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サーバーも引越しました

ブログの仕様が変わったので、驚かれた方もいらっしゃるかもしれません。

実は、長年お付き合いしていたサーバーから、新しいサーバーに引越しました。以前のサーバーは、何かと制約が多く、不自由を感じることが多くなったので、より自由度の高いものへと移転したのです。

それに伴って、ブログの仕様も、思い切って変えました。今までは、Movable Typeと呼ばれるソフトを使っていましたが、これもモバイル対応ができないなど、何かと制約が多かったので、より使い勝手の良いWordPressと言うソフトに変えました。

人生の変わり目って、急激に怒涛のようにやってくるのですね。サーバーも引っ越しだし、ブログも引っ越しだし、現実の家と事務所も引っ越しです。

現在、実際の引っ越しでてんやわんやのところで、この作業が入ってきており、いろいろと荒っぽく穴があると思います。(実は、オンラインショップの引っ越しがうまくいってないのです・・・。)

徐々に直して、よくしていきますので、長い目で見てくださいませ。

体験学習とは? 1.体験学習とは

1.体験学習とは

 体験学習とは、本や理論など、既に一般化されたモデルから学ぶのではなく、自分が体験したさまざまなことを大切にして、そのような今ここの生きた体験から学ぶ学習方法です。その歴史は古く、1940年代に社会心理学者K.レヴィンによるグループダイナミックス研究の一環として開発されたトレーニング方法に端を発しています。
 主に、コミュニケーションやリーダーシップと言ったヒューマンスキルトレーニングに適していると言われており、現在では、企業教育はじめ、
学校や病院、さまざまな組織におけるソーシャルスキル、ヒューマンスキルトレーニングの方法のひとつとして広く一般的に活用されています。
 体験学習を深く理解していくために、ここでは、体験学習を、モデル学習との対比の中で見ていきましょう。

体験学習とモデル学習

 通常、私たちが“学ぶ”ときの学び方は、“モデル学習”といえるでしょう。モデル学習とは、既にある答えや先生の示す見本から学ぶ方法であり、私どもはそのような正解やモデルから学ぶ方法をモデル学習と呼んでいます。
 モデル学習の学習プロセスは、基本的に漢字の書き取りと同じで、先生が“見本(モデル)”を示し、生徒は、それを“複写”し、何回も“練習”をして、“記憶”し、自分のものにする。そして、当初先生の示した見本が、自分のものになったときに、さらに新しく高度な“見本(モデル)”を提示してもらうと言ったサイクルを繰り返していくことになります。
 そのようなプロセスを通して、学習者は、より高度な知識やスキルを体得していくことになるのです。モデル学習は、先哲の叡智や成功モデル、長い歴史から育まれてきたエッセンスを短期間で習得するための非常に効率の良い方法であり、さまざまな学習に応用が可能です。また、どんな教育機関、組織、文化でも行われている教育方法であり、汎用的で一般的であるといえましょう。

 しかし、そのように効果的な方法であるモデル学習も、決して万能で完璧な方法とはいえません。実は、モデル学習は、限界があり、どんなことでもこの方法で学べるわけではないのです。
 たとえば、一流のプロスポーツ選手を思い浮かべてください。彼ら彼女らは、大変パフォーマンスが高く、一流であり、モデルとするにはもってこいの人たちですが、しかし、モデル学習のように、彼ら彼女らの物まねをしたからといって、その技術を得られるわけではありません。
 また、一流になればなるほど、その技術はユニークであり、一般的ではありません。有名なプロ選手の成功の秘訣は、一様に個性的であり、全く画一的ではありません。ですから、一流であるための型にはまったモデルは存在しないのです。
 匠の技、というものがあります。一流の職人芸は、大変みごとであり、見習いたいスキルであります。しかし、残念ながら、見取り稽古には限界があり、同じようにやってみても、同じようにはできません。その技は、その人独自のきれをもっており、その人にしかできない独特なものだからです。

 

 一方、教育研修の大きなテーマでもあるリーダーシップやコミュニケーションは、いかがでしょう?私どもの認識では、リーダーシップやコミュニケーションと言ったいわばヒューマンスキルは、個性の現われと考えております。その際、個性には、当然のことながらあるべきモデルや正解はありません。リーダーシップやコミュニケーションについても同様であり、すばらしいヒューマンスキルのあり方と言った場合、美しいあり方は、一輪だけではなくて、百花百様であり、個性の数だけ美しい花が咲く可能性があると言えましょう。
 そのような多様な可能性のあるヒューマンスキルを学ぶ際には、画一化したモデルをもとに学ぼうとする従来のモデル学習では、効果的に機能しづらいと言えましょう。

 

 一方、体験学習とは、従来のモデル学習とは違って、既に一般化された知識やモデルから学ぶのではなく、自分の体験を大切にし、そこから宝を導き出す学習方法です。体験するということは、生身の私が、感じ、考え、反応し、気づくということであり、過去や未来の虚構ではなく、“今ここ”のリアリティを味わうということです。ですから、それはリアルであり、作り物ではない真実味があると言えましょう。
 まさに“体験”は、既に出ている過去の枯れた理論よりも、ずっとずっと生き生きとした信頼に値する、頼りになる情報と言えるのではないでしょうか。

 ただし、その自分自身の体験も、本当の真実とは言えません。なぜならば、人間の認識する力は、大変優れてはいますが、完全ではないからです。人間の認識力には限界があり、ありのままの全てを理解できるわけではありません。
 私たちは、とっても勘違いしやすいのです。実感では、太陽が動いているように見えますが、真実は、太陽ではなく、地球(自分)が動いているのです。

 では、この個人の認識力の限界を超えて、本当のことを知り、真実に基づいてよりよい方法を学んでいくためにはどのようなことが必要なのでしょう。体験学習では、この個人の認知バイアス(偏向)を修正し、本当のことを理解して行くために、個々人の認識を“分かち合う”ことをします。
つまり、チームで共通に体験したことに対して、個々人がどのように感じたのかの内面の出来事を発表し、個々人の内面のプロセスをオープンにしていく作業を実践するのです。
 内面をオープンにするためには、信頼関係が必要ですが、信頼関係がはぐくまれている中で、体験の分かち合いがなされると、隠れていた個々の内面に光が差し込み、本当のことが次第に明らかになっていくことになるのです。
 人間関係は、複雑であり、広く大きく奥行きが深いものです。自分が、それを“青”と認識しても、他人がそのように認識するとは限りません。“黄色”と見る人もいるだろうし、“緑”と見る人もいるでしょう。しかし、そのどれかが正解で、他の見解が間違えているということではありません。なぜならば、いずれも複雑なものの、ある側面を見ているわけであって、立場から見た見え方に間違いが無いからです。ただ単に、見方が部分的なだけなのです。
 同じ町を、東から見るのと西から見るのとでは、違った町に見えますが、実は、同じ町を見ているのです。
 同じ町を、低地から見るのと、山の上から見るのとでは、違った町に見えますが、実は、同じ街を見ているのです。
 しかし、それぞれの見え方を集めて行くと、本当の町が観えてきます。それぞれの認識を分かち合って行くと、どんなに広く深く大きな対象
であっても、その全体像、真実に近づくことができるでしょう。

 内面の体験は、自分にとっては大切な宝物ですが、それを相手に伝えたとき、相手が宝物として扱ってくれる保障はありません。ですから、内面の体験を分かち合うことは、とっても勇気が必要であり、相互信頼が必要ではありますが、もし、本当に信頼が起こって、人と人とが、本当の体験を正直に語り合うことができたとしたら、きっと隠された真実に光が当たるのではないでしょうか。

 体験学習は、以上のように、体験したことを観察し、個人で感じたこと気づいたことをチームで分かち合い、さまざまな視点から本当のことを明らかにしていくことを通して、真実の理解や、よりよいあり方の探求をしていくことができる学習方法です。
 また、ありのままの現実を淡々と観察していく方法でもあり、「こうあるべき」や「こうあるべきではない」と信じ込んでいる考え方から離れ、自然で等身大の自分自身をみつめ、本来の自分らしさを探求していくことができるので、自由になる、本来のエネルギッシュで生き生きとしている
自分を取り戻す方法ともいえましょう。

 技術の進歩が早く、変動の大きい時代にあって、変化に柔軟に対応し、智恵を生み出し、創造的に問題解決を図るための質の高いコミュニケーションやリーダーシップの能力育成が求められている現代では、主体性や個性を重んじて、その限りない潜在性を引き出す支援をする体験学習方法は、非常に強力な戦略的なツール、学習方法と言えるのではないでしょうか。

【体験学習とは シリーズ】

1.体験学習とは

2.体験学習の学習プロセス

3.体験学習の効果

4.体験学習の原点

5.Tグループの誕生

6.日本におけるラボラトリーメソッド

7.Tグループの実際

8.私のTグループ体験

9.体験学習の留意点とポリシー

10.体験学習のお勧め

ALWAYS 三丁目の夕日

 「Always 3丁目の夕日」を見てきました。昭和33年、東京タワーの建設中の戦後復興の真っ只中が舞台となっています。私の生まれが、昭和36年であり、私のまさに体験した昭和がそっくり再現されており、私はすっかりはまってしまいました。

 今まで映画館では、あまり涙を流したことはなかったのですが、年のせいでしょうか?この映画は、途中からぼろぼろと止まらなくなってしまったのです。

 登場人物たちは、皆正直であり、作為のない、直球勝負の行き方をしており、貧乏ながらも一生懸命に生きています。また、人間関係も、非常に懐が深く、現代では訴訟問題にもなりかねない隣人のエキセントリックで困った言動を、迷惑がりながらも拒絶せず、なんだかんだといいながら受け入れて一緒に問題解決に取り組みます。あぁ昭和の時代の日本は、こんなにやさしかったのだなぁと感慨にふけってしまいました。

 東京タワーが次第に立てられていく中、物語は展開されていきます。ストーリーの詳細は言えませんが、実に良く練られた脚本であり、実に美しい音楽とともに、ドラマティックに展開していきます。本当にすばらしい物語でした。吉岡秀隆さんほか、出演者の皆さんのそれこそ直球勝負の演技が光っています。

 最後に登場人物の少年が家族とともに夕日を見ながら「夕日がきれいなのは当たり前だよ。明日も、3年後も、50年後もきれいだよ」という言葉が印象的でした。

 少年の言葉通り、未来の日本や世界の夕日もきれいにしなければなりません。

衣笠に来てます

昨日から、妻の実家である横須賀市衣笠に来ています。

衣笠には、最近「のぼり雲」と言う日帰りの温泉施設ができまして、私は、ここが大のお気に入りなのです。

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施設内は、結構広く、食事所、休憩所、売店だけでなく、理髪店まであります。

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浴槽は、写真撮影が禁止されているのでご紹介できませんが、泉質は、炭酸水素塩泉で、少し緑色がかった透明できれいなお湯です。アルカリ泉で「美人の湯」とも言われており、ぬるぬるしていかにも効きそうです。

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私は、ここで、サウナ⇒水風呂⇒温泉⇒休憩を4~5回繰り返すのです。そうすると、何ともいえない至福感に包まれるのです。疲れが取れて、ちょっとだけ若返ったような気がするのです。私の健康の秘訣なのです。

 衣笠は、私が大学生の頃、学習塾で講師としてアルバイトをしたところです。
 当時、私は、あまり自慢のできる生き方をしておらず、先生として人前に立つなど思いもよらなかったことだったのですが、時給の良い仕事を探していたので、背に腹は変えられず応募し、たまたま採用されたのでした。
 当時の私は、18歳の時(塾の講師になる1年前)にガス爆発事故に合い、両手上腕部が大やけどをして、その傷跡が痛々しく、今でこそずいぶん見やすくはなりましたが、当時は、ちょっとびっくりするような変色や傷跡が残っていました。ですから、できればそのような傷を人前にはさらしたくなかったのですが、お金のために背に腹は変えられず、講師のアルバイトを始めたしだいです。
 演壇に立つ前は、中学生である生徒たちが、どうこの傷や私を受け止めるのか分からず、とっても心配していたのですが、ふたをあけると、傷跡に対しては何の反応もせず、むしろ自信なさげな私に共感してくれたのでしょうか、数回教えていくと心から私を受け入れてくれるようになってきました。
 当時の衣笠近辺の中学生は悪ガキが多く、非行問題が良く取りざたされていましたが、私自身がちょっと前まで問題の多い非行少年だったので、なんとなく子供たちが共鳴しやすかったのかもしれません。

 当時私は、こんな私のような者が30名以上の子供たちを前に授業ができることが全く奇跡のように思っていました。正直大怪我のダメージから心が回復できていなかったのです。
しかし、仕事を続けていくうちに、子供たちとの関わりあいを通して、次第に私の中の絶望がときほぐれていき、隠してはいたけれども暗かった心の内面にわずかな光が差し込んできたことを覚えています。
 私は、子供たちに英語を教えていたのですが、逆に、子供たちから何か途方もないほど大切なことを学んだような気がしています。今の私がこのような仕事をして楽しく暮らせているのも、当時の子供たちのおかげであると思います。
 当時の子供たちも今はもう30代になっています。どうしているだろう、みんな?みんなのおかげで今も似たような仕事をして人生を謳歌しています。本当にありがとう!そしてありがとう温泉「のぼり雲」、ありがとう衣笠!