自尊心と傲慢の違い

自尊心と傲慢さは、違う。

むしろ傲慢さは、自尊心の無い人の特徴である。

 

傲慢な人は、自信がない。

本当のところ、自分の本質は、嫌なやつで、必ず人に嫌われるだろうと信じ込んでいる。

本当のところ、自分の本質は、矮小で弱く、真実がばれたら、誰からも相手にされないと信じ込んでいる。

本当のところ、自分は罪を持っており、醜い内面が暴露されたら、許されるわけがないと信じ込んでいる。

だから、人から嫌われまいとして演技をし、

     弱さがばれないように背伸びをし、

     裁かれまいとしてうそをついてしまうのだ。

 

傲慢な人は、自分の欠点を許せない。

傲慢な人は、常に、他人との比較の中で自分を認識するので、常に他人との競争の中で戦っている。

だから、競争の足を引っ張る自分の欠点の存在は、絶対に許せない。

結果として、他人からは見え見えの欠点を無いと言い切り、

完璧になどなれるわけがないのに、完璧なふりをするのだ。

 

本当の自尊心は、決して傲慢ではない。

自分がたとえ完璧ではなくとも、不完全な自分で十分に満足し、感謝できる。

自分は、発展途上であることを知っており、発展途上の自分を信じ、愛せる。

だから、人にも完璧さを求めない。

他人が例え欠点だらけの不快な存在でも、その可能性の壮大さにこうべを垂れて敬服する。

影を目ざとく見つけて責めるのではなく、光をみつめて賞賛するのだ。

 

人は、自分にするように人にする。

自分に攻撃的で、自分に暴言を吐く人は、

他人に攻撃的になり、暴言を吐いてしまう。

その傾向は、相手が自分に近いと思えれば思えるほど強くなる。

だから、自分に近づけば近づくほど、愛すれば愛するほど、その人を攻撃してしまう。

『あなたは私だ』と思えるほど近しく感じる最も愛する人を傷つけてしまうのだ。

 

その不幸の輪廻から解放されなければならない。

だから、自分を責めてはいけない。

だから、自分を大切にすべきだ。

自分を愛せるからこそ、本当に人を愛せるのだ。

自分を信じられるからこそ、本当に人を信じられるのだ。

「自分はだめだけど人は大切」ってどこかしら痛くないかい?

 

人は、ダイアモンドの原石、その輝きの可能性は、無限大だ。

あなたは、可能性の源、未来の種、

光と温度と水を得れば、美しい大輪の花を開かせる。

人は、自分が思っているほどちっぽけな存在ではない。

本当のところ、とてつもなくユニークで壮大で楽しい存在なのだ。

自分の人生がどんなに苦しく悲惨なものだと思っていても、

それは、世界でたった一人、宇宙の歴史でたった一回の、

とてつもなくかけがえのない尊い命だ。

そんな価値ある人生を大切にしよう。

自分自身を愛してみよう。

奇跡はそこから始まるのだから。

 

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