私は誰?

私は、だれ?と問うてみた。
         
名前が思い浮かんだが、名前は、単なる言葉であって、

私は、名前ではない。

顔や体を思い浮かべたが、顔や体は、年とともに変わっていくので、

私は、体ではない。

心の中で起こる様々な気持ちがそうではないかと思ったが、

感情は、起こっては消え、移ろいやすく、それが起こっていなくとも私は存在するので、

私は、感情ではない。

私は、いろんな体験を認識する主体。

だから、これが私ではないかと思った私は、認識される客体なので私の本質ではない。

だから、私が認識できるあらゆる対象は、私ではない。

では、私とは、認識しようのない幻なのだろうか?

そんなことはない。

私は、私を驚くほどの迫力で体験している。

この私という実感は決して幻ではない。

では、私を体験している究極の私とはだれ?

説明しようと思っても絶対に説明できないし、

見ようと思っても決して見れない私とはだれ?

本当のところ、私はだれ?

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