私とは一体何なのだろうか?
いったいどこからどこまでが私なんだろうか?
私と私以外を区切る境界線てどこなんだろうか?
肉体の輪郭だろうか?
だとしたら、私が出したため息は、どこまでが私でどこからが私じゃなくなったのか?
汗が滴り落ちた時、その汗は、いつから私じゃなくなったのか?
抜け落ちた髪の毛は、私なのか私じゃないのか?
いったい何が私で何が私じゃないのか?
目の前にあるクッキーは、今は、私じゃないけれども、食べれば私になるのか?
しかし、クッキーは食べようが食べまいが中身に変わりがあるわけではない。
いったい何がどう変化していつからどこから私になるのか?
そもそも、目の前のクッキーが私じゃないって一体誰が決めたのか?
目の前にある水は、今は私じゃないけれども、飲めば私になるのか?
しかし、水は、飲もうが飲むまいが中身に変わりがあるわけではない。
いったい何がどう変化していつからどこから私になるのか?
そもそも目の前の水が私じゃないって一体誰が決めたのか?
そもそも目の前のペンが私じゃないって一体誰が決めたのか?
そもそも目の前のあなたが私じゃないって一体誰が決めたのか?
ここからが私だと思い込んでいる境界線は、実は根拠がない。
そして、そこからが私じゃないと思い込んでいる境界線も、実は、相当いい加減だ。
私と他を引き離す境界線は、現実には存在していない。
その境界線を引いているのは、私の頭の考えだけだ。
私と他の境界線は、単なる言葉のあや、空想の産物なのかもしれない。
では、私とは一体何なのだろうか?
探求は続いていく。