず、裏切りの芽は徹底的に摘み取ります。
・誰も下せない決断を恐れることなく下し、圧倒的な実行力で現実を変えます。
・敗北から学び、決して諦めず、何度でも立ち上がり、逆襲します。
・人の能力を見抜き、適材適所に配置し、巨大な組織を自在に動かします。
・国家や企業、文明全体を俯瞰し、長期的な戦略を描きます。

だから、人は従います。
だから、巨大な組織が生まれます。
だから、国は豊かになり、秩序は保たれ、栄華を極めるのです。

しかし、そんな完璧に見える覇王にも、誰にも見せることのない弱さがあります。
それは、自分の弱さを認められないこと、ありのままの自分で人と向き合えないことです。
覇王は世界を征服しようとします。
しかし本当に征服したいのは、誰にも知られたくない自分自身の弱さなのかもしれません。
その隠された傷を起点として、覇王という壮大なドラマが展開されていくことになります。

⑴光の側面
覇王は、圧倒的な統率力を持っています。

巨大な組織をまとめ、国家を動かし、歴史を変え、文明を築く力を持っています。
その決断は速く、意志は金剛のように強く、迷いはなく、困難から逃げません。
誰も決められないことを決め、誰も背負えない責任を背負います。

覇王は混乱を嫌います。
秩序を築き、資源を集め、技術を発展させ、巨大な国家や企業を築き上げます。
未来を先取りした科学技術で、魔法のように現実を分析し、劇的に変えます。
その力は、他を凌駕して、圧倒的です。

覇王の権力の源泉は、圧倒的な力(武力、科学力、ハイテク、技術力、財力、能力、…)です。
彼が用いるのは単なる暴力ではなく、「予測可能で合理的なテクノロジー」でもあります。
それによって数手先を読み、資源を集中させ、実際に国を豊かにし、無秩序を排していく。
その威厳の前では、多くの人が畏れ、従います。
世界は統一され、秩序が生まれ、繁栄が訪れるのです。

⑵ 影の側面
覇王は、あらゆる手段を弄して人心を、そして未来をマネジメントしようと試みます。
・プロパガンダ、宣伝広告、マーケティング、ブランド戦略…。
・情報収集、情報統制、教育、法律、ルール設定、買収と企業統治、…。
持てる力やテクノロジーの全てを駆使して、世論を誘導し、自分がそう思ってほしいように人々が思ってもらえるように巧妙に操作します。
不確実性を完全に排除するために、人間の心さえもデータやアルゴリズムのようにマネジメントしようと試み、意図的にヒットやムーブメント、“はやりすたりを作っていくのです。

理想を定め、計画を練って実践し、現実を変えていく…。マネジメントは、世界の不確実性に対処するための唯一の本質的な手段であり、未来を拓こうとする者たちにとっての必要なツールですが、扱い方によっては、危険な武器ともなります。

人身のぬくもりを失い、良心を失ったマネジメントは、時に冷たく、残酷で、支配操作的です。
なりふり構わない、時に悪意を隠さない、法的な問題だけがその制約となるような、時に法的に問題が起こる危険性をもいとわない操作的な方法は、もはやマネジメントとは言えません。
それは、陰謀であり、謀略であり、人を穴に陥れる悪意のある罠です。
それは、詐欺的であり、暴力的であり、犯罪的です。
それは、人の心を貶める呪いであり、洗脳であり、黒魔術になり果ててしまうのです。

また、覇王は、自分自身の力に酔い、コントロールできない存在が許せなくなります。
天地自然の不確実性、時代の流れ、世界で起こる出来事をも自分の都合で操ろうとする。
まさに覇王のエゴは肥大し、神をも目指すようになってしまうのです。
こうなるともはや覇王は覇王ではなく、最も守るべきものであった人間性を失い始め、堕天使へと堕落してしまうことになります。

⑶ 恐れるもの
覇王が恐れるものは、無秩序、制御不能、そして停滞です。

覇王は、世界をより良くしたいと願っています。だからこそ、混乱を嫌い、秩序を築こうとします。責任を果たすために、あらゆる状況を把握し、制御しようとします。そして、停滞こそが敗北の始まりと恐れ、改革と成長を推し進めます。

しかし、この恐れが強くなりすぎると、秩序は管理へ、管理は支配へと変わります。本来、人々を守るために築いた体制が、人々を縛る檻になってしまうのです。

また、覇王の欠点は、心を開けない事、正直になれない事、愛してると決して言えない事でもあります。
覇王は、世界を支配し、人を動かし、完璧なまでの強さを得ることができた存在ですが、そういう存在に値しない自分であることを一番よく知っているのは自分です。
実は、覇王は、自分には自信がないのです。自分の心を支配することはできないし、心の中の敵を滅することもできないし、絶望を拭い去ることもできません。
正直に語り、抱きしめ合うことは、鎧をまとった覇王には不可能であり、かといって、愛されたいという渇望は決してなくなることはありません。愛し愛されたい心の飢餓を脅しと暴力で押し殺して、強さに邁進することによって忘れようとするのです。
実は、覇王は、権力や武力、財力をはぎ取ったら、ひそかに見下し、さげすんでいた下々の者たちと何も変わりがないことを知っており、それが暴露されてしまう事を最も恐れているのです。

人が手に入れることができないほどの権力と富を得た覇王ですが、その代償として、人として最も大切な成長を封印してしまってきたのです。

覇王は、心を開くことができません。
弱音を吐けません。
助けを求められません。
涙を見せられません。

脅すことはできても、「ありがとう。」が言えません。
そして、「大っ嫌いだ」とは言えても、「愛している。」の一言だけは、どうしても口にできないのです。
「私も愛している」と言ってくれる可能性は極めて低く、そして愛は、支配では得られないことを知っているからです。

だから覇王は、愛されるより、恐れられることを望みます。
尊敬されるより、服従されることを望みます。
信頼するより、支配することを望みます。
覇王は、愛よりも恐怖を人生の基軸として選んだのです。

しかし、恐怖によって得られるのは、忠誠ではありません。
沈黙であり、服従であり、諦めです。
人は命令には従っても、心までは差し出しません。

覇王は世界を征服することはできます。
しかし、一人の人間の心を命令で愛させることはできないのです。

⑷ 課題
覇王の課題は、さらに強くなることでも、権力を得ることでも、豊かになることでもありません。
それらの力は、有限であり、必ず頭打ちになるのが宿命です。

覇王の課題は、そうした偶像に頼るのではなく、真実に心を開くこと=自分自身を信じることです。
自分の中に愛し、愛される可能性があること、そして、愛は、実は恐怖とはくらべものにならないほどの偉大なる力が内在しているということに少しでも気づくことができたら、その時を境に、覇王の宇宙は劇的に変わっていくことでしょう。

自分のありのままを受け入れ、愛し、信じることができれば、自分の中の痛みや葛藤、恥や恐れ、自己嫌悪や絶望に光が入り、次第に闇が力を失い、平和を取り戻し始めます。
同時に、恐れとは異なる真の勇気、知恵、元気を取り戻し始め、その光は、徐々に覇王の帝国に反映し始めるはずです。

メンバーのハートは鼓動し始め、目の輝きが明るさを取り戻し、
分離感が癒され、心が開かれ、情熱と叡智が交流を始め、
現状の課題と問題点が、うそや隠し事、偏見を経ることなく、そのありのままが分かり、対処され始め、
今までは想像もしなかったような全く新しいアイデアや工夫が、 日常のあらゆる仕事の場面で創造され、実践されて、あっという間に現実が変わっていく。
結果的に、生産性と創造性は、想像を超えて高まり、奇跡的な成長を遂げていくことになるのです。

覇王が心を閉ざしたままでは、どれほど巨大な帝国を築いても、やがて内側から崩れていきます。愛なき組織は、早晩滅亡するからです。

覇王が、鎧を脱ぎ、鉾を納めて、一人の人間として心を開くことができた時、初めて本当の王への道が開けてくるのです。

16人の勇者 11. ⑨武将

第11章 ⑨武将

武将は、人を率い、仲間を育て、組織を勝利へ導く勇者です。

戦士は、自ら戦います。
達人は、自らの技を極めます。
しかし、どれほど優れた戦士や達人であっても、一人で成し遂げられることには限界があります。
より大きな使命を果たすためには、多くの仲間と力を合わせなければなりません。
武将は、チームを作り、組織を束ねて、一丸となって未来を拓くのです。

武将は、自分が一番強ければよいとは考えません。
仲間一人ひとりの力を見抜き、それぞれが最も力を発揮できる場所へ導きます。
人を育て、人を信じ、人を生かし、組織全体を一つの生命体のように動かしていきます。
武将が目指すのは、自分一人の勝利ではありません。
仲間と共に勝利することなのです。

⑴ 光の側面
武将は、大局を見る人です。
目の前の一勝一敗ではなく、全体の流れを見ています。
目先の利益よりも、未来を考えます。
誰を育て、誰に任せ、誰を支えるべきかを見極めます。
武将は、自分が輝くことよりも、仲間が輝くことを喜びます。
仲間の成功を、自分の成功として受け止めることができます。
また武将は、責任を引き受ける人でもあります。
失敗すれば、自分の責任。
成功すれば、仲間の功績。
その姿勢が、人々の信頼を集めます。
武将の周りには、自然と優秀な人材が集まり、互いを高め合う強い組織が育っていくのです。

⑵ 影の側面
しかし武将にも影があります。
責任が重くなればなるほど、人を信じることが難しくなります。
失敗を恐れるあまり、すべてを自分で管理しようとします。
部下に任せられず、細かなことまで口を出すようになります。
やがて仲間は萎縮し、自ら考えなくなります。
また、成果への執着が強くなると、人を目的ではなく手段として見るようになります。
組織を守るためと言いながら、実は地位や権力を守っていることもあります。
さらに闇が深まると、武将は暴君へと堕ちます。
人を信頼できず、命令だけで人を動かし、恐怖によって組織を支配します。
仲間は協力者ではなく駒となり、組織は命を失ってしまいます。

⑶ 恐れるもの
武将が恐れるものは、敗北だけではありません。
仲間を失うことです。
自分の判断一つで、多くの人の人生が変わります。
だから武将は、決断する孤独を背負います。
間違えることを恐れます。
裏切られることを恐れます。
期待を裏切ることを恐れます。
その恐れが強くなりすぎると、人を信じることができなくなり、組織は次第に硬直していきます。
武将は、完全な確実性など存在しないことを受け入れ、それでも仲間を信じて決断する勇気を学ばなければなりません。

⑷ 課題
武将の課題は、勝ち続けることではありません。
仲間のために、自ら体を張ることです。
武将は、多くの部下を率い、大きな組織を動かします。
命令を下し、戦略を立て、組織を勝利へ導くこともできます。
しかし、それだけでは、人は心からついてきません。
人は、権威には従います。
しかし、愛する人のためには、自ら進んで命を懸けることができます。
真の武将は、自分の利益よりも部下を守ります。
自分の名誉よりも仲間の成長を喜びます。
そして、危険な時ほど、自ら最後尾ではなく先頭に立ちます。
部下に命を懸けることを求める前に、まず自らが部下のために命を懸ける覚悟を持つのです。
その姿を見た時、人は命令に従うのではありません。
心から信頼し、自らの意思でその人についていこうと決意するのです。

組織を支えるものは、権力ではありません。
制度でもありません。
まして恐怖でもありません。
組織を本当に支えるものは、愛です。
愛とは、甘やかすことではありません。
仲間の可能性を信じ、守り、育て、共に使命を果たそうとする覚悟です。

愛なき組織は、早晩滅亡します。一時は栄えることがあっても、決して永く栄えることはありません。仲間はもはや互いを信頼できなくなり、責任を押しつけ合い、挑戦を恐れ、やがて内側から崩れていきます。

反対に、愛ある組織は困難によって強くなります。
仲間は互いを支え合い、一人では到底成し遂げられない使命を共に実現していきます。
武将が、自らの勝利よりも仲間の命を大切にし、そのために自ら体を張ることができるようになった時、統率は支配から愛へと変わります。
その時、武将は、組織を率いる人から、人々に希望を与える存在へと成長します。
そして、武将は、自らの命を懸けて人々を守る覚悟をもった勇者への道を歩み始めるのです。

16人の勇者 10. ⑧達人

第10章 ⑧達人

 達人は、技を通して人格を磨き、人々の期待や想像をはるかに超える現実を創り出す創造者です。

 戦士は、目の前に立ちはだかる障害や壁にひるむことなく、自分の能力を高めることを通して強くなり、乗り越えます。しかし、戦士が強くなればなるほど、内面の悩みが多くなり、問題も多発します。新たに現れる敵もますます強くなり、外面の問題への対処を迫られます。
 また、問題解決能力が高まり、不確実でリスクが伴う戦いや挑戦に対しても勝利できるようになると、周囲の期待もより大きくなり、さらなる能力と責任を担う必要に迫られるようになります。戦士は、内面を見つめることによって人間的に成長を遂げ、さらに問題解決のスキル、職務遂行能力、専門的な技術をより高く磨くことを通して、多発するさまざまな問題に立ち向かうことになります。
 かくして、戦士は、達人へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 達人が成長するプロセスは、決して甘いものではありません。乗り越えなければならない壁も決して低くはありません。学問に王道が無いように、達人への近道はありません。達人が学ばなければならないことは、内外ともに無限であり、それも、数々の試練を通して体験的に学ばなければならないものであり、大きな苦痛も伴います。それは、まさに、過酷な道、修行なのです。

 内面的には、心の中の平和とセルフリーダーシップを取り戻すことによって、過度な緊張から解放されて、リラックスと集中のスキルを身につけます。リラックスは、弱いことでもだらしないことでもありません。それは最強最善のスキルであり、最も目的にかなった行動を、最も効果的なタイミングで、最も効率よく、最も最適な力で実行し、驚くような成果を出すことができます。
 但し、このリラックスのスキルを体得することは、容易ではありません。自分の中の平和を取り戻すためには、自分の中に存在している痛みや苦しみ、憎悪や悲嘆を癒やしていく必要があります。しかし、そうした痛みをもった小さな自分のパーツの数は無限であり、海を満たす水滴の数ほどあるのです。
 瞑想や内観を通して、自分の中の問題と向き合い、癒し、痛みのエネルギーを少しずつ開放していきます。しかし、それはカメの歩みのようにゆっくりであり、成果を出すためには根気と粘り強さが必要です。また、目に見える効果を実感できないので、こんなことを続けても何の役にも立たないのではないかという迷いが生まれますが、それを乗り越えるだけの強い信頼と意志が必要です。さらに、自分の中の痛みを見つめて行くことは、決して楽しいことではありません。体験した時と同じだけの痛みを再体験することも多く、その苦しさは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
 達人は、このような過酷な試練の登山道を歩みます。着実に、一歩ずつ、時に疲労困憊し、倒れても、しばし休み、再び立ち上がり、前を向いて歩んでいきます。たとえ牛歩の歩みでも、着実な一歩は、目に見えないほどの着実な成長と変化をもたらします。数週間、数か月、数年という根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。次第に、苦痛と絶望は穏やかになり、気高く精妙なエネルギーに気づく感受性を取り戻し、みずみずしい生命の力強さと喜びを取り戻しながら、達人は、徐々に、リラックスと集中のスキルを体得し始めます。そして、うまくいくかどうかが分からない課題に対して、単なる成功を超えて、人の期待をはるかに超えるような驚くべき成功、まったく新しい現実を創造することができるのです。

 外面的には、自分が取り組む課題、芸術、仕事、芸道、武道、などのスキル高めるための方法をあらゆる角度から探求し、成長の計画を立てて、忠実に実践し、スキルを磨いていきます。徐々に腕を上げ、自分独自の方法を編み出し、誰も真似できない高度な専門性とスキルを身につけ、創造的で美しく、常人には真似できない達人の境地に至ります。

 但し、達人の境地に至る事は、容易ではありません。そのためには、身体的には、整った体と姿勢、鍛えられた筋力、強く揺るがない体幹、しなやかで無駄のない美しい身のこなしが必要です。 前述のリラックスと集中のスキルで磨かれた穏やかでパワフルな心も必要です。さらに、掃除などの人目につかない下積みの地道な仕事を続け完ぺきにこなす基礎力、気の遠くなるほどの繰り返し練習、人知れず重ねた努力、道を究めようとする情熱を通して磨き抜かれた技術も必要です。こうした心技体を体得することは、ラクダが針の穴を通るくらいに困難ですが、根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。
 次第に、自分独自の独特な手法や方法を編み出して奇跡を生み出す力を発揮できるようになります。その成功の秘訣は、独創的かつ特殊で秘伝的です。達人の真似をしたからと言って、同じように成功はできません。それは、余人をもって代えがたい、達人にしかできないことなのです。

 達人の作品は、どれも驚くべきものであり、依頼者は、期待以上の成果を手にすることができて、その作品に魅了され喜びます。こうして達人は、多くのファンに慕われるようになり、高い人望と絶大なる信頼が寄せられることになるのです。

 達人は、そのような修行のプロセスを通して、頼もしいパートナーや友人たちと出会うこともあります。その友人たちは、傷ついた子供や放浪者のころに出会った友人たちとは異なり、単なる遊び友達ではなく、仕事上の心強いパートナーとなります。達人は、新しい仲間、ソウルメイトたちと困難が多い修行の道を助け合って歩み、難しい仕事を協力し合って成功させていくことになります。こうして、達人は、表面的ではない深い信頼関係、絆を育む力を得ることもできるのです。達人が作り上げるチームは、まさに最強のチームであり、高度な専門家集団です。達人は、頼もしい仲間とともに、リーダーシップを発揮して、見事に困難なプロジェクトを成功に導いていくのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、達人は、一本気であり、わき目もふらずに一つのことを究めるので、視野が狭くなりがちです。もっと別の視点から見たならば、より良い解決策が見つかる可能性があるのに、自分の視野の狭さが邪魔をしてして、立ち位置を変えることに抵抗します。一芸を究めることは大切であり、それが差別化をもたらす源泉となりますが、その技だけで今後のあらゆる問題を解決できるとは限りません。技の陳腐化を防ぐためには、多様な視点からの探索と技術革新が必要であり、そのためにも、いわゆる“あそび”が必要なのです。一本気すぎて他を排除するのではなく、一見無関係に思えることであっても興味を持ち、見聞を広げる余裕が大事です。
 また、達人は、あまりにも真剣で、その意味で仕事の鬼であり、仕事ばかりに集中します。それは決して技を磨くという意味では悪いことではないのですが、睡眠時間や食事の時間、楽しい家族との対話、余暇の時間をないがしろにして仕事だけに取り組むことは、決して健康的とは言えません。それは仕事中毒であり、仕事に人生を依存している状態でもあります。バランスの良い生き方こそが、より高度な技につながることを鑑みても、ワークホリックではなく、人生の多様な側面を楽しむということはとても大切なことでしょう。

⑶ 恐れるもの
達人が恐れるものは、凡庸になること。技が衰えること。期待に応えられなくなることです。
だから練習し、努力し、改善します。
しかし、その恐れが強くなりすぎると、スランプとなり、当たり前にできていたことができなくなってしまうのです。
達人は、一旦スランプの隘路にはまってしまうと、創造ではなく、再現に走ります。
芸術は職人芸になり、仕事は作業になります。
そうして、創造のクオリテイは、達人の努力や意図とは正反対にどんどん鈍っていくことになります。
スランプの中の達人は、「努力は夢中に勝てない」の言葉を思い出す必要があります。
恐怖で委縮したありかたでは、決して達人技は機能しません、恐怖は、注意深さの源泉であり、成長への踏み台ですが、それに支配されてはいけません。
実は、自分の技は、自分が為すのではありません。自分の中のまだ十分には出会えていない偉大なる可能性が為すのです。そのためには、自分の中のロゴスを信じ、肩の力を抜いて、その働きに身を委ねる覚悟を学ぶのです。

⑷ 課題
達人の課題は、さらに努力することではありません。
遊び心を取り戻すことです。

遊びとは、怠けることではありません。
遊びとは、新しい視点を受け入れる余白、異なる世界に触れる勇気、未知を楽しむ心です。
その余白こそが、さらなる創造性を育てるのです。

そしてもう一つの課題は、人生の調和です。
達人は、本当に仕事一筋です。
時に、その真剣さゆえに、仕事だけが人生になってしまいます。
しかし、家族も、友人も、自然も、芸術も、休息もまた、人生を豊かにする大切な師です。
人生そのものを深く味わえるようになった時、技はさらに深まり、在り方もさらに成熟していきます。
達人は、もはや単なる技術者ではありません。
世界に存在しなかった価値を生み出す創造者なのです。

その創造力を未知の可能性へと向け、不可能を可能にする奇跡を生み出すならば、達人は魔法使いへの道を歩み始めます。
一方、その創造力を仲間や社会のために用い、人々を導き、困難な使命を成し遂げるならば、達人は勇者への道を歩み始めるのです。