年別アーカイブ: 2010年

明日は大学キャリア教育説明会です

 明日は、大学・短大向けのキャリア教育説明会を開催します。説明会では、大学や短大向けに弊社より提供しております3つのプログラム(①大学1~2年生向けキャリア教育プログラム ②大学3~4年生向け実践就活講座 ③サークルリーダー養成講座)をご紹介することになっております。

 何しろ、弊社としての初めてのイベントで、準備などバタバタと頑張っているところです。初めてなので、少々心配もありますが、新しい分野への挑戦でもあるので、私どもにとっても貴重なチャンスでもあり、わくわくもしております。参加していただく皆さんにとって価値ある時間であるように、一生懸命に頑張りたいと思います。

 というわけで、明日は、更新できませんが、頑張っていってまいります!

分離感について⑨ 人の新しい可能性

 人には、他者と共感し、一体感を感じることができる能力がある。その力は、他者とは他人であるという強い分離感があるときには潜在化してしまい、機能不全となるが、凝り固まった分離感の思い込みから自由になり、肩の力を抜いて、素直に他者と向き合おうとしたときに自然に発動する。

 サッカー場で応援する人たちの一体感。コンサートホールで共に歌い、ともに踊り、共に楽しむことによって増幅される感動。教会で結婚する二人をみんなで応援しようとするときの聖なる祝福の瞬間。愛し合う2人の間で起こる言葉の必要ない相互理解。

 そのような状態の中では、人は他者をもはやどうでもよい他人とは思えない。他者の痛みは、自分の痛みであり、他者の喜びは自分の喜びである。他者がほほ笑むと、私も微笑み、他者が悲しみで涙を流す時には、自分の胸も悲しみが満ちて涙が流れる。他者が苦しんでいた時には、見返りがほしくて助けるのではない。他者の苦しみが自分でも体験できるから手を差し伸べざるを得ないのだ。

 こうした共感の能力は、人間の新しい可能性である。それらの体験は、日常的ではないかもしれないが、不自然ではない。

 もしも、すべての人が、自分と他人とが違う人ではなく、本当に体験を分かち合える同士であることを直覚したならば、強いリアリティと喜びの中で、すべての人や世界と一体感を感じながら生きることができたとしたならば、世界は、途方もない変容を遂げることだろう。そんな認識の中では、うそや詐欺、犯罪や搾取、独裁や支配、自然破壊や戦争は、もはや不可能である。人の新しい可能性、大いなる夢、わくわくする未来を感じることができる。 

 そんな未来は、不可能ではない。分離感とういう幻想に迷い込んだら見えなくなる境地がある。分離感の幻惑を見極めて、素直になれたとき、その時にこそ、人の本来の偉大なるあり方が開花するのかもしれない。それこそが、人と人の社会の新しい可能性なのではないだろうか。そんな大いなる可能性を信じてみたい。(分離感シリーズ終了)

 

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分離感について⑦「分離感は幻想」

分離感について⑧「自然本来の社会性」

分離感について⑨「人と組織の新しい可能性」

 

<関連プログラム>

リーダーシップ研修”To be a Hero”

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分離感について⑧ 「自然本来の社会性」

 動物学者フランス・ドゥ・バール氏は、「共感の時代」(紀伊国屋書店出版)の中で、動物たちが自然に持っている社会性を研究している。以下、動物たちの共感の力・徳性が発揮された事例をご紹介しよう。

<以下、「共感の時代」フランス・ドゥ・バール著(紀伊国屋書店出版)より引用>

・たとえば、二匹のサルに同じ課題をやらせる実験で、報酬に大きな差をつけると、待遇の悪いほうのサルは課題をすることをきっぱりと拒む。・・・どんなに少ない報酬でも、もらえないよりはましなので、猿も人間も利潤原理に厳密に従うわけではないことが分かる。(サルの不公正を嫌う性格について)

・野生の馬やジャコウウシは、オオカミに襲われると、幼い者たちの周りをぐるっと囲んで守ってやる。

・アルゼンチンのブエノスアイレスでは、あるメス犬が、捨てられた人間の男の子を自分の子たちと一緒に世話をして救って有名になった。オオカミに育てられたという双子、・・・このような異種間の養子関係は、動物園ではよく知られている。ある動物園のベンガルトラのメスは、豚の子供たちを引き取って育てたという。母性本能は、驚くほど寛大なのだ。

・人間や動物は、利己的な理由からしか助けあわないということにはならない。・・・たとえば、人間が見知らぬ人を救うためにレールの上に身を投げ出したり、犬が子供とガラガラヘビの間に飛び込んで重傷を負ったり、サメが出没する海域で泳ぐ人の周りをイルカが囲んで守ったりする。

・猫のオスカーは、・・・老人用診療所で、毎日アルツハイマー病やパーキンソン病などの患者のために回診する・・・オスカーは、部屋から部屋へと回りながら、患者を一人一人注意深く観察し、その匂いを嗅ぐ。誰かがもうすぐなくなると判断すると、その傍らで身を丸め、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、そっと鼻を押し付ける。そして、患者が息を引き取ると、ようやく部屋を後にする。オスカーの見立ては正確そのものなので、病院のスタッフにすっかり頼りにされている。・・・彼が患者の脇で番を始めると、看護師はすぐに家族に電話をかけ、家族は・・・急いで病院に駆けつける。オスカーはこうして25人以上の死を予測してきた。・・・スタッフは、彼が救いの手を差し伸べているのだと解釈している。

・私(動物学者コーツ博士)が泣きまねをして、目を閉じ涙を流すふりをすると、ヨニ(チンパンジー)は、自分のしている遊びなどの活動を直ちにやめ、興奮して毛を逆立てながら、急いでかけてくる。家の屋根や織りの天井といった、家の中でも特に離れていて、しつこく読んだり頼んだりしても降りてこさせられなかったような場所からやってくるのだ。・・・私の周りをせわしなく走る。私の顔をじっと見て、一方の手のひらで優しく私の顎を包み、指で顔にそっと触れるのは、何が起きているのかを理解しているかのようだ。・・・・私がいかにも悲しそうに、絶望したように泣くほど、ヨニはますます同情を示す。・・・ヨニは、(両手で目を覆う)その手を取りのけようとし、彼女の顔に向けて唇を突き出して、じっと見入り、かすかに唸り、鼻を鳴らす。

・ラブラドール・レトリバーのマーリー・・・ジョン・グローガンの『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』に出てくる暴れん坊でお騒がせの札付き犬だが、グローガンの妻ジェニーが、流産したのがわかって泣いていたときは、頭を彼女のおなかにぴったりと押し付けて、微動もせずに立っていた。

 

事例にもある通り、人間を含めた動物には、生来の正義感、思いやり、共感の力を持っている。前述の分離感の哲学は、断じて自然のありかたではない。

・弱い者は、滅びるままにすべき。

・強いものが弱いものを犠牲にして成長することが正義

・思いやりや愛は、不自然であり、間抜けな人の特徴

などの考え方は、断じて自然界の法則ではない。それらは、獣の法則である。しかし、一部の学者、企業家、政治家たちが語り、もっともらしく理論化されてきたそれらの考え方は、広く報道され、教育され、我々の頭に深く沁みとおり、悪く言えば洗脳され、我々の人生哲学の一部となってしまっているところがあるのではないだろうか。しかし、これらの考えは、権力者にとって都合のよい詭弁であり、決して自然界の真実ではない。

 強欲の資本主義が間違っており、反省すべきだと考えられてきたのは、つい最近のことではないだろうか。もっと自制心と思いやりのある高い意識の資本主義に代わるべきだという論調が最近強く出てきている。全くその通りであると私は思う。私たちも、そろそろそのような分離感の幻想から目覚め、本当のことに気づくべきなのだ。(続く)

 

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分離感について⑦ 「分離感は幻想」

 「人は、本質的に戦いの生き物であるので、闘争に基づいて生きなければならない。」

 「人は、本質的に社会的な生き物なので、愛や思いやりを大切に生きるべきだ。」

 現代社会においては、2つのまったく志向の違う考え方がある。いったいどちらが正しく、どちらが幻想なのだろう。まずは、前者から検討してみよう。前者は、資本主義社会を作り上げる根本となる考え方、人間観といえよう。以下、類する哲学を提示していこう。

・「自然の尽力はもっぱら、そのような人(競争に負けた不適者、貧乏人)をつまみ出し、世の中から一掃し、もっと優れた者たちのための余地を作ることに向けられている」ハーバード・スペンサー(「適者生存」という言葉を生みだした政治哲学者(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・強い生き物が劣った生き物を犠牲にして発展するのだとすれば、それは単にそうであるだけではなく、そうあるべきものだ。(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・「人間の自由は、悪から始まる」 カント

・「(大企業の成長は)自然の法則(弱肉強食、適者生存、競争)と神の法則がうまく働いた結果に他ならない」ジョン・D・ロックフェラー(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・社会ダーウィン主義者は、そのような気持ち(思いやり)をあざける。自然がしかるべき過程(競争、弱肉強食)をたどるのを妨げるだけだというのだ。彼らは、貧しさは怠惰の証、社会的公生は弱点として切り捨てる。貧しいものはただ滅ぶに任せればよいではないか、と。(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・エンロンのCEO、ジェフ・スキリングは、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の大ファンで、自分の企業内で冷酷無比な競争をあおり、意図的に(彼らの信じ込んだ弱肉強食の)自然をまねようとした。・・・従業員はエンロンの社内環境で生き延びるために、たがいにせっせと蹴落とし合い、その結果、内部はぞっとするような不正行為、外部では情け容赦ない搾取を特徴とする社風が生まれた。(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

・(行動主義心理学の父ジョン・ワトソンは)母性愛の意義に関しては特に懐疑的で、それを危険な道具と考えた。・・・社会はこれほどの温かさは不要で、もっとしっかりした仕組みが必要だというのだ。・・・ワトソンは、自らが「キスされすぎた子供」と呼ぶものの撲滅運動を展開し、1920年代には非常に世評が高かった。」(「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用)

 いかがだろうか?上記の引用文献である「共感の時代」の著者フランス・ドゥ・ヴァールは、動物学者であり、彼の幾多の動物研究によれば、自然界は、上記のようなゆがんだ競争社会ではなく、もっと愛と思いやりと自己犠牲と社会性のあるものであり、上記のような考え方は、自然界のほんの一部の暗い側面だけを取り出して、人間社会のひずみを正当化しようとした詭弁であると語っている。私もまったく同感である。弱者や貧者は、滅ぶのが社会のためだなんて、いったいどんな悪趣味の人間が思いつく考え方なんだろうと思ってしまう。しかし、恐ろしいことは、このようなゆがんだ思い込みの信念を持った政治家が、実際にこうした考え方、思い込みに基づいて施策をとっていることだ。その結果どうなったのかは、今の日本や世界を見れば一目瞭然であろう。諸国間のいがみ合いと戦争、飢餓、格差問題、自然破壊・・・、決して自然の美しさを反映した社会となっているとは誰にも言えまい。(続く)

 

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分離感について⑥ 「分離感と施策」その2

 マイケルムーア監督作品の「キャピタリズム ~マネーは踊る~」で紹介された安定的に成長する優良企業がある。ウィスコンシン州のイスムス社(ISTHMUS)である。当社は、民主主義を経営に取り入れているユニークな会社である。従業員は、全員平等な経営者として扱われ、アイデアや意見は尊重され、会社の方針や意思決定は、すべて話合いと多数決で決められる。それだけではない。末端の社員とCEOの給与が同じなのだ。利益を真の意味で分かち合うファミリーなのだ。社員は、平等に扱われることに満足しており、仕事に生きがいとやる気と感謝を持って取り組んでいる。

 埼玉県川口にコミー株式会社という広角ミラーの製造販売を営むユニークな会社がある。当社は、非競争主義を提唱している。社長の小宮山氏は、競争原理で肉食獣のように熱くたたかうことは疲れるからいやだというのだ。肉食獣ではなく、もっと穏やかに、日々の仕事を大切にして、創意工夫を最大限に活かして経営をしていこうと志向されているのだ。だから、コミー社の日々の仕事は、コミーの物語として、丁寧に記録され、関係各社に公開し、共感と協力を呼んでいる。小宮山社長は、競争が成長の原点であるという考え方は、勘違い、幻想ではないかとおっしゃる。そんな疲れることをするよりも、丁寧に日々の仕事の中で起こっていることをよく理解し、しっかりと考え、工夫していくことが、会社の成長につながるという信念で経営されているのだ。結果、防犯ミラー業界において国内シェアーは、80%であり、顧客から絶大な信頼を得ている。

 長野県伊那市に伊那食品工業という素晴らしい会社がある。社長の塚越氏は、自分の仕事は、社員を大切にすることと公言し、リストラなしの年輪経営をモットーに、社員を家族として本当に大切にする施策を展開している。多くの工夫があるが、その最たるものが、情報公開主義であろう。伊那食品では、あらゆる情報が、隠されることなくすべて公開される。信頼は、取り繕って作るものではなく、隠し事やうそのない正直さからくるのだ。また、人事制度は徹底した年功序列である。社員は、社長の方針を意気に感じ、高いモチベーションで仕事に取り組んでいる。結果、48年にわたる連続の増収増益を達成した。

 分離感を弱める方針、一体感を高める経営哲学は、会社の偉大な成長をもたらすのだ。(続く)

 

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分離感について⑤ 「分離感と施策」

 人事諸制度には、さまざまな施策があるが、分離感の視点で見直してみると、本来の意図とは違った効果や副作用が見えてくる。たとえば、能力主義、成果賃金制度について。両施策は、本来、従業員の働きに見合った正当な報酬を提供することによって、従業員のモチベーションを高めようとする試みである。しかし、分離感の視点からみると、成果賃金制度は、従業員の一体感を壊し、分離感を高め、結果的に生産性を低下させる強烈な副作用がある。他者よりも仕事をしていることを証明することを通して自分の評価が決まるので、他者は、協力者というよりはライバルとなる。協力と競争は2者択一であり、一般的に言われているように両方を上手になんて器用なまねはできない。いったん競争が始まれば、関係性は、親愛から警戒へ、分かち合いから取引へ、協力から戦いへ、信頼から裏切りへと大きく変容していく。結果的に、組織の中で、より多くの隠し事、うそ、ごまかし、陰謀、策略がまかり通り、より小賢しく悪辣なやり方が勝利する質の悪い狂気の風土となる。従業員は、不信、怒り、孤独、疎外感、など多くのストレスを抱えるようになり、結果的に生産性に悪影響を及ぼすだけではなく、社会から糾弾されるようなトラブルを起こすなど、組織的な機能不全に陥るのだ。

 一方、幸運にも一体感をはぐくむことができた会社は、奇跡的ともいえる成長を遂げる実績を次々と上げている。(続く)

 

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分離感について④ 「分離感と生産性」

 分離感を生産性の視点から考えてみよう。結論から言えることは、分離感と生産性は反比例の関係にある。分離感が強まれば強まるほど生産性は低下する。

 2つのチームがあるとする。かたやお互いに反目しており、隠し事とうそ、策略と陰謀、”人の不幸は蜜の味”という感じ方を持ったメンバー同士がお互いに悪意を向け合う中、警戒し、攻撃と防衛、競争に終始しながら共通の目的に向けて仕事をするチーム。

 かたや、お互いに気のおけない仲間であり、深い関心と理解があるので、うそや隠し事は察知されて闇のつけいる隙がなく、今ここで起こっているあらゆることについて深い理解と共感があるので、本当に必要な適切な対応がいつでも取れる体制にある。もし問題が起こったとしても、3人寄れば文殊の知恵が機能しており、話合いによってクリエイティブで最も効果的な解決法に導かれていくチーム。

 そのような2つのチームの生産性を考えた場合。前者が不利であることは誰でもわかる。分離感は、強ければ強いほど生産性を低下させるのだ。(続く)

 

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分離感について③ 「分離感の状態」その2

(引き続き 2.分離感の状態)

②日常生活の状態

 社会的に常識とされている人と人との間の距離感の状態。表立って戦い合っているわけでもなく、かといって、肉親のように親しく感じているわけでもなく、お互いに、社会的な関係を維持できる関係性の状態である。自分と他人の境界線は、比較的はっきりとしており、自分と他人の関係性は、協力関係というよりはむしろ取引関係である。自分対他人を比較的平和的に体験できる場であり、自我の成長の場ともなる。しかし、分離感の反映である疎外感や孤独感は絶えることなく、主要な社会性の特徴の一つとなる。

 

③共感の状態

 他者に強い親しみを感じ、気持ちを分かち合うことができる状態である。もはや、”自”は、”他”と異なるものというよりは、本質的には同じものと感じる。”他人”のいたみは”自分”のいたみであり、”他人”の喜びは”自分”の喜びである。人間関係において、相互の感情や意向など、ノンバーバルの領域について、共感的にはっきりとわかるので、そこには、うそやごまかし、隠し事の入る余地はない。関係の中で起こっている様々なあらゆることが、オープンとなり、受け入れられ、誤解なくありのままに理解される。そのような関係性の中では、隠し事、演技、うそ、ごまかしで自分を演出する必要はまったくない。自分は、他人から、ありのままを受け入れられ、すべてをそのまま愛される。愛されるために自分を変える必要が全く無いのだ。他者に対しても同様であり、自分は他者の中で起こっていることを、客観的にではなく、体験的に理解できる。他者の悲しみを自分の悲しみとして体験し、他者の喜びを自分の喜びとして体験する。そのような体験にケチをつけて、”本来ならばこうあるべきだ”などと説教しようなどとは思いもよらない。そのような体験をそのまま受け入れて誤解なく理解し、そのままを心から愛することができるのだ。このような共感の状態において、人は初めて自分らしさを自由に謳歌し表現することができる。そのような関係性に一体化した自分自身を初めて心から幸せと感じることができるのだ。(続き)

 

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分離感について② 「分離感の状態」

 分離感は、境界の性質とその状態の2つの視点から特徴を捉えることが出来る。

1.境界の性質
 自他の境界は、時と場合に応じて変化する。自分と大変親和的で自分が受け入れやすい対象に対しては、境界線は柔軟であいまいになる。例えば、自分の大好きな食べ物は、自分の口の中に受け入れ、ついには自分の体と同化し、自分の一部になる。自分の大好きな人とは”もらい泣き”のような共感が起こり、自他の感情の共鳴と相互理解が起こる。
 逆に、自分と親和しない受け入れづらい対象に対しては、境界線は固くはっきりと浮き上がり、まるで戦争当事国同士の国境線の様に緊張と対立が起こる。

2.分離感の状態

①戦いの状態

 ”他”に対して脅威や反感を感じ、”自”を守ろうとする状態であり、”自分”が、”他”の脅威にさらされて萎縮し弱い犠牲者のように感じる。自他の境界線は厚くなり、固く、高い壁ができた状態となる。個の状態になると、基本的に”他”は、どんな存在であれ、潜在的な敵であり、どんなフレンドリーな装いをしていてもいつかは攻撃に回る信用のならない拒絶すべきよそ者となる。だから、他からの働きかけは、どんなにそれに愛があるように見えようが、それは何かを奪おうとしている操作や攻撃に感じ、あらゆる働きかけにプレッシャーを感じる。結果、人間関係は、競争とサバイバル、戦闘と防衛の関係となる。(続く)

 

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分離感について① 「分離感とは」

 分離感とは、他者と私が分離しているという感覚である。人は、多かれ少なかれ、誰もが分離感を持っている。それがなければ、自分を認識できないからだ。

 「私は、背が高い」と認識するためには、背の低い他人が必要であり、

 「私は、強い」と認識するためには、弱い他人が必要であり、

 「私は、正義である」と認識するためには、悪である他人が必要であり、

 「私は、私である」と認識するためには、私ではない他人が必要である。

 分離感は、寂しさの原点でもあるが、自己認識の原点でもある。さまざまな悲しみの原点でもあるが、個としての成長の原点でもある。ネガティブとポジティブ、裏腹な性格を持つ分離感。やっかいではあるが、絶対に避けるわけにはいかない分離感について、考察を進めていきたい。分離感にはどんな特徴があり、どのようにかかわればいいのか?そんなテーマに挑戦していきたい。

 (続き)

 

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