「人は、本質的に戦いの生き物であるので、闘争に基づいて生きなければならない。」
「人は、本質的に社会的な生き物なので、愛や思いやりを大切に生きるべきだ。」
現代社会においては、2つのまったく志向の違う考え方がある。いったいどちらが正しく、どちらが幻想なのだろう。まずは、前者から検討してみよう。前者は、資本主義社会を作り上げる根本となる考え方、人間観といえよう。以下、類する哲学を提示していこう。
・「自然の尽力はもっぱら、そのような人(競争に負けた不適者、貧乏人)をつまみ出し、世の中から一掃し、もっと優れた者たちのための余地を作ることに向けられている」ハーバード・スペンサー(「適者生存」という言葉を生みだした政治哲学者(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)
・強い生き物が劣った生き物を犠牲にして発展するのだとすれば、それは単にそうであるだけではなく、そうあるべきものだ。(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)
・「人間の自由は、悪から始まる」 カント
・「(大企業の成長は)自然の法則(弱肉強食、適者生存、競争)と神の法則がうまく働いた結果に他ならない」ジョン・D・ロックフェラー(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)
・社会ダーウィン主義者は、そのような気持ち(思いやり)をあざける。自然がしかるべき過程(競争、弱肉強食)をたどるのを妨げるだけだというのだ。彼らは、貧しさは怠惰の証、社会的公生は弱点として切り捨てる。貧しいものはただ滅ぶに任せればよいではないか、と。(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)
・エンロンのCEO、ジェフ・スキリングは、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の大ファンで、自分の企業内で冷酷無比な競争をあおり、意図的に(彼らの信じ込んだ弱肉強食の)自然をまねようとした。・・・従業員はエンロンの社内環境で生き延びるために、たがいにせっせと蹴落とし合い、その結果、内部はぞっとするような不正行為、外部では情け容赦ない搾取を特徴とする社風が生まれた。(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)
・(行動主義心理学の父ジョン・ワトソンは)母性愛の意義に関しては特に懐疑的で、それを危険な道具と考えた。・・・社会はこれほどの温かさは不要で、もっとしっかりした仕組みが必要だというのだ。・・・ワトソンは、自らが「キスされすぎた子供」と呼ぶものの撲滅運動を展開し、1920年代には非常に世評が高かった。」(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)
いかがだろうか?上記の引用文献である「共感の時代」の著者フランス・ドゥ・ヴァールは、動物学者であり、彼の幾多の動物研究によれば、自然界は、上記のようなゆがんだ競争社会ではなく、もっと愛と思いやりと自己犠牲と社会性のあるものであり、上記のような考え方は、自然界のほんの一部の暗い側面だけを取り出して、人間社会のひずみを正当化しようとした詭弁であると語っている。私もまったく同感である。弱者や貧者は、滅ぶのが社会のためだなんて、いったいどんな悪趣味の人間が思いつく考え方なんだろうと思ってしまう。しかし、恐ろしいことは、このようなゆがんだ思い込みの信念を持った政治家が、実際にこうした考え方、思い込みに基づいて施策をとっていることだ。その結果どうなったのかは、今の日本や世界を見れば一目瞭然であろう。諸国間のいがみ合いと戦争、飢餓、格差問題、自然破壊・・・、決して自然の美しさを反映した社会となっているとは誰にも言えまい。(続く)
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