16人の勇者 16.⑭仙人

第16章 ⑭仙人

 勇者は、大きな力を持つ宝を守り続けるためにリーダーとなり、組織を束ねる権力者となります。しかし、その責務は重く、次々と起こる問題に対処しなければなりません。
 また、自分の在り方、特に自分の中の欠点によって引き起こされるさまざまなトラブルを解決していく必要に迫られます。
 勇者は、こうした多くの苦労を通して、自分を見つめなおし、自分の中に残っている痛みや恐怖、怒りや復讐心、劣等感や罪悪感を癒し、徐々に自分の中にたちこめていた厚い雲を吹き払っていきます。
 心の中に立ちこめる雲とは、自分の中の恐怖です。恐怖こそが自分の中の小さなエゴが渇望する欲求のエネルギー源となります。
 死への恐怖、食事を得られない飢餓の苦しみ、住まいを奪われることの不安、仲間外れにされることの恐怖、などなど、多くの懸念や恐怖こそが、戦って奪うこと、土地を獲得し城を作ること、抜きんでる存在になること、勢力を大きくすることのエンジンとなります。
 勇者は、多くの苦労に直面し、人格が陶冶され、成長することによって、恐怖の正体を見極めて、痛みや恐れにとらわれなくなっていきます。それに伴って、今までとめどなく沸き起こってきた欲望や渇望が弱くなり、おおよそ恐怖をエンジンとする欠乏動機から自由になっていきます。
 動物的な飢餓や性欲、支配欲、物欲、権力欲に至るまで、以前のような求めてやまない渇望が弱まるにしたがって、権力を部下に委譲し、財宝を分け与え、多くの職務を部下たちに任せ、任を辞して、自由になっていきます。
 かくして、勇者は、仙人へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 仙人に唯一残っている望みは、悟りであり、仙境に参入することです。しかし、冒険の世界と仙境(故郷)の世界の間には関門があり、境界の門番が控えています。仙境の世界には、穢れを持ち込むことはできません。仙人は、境界を通るために、冒険を通して身につけてしまった多くの穢れ、戦いで流された血、怒り、悲しみや絶望、恐怖やうらみ、自責の念などの重くくすんだエネルギーをみそぎ祓い清めます。こうして、仙人は、恐怖に由来する執着を手放し、死や喪失を受け入れ、身軽になって自由になるのです。

 境界における検査は厳しく、徹底しています。仙人は、テストをパスするために、徹底した修行を続けます。
 食べ物を選び、清い水を飲み、体を整えます。
 呼吸を工夫して体内の邪を祓い、大自然の清いエネルギーを取り込みます。
 瞑想し、祈り、天地と感応します。
 仙人は、いたずら好きで、笑うことが大好きです。笑いと言っても皮肉な笑いや冷笑ではありません、それは豪快で恰幅のいい笑いです。
 時に寂しくなって、下界におりて様子を探ったり、ちょっとしたいたずらやちょっかいを出して人助けをしたりしますが、多くは、再び山にこもって修行を続けます。下界では修行が進まないからです。

 仙人の修業は、必ずしも短時間で済むわけではありませんし、努力したからと言って必ず合格できる保証もありません。仙人は、根気強く行を継続し、気づきを深め、境地を高めていきます。行を通して、仙人の中にあったあらゆるエゴの痛みのエネルギーが癒され、力を失います。
 時に、頑固で強力な執着は、ハンマーで破壊され、分解されて、雲散霧消します。そのプロセスは、自我の死のプロセスであり、まさに仙人は今まで自分を構成していた自分の死を迎えることになります。
 しかしだからと言って仙人の存在が消滅するわけではありません。仙人の本質は、エゴではなくて、その背景にあるより精妙な輝きです。自我が人生を主導しているときには、その背景にある精妙な輝きは影を潜めていますが、自我が力を失い、自我の厚い雲が取り除かれると、背景にあった偉大なる輝きが顔をのぞかせるようになるのです。

 こうして、仙人は、古い自分を構成していた自我の恐怖やそれに基づく執着をすべて手放すことで、事実上の死を体験すると同時に、より精妙な体で天地と呼応し、そこに輝かしい新たな自分を発見します。自由な光豊かな存在として生まれ変わるのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、仙人は、一つだけちょっとした気がかりを残しています。それは、懐かしい故郷に、自分が学んだ真実を伝えたいという願いです。
 故郷の懐かしい人たちと再会し、酒を酌み交わして、楽しくお土産話を語り会いたいのです。気づきや学びというお土産を持ち帰って、故郷の人たちを喜ばせてあげたいのです。

 ただ、仙人は、故郷に戻ることを躊躇します。故郷に戻ったとしても自分が受け入れられるのかどうかを懸念しているのです。
 故郷の人たちに自分の学んだことを教えようとしても、理解されないかもしれないし、拒絶されるかもしれない、もっと悪いことに悪用されるかもしれないと心配しています。

 しかし、残念ながら、その心配は、多くの場合ほんとうに起こる可能性の高い予言であって、実際に懸念したようになる危険性が高いのです。

 仙人は、故郷の人たちの理解力や学習の可能性を全面的には信じてはいません。全ての人が、学びを正しく聞き入れ理解し、学びにつなげられるとは楽観していません。自分が帰ることによって、たくさんのトラブルや問題が発生し、自分が学びを伝えることで、幸せどころか不幸をもたらしてしまう未来の危険性を見通しているのです。
 ですので、仙人は、故郷に帰ることに迷いを生じます。

 仙人は、人として完成した存在であり、仙境は、仙人にとっての新しい境地であり、新しい宇宙です。
 せっかくここまで来れた喜びは深く大きく、それは、執着と言うよりは、勝利のご褒美であり、そこに居続けて、下界に戻らない事を人間心で責めることはできません。
 仙人にとって、今の平和で楽しい生活を手放し、危険をおかしてまで、または、いらぬ苦労を背負ってまで故郷に帰る必要はないと感じるのです。結果、多くの仙人は、故郷に帰ることをあきらめます。

⑶課題
 仙人は自由であり、故郷の世界に戻らない選択をすることを決して責めることはできませんが、仙人が学んだ貴重な悟りを、多くの人たちに分かち合えないことは、この上ない残念でもあります。
 一度でも光明を得た人には、責任があります。
 光を信じることができずに絶望の中で苦しんでいる人や、迷っている人、より深い罪を犯そうとしている人に、
「何を弱気なことを言ってるのだ!」と喝を入れなければなりません。
「君は捨てたものではない、君ならできる!」と勇気づけなければなりません。

 そして自らの光を取り戻すための教育、お手伝いをして、悟りの後継者を育成する必要があるのです。

 本来であれば、故郷の人たちの意識が、仙人の学びを謙虚に受け入れて学ぶことができるまでに成長していることが大切であり、それがかなわない現状で、仙人に必要以上の自己犠牲を強いることはできません。
 あくまでも、故郷の人たちが、自力で学び、成長を遂げて、学びを受け取る準備を整えることが前提として必要なのです。その努力をせずに、教えてくれないことを責めるわけにはいきません。準備ができていない人には開示できない秘密があるのですから。

 ただ、故郷のすべての人たちが準備を整えることができていないわけではありません。成長の可能性はそこかしこにまどろんでいるはずです。仙人は、そのような可能性を粘り強く探求し、故郷を見捨てることなく、面倒くさがらずに、万難を排してあらゆる伝授の方法を探していくことが課題となります。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 15.⑬勇者

第15章 ⑬勇者

 勇者は、数え切れない敗北を越えてきた人です。
傷つき、倒れ、それでも立ち上がり続けた人だけが、勇者という称号を受け取ることができます。
 勇者は、敵を倒したから勇者なのではありません。恐怖に支配されず、自分の良心と勇気に忠実であり続けたから勇者なのです。

 地球上で生きるということは、ある意味で、試練を通して成長する宿命を持つということでもあります。
 歓迎するとせざるとにかかわらず、ドラゴンは、そこかしこに存在し、攻撃を受け、傷つき、痛みを受けることを通して人は成長していくことになります。
 ただし、痛みを成長の糧にできるかどうかは、本人の意志と生きざまによります。
 自己防衛は、当然の戦略ですが、それが嵩じると、いいわけ、こじつけになり、何につけ人のせいにして、自分は何も瑕疵がないのに不当な攻撃を受ける弱くてかわいそうな被害者となります。被害者としてのアイデンティティは、堕落、怠惰、攻撃、暴力を正当化します。自己正当化の罠にはまった被害者は、自己憐憫と過剰防衛に勤しみ、自らを反省し成長する機会を失ってしまいます。

 自己成長に向かうためには、とてつもない勇気が必要です。
・被害を受けた自分と被害を与えた相手の不完全さを許す勇気
・自分の失敗を認め反省する勇気
・自らの愚かさ、弱さ、みじめさを笑い飛ばし、語れる勇気
・痛みや困難に敗北するのではなく、成長し、何度も立ち向かい、挑戦する勇気
そうした勇気は、人を育て、次第にドラゴンを追い、追いつき、ついには勝利します。
 ドラゴンに勝利した人は、勝利を得ることによって、貴重な宝を得ることになります。その宝とは、金銀財宝と言った豊かさだけではなく、学びや成長、仲間との友情、深層心理の深みから得た気づきや教え、悟り、チームを導くリーダーシップ、権力、などの形のないものであったりもします。
 勝利者は、奇跡的な成功を達成することによって、もはや以前の自分ではなくなります。勇者の称号を得て新しい自分へと生まれ変わるのです。
 かくして、人は、勇者へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 勇者は、勝利者です。困難に勇敢に立ち向かい、勝利することによって、勇者としての称号と地位、権力と力を得ることができます。
 勇者は、今まで自分をしばりつけていた多くの思い込みや呪い=自己嫌悪、恥、自己憐憫、自責、悲嘆、絶望、悲観を吹き払い、新しい称号を受け入れて勇者として生まれ変わります。
 それは、名前が変わっただけではなく、意識や考え方、態度や行動まで変わります。
 負け犬としてかがめていた背筋が伸びます。
 絶望して伏し目がちだった目が前を向きます。
 恐怖でくすんでしまった顔色が輝きを取り戻します。

 勇者のふるまいは自然であり、過度な緊張や警戒はありません。
 不安な未来や陰鬱な過去に気を取られるのではなく今ここに集中し、今ここの大きな至福とつながって豪快に笑うのです。

 それは、ヒマワリがバラに変わったわけではありません。勇者はもともとの自分の中の勇者性を取り戻したのです。
 太陽が存在しなかったわけではありません。あまりに恐怖と不安のくもが厚く立ち込めていて光が見えなかっただけなのです。勇者は、自分の中の呪いである恐怖と不安を吹き払って、自分の中の光を取り戻し、表現し始めたのです。

 勇者のみなぎる明るさや喜びは強烈であり、その輝かしさやエネルギーに影響されて、周囲の人たちも元気で明るく前向きになります。
 勇者の言葉には、うそや皮肉がありません。沸き起こる情熱は希望の言葉となり、あふれんばかりの喜びは幸せをもたらす物語となります。
 勇者はその力ある言葉で人を勇気づけ、元気と愛をもたらします。勇者はまさに周囲の人たちにとっての太陽でもあるのです。

 勇者は、言い訳したり人のせいにすることを止めます。言い訳や転嫁の衝動を感じるのは、自己防衛に勤しむエゴという小さく狭い自分が感じていることであり、決して自分自身の真実ではないことに気づいているからです。
 勇者は、起こる出来事や出会いは、全て偶然ではなく、起こるべくして起こったことであり、雪のひとひらひとひらが落ちるべきところに落ちるように、出来事も1mmのずれもなく起こっていると考えます。
 その出来事が、例え悲惨で不条理で、起こるべきではなかったと怒りを感じることであっても、そこには必ず前向きな意義が隠されており、そこから何かを学ぶことが大切だと知っているのです。
 ゆえに、勇者は、すべての責任を自分で引き受ける覚悟を決めます。
 トラブルが起こった縁をもたらしたのは自分であり、自分が反省し、自分が学ぶこと、成長することによって、どのようなトラブルでも乗り越えることができるという確固たる自信を得るのです。だから、勇者は、もろもろのことを無視したり、言い訳したり、人任せにしたりしません。全てを引き受けて、主体的にかかわり、改善すべく努力するのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、成功や勝利には、うぬぼれや傲慢さという罠が潜んでいます。
 人生の中で最も危険な時は、ピンチの時ではなく、成功に酔いしれて有頂天になっているときです。
 ピンチの時は、周囲はそれを知って同情し、さまざまな形で応援をしてくれるものですが、うぬぼれてつけあがり人を見下す態度を取りはじめると、周囲の目は厳しく、あっという間に信頼を失い、人望を失います。
 そして、傲慢さで失敗した人は、その後どんなに困難な状況になっても、もう誰も応援してくれなくなってしまいます。傲慢さの失敗は、挽回が難しいのです。

 勇者が為しえた大成功は、この危険な罠がつきものであって、注意深くある必要があります。勇者の成功が大きければ大きいほど、それは、自分だけの力でできたものではありません。友人たちとのチームワークや運、天の采配の為せる技であって、それらに対する感謝の気持ちを忘れてはいけません。このうぬぼれや傲慢こそが、勇者にとって陥りやすい第一の罠なのです。

 また、逆に、低く否定的な自己イメージの呪いを解ききることができずに、いまだに卑屈な意識を持ち続けて、勇者としての自分に尻込みしたり、自分に注目が集まることをおびえたり、リーダーとしての責任を担うことに怖気づいたりすることもあります。
 謙虚さと自虐は違います。
 謙虚さは、自分も相手も大切だと思える心情であり、人間関係が長続きします。
 しかし、自虐は、自分を嫌います。自虐の人は、縁の薄い遠い関係性の人には礼儀正しくふるまうので、謙虚な人だと勘違いされますが、相手が近づけば近づくほど自分に対するマナーを人間関係に投影します。いわゆる、自分に対しで虐待するように、相手に対しても暴言を吐いたり暴力をふるったりようになるのです。人は、自分にするように人にするのです。
 謙虚ではあるべきですが、自虐は慎まなければなりません。
 もし勇者が、いまだに自虐の罠にはまっており、自分の内面で分離と葛藤を持ち続けていたとしたら、自分の中の不穏さ、暴力は、外側に投影されて、人間関係やチームワークの中で、強引さ、ハラスメント、暴力が散見されるようになります。
 自制がきいている分にはまだその出現も少なく済みますが、大きなプレッシャーやストレスにさらされて、恐怖や絶望にこうべを垂れてしまったならば、もはや良心の自制は効かずに不正をなしたり、暴力をふるうことに躊躇がなくなります。かくして、勇者は暴君へと変容してしまいます。
 実は、勇者と暴君は同じコインの裏表です。どちらに転ぶかは、健全な自己認識を得られるかどうかにかかります。
 勇者としての自分を受け入れ、信じることができる健全な自尊心を持てている場合は、長所も欠点も含めたありのままの自分を受け入れ、痛みや失敗も含めた自分の人生を祝福し、かっこよいも悪くもある自分のすべての側面を愛することができます。自分を愛するように、他者の存在も尊いと認識し、他の欠点や失敗、愚かな側面も自分同様にその存在を受け入れる度量、清濁併せ呑む度量があるのです。
 自分の中の欠点を認めるということは、自分に甘いということではありません。それは、誤魔化そうとする自分を厳しく制御し、しっかりと反省できるということであり、今後に向けて成長できるということでもあります。
 一方で、自分の中の一部を嫌悪し、受け入れられずに否定している場合は、自分の中のその欠点が他人に暴露されることを恐れるあまりに、欠点の存在を全否定します。
 自分の中の醜さこそが自分の本質ではないかと恐れており、醜さを克服する事ができないのではなかと心配し、自分が成長する可能性を信じることができないので、自分が反省して変わるべきだというアイデアや指摘を拒絶します。
 自分に欠点が確かに存在するのに、詭弁をもって「自分は悪くない」と主張します。「自分は完璧であり、変わる必要がない。悪いのはあなたであって、あなたが変われば問題は解決する」と主張するのです。
 完全無欠で非の打ちどころのないファンタジーの自分を自分だと信じ込んでおり、そのような自画像を他者にも信じ込ませようとします。それは、うぬぼれであり傲慢だということなのですが、本人は他人にそう映っているとはつゆ知らず、裸の王様になってしまいます。
 自分の中の欠点を嫌悪するので、他者が持っている同様の欠点にも敏感です。他者の長所ではなく欠点ばかりを見るようになり、それを指摘し、攻撃して、矯正するように勧告します。
 しかし、実は、嫌悪し、直せと言っている他者の欠点は、自分の欠点なのです。

⑶課題
 勇者の課題は、自分の光だけではなく、自分の闇をも愛する度量を持つことです。
 勇者は、自分の弱さを否定する必要はありません。傷ついた自分も、恐れている自分も、失敗した自分も、自分自身だからです。
 光だけを愛そうとすると、人は暴君になりますが、闇をも抱きしめられたとき、人は初めて真の勇者となるのです。

 自分の中の問題を相手に見てそれを責めることを投影と言います。投影の罠に絡み取られると、反省すべきは自分ではなく他人だと思い込んでしまいます。変わるべきものは自分ではなく他人であると感じるのです。
 ですから、本来自分の欠点であるので自分が反省し変わらなければ本質的に問題が解決しないにもかかわらず、それを相手の人や環境のせいにするので、いつまでも成長することもできないし、本質的問題を解決することもできません。
 投影の状態では、歩けどもあるけどもたどり着かず堂々巡り、がんばってもがんばっても空回りをしてますます事態は悪化する、知らないうちに友が去り、孤独になっていく、そんな罠にはまり込んでしまうのです。
 変わらなければならないのは他人ではなく自分だったのです。

 勇者とは言え、成長のプロセスにあり、ゴールにいるわけではありません。まだまだ克服すべき欠点があるし、成長の偉大なる可能性もあります。
 欠点があるからと言って、それは決して自分の本質ではなく、痛みを持った小さな自分、生傷を守ろうとするかさぶたたのです。
 内なるエゴは、退治すべき敵ではなく、「恐れから世界を必死にコントロールしようとしている、自分の中の幼く未熟な一部」なのです。
 光は、そうした傷や痛みから差し込んできます。
 痛みは成長のチャンスでもあるので、拒否したり恐れたりすべきものではありません。痛みを受け止める度量、反省につなげる謙虚さ、そして成長を信じる勇気こそが自分の本質なのです。
 勇者の課題は、自分の本質は決して醜い愚かさではなく、輝かしい勇者なのだと気づくこと、自己卑下や自虐を止めて、健全なる自尊心を取り戻すことです。
 偉大なる自分の側面に怖気づかずに受け入れること、そして、人から注目を集めることを恐れずに楽しむこと、リーダーとしての責務を受け止めることが大切なのだ言えましょう。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 14.⑫反逆者

第14章 ⑫反逆者

反逆者とは、自分がこれまで服従してきた権威を裏切り、かろうじて残っていた自分自身の小さな良心の炎を人生の玉座に据えた人です。

その瞬間、反逆者は「裏切り者」というレッテルを貼られます。
しかし、彼が裏切ったのは恐怖であって、真実ではありません。
むしろ、それまでは偽神に屈服し、自分自身の良心を裏切り続けていたのです。
反逆者とは、その厳しい真実に気づき、初めて自分の良心に忠誠を誓った人なのです。

⑴ 光の側面
反逆者は、自分を取り戻す人です。
恐怖の中で自分を見失い、長い年月、自分自身ではない何かに従って生きてきました。
権威、テクノロジー、世間、組織、常識、成功、名誉、あるいは誰かの期待。
それらは、自分を守り、安心を与えてくれる神のように思えました。

しかし、どれほど従っても心は満たされません。
従えば従うほど、自分らしさは失われ、心の奥底では、小さな違和感が渦巻いてきました。
財を得、権威は身につき、部下はたくさんできましたが、友達は一人もできませんでした。
反逆者は、その小さな違和感をもみ消すことはできませんでした。

最初は、かすかな疑問にすぎません。
「本当にこれでいいのだろうか。」
「私は、本当にこれを信じているのだろうか。」
「これは、本当に正しいことなのだろうか。」
その小さな内面のささやきに耳を澄ませるところから、反逆者の旅は始まります。

反逆者は、これまで絶対だと信じていた権威や価値観から少しずつ距離を置き始めます。
一歩離れて眺めてみることで、それまで神だと思っていたものが、実は偽神だったことに気づき始めるのです。

偽神は巧妙です。
善意や正義、伝統や常識という美しい衣をまとい、人々に服従を求めます。
卓越した科学技術を駆使して完璧な管理の檻のシステムを構築します。
恐怖を利用して支配し、本来であれば望まない罪を背負わせます。
人々を分断し、互いに争わせることで力を奪い、成長を阻害します。
さらに、ルールや制度までも巧妙に利用して、構造的な搾取を生み出します。

反逆者は、笑顔の仮面の下に隠された邪悪な欺瞞や科学技術の美名に隠された小賢しさと悪意に気づき、確信し、抜き差しならないところまで追い込まれます。
そして、ついに、裏切者の名を着せられることを覚悟のうえで、自分の良心に従う決意をするのです。

反逆者の心は複雑です。偽神に対する不信、怒り、そして、偽神に仕えてしまった自分への嫌悪、恥、世界観の崩壊。
強烈な恐怖と混乱と痛みにあがらってまでも、一歩踏み出す決断をしたのは、真実に生きたいという願いからです。

もちろん、その決断には代償があります。
裏切り者と呼ばれ、理解されず、孤立し、時に容赦ない攻撃を受けるのです。

それでも反逆者の決意は揺らぎません。
反逆者は、恐怖に従うことをやめます。
人生の玉座に消えかかっていた自分の良心を据えた時、
そのとき人は、初めて自分の人生を生き始めます。

反逆者とは、他人に勝つ人ではありません。
自分を失わせていた恐怖に勝ち、自分自身を取り戻した人なのです。

⑵ 影の側面
反逆者は、偽神の欺瞞に気づいた人です。
だからこそ、その欺瞞に対する怒りも人一倍強くなります。

裏切られた悲しみ。
利用されてきた悔しさ。
欺かれてきた怒り。

反逆者の偽神に対する怒りは正義の怒りであり、偽神の邪悪さを暴露し、くさびを打ち込む原動力にもなります。
それらは決して間違った感情ではありません。

しかし、糾弾する偽神は、自分とは無関係の存在ではありません。
かつて偽神は、自分自身でもありました。そして今もなお、その種は自分の中に息づいています。
自分だけが潔白で、偽神だけが邪悪なのだという認識は、幼い二元論であり、真実ではありません。
偽神にも、そこへ至る痛みや恐れがありました。
その一切を顧みることなく、一方的に悪と断じて裁くならば、それは正義ではありません。
偽神を裁く心そのものが、新たな偽神を自分の中に生み出してしまうこともあるのです。
その時、裁き、非難攻撃する者の玉座に据えられているものは、決して良心ではなく、正義の名を借りた偽神なのです。

実は、偽神とは、権力者のことではありません。
本当の偽神とは、人生の玉座に座り、自分こそが主人であると思い込んでいる自分であり、狭い了見のままで思い通りに世界を支配しようとするエゴです。
神になろうとする偽神は外にもいます。
しかし最も巧妙な偽神は、自分自身の中に住んでいます。

反逆者は、偽神を倒す人ではありません。
偽神の巧妙さを見抜き、自分の中にある偽神の暴走を許さない人、偽神からの自由を獲得する人なのです。

⑶ 課題
反逆者の課題は、自由であり続けることです。

反逆者は偽神を人生の玉座から降ろしましたが、偽神は、だからと言って簡単にあきらめません。
偽神は、とてつもなくしぶといのです。
あらゆる姿に身を変え、あらゆる手を尽くして、人生の玉座を奪い返そうとします。

・昨日まで戦っていた権力。
・自分が掲げる正義。
・仲間からの賞賛。
・人々の期待。
・成功した自分自身。
そのどれもが、いつしか良心に代わって玉座を奪い取るかもしれません。

だから反逆者は、一度反逆すれば終わりではありません。
何度でも立ち止まり、自分の心を見つめる必要があるのです。

今、人生の玉座に座っているのは、本当に良心に基づくのだろうか。
そう問い続けるのです。

良心は、大声では語りません。
恐怖や怒りのように人を支配することもありません。
静かに、しかし確かに、「こちらだ」と語り続けます。

その小さな声を聞き続けるためには、謙虚さが必要です。
反省する勇気が必要です。
そして、自分もまた間違える存在であることを忘れない度量が必要です。

反逆者は、誰かを倒すことで完成する人ではありません。
偽神が自分の中によみがえろうとするたびに、それに気づき、何度でも良心へ帰り続ける人なのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 13.⑪魔法使い

第13章 ⑪魔法使い

 魔法使いは、目に見えない力を理解し、世界に癒やしと奇跡をもたらす探究者です。

 魔法使いが探求しようとする世界は、とてつもなく深くて広い領域です。
 物理学の世界では、私たちが目で見て認識できる素粒子は、宇宙全体の4.9%に過ぎず、26.8%が暗黒物質(ダークマター)と呼ばれる未知の物質によって、68.3%がダークエネルギーと呼ばれる未知のエネルギーによって占められていると考えられています。物理学的な見地からは、私たちが世界だと認識している世界は、全宇宙の5%程度ですが、真実は、その大半が、現在私たちでは認識できない謎にみちているということになります。

 このような視点から考えると、私たち人間は、科学技術も進化していろんなことを知っているように思いこんでいるけれども、宇宙的な視点からすると、幼稚園児にもなっていない状況なのかもしれません。なにしろ、宇宙の95%以上の存在が、分からないのですから。
 物理学の視点に立つと、私たちが生きる基盤としている考え方や生き方、常識や政治も盤石なものだとは言い切れません。なぜならば、全宇宙の5%弱に過ぎない知識を基盤に構築されているからです。そこには、もしかしたら、大きな勘違いや思い込み、間違いがあるのかもしれません。全てを知っているつもりでいても、それは井の中の蛙であって、狭い了見の間違えた思想をもとに、裁いたり、批判したり、攻撃しあっているのかもしれません。

 魔法使いは、そうした常識の詭弁や間違いに気づくことで、常識を疑い、その支配から抜け出すとともに、常識では推し量れない領域の存在を知り、探求を始めます。魔法使いの周囲の人たちは、魔法使いが、妙なことを口走ったり、変なことに興味を持ち、やり始めたりすることを危うんで、常識を取り戻すように忠告しますが、魔法使いは、そのような指摘をものともしません。常識や権威の主張よりも自分の気づきの方が正しいという確信を持っているからです。

⑴光の側面
 魔法使いが求めることは、
・なぜこの世には苦しみがあるのか? なぜ病が起こるのか?
・死の意味とは? 幸せとは?
・感情とは? 人間関係とは?
・病を治す方法とは? よりよく生きる方法とは?
など、常識や従来の科学では答えることができない問いに対する答えを求め、技術を得ることです。魔法使いは、邪を祓い、痛みを癒し、幸せをもたらしたいのです。

 魔法使いは、顕在意識ではたどり着けない答えを潜在意識の世界に求めて、心理学、カウンセリング技法、人間関係、チームと組織の活性化手法、などの科学的な専門書のみならず、さまざまな宗教書、宗教芸術、宗教の行法なども熟読し、自分の気づきと照らし合わせながら、理解を深めていきます。探求を通して出会うさまざまなご縁に導かれて、多くの師匠、先輩と出会い、多くの気づきや理解を深めます。呼吸法、瞑想法、ヨガ、太極拳などさまざまな手法を試み、相性の合う方法を修行し体得していきます。

 魔法使いが探求しようとしている世界には、日常の常識では認識することができない秘密がたくさん存在しています。そして、その秘密は、聴く耳がある人にしかささやかれません。準備が整った人にしか真実は開示されないのです。
 魔法の世界の探求を潜水に例えると、ダイバーは自分が潜れる部分しか見えません。浅くしか潜れないダイバーは、浅い部分しか見えません。自分が見ている領域を世界のすべてだと思い込みますが、実は、もっともっと深い部分にもっともっと大きな謎が隠されています。そして、その底の深さは、無限大。尽きることのない可能性がまどろんでいるのです。

 魔法使いは、徐々に今まで身につけてきた思い込みや誤解、間違えた信念を解きほぐし、真実に触れて理解を進めていきます。そして、その理解の度合い、修行の進み具合に応じて、世界の真実や秘密が開示されて、魔法の力を身に着けていきます。魔法の力と言っても、呪文を使うなどの特殊なものだけとは限りません。

・人の話を真剣に聴くことによって、人の痛みを癒し元気をとりもどす。
・やさしさや思いやりをもって人と接することでチームの雰囲気を変える。
・自分が変わることで、相手を変える。
・草花の美しさにしばし足を止めて、花を舞う蝶に機嫌よく挨拶する。
・世話をし、面倒を見ることで、人を病や死の危機から救い出す。
・唄い、ともに踊ることで、分離を乗り越え、共感の喜びをもたらす。
・コミュニケーションを改善し、愛を取り戻すことで、組織をよみがえらせる。
・3人寄れば文殊の知恵が起こり、話し合うことで正解に近づく。
・名づけ、物語ることで、人を勇気づける。

 いずれも、特殊な呪文や行法はありませんが、目に見えない力を使って人を癒し、元気づけたり勇気づけたりすることであって、まさに魔法の力と言えます。魔法使いは、目に見えない力の背景にある仕組みやダイナミズムの理解を深め、それらを上手に改善し、自分や他者、チームや組織に幸福をもたらす技法を習得していくのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、魔法使いは、自分の力不足で成果を出せない事や調子が悪い時にはうまく力を発揮できないこと、好不調の差が大きいことを苦にして、焦ってしまうこともあります。
 本来であれば、自分の成長の度合いに応じて開示される能力でもあるので、自分の未熟さを受け入れ、自分の可能性を信じてゆっくりと克服していくべき課題なのですが、時に、今結果を出せないことが原因で名声や評判を傷つけることを恐れてしまい、薬物などの他の力を使って手っ取り早く乗り越えようとしたり、トリックを仕掛けてだまそうとしたり、自己正当化の理論を信じ込ませようと洗脳しようとしたりする誘惑に負けることがあります。
 それは、甘い誘惑なのですが、安易な道であり、自分の真の成長を阻害すると同時に悪徳に身を染めてしまう罠でもあります。ですので、他への依存の誘惑を断ち切り、自分を信じて独立自尊を貫くことが必要です。

 また、魔法使いの願いは、自他の幸福をもたらすことですが、その幸福が、敵を倒して勝利することであったり、誰かを陥れると言った、利己的で誰かを苦しませたり危害を加えようとする願望である場合もあります。
 魔法使いが、そのエゴイスティックな願望を聞き入れて、その願いに自分の魔法の力で加担する場合は、それは黒魔術となり、邪悪な方法に身を染めることになってしまいます。

 魔法の世界には、天使もいれば悪魔もいます。どちらを選ぶかは、2者択一であり、魔法使いは、自分の意志の力を使って、どちらを選ぶのかを決めなければなりません。

 天使は決して勧誘しませんが、悪魔の誘惑は強力です。それは、くもの巣を張り巡らせてわなを仕掛け、巧妙に近づき、アメとムチでしばり、恫喝し、操作や陰謀で陥れます。自信を打ち砕き自尊心を損なわせた後に、甘い救いの手を差し伸べて支配し、搾取します。
 悪魔の誘惑は、死の恐怖に匹敵するくらいの強力な力を持っており、それを拒否して乗り越えるためには、大志と勇気と誠実さが必要なのです。

 この分水嶺で道を踏み外し、悪に転落する魔法使いも決して少なくありません。
 彼ら彼女らは、能力がなかったわけではありません。ただ、自尊心と勇気が欠如していただけなのです。
 魔法の世界を探求しようとこころざす者は、そうした罠があることを十分に理解して、大義や志に向けて、健全なる自尊心を胸に、注意深く罠を避け、どんな時でも自分が信じる良心に従って善を選ぶ勇気を持つことが必要なのです。

⑶課題
 魔法使いにとっての課題は、宇宙(サムシンググレイト、ロゴス)との連携を強化していくことです。
 実は、魔法の力は、自分のエゴが生み出しているわけではありません。自我という狭い枠組みの中から生み出される力は、けっして宇宙をつかさどる偉大なる力にはかないません。
 そして、エゴには認識しようのない自分自身の偉大なる可能性は、サムシンググレイトと無関係ではありません。自分自身を深く探求することを通して、その中にある秩序、構造、真善美、そして、自分自身の真のアイデンティティとしての愛、ロゴスと会うことになるのです。
 魔法使いは、自分自身の可能性、そして宇宙を信じ、自我を超えるものに対して尊敬の念を持ち、頭を下げ、手を合わせて感謝する謙虚さが必要です。そこには、人間関係と同様に、礼儀とマナーが存在します。それもただの形だけのものではなく、真剣さや誠実さと言った心の在り方も必要になるのです。
 ただし、宇宙やサムシンググレイト、ロゴスと自分との関係性は、直接的なものでなければなりません。その間をとりもつ介在者を入れてはいけないということです。

 宇宙を実感することは容易ではありません。その秘密は、深い深い海の底に存在しているのであって、水辺をうろついている現状では、なかなか手が届きません。神は偉大であり、自分のような者が直接かかわるなんておこがましいという思い込みや畏怖もあります。ですので、その間を取り持つことができる誰かに介在してもらい、神の代理人になってもらおうとするのです。

 介在者は、司祭のような人だけとは限りません。権威のある本、仏像、言葉、絵、などなど、代理人としての役割を担うと感じれるものであれば、どんなものでも介在者となりえます。
 しかし、それらは、決して神そのものではないことを忘れてはいけません。それは偶像崇拝の罠であって、それに救いを求めるということは、自分自身を信じる気概や直接に神とかかわることができる可能性を放棄してしまうということ、
 すなわち、人が生きる上で最も大切な使命を放棄してしまうという重大な間違いを犯してしまう事につながります。

 決して司祭や本、仏像を大切にしてはいけないということを言っているわけではありません。行を進める方法の一つとして活用することは、むしろ役に立つことだと言えますが、それらを神として信仰することは間違いにつながるということを忘れるべきではありません。

 宇宙を構成する物質と、人の肉体を構成する物質は同じものです。ですので、人と宇宙は本質的には同じものです。
 ただ、一滴の海水と海は本質的に同じものとはいえ、その偉大さには絶大な違いがあるのと同じように、人と宇宙は同じものとはいえその偉大さには絶大な違いがあります。
 だからと言って、全く縁がないものではありません。むしろ、本質的には人は宇宙であり、人は、直接的に宇宙を自分だと感じ取ることができる能力をまどろませているのです。

 だから、その可能性を放棄してはいけません。自分の中にまどろむ力を信じて、他に依存することなく、独立自尊の精神を忘れずに魔法の世界と向き合うことが大切なのだと言えましょう。

 魔法使いが、自分自身を信じ、宇宙への畏敬を忘れず、良心を選び続けることができた時、その人は魔法を使う人ではなく、人々が自ら奇跡を起こせるような世界を創る人になります。
 そして魔法使いは、癒やしという枠を超え、人類そのものの未来を変える存在へと歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 12. ➉覇王

第12章 ➉覇王

覇王は、力とテクノロジーによって世界を統一しようとする覇者です。
科学・制度・技術を用いて世界規模の課題を解決しようと志します。

この混乱と無秩序に満ちた世界を、
暴力と搾取が横行し、人々が恐怖と苦悩の中で生きるこの社会を、
自らの力によって正さなければならないと確信しています。

覇王は、この世に真の平和をもたらせるのは、自分しかいないと信じています。

人々は弱く、迷い、欲望に流されます。
民主主義も、善意も、理想論も、結局は争いを止められません。
だからこそ、自分が持つ卓越した力とテクノロジーと支配構造で世界を統一し、秩序を打ち立てるしかない。
それが覇王の信念なのです。

覇王は非常に優秀です。
・数手先を読み、資源を大胆に集中させ、一気に勝負を決めます。
・群を抜いた科学技術やハイテクで多くの問題を予見し、解決します。
・わずかな違和感も見逃さず、裏切りの芽は徹底的に摘み取ります。
・誰も下せない決断を恐れることなく下し、圧倒的な実行力で現実を変えます。
・敗北から学び、決して諦めず、何度でも立ち上がり、逆襲します。
・人の能力を見抜き、適材適所に配置し、巨大な組織を自在に動かします。
・国家や企業、文明全体を俯瞰し、長期的な戦略を描きます。

だから、人は従います。
だから、巨大な組織が生まれます。
だから、国は豊かになり、秩序は保たれ、栄華を極めるのです。

しかし、そんな完璧に見える覇王にも、誰にも見せることのない弱さがあります。
それは、自分の弱さを認められないこと、ありのままの自分で人と向き合えないことです。
覇王は世界を征服しようとします。
しかし本当に征服したいのは、誰にも知られたくない自分自身の弱さなのかもしれません。
その隠された傷を起点として、覇王という壮大なドラマが展開されていくことになります。

⑴光の側面
覇王は、圧倒的な統率力を持っています。

巨大な組織をまとめ、国家を動かし、歴史を変え、文明を築く力を持っています。
その決断は速く、意志は金剛のように強く、迷いはなく、困難から逃げません。
誰も決められないことを決め、誰も背負えない責任を背負います。

覇王は混乱を嫌います。
秩序を築き、資源を集め、技術を発展させ、巨大な国家や企業を築き上げます。
未来を先取りした科学技術で、魔法のように現実を分析し、劇的に変えます。
その力は、他を凌駕して、圧倒的です。

覇王の権力の源泉は、圧倒的な力(武力、科学力、ハイテク、技術力、財力、能力、…)です。
彼が用いるのは単なる暴力ではなく、「予測可能で合理的なテクノロジー」でもあります。
それによって数手先を読み、資源を集中させ、実際に国を豊かにし、無秩序を排していく。
巨大なものを分割し、扱いやすい単位へと再編したうえで統治します。

敵と味方。身内と外様。上と下。さまざまな境界を設け、それぞれに役割と権限を与え、互いに監視し、牽制し、調整し合う仕組みを築きます。

そうすることで、一人の人間では決して成し得ない巨大な国家や組織を統治することができるのです。
その威厳の前では、多くの人が畏れ、頭をたれて従います。
世界は統一され、秩序が生まれ、繁栄が訪れるのです。

⑵ 影の側面
覇王は、あらゆる手段を弄して人心を、そして未来をマネジメントしようと試みます。
・プロパガンダ、宣伝広告、マーケティング、ブランド戦略…。
・情報収集、情報統制、教育、法律、ルール設定、買収と企業統治、…。
持てる力やテクノロジーの全てを駆使して、世論を誘導し、自分がそう思ってほしいように人々が思ってもらえるように巧妙に操作します。
不確実性を完全に排除するために、人間の心さえもデータやアルゴリズムのようにマネジメントしようと試み、意図的にヒットやムーブメント、“はやりすたり”を作っていくのです。

理想を定め、計画を練って実践し、現実を変えていく…。マネジメントは、世界の不確実性に対処するための唯一の本質的な手段であり、未来を拓こうとする者たちにとっての必要なツールですが、扱い方によっては、危険な武器ともなります。

人身のぬくもりを失い、良心を失ったマネジメントは、時に冷たく、残酷で、支配操作的です。
なりふり構わない、時に悪意を隠さない、法的な問題だけがその制約となるような、時に法的に問題が起こる危険性をもいとわない操作的な方法は、もはやマネジメントとは言えません。
それは、陰謀であり、謀略であり、人を穴に陥れる悪意のある罠です。
それは、詐欺的であり、暴力的であり、犯罪的です。
それは、人の心を貶める呪いであり、洗脳であり、黒魔術になり果ててしまうのです。

また、覇王は、自分自身の力に酔い、コントロールできない存在が許せなくなります。
天地自然の不確実性、時代の流れ、世界で起こる出来事をも自分の都合で操ろうとする。
まさに覇王のエゴは肥大し、神をも目指すようになってしまうのです。
こうなるともはや覇王は覇王ではなく、最も守るべきものであった人間性を失い始め、堕天使へと堕落してしまうことになります。

⑶ 恐れるもの
覇王が恐れるものは、無秩序、制御不能、そして停滞です。

覇王は、世界をより良くしたいと願っています。だからこそ、混乱を嫌い、秩序を築こうとします。責任を果たすために、あらゆる状況を把握し、制御しようとします。そして、停滞こそが敗北の始まりと恐れ、改革と成長を推し進めます。

しかし、この恐れが強くなりすぎると、秩序は管理へ、管理は支配へと変わります。本来、人々を守るために築いた体制が、人々を縛る檻になってしまうのです。

また、覇王の欠点は、心を開けない事、正直になれない事、愛してると決して言えない事でもあります。
覇王は、世界を支配し、人を動かし、完璧なまでの強さを得ることができた存在ですが、そういう存在に値しない自分であることを一番よく知っているのは自分です。
実は、覇王は、自分には自信がないのです。自分の心を支配することはできないし、心の中の敵を滅することもできないし、絶望を拭い去ることもできません。
正直に語り、抱きしめ合うことは、鎧をまとった覇王には不可能であり、かといって、愛されたいという渇望は決してなくなることはありません。愛し愛されたい心の飢餓を脅しと暴力で押し殺して、強さに邁進することによって忘れようとするのです。
実は、覇王は、権力や武力、財力をはぎ取ったら、ひそかに見下し、さげすんでいた下々の者たちと何も変わりがないことを知っており、それが暴露されてしまう事を最も恐れているのです。

人が手に入れることができないほどの権力と富を得た覇王ですが、その代償として、人として最も大切な成長を封印してしまってきたのです。

覇王は、心を開くことができません。
弱音を吐けません。
助けを求められません。
涙を見せられません。

脅すことはできても、「ありがとう。」が言えません。
そして、「大っ嫌いだ」とは言えても、「愛している。」の一言だけは、どうしても口にできないのです。
「私も愛している」と言ってくれる可能性は極めて低く、そして愛は、支配では得られないことを知っているからです。

だから覇王は、愛されるより、恐れられることを望みます。
尊敬されるより、服従されることを望みます。
信頼するより、支配することを望みます。
覇王は、愛よりも恐怖を人生の基軸として選んだのです。

しかし、恐怖によって得られるのは、忠誠ではありません。
沈黙であり、服従であり、諦めです。
人は命令には従っても、心までは差し出しません。

覇王は世界を征服することはできます。
しかし、一人の人間の心を命令で愛させることはできないのです。

⑷ 課題
覇王の課題は、さらに強くなることでも、権力を得ることでも、豊かになることでもありません。
それらの力は、有限であり、必ず頭打ちになるのが宿命です。

覇王の課題は、そうした偶像に頼るのではなく、真実に心を開くこと=自分自身を信じることです。
自分の中に愛し、愛される可能性があること、そして、愛は、実は恐怖とはくらべものにならないほどの偉大なる力が内在しているということに少しでも気づくことができたら、その時を境に、覇王の宇宙は劇的に変わっていくことでしょう。

自分のありのままを受け入れ、愛し、信じることができれば、自分の中の痛みや葛藤、恥や恐れ、自己嫌悪や絶望に光が入り、次第に闇が力を失い、平和を取り戻し始めます。
同時に、恐れとは異なる真の勇気、知恵、元気を取り戻し始め、その光は、徐々に覇王の帝国に反映し始めるはずです。

メンバーのハートは鼓動し始め、目の輝きが明るさを取り戻し、
分離感が癒され、心が開かれ、情熱と叡智が交流を始め、
現状の課題と問題点が、うそや隠し事、偏見を経ることなく、そのありのままが分かり、対処され始め、
今までは想像もしなかったような全く新しいアイデアや工夫が、 日常のあらゆる仕事の場面で創造され、実践されて、あっという間に現実が変わっていく。
結果的に、生産性と創造性は、想像を超えて高まり、奇跡的な成長を遂げていくことになるのです。

覇王が心を閉ざしたままでは、どれほど巨大な帝国を築いても、やがて内側から崩れていきます。愛なき組織は、早晩滅亡するからです。

覇王が、鎧を脱ぎ、鉾を納めて、一人の人間として心を開くことができた時、初めて本当の王への道が開けてくるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 11. ⑨武将

第11章 ⑨武将

武将は、人を率い、仲間を育て、組織を勝利へ導く勇者です。

戦士は、自ら戦います。
達人は、自らの技を極めます。
しかし、どれほど優れた戦士や達人であっても、一人で成し遂げられることには限界があります。
より大きな使命を果たすためには、多くの仲間と力を合わせなければなりません。
武将は、チームを作り、組織を束ねて、一丸となって未来を拓くのです。

武将は、自分が一番強ければよいとは考えません。
仲間一人ひとりの力を見抜き、それぞれが最も力を発揮できる場所へ導きます。
人を育て、人を信じ、人を生かし、組織全体を一つの生命体のように動かしていきます。
武将が目指すのは、自分一人の勝利ではありません。
仲間と共に勝利することなのです。

⑴ 光の側面
武将は、大局を見る人です。
目の前の一勝一敗ではなく、全体の流れを見ています。
目先の利益よりも、未来を考えます。
誰を育て、誰に任せ、誰を支えるべきかを見極めます。
武将は、自分が輝くことよりも、仲間が輝くことを喜びます。
仲間の成功を、自分の成功として受け止めることができます。
また武将は、責任を引き受ける人でもあります。
失敗すれば、自分の責任。
成功すれば、仲間の功績。
その姿勢が、人々の信頼を集めます。
武将の周りには、自然と優秀な人材が集まり、互いを高め合う強い組織が育っていくのです。

⑵ 影の側面
しかし武将にも影があります。
責任が重くなればなるほど、人を信じることが難しくなります。
失敗を恐れるあまり、すべてを自分で管理しようとします。
部下に任せられず、細かなことまで口を出すようになります。
やがて仲間は萎縮し、自ら考えなくなります。
また、成果への執着が強くなると、人を目的ではなく手段として見るようになります。
組織を守るためと言いながら、実は地位や権力を守っていることもあります。
さらに闇が深まると、武将は暴君へと堕ちます。
人を信頼できず、命令だけで人を動かし、恐怖によって組織を支配します。
仲間は協力者ではなく駒となり、組織は命を失ってしまいます。

⑶ 恐れるもの
武将が恐れるものは、敗北だけではありません。
仲間を失うことです。
自分の判断一つで、多くの人の人生が変わります。
だから武将は、決断する孤独を背負います。
間違えることを恐れます。
裏切られることを恐れます。
期待を裏切ることを恐れます。
その恐れが強くなりすぎると、人を信じることができなくなり、組織は次第に硬直していきます。
武将は、完全な確実性など存在しないことを受け入れ、それでも仲間を信じて決断する勇気を学ばなければなりません。

⑷ 課題
武将の課題は、勝ち続けることではありません。
仲間のために、自ら体を張ることです。
武将は、多くの部下を率い、大きな組織を動かします。
命令を下し、戦略を立て、組織を勝利へ導くこともできます。
しかし、それだけでは、人は心からついてきません。
人は、権威には従います。
しかし、愛する人のためには、自ら進んで命を懸けることができます。
真の武将は、自分の利益よりも部下を守ります。
自分の名誉よりも仲間の成長を喜びます。
そして、危険な時ほど、自ら最後尾ではなく先頭に立ちます。
部下に命を懸けることを求める前に、まず自らが部下のために命を懸ける覚悟を持つのです。
その姿を見た時、人は命令に従うのではありません。
心から信頼し、自らの意思でその人についていこうと決意するのです。

組織を支えるものは、権力ではありません。
制度でもありません。
まして恐怖でもありません。
組織を本当に支えるものは、愛です。
愛とは、甘やかすことではありません。
仲間の可能性を信じ、守り、育て、共に使命を果たそうとする覚悟です。

愛なき組織は、早晩滅亡します。一時は栄えることがあっても、決して永く栄えることはありません。仲間はもはや互いを信頼できなくなり、責任を押しつけ合い、挑戦を恐れ、やがて内側から崩れていきます。

反対に、愛ある組織は困難によって強くなります。
仲間は互いを支え合い、一人では到底成し遂げられない使命を共に実現していきます。
武将が、自らの勝利よりも仲間の命を大切にし、そのために自ら体を張ることができるようになった時、統率は支配から愛へと変わります。
その時、武将は、組織を率いる人から、人々に希望を与える存在へと成長します。
そして、武将は、自らの命を懸けて人々を守る覚悟をもった勇者への道を歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 10. ⑧達人

第10章 ⑧達人

 達人は、技を通して人格を磨き、人々の期待や想像をはるかに超える現実を創り出す創造者です。

 戦士は、目の前に立ちはだかる障害や壁にひるむことなく、自分の能力を高めることを通して強くなり、乗り越えます。しかし、戦士が強くなればなるほど、内面の悩みが多くなり、問題も多発します。新たに現れる敵もますます強くなり、外面の問題への対処を迫られます。
 また、問題解決能力が高まり、不確実でリスクが伴う戦いや挑戦に対しても勝利できるようになると、周囲の期待もより大きくなり、さらなる能力と責任を担う必要に迫られるようになります。戦士は、内面を見つめることによって人間的に成長を遂げ、さらに問題解決のスキル、職務遂行能力、専門的な技術をより高く磨くことを通して、多発するさまざまな問題に立ち向かうことになります。
 かくして、戦士は、達人へと変容を遂げることになります。

⑴光の側面
 達人が成長するプロセスは、決して甘いものではありません。乗り越えなければならない壁も決して低くはありません。学問に王道が無いように、達人への近道はありません。達人が学ばなければならないことは、内外ともに無限であり、それも、数々の試練を通して体験的に学ばなければならないものであり、大きな苦痛も伴います。それは、まさに、過酷な道、修行なのです。

 内面的には、心の中の平和とセルフリーダーシップを取り戻すことによって、過度な緊張から解放されて、リラックスと集中のスキルを身につけます。リラックスは、弱いことでもだらしないことでもありません。それは最強最善のスキルであり、最も目的にかなった行動を、最も効果的なタイミングで、最も効率よく、最も最適な力で実行し、驚くような成果を出すことができます。
 但し、このリラックスのスキルを体得することは、容易ではありません。自分の中の平和を取り戻すためには、自分の中に存在している痛みや苦しみ、憎悪や悲嘆を癒やしていく必要があります。しかし、そうした痛みをもった小さな自分のパーツの数は無限であり、海を満たす水滴の数ほどあるのです。
 瞑想や内観を通して、自分の中の問題と向き合い、癒し、痛みのエネルギーを少しずつ開放していきます。しかし、それはカメの歩みのようにゆっくりであり、成果を出すためには根気と粘り強さが必要です。また、目に見える効果を実感できないので、こんなことを続けても何の役にも立たないのではないかという迷いが生まれますが、それを乗り越えるだけの強い信頼と意志が必要です。さらに、自分の中の痛みを見つめて行くことは、決して楽しいことではありません。体験した時と同じだけの痛みを再体験することも多く、その苦しさは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
 達人は、このような過酷な試練の登山道を歩みます。着実に、一歩ずつ、時に疲労困憊し、倒れても、しばし休み、再び立ち上がり、前を向いて歩んでいきます。たとえ牛歩の歩みでも、着実な一歩は、目に見えないほどの着実な成長と変化をもたらします。数週間、数か月、数年という根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。次第に、苦痛と絶望は穏やかになり、気高く精妙なエネルギーに気づく感受性を取り戻し、みずみずしい生命の力強さと喜びを取り戻しながら、達人は、徐々に、リラックスと集中のスキルを体得し始めます。そして、うまくいくかどうかが分からない課題に対して、単なる成功を超えて、人の期待をはるかに超えるような驚くべき成功、まったく新しい現実を創造することができるのです。

 外面的には、自分が取り組む課題、芸術、仕事、芸道、武道、などのスキル高めるための方法をあらゆる角度から探求し、成長の計画を立てて、忠実に実践し、スキルを磨いていきます。徐々に腕を上げ、自分独自の方法を編み出し、誰も真似できない高度な専門性とスキルを身につけ、創造的で美しく、常人には真似できない達人の境地に至ります。

 但し、達人の境地に至る事は、容易ではありません。そのためには、身体的には、整った体と姿勢、鍛えられた筋力、強く揺るがない体幹、しなやかで無駄のない美しい身のこなしが必要です。 前述のリラックスと集中のスキルで磨かれた穏やかでパワフルな心も必要です。さらに、掃除などの人目につかない下積みの地道な仕事を続け完ぺきにこなす基礎力、気の遠くなるほどの繰り返し練習、人知れず重ねた努力、道を究めようとする情熱を通して磨き抜かれた技術も必要です。こうした心技体を体得することは、ラクダが針の穴を通るくらいに困難ですが、根気強い努力を続けることによって、達人は、ゆっくりと成長し、ゆっくりと変化していきます。
 次第に、自分独自の独特な手法や方法を編み出して奇跡を生み出す力を発揮できるようになります。その成功の秘訣は、独創的かつ特殊で秘伝的です。達人の真似をしたからと言って、同じように成功はできません。それは、余人をもって代えがたい、達人にしかできないことなのです。

 達人の作品は、どれも驚くべきものであり、依頼者は、期待以上の成果を手にすることができて、その作品に魅了され喜びます。こうして達人は、多くのファンに慕われるようになり、高い人望と絶大なる信頼が寄せられることになるのです。

 達人は、そのような修行のプロセスを通して、頼もしいパートナーや友人たちと出会うこともあります。その友人たちは、傷ついた子供や放浪者のころに出会った友人たちとは異なり、単なる遊び友達ではなく、仕事上の心強いパートナーとなります。達人は、新しい仲間、ソウルメイトたちと困難が多い修行の道を助け合って歩み、難しい仕事を協力し合って成功させていくことになります。こうして、達人は、表面的ではない深い信頼関係、絆を育む力を得ることもできるのです。達人が作り上げるチームは、まさに最強のチームであり、高度な専門家集団です。達人は、頼もしい仲間とともに、リーダーシップを発揮して、見事に困難なプロジェクトを成功に導いていくのです。

⑵影の側面
 しかし、一方で、達人は、一本気であり、わき目もふらずに一つのことを究めるので、視野が狭くなりがちです。もっと別の視点から見たならば、より良い解決策が見つかる可能性があるのに、自分の視野の狭さが邪魔をしてして、立ち位置を変えることに抵抗します。一芸を究めることは大切であり、それが差別化をもたらす源泉となりますが、その技だけで今後のあらゆる問題を解決できるとは限りません。技の陳腐化を防ぐためには、多様な視点からの探索と技術革新が必要であり、そのためにも、いわゆる“あそび”が必要なのです。一本気すぎて他を排除するのではなく、一見無関係に思えることであっても興味を持ち、見聞を広げる余裕が大事です。
 また、達人は、あまりにも真剣で、その意味で仕事の鬼であり、仕事ばかりに集中します。それは決して技を磨くという意味では悪いことではないのですが、睡眠時間や食事の時間、楽しい家族との対話、余暇の時間をないがしろにして仕事だけに取り組むことは、決して健康的とは言えません。それは仕事中毒であり、仕事に人生を依存している状態でもあります。バランスの良い生き方こそが、より高度な技につながることを鑑みても、ワークホリックではなく、人生の多様な側面を楽しむということはとても大切なことでしょう。

⑶ 恐れるもの
達人が恐れるものは、凡庸になること。技が衰えること。期待に応えられなくなることです。
だから練習し、努力し、改善します。
しかし、その恐れが強くなりすぎると、スランプとなり、当たり前にできていたことができなくなってしまうのです。
達人は、一旦スランプの隘路にはまってしまうと、創造ではなく、再現に走ります。
芸術は職人芸になり、仕事は作業になります。
そうして、創造のクオリテイは、達人の努力や意図とは正反対にどんどん鈍っていくことになります。
スランプの中の達人は、「努力は夢中に勝てない」の言葉を思い出す必要があります。
恐怖で委縮したありかたでは、決して達人技は機能しません、恐怖は、注意深さの源泉であり、成長への踏み台ですが、それに支配されてはいけません。
実は、自分の技は、自分が為すのではありません。自分の中のまだ十分には出会えていない偉大なる可能性が為すのです。そのためには、自分の中のロゴスを信じ、肩の力を抜いて、その働きに身を委ねる覚悟を学ぶのです。

⑷ 課題
達人の課題は、さらに努力することではありません。
遊び心を取り戻すことです。

遊びとは、怠けることではありません。
遊びとは、新しい視点を受け入れる余白、異なる世界に触れる勇気、未知を楽しむ心です。
その余白こそが、さらなる創造性を育てるのです。

そしてもう一つの課題は、人生の調和です。
達人は、本当に仕事一筋です。
時に、その真剣さゆえに、仕事だけが人生になってしまいます。
しかし、家族も、友人も、自然も、芸術も、休息もまた、人生を豊かにする大切な師です。
人生そのものを深く味わえるようになった時、技はさらに深まり、在り方もさらに成熟していきます。
達人は、もはや単なる技術者ではありません。
世界に存在しなかった価値を生み出す創造者なのです。

その創造力を未知の可能性へと向け、不可能を可能にする奇跡を生み出すならば、達人は魔法使いへの道を歩み始めます。
一方、その創造力を仲間や社会のために用い、人々を導き、困難な使命を成し遂げるならば、達人は勇者への道を歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

16人の勇者 9. ⑦求道者

第9章 ⑦求道者

 求道者は、真理を探究する人です。

 職人は、自らの技を磨き続けます。
 知識を身につけ、経験を積み重ね、失敗を繰り返しながら、自分の専門性を高めていきます。
 しかし、ある時、大きな壁にぶつかっていることに気づくことになります。
・技術だけでは解決できない問題がある。
・努力だけでは届かない真実がある。
・同じ技術を使っても、人によって結果が違う。
・正しいことをしても、報われないことがある。

 そして職人は、技術では決して解くことのできない「答えのない問い」と出会うことになるのです。
・人は、なぜ苦しむのか。
・人は、なぜ間違えるのか。
・世界は、なぜこれほど矛盾と痛みに満ちているのか。
 職人は、その答えを探究する過程で、自分の技を磨くだけではなく、その技を支えている原理や法則、人間の本質、世界の真理そのものを知りたいと願うようになるります。

 こうして職人は、技を探究する者から、問いを探究する者となり、真理を探究する者である求道者へと変容を遂げるのです。

 求道者は、知識を集める人ではありません。真理を探究する人です。
 目に見える現象の奥にある法則、人間の心の仕組み、人生の意味、善と悪…。
 自由とは何か、愛とは何か、幸福とは何か…。
 求道者は、世界の本質を理解しようとします。

 求道者の探究は、真剣そのものです。
 書物を読み、科学を学び、心理学を学び、哲学を学び、宗教を学びます。
 山にこもり、瞑想を重ね、師を訪ね、寺院を巡り、旅をします。
 求道者は、容易には答えを手に入れることができない危険な問いを巡って、容赦ない修行を繰り広げていくのです。

⑴ 光の側面
 求道者は、問い続ける人です。
 安易な答えには飛びつきません。
 世間の常識をうのみにしません。
 権威だからといって信じません。
 自分自身の体験を大切にし、気付きを深め、徐々により精妙で豊かな感受性を身につけていきます。
 また、自分が間違っている可能性を受け入れる謙虚さも持っています。
 真実の前では、あらゆる自己欺瞞、こじつけやいいわけを決して許しません。
 自分の中の良心と言う厳格な基準に忠実なのです。

 だから求道者は、日々成長します。
 知識だけでなく、洞察を深めていくのです。
 出来事や存在を一面的にではなく、多元的多面的に理解できるようになり、認識に深みと広さが生まれてきます。いわゆる正見のスキルを身につけるようになります。

 ありのままをありのままに理解する。
 自分の願望を混ぜない。
 自分の恐れを投影しない。
 自分の都合で解釈しない。
 世界を世界のままに、人を人のままに、自分を自分のままに見る。
 その当たり前のようでいて最も難しい能力――正見を、求道者は問い続ける勇気を通して少しずつ身につけていくのです。

 また、正見とは、自他の分離をもとにした認識、分別や評価を慎むということでもあります。
 自が他を認識し、評価し、利用する。その当たり前の営みの背景にある“私が私だと思い込んでいた小さな防衛的で攻撃的な私”が、実は全体の私ではなかったことに気づき、距離を置き始めます。
 エゴを人格の中心から降ろした私は、しばし戸惑い、さまよいますが、エゴの自動認識に巻き込まれることなく、判断を保留して、静けさにとどまっていると、次第に、今までは他と思い込んできた領域を自分として体験できる視座が開けてきます。それは、共感を越えて自他不二の境地と言えます。

 正見とは、自が他を正しく見ると言うよりは、共感的、体験的に理解するということであり、それは、究極の調和、愛、一体感でもあります。

 そして、真の正見ができるようになる時、アイデンティティは、エゴにではなく、Selfにシフトし、もともと自分であった本来の自分が中心となる、王の帰還が実現するのです。

⑵ 影の側面

 人には、自分ではうまくコントロールができない、ままならないものが2つあります。
 一つは内面であり、一つは自分以外の世界です。
 求道者は、内面については、徹底的に探究を進めており、深い洞察を体得していますが、外側の世界の不確実性についてはいまだに苦手です。 外側の世界には、思いもよらない偶然、理屈では説明のできない奇跡もあれば、理不尽な苦悩、痛み、矛盾、うそ、搾取、暴力、など、光もあれば闇もあり、そのたいていのことは、自分のコントロールの範囲外で起こってきます。
 実は、求道者は、そうした外面の複雑性、不確実性が苦手なのです。
 求道者は、そうした外面の不確実性に対して、2つの対処をします。 一つ目は、「悪や複雑性の拒否」であり、もう一つは「ルール化」です。 こうした単純化とストイックさは、罠の多い精神世界を歩む上では、必要な武器と防具でもありますが、度が過ぎると、さまざまな機能不全となって現れてきます。

 まず、一つ目の「悪や複雑性の拒否」について、求道者は、ストイックに善を求めます。求道者はけがれることが嫌いなのです。
 しかし、現実は、もっともっと複雑で不確実で奥深く、シンプルではありません。 世の複雑性、不確実性に対処するためには、エゴが善と判断するものだけでは不十分です。
 エゴが悪として排除してきた衝動や感情、力も統合し、必要に応じて適切に用いる成熟さが求められます。
 怒りを知らない人は、不正に対して毅然と立ち向かえません。
 攻撃性を認めない人は、大切なものを守れません。
 権力を嫌悪する人は、組織を導く責任を果たせません。
 求道者は、善を求めるあまり、「善人」であろうとする罠に陥りやすくなります。 しかし、善人を演じることは成熟ではありません。 自分の中の悪を否定するほど、人はその悪に無自覚に支配されるようになるのです。
 自分の内にある善と悪の両方を見つめ、そのどちらにも支配されることなく、生かす道を探し続ける必要があります。
 影を否定することは成長ではありません。 影とは、排除すべき敵ではなく、セルフのもとで仕える力へと変容させるべき存在です。
 影を統合して初めて、人は世の複雑さや不確実さを受け止め、善悪を超えた成熟へと歩み始めるのです。

 二つ目の「ルール化」について、求道者は、きままで誘惑の多い外面の世界に対して、厳格なルールをもって自分の行動や組織の秩序を維持します。
 ルールは、トラブルを未然に防ぐ便利なツールであり、軸をもって生きる上での支えとなるものですが、扱い方を間違えると、強い副作用が出てくる劇薬となります。
 ルールはあくまでも手段であって、成長への踏み台ですが、それに権威を持たせて玉座に据えてしまうと、たちまち法的統治から転落し、教条主義、権威主義、原理主義となり、柔軟性のなさと狭量による厳格な罰則を強調し始めることになります。
 悪を排除しようとする人は、やがて複雑さそのものを排除しようとします。 その結果、人を理解することよりも、ルールを守らせることが目的になってしまうのです。
 自分たちが設定したルールを権威化して、自分の生活や生き方を一元的に例外を許さず厳格に律すると同時に、他者にも、そのような生き方を強制します。
 もし、ルールを少しでも踏み外したら、指摘し、裁き、罰を与えるのです。

 さらに、その傾向の度が過ぎると、求道者は、律法学者へと闇落ちすることになります。 律法学者は、すでに探究者ではなく権威者となってしまいます。
 律法学者は、世のため人のためと言いながら、正装して歩き、上席や上座を好み、やもめの家々を食いつぶし、その言い訳に長々と祈ります。
 人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしません。
 知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げます。
 真に聖なるものたちを、ルールにそぐわないと言って、魔女、罪人のレッテルを張って迫害するのです。
 そして、その時のルールは、もはや聖なる道ではありません。求道者の最も嫌うけがれの道となり、いつの間にか求道者は律法学者、魔女裁判官となり、悪の伝道者となってしまうのです。
 探求者は、こうした闇落ちの罠があることに十分注意をしなければなりません。自分の不完全さを受け入れる勇気、謙虚さ、共感、人の言葉に耳を傾けることができる節度、そして、自分の良心を決して裏切らない基軸を持つことが大切です。

⑶ 恐れるもの
 求道者が恐れることは、悟りと遠ざかることです。
求道者は、人間に本来そなわる本性を垣間見る見性を得ますが、その後も同様に、自由にその境地に入ることは容易ではありません。悟りは、睡眠と同じように、向こうからやってくるものであって、努力で呼び寄せられるものではないからです。
 むしろ、それを求めれば求めるほど、分離が強まり、境地は遠のいてしまいます。
 求道者は、悟りと遠ざかることを不安に思うあまり、儀式や方法、法具や経典などの偶像に依存することがあります。しかし、「形」に依存した瞬間、生きた真理=向こうからやってくる自然な流れは消え去り、残るのは人間が作り上げた「固直したルール」だけになります。
 不安や恐怖にたきつけられて、偶像や儀式、ルールに依存するその方法は、決して悟りに近づくやり方ではなく、むしろ、律法学者への転落の道でもあるので注意が必要です。

 また、求道者は、完ぺきではないこと、そこに少しでも影があること、間違いがあることを嫌うあまり、問題解決のための求道というよりは、理想主義や完璧主義の隘路にはまり、完璧な方法や、非の打ち所がない教えを求めることもあります。
 目的が問題解決から求道そのものに切り替わってしまうのです。理想を追求するあまり、次から次へと指導者や教えを巡り歩き、ジプシーを繰り広げることもあります。
 そうした探究が、最終的な真実との出あいにつながる可能性もありますが、時には、放浪者と同じように、本質的で見たくない問題から逃れるための言い訳となっている可能性もあります。
 求道者は、さまざまな教えや師を求めてさまよいますが、最終的には、必ず欠点を見いだし、失望します。なぜなら、求道者が求める真理は、外部には存在しないからです。
 しかし、外なる教えへの失望は決して無駄ではありません。求道者は、失望のはてに、ようやく自分の内面に目を向け、自分が今まで目を背けていた自分の問題と向き合うことを始めます。内面には、見向きもしたくなかった闇と同時に、創造していなかったさまざまな光も存在します。ここにきて、求道者は初めて腰を据えて自分と向き合い、かすかな光を見いだし、正しい道を取り戻すのです。
 求道者は、あくまでも目的は、外側の探究ではなく、内なる真理に近づき真理を生きることであることを忘れてはいけません。

⑷ 課題
 求道者の課題は、真理を所有することではなく、真理に仕えることです。
 さらに多くの知識を得ることでも、さらに深い悟りを得ることでもありません。
 真理に仕えるとは、自分のエゴを、真理の前に静かにひざまずかせることです。
 自分の都合に合わせて真理を利用するのではなく、真理によって自分自身が変わっていくことです。
 求道者は、厳しい修行を経て、悟りを開き、自分自身を救うことができますが、本来の探究は、自分自身のみを救うことではありません。
 自らが得た智慧を、人の幸せのために用いること。
 それこそが、求道の使命なのです。
 真理は、自分一人のために存在するものではありません。
 人を照らし、人を生かし、人を幸せにするために存在するのです。

 求道者が、自分だけの悟りへの執着を手放し、真理に仕え、人に仕えようとした時、その探究は新たな段階へ入ります。
 真理を探す者は、やがて真理を生きる者となるのです。
 その時、真理は知識ではなく、生き方になります。
 そして、智慧は知識ではなく人格となり、求道者は、自分を救う存在から人を導く存在への道を歩み始めるのです。

 

【16人の勇者シリーズ】
第1章 16人の勇者へようこそ ―二つの軸と一枚の地図
第2章 ①自然児・隠遁者 A.自然児
第3章 ①自然児・隠遁者 B.隠遁者
第4章 ②放浪者
第5章 ③一匹狼
第6章 ④職人
第7章 ⑤暴君
第8章 ⑥戦士
第9章 ⑦求道者
第10章 ⑧達人
第11章 ⑨武将
第12章 ➉覇王
第13章 ⑪魔法使い
第14章 ⑫反逆者
第15章 ⑬勇者
第16章 ⑭仙人
第17章 ⑮国王
第18章 ⑯賢者
第19章 勇者としての成長
第20章 勇者として生きる

創造性とは

人は言う。
「自分には創造性なんて大それたものはない」と。

その通りなのかもしれない。
創造性は、エゴの仕事ではなく、神の仕事だからだ。

だから私たちは、自分の力だけで創造しようとすると、すぐに限界に突き当たる。

しかし、ほんの少し勇気を出して創造に挑戦してみると、不思議なことが起こる。
枯渇していると思い込んでいた井戸の底から、次々と新しい水が湧き出してくる。

一つ描けば、次の絵が現れる。
一つ書けば、次の言葉が現れる。
一つ問いを立てれば、さらに深い問いが現れる。

まるで、そこにある可能性は使うほど減るのではなく、使うほど増えていくかのようだ。

創造活動は、汲み尽くすことのできない井戸である。
その奥には、想像をはるかに超える可能性がまどろんでいる。

そして、その井戸から水をくみ出せば出すほど、歓喜は深くなり、愛は広がり、光は強くなる。

創造性とは、自分が何かを生み出すことではない。
創造性とは、ロゴスとの共同作業なのである。

私が創るのではない。
創造が私を通って現れるのだ。

偽りを手放す勇気

ファウチ氏が資金提供した武漢研究所の研究がCOVID-19の発生源となった
公開日:2026年6月18日 アメリカ国家情報長官室https://www.dni.gov/index.php/newsroom/reports-publications/reports-publications-2026/4165-fauci-funded-wuhan-lab-research-that-sparked-covid

国家情報長官のタルシ・ギャバードは、ファウチ氏が情報機関(IC)の政治的なキャリア指導者たちと共謀して、自身の行動、ウイルスの研究所からの漏洩という起源、そして計り知れない被害と数え切れないほどの命を奪ったこの危険な研究への米国の資金提供を指示した自身の役割についての真実を隠蔽したことを暴露する、これまで公開されたことのない通信記録や文書を公開している。これらの文書は、ファウチ氏がCOVID-19に関するICの評価に影響を与え、操作した直接的な役割、そして2024年にファウチ氏が宣誓証言でウイルス研究に関する情報機関職員との協議について知らなかった、あるいは参加していなかったと否定した際に、いかに議会に嘘をついたかを明らかにしている。

本日公開された資料は、トランプ大統領の最大限の透明性確保という方針を支持するため、国家情報長官ギャバード氏が1年間にわたって行った機密解除の見直しの結果である。

COVID-19関連情報一覧
COVID-19関連情報パート1
COVID-19関連情報パート2
COVID-19関連情報パート3
COVID-19関連情報パート4

※米国の Office of the Director of National Intelligence (ODNI) に掲載された公式文書より引用

 

先日、アメリカの情報機関がCOVID-19の起源や武漢研究所との関係について、これまでなら陰謀論と片付けられていたような内容を含む文書を公開しました。
私は、その内容がすべて事実だと言いたいわけではありません。
真相は今も完全には分かりませんし、今後も検証が続くことでしょう。
しかし、この出来事を見ていて改めて考えさせられたことがあります。
それは、人はなぜ真実よりも物語を信じたがるのか、ということです。

私自身、かつては陰謀論を信じる人たちに対して否定的でした。
世間から認められない人が、社会や権力のせいにしているだけではないか。
そんなふうに思っていました。
しかし、世界の矛盾や問題について真剣に調べ続ける中で、
「もしかすると、すべてではないにせよ、一部には事実も含まれているのではないか」
と思うようになりました。
そのときに苦しかったのは、新しい真実を知ったことではありません。
自分が信じていた世界観が揺らぐことでした。

人は、自分が間違っていたかもしれないと認めることが苦手です。
それまで信じてきた常識。
信頼してきた組織。
正しいと思っていた価値観。
それらが崩れることは、自分自身の一部が壊れるような感覚を伴います。
だから私たちは、無意識のうちに自分の世界観を守ろうとします。

時には、どれだけ証拠が積み上がっても受け入れようとしません。
「もっと証拠が必要だ」
「まだ確定していない」
と言い続けます。

もちろん、証拠を求めること自体は大切です。
しかし、その言葉が本当に慎重さから来ているのか、それとも世界観を守るための防衛反応なのかは、時々立ち止まって考える必要があります。

不確実性に対する未熟な反応は二つあります。
一つは、確実な答えが出るまで動かないこと。
もう一つは、確実な答えが出たと思い込むことです。
一見すると正反対ですが、その根底にあるものは同じです。
それは、不確実性に耐えられないということです。

現実には、私たちは完全な真相を知ることはできません。
時に私たちは、それでも判断しなければなりません。
それでも生きていかなければなりません。

だから私たちに必要なのは、真実を所有することではなく、
自分が信じている物語を疑う勇気なのかもしれません。

今回の文書が事実かどうか。
それは今後も検証され続けるでしょう。
しかし少なくとも一つ言えることがあります。
それまで議論することすら許されなかった問いが、再び問いとして扱われるようになったことです。
私はそこに希望を感じています。

なぜなら、人類の進歩とは、誰かの物語が勝利することではなく、問い続ける自由を失わないことだと思うからです。
私たちが恐れているのは、真実そのものではなく、真実が自分の物語を壊すことなのかもしれません。
私たちは真実を完全に知ることはできません。
しかし、自分が信じている物語を絶対視しないことはできます。
そして、その営みこそが、人類が少しずつ成熟していくために必要なことなのではないでしょうか。

そのために必要なのは、真実を知っているという確信ではありません。
自分が間違っていたかもしれないと認めること。
そして、偽りを手放す勇気です。