私は、企業研修や大学の講座などにおいて、自尊心の重要性を訴えてきているわけですが、かく言う私自身が確固たる自尊心をもっているかと言えば、決してそうだとは言えません。
私は、もともとは、決して自信と誇りを十分に持っていたわけではありません。
私自身は、高校生、大学のころまでは、自分が好きではありませんでした。
『本当の自分はだらしなく醜くいやな奴であり、自分の本性がばれたら、必ず人に嫌われる』と思い込んでいたので、人と関わるときは、本音を隠したり演技をしたりして生きていました。
『本当の自分は、劣っており、弱くて人に勝てる要素なんかない』と思い込んでいたので、そんな自分をさらけ出さないように逆に強がって生きていました。
自分と同様に、他人も嫌いでした。当時の私にとって、他者は、信頼のおけない怖い存在であり、たとえ友人であっても、心から気を許すことはありませんでした。私にとって、人間関係は、楽しくなく、疲れるものであり、苦痛以外の何物でもなかったのです。
ですから、私は、まったくと言って良いほど人間関係が苦手で下手くそでした。驚くほどKYであり、そもそも空気を読むとはどういうことかもわかりませんでしたから。(もっとも今でもよくわかっていないのですが。)
そんな私でも、人生における様々な出会いや体験を経て、少しずつ固さが取れ、不安と絶望が解けていって、少しずつ楽になり、少しずつ自信と他者に対する信頼が回復してきた様に思います。
現在では、自分も捨てたものではないことを知っており、家族や友人たちも、信頼に値する大切な存在であることを理解しています。人間関係においても、他者に対して少しずつ正直に、素直になり、心を開けるようになってきたように思えます。
こうした変化は、まさに、すばらしい体験や家族や友人のおかげであり、今あらためてそのありがたさに感謝したいところなのですが、そのような変化は、たしかに周囲の愛や温かさが重要な要素ともなりますが、決定的に重要なポイントは、まさに本人の自尊心であると思います。
人は断じて無力な存在ではありません、その潜在性や可能性は、想像をはるかに超えて大きいものがあります。
もし人が輝けていないとしたら、それは、その人の能力や才能がないからではなく、封じ込められているからです。
太陽が照っていないからではなく、雲が遮っているからなのです。
だから、立ちこめている暗雲を払い、絶望を癒し、出来ないという呪いを解くことができれば、もともと持っているその人の素晴らしい潜在性が、見事に開花するのだろうと思います。
そして、立ち込める暗雲を吹き放つものこそが、自尊心なのです。
私は、自分についての不自然な思い込みや勘違いを解きほぐし、自分自身の素晴らしい輝きに気づいていくための基盤こそが自尊心なのだと考えているのです。
このシリーズでは、この大切な自尊心をどう回復していくのかをテーマとしていきたいと思います。
自分自身の体験を交えながらその方法を探求していけたらと思っております。
願わくば、これを読んでくださっている方々の体験談や方法、考え方も紹介していければとも願っております。
何しろ、このブログは、コメントをするための設定が面倒くさいのですが、不可能ではありませんので、よろしければ、投稿をお願い致します。
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