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コロナワクチンへの懸念

先日、私が授業を担当している大学からワクチンの職域接種の案内を頂きました。

また、昨日は、自宅兼事務所がある横須賀市からもワクチン接種の案内をもらったところです。

ワクチンが本当に効果があるもので、副反応も少なく軽いものであれば、喜んで受けたいし、またマスコミや政府が言うように早く広く普及して、安心な社会生活を営めるようになってほしいと心から願っているのですが、さまざまな情報と触れていると、ワクチンに対する心配や疑惑、懸念が起こり、よくよく検討しなければならないなぁと、現在思案中です。

誤解を防ぐために申し上げますが、私はいわゆる反ワクチン派ではないと考えています。

マスコミが言う反ワクチン派ってどういう定義なのかはよくわかりませんが、やみくもにワクチンに反対するという立場だとしたら、私はそうではありません。

私は、ワクチンに疑いを持っている一市民なのです。

ワクチンに反対しているわけではありませんが、ワクチンに疑惑を持っており、信じきれないという当たり前の心情を持った人まで反ワクチン派っていうのでしょうか。そうだとしたら、反ワクチン派というレッテルを張られたくない人は、疑わしい事実が挙がっているにもかかわらずワクチンがよいものだって信じ込まないといけません。事実を見ずに信じ込むことを狂信といいます。それは原理主義であり、危険な信仰とも言えます。

私は、そうしたワクチン原理主義、ワクチン教信者ではありません。かといって反ワクチン派というレッテルを張られることは拒否したいと思います。私は、真実を知りたい、事実を調べて、ワクチンにまつわる疑惑、疑念を解消して、ワクチンやワクチンを推進する人たちに対する信用を取り戻したいだけなのです。

そのような視点でこのコロナワクチンを調べていくと、残念ながらますます疑念が強まってきており、実は、とまどっております。

私は専門的なことはよくわかりませんが、ワクチンというものは健康に良いものであり、病気を防ぐものだという考えがあり、ワクチンのせいで病気になったり、亡くなったりすることはあるべきことではないと考えています。

今回のワクチンの副反応の事例は、厚労省の公式サイトでも確認できます。

厚労省に報告されている副反応の疑いの事例として7月7日に実施された会議で、多くの副反応事例が報告されています。

会議の名前は、「第63回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、令和3年度第12回薬事・食品衛生審議会薬事分科会医薬品等安全対策部会安全対策調査会(合同開催)」という会議、長いです!!!ちなみにWEB会議だったそうで、国立○○医療センター長などといったそうそうたるメンバー15名で7月7日午後6時から8時までの2時間で開催されたようです。

その会議の資料によると、接種開始の2月17日から起こった副反応の疑いのある事例として報告されている件数は、

・7月2日までの死亡事例 556件

・6月27日までのアナフィラキシー事例 1,646件

となります。

厚労省のレポートでは、接種を受けた全体の中の数%に過ぎないので問題ないと言っているようですが、これは、割合の問題ではありません。一件一件の人の人生の問題、本来であれば一件でも起こってはいけない重々しい命の問題なのです。

どんな薬にも副作用はつきものという人がいますが、亡くなった一人一人の人生の重みを知って言ってるのでしょうか?

本来病気を予防する目的のものであり、一人でも副反応による病気が起こることは問題であり、ましてや死亡事例があることは許されることではないにもかかわらず、これだけの事例が挙がっていることは、重く見ないわけにはいきません。

更に、あげられている事例は、単なる「副反応の疑いのある事例」であり、副反応として認めている事例は、死亡事例では一件もありません。すべての認識は「ワクチン接種の因果関係は評価できない」ということだそうです。評価できないってどういうことでしょうか。わからないということでしょうか。わからなければ、少なくとも疑いが起こっている事例でもあり、早急に研究を進め、原因を見極めようとすることが誠実さだと思いますが、そのような対処は見受けられません。

亡くなってしまったら、徹底した調査をするか葬儀をするかは遺族に任されており、調査をする場合は莫大な費用が掛かります。現在のところその調査費用も遺族持ちです。こうした疑いのある事例は、国の政策として積極的に徹底的の調査することが国の責務だと思いますが、そのような姿勢は現在のところ見受けられないのです。もちろん葬儀が行われてしまえば、真相は闇の中です。

分からないということであるならば、「理由はわからないけれども、少なくともそれまでは健康だった人が、ワクチン接種の後〇日以内に亡くなった人が〇人いる」という報告や発表をするべきだと思いますが、そのような報道もありません。

テレビをつければワクチンのことばかり。ワクチンに否定的な情報は、ことごとくデマだと言い、ワクチンは安全でぜひ打つようにと勧めてきます。

私は、詳しくはわかりませんが、

・コロナワクチンは、治験が済んでおらず、数年後の治験終了までは、効果と安全性の保証はできない。

・公式的に報告されている情報だけでも、日本では、ワクチン副反応で556人、アメリカでは9048人が亡くなっている。

・遺伝子ワクチンは、人類に対して初めて試みるものであり、長期的な影響はまだ不明。

こうした事実があるにもかかわらず、「ワクチンを否定する情報はデマ」「ワクチンは安全」「ワクチンは打たなければならない」と断言することの方が非科学的であり、デマというのではないでしょうか。

最近では、そうしたワクチンを信じるよう説得する(強制する?)ような情報に触れるたびに、それらを言う人たちの言葉がむなしく響き、信頼を損ね、ますますワクチンに対する疑念が強まっていくように感じています。

一方で、テレビによる報道ではなく、口コミ的な報告では、ワクチンに対する疑惑の声がどんどん上がっています。中には陰謀論と呼ばれているとんでも説もありますが、一部の極論があるからと言って、陰謀論というレッテルを張って笑いものにし、ワクチンを疑うすべての情報を否定する姿勢もいかがなものでしょうか。人の誠実な体験、正直な思いには耳を傾けるのが、良識ある大人というものなのではないでしょうか。

そのような意味で、ぜひおすすめしたい動画があります。

【新型コロナ田村淳が訊いた、ワクチン接種後に起きた異変。

阪市立大学医学部名誉教授 井上正康氏 講演

泉大津市、南出賢一市長のワクチンに関するメッセージ

日々のテレビ報道や政府のワクチン施策、ワクチンパスポート、フランスやオーストラリアのワクチンの強制施策などを耳にすると、早くワクチンを接種しろという圧力を私は感じます。

職域接種という方法も相当なプレッシャーですよね。もしも私が大企業に勤めていて職域接種を勧められたとしたら、強制ではないとしても断った場合の影響が、職場のメンバーとの人間関係、処遇、キャリア形成などにどう出るかが不安で、打たないという決断ができるかどうかは自信がありません。

しかし、現在私は自営業者であり、運が良いことにそうしたしがらみはありません。接種を受けない理由を説明、報告する相手もいませんし、その必要もありません。また、接種を受けないことによって、何か不利な影響を受けることもないと思っています。万が一、ワクチンが仕事の条件となった場合でも、仕事を取るために納得のできないワクチンを打つことはしません。そのような条件付きのお仕事は、こちらからお断りするつもりです。

せっかくそうした環境にも恵まれているので、圧力を感じたからと言って、簡単に屈してしまうのは避けたいと思っています。

大切な自分の人生、せっかく授かった命、大切な身体、どうするかを判断する権威は私自身にあることを忘れないようにしたいと思います。

人間関係の本質

人間関係の本質は、静謐な愛と神聖さ、力強いやさしさだ。

それを信じられないのは、あなたがそれを忘れたからだ。

あまりに強い恐怖と不安、欠乏感と飢餓の雲があなたを取り巻き、長年にわたって光がさえぎられてしまったから、太陽なんて存在しないと勘違いしているのだ。

太陽は、あなたの思惑のいかんを問わず、いつも必ずそこにある。

もしあなたが、太陽の無さを恨み、怒り、報復したとしたら、その言動は、他人に連鎖的に影響を与え、時を経てパワーを増してあなたに戻ってくるだろう。

もしあなたが、自分よりも光を見失った人の怒りや苦しみを悪とみなし、攻撃をしたならば、相手は喜んであなたの暴力に対抗し、大義名分を得てますます意気盛んとなり、あなたを攻撃するだろう。

そうしてあなたの前に、対立と不信、怒りと悲しみの複雑な世界が立ち現れてくるのだ。

もしあなたが、光の無さは自分の問題と気づき、太陽の存在を信じて、かすかな光を愛し感謝したならば、その言動は、他人に連鎖的に影響を与え、時を経てパワーを増してあなたに戻ってくるだろう。

もしあなたが、自分よりも光を見失った人の怒りや苦しみを理解し、自分の中にある痛みを鏡の中に見るように見て、その痛みが癒されるように祈れば、相手とあなたの“が(我)”が癒され、力を失い“”かがみかみとなるだろう。

どう生きるかは、太陽や雲が決めるのではない。

それは、あなたが決めるのだ。

あなたの認識と意志が、あなたの未来を作る。

そう、あなたには未来を作る偉大なる力がまどろんでいる。

あなたは文字通り、未来を作る創造主なのだ。

自動反応として沸き起こってくる怒り、恐怖、不安のままに生きてはいけない。

自分を信じて気高くいきなさい。

意識的に自分の本質である愛と感謝と喜びを感じ、表現しながらあなたらしく生きなさい。

 

生き方を選択すると、一瞬で奇跡が起こる。

ふりまわされていた人生から軸の通った生き方になる。

されるがままの人生から自ら舵を切る人生になる。

脇役の人生から主人公の人生になる。

そもそもあなたはあなたの人生の中の王様であり王女様なのだ。

どんなに苦しいからと言って、その玉座を明け渡してはいけない。

被害者として嘆き、恨み、絶望するのではなく、勇者として自分の中のドラゴンに立ち向かい、勝利して未来を拓こう。

なぜなら、あなたはもともと勇者なのだから。

 

ひと段落がつきました

今年に入ってから、3月までは体験学習によるオンライン研修、4月はアトランティックプロジェクトと多くのお仕事に恵まれて、おかげさまで忙しく充実した日々を過ごすことができました。

これも、お仕事を振ってくださったお客様、中でもコロナ禍での逆風の中で社内の懸念の声、延期やオンライン化、中止の圧力に立ち向かって予定通り研修を成立させてくださった勇敢なご担当者の皆様、エージェントの皆様、サポートしてくださったスタッフの皆様、そして、素晴らしい受講者の皆様のおかげでした。改めてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

写真は、今週3日間の長丁場にわたって担当させていただきました研修の際に出張で宿泊していたホテルの部屋から見えた富士山です。サポート役、マネージャー役で入ってくれていた妻が撮ってくれた写真です。

 

本シーズンは、実は、多くの仲間が仕事に参加してくれて、ともに乗り越えることができました。

長期にわたるエネルギーと集中力が必要な仕事ばかりであり、時にリスクの大きな現場に立ち向かわなければならなかった時もありましたが、勇気をもって見事に乗り越えることができた仲間たち、スタッフのメンバーに感謝したいと思います。頼りになる仲間たちであり、ともに仕事ができて誇らしい気持ちです。

この富士山の雄姿は、そんな仲間たちへのご褒美のような気がしております。

また、受講してくれた新入社員の皆さん、本当にありがとう。

みなさんが、真剣で、誠実で、明るく元気に楽しく研修に参加し、折に触れて協力してくださったおかげで、とても充実したパワフルな学びの場になったと思います。

たった一言で人生が変わるという時があると思います。今回の研修は、そうした宝物に満ち溢れていた時間だったように思います。

これから、配属先で、いろんな出来事があると思います。良いこともあればつらいこともあると思います。痛みや困難は避けられませんが、皆さんならば必ず乗り越えられる。

勇者の人生には、ドラゴンがつきものであり、ドラゴンは強ければ強いほど、勇者は苦しみますが、大きく成長していくものです。

みなさんは、まさにそうした勇者なのですから、勇気をもって立ち向かっていってください。

たいていの場合、困難を乗り越えるために必要なことは、小手先のテクニックやこざかしさ、ありえない超能力ではなく、べたな努力と自分を信じてあきらめない心、そしてちょっとした勇気です。

人がびっくりするような派手な蛮勇ではありません。傷つくことを恐れずに上司の胸に飛び込んでいく勇気、できるかどうかわからない難しい仕事から逃げずに、できる限りの努力をして立ち向かっていく勇気、そして、攻撃するより愛することの方がパワフルであることを信じ、自分を愛し、他者を受け入れ、関係性の中の中に飛び込んでいく勇気なのだろうと思います。

皆さんの中には、そうした勇気は十分にまどろんでいる。

ぜひ、そうした勇気をもって、未来を開いていってください。

数年後、成長した皆さんとお会いできることをとてもとても楽しみにしています!

アトランティックプロジェクトのシーズン

新入社員研修のシーズンが来ました。

昨年は、コロナ禍の中で、集合研修を自粛する企業さんが多く、当社のアトランティックプロジェクトは、3密を避けられないグループワークですので、多くのお客様が、自粛されることになってしまいました。

しかし、今年は、ほとんどのお客様で、リアル研修として実施頂いております。私も、4月に入って、連続して登壇させていただいております。

決してコロナ禍自体が落ち着いたというわけではありませんが、私どもの態勢が、単に強く恐れ、逃げまどうことから、少し、災いと上手に付き合うという方法にシフトしたのだろうと思います。

やはり、リアルな集合研修は、素敵ですね。

人と人とのかかわりあいが、やさしく、温かく、豊かでみずみずしいものであった場合、そこに流れるものは、その場にいるだけで人を元気にさせてくれるとても尊いものであることを実感できます。きっと、こういうことを愛や元気、信頼というんだろうなぁと感じた次第です。

今年の新入社員たちは、とても運がいいですよ。昨年は、ほとんどがまだ不慣れなオンライン教育であり、きっとおもしろく充実した学びの体験ではなかったと思いますよ。

人間関係の真相を体験できた人、一瞥できた人は、本当に幸運です。自分も捨てたものではないかもしれないということ、人も嫌な奴ばかりではないということ、もしかしたら怒りや憎しみよりも思いやりや愛の方が真実に近いのかもしれないということ、そういう豊かな人間関係こそが、人を人としてまっとうさせてくれるのだという信頼をもう一度手にすることができるのですから。

ただ、そのような体験をした人は、責任があるのだと思います。

この世界には、まだまだ、多くの人たちが、人間関係に絶望し、自分を嫌い、人を嫌悪し、世界を呪い、人生への不信の中でとらわれ、迷い、苦しんでいるのだと思います。

人間関係の真相、光を一瞥した人は、そういう人たちに、「あなたは決して捨てたものではない、人の本質も決して醜く弱いものではない、罪などない。過去の痛みは成長のための教材、意味のない苦痛など存在しなかった。すべては必要だった。すべては必然だった。人間関係には希望がある。未来には大きな可能性がある」ということを伝えていく使命を持っているのだと思います。

素晴らしい学びのチャンス、機会をぜひ生かして、かっこいい社会人、魅力的で輝くリーダーとして活躍してほしい。

リアル研修を再開できた喜びとともに、そんな情熱、強い思いを再び取り戻すことができたように感じた次第です。

オンラインチームビルディング研修が連続します

今日から3日間、オンラインチームビルディング研修が連続します。

オンラインによるチームビルディング研修は、昨年末から、急にご依頼が多くなってきてはおりましたが、今月に入ってから本格的な開催ラッシュとなっています。

月初に3日連続で実施、そして、今日からまた3日連続で実施となります。

おかげさまで、月初に行った研修は、無事に成功しました。

これも、ご依頼いただくお客様や信頼して仕事を任せてくれるエージェントの皆さん、ともに運営をサポートしてくれるグループファシリテーターの皆さん、オンライン下においてもろもろの手続き、操作を助けてくれる仲間たち、そして、快く研修に参加してくれて、素敵な場をともに作り上げる素晴らしい参加メンバーのおかげです。

心から感謝申し上げます。

ご存じの通り、コロナ禍によって、リモートワークが広まり、それに伴って社内コミュニケーションのあり方が劇的に変わり、対応を余儀なくされています。

オンライン下のコミュニケーションは、何かと制約が多いと言われています。直接会って話し合えば何の事なく分かり合い、協力し合えるものが、オンライン下になると途端に難しくなる。

私の実感では、オンライン上では、リアルに比べて、何をするにも3倍時間がかかると感じています。

それに伴って、現代のビジネスパーソンは、ストレスをため込んでいるともいわれています。確かにオンラインによるワークは困難が多いのだろうと思います。

ただ、制約や障害が多いからと言って、伝わらないというわけではないと私は考えています。やり方によっては制約を乗り越えることは可能だと考えているのです。

このオンラインチームビルディング研修では、オンライン下におけるコミュニケーションに必要な心構えや知識、スキルを学び、オンライン下においても、相互理解、信頼関係を育み、良いチームを作り上げるための方法を探求していきたいと思っております。

今日の研修は、午後から半日のコースとなります。素晴らしいメンバー21名が参加してくださいます。全員管理職のそうそうたるメンバーです。

価値ある、充実した研修となるよう、しっかりとがんばりたいと思います。

では、行ってまいります!

人を批判するということ

批判をする人は、80億分の一の出会いを台無しにしていることに気づいていない。

せっかくご縁があって、豊かな信頼関係を育めれば、思いもよらない良い仕事ができる、奇跡が起こる可能性があるのに、

自分の狭い了見、私の役に立つとか立たないとか、使えるとか使えないとか、そうした次元の低い物差しでさばいて、

距離を置いて見下すことによって、自ら豊かな可能性、未来を閉ざしていることに気づいていない。

批判をする人には、批判した相手に、想像を遥かに越える壮大な可能性、偉大なる価値があることが分からないのだ。

今の感受性では、たとえお釈迦様と隣り合わせになっても、そうとは気づかないだろう。

 

愚かなことに、そのようなふるまいを正義だと思い込んでいる。

自分の内面で、自分をコントロールするための方法として、自分をさばき、おどし、操作的にかかわることを成長だと思い込んでいる。

その成長の方法を他者に向けて、他者を成長させていると思い込んでいる。

愚かな虐待を正義だと思い込んでいるので、自分の態度を一向に反省することなく、罪を作り続けている。

 

裁くものは裁かれるのだ。

ご縁を大事にして、相手を受け入れ、未来を拓く代わりに、

未熟なものさしで人を裁き、それが正しいと思いこんで他人を操作しようとする態度を続ける者は、自分の振るった力と同じ力で責められるだろう。

 

他人に完璧を期待して、文句ばかり言ってはいけない。

あなたの文句は、自分の欠点の投影なのだ。

だから、変えなければならないのは、相手ではなくあなただ。

 

狭い了見で、天の采配を無視してはいけない。

ご縁は、1㎜のずれもなく起こっている

あなたがその人に出会ったのは、単なる偶然ではない。

そこから、癒し、成長、創造、貢献、関係を通して新しい奇跡を起こすことを期待されているのだ。

 

あなたは、自分で想像している以上の偉大なる存在だ。

だから、自分を他者から押し付けられた愚かな物差しで裁いてはいけない。

だから、他者をみにくい物差しで裁いて、距離を置いて見下してはいけない。

天からのプレゼント、80億分の一の奇跡、出会いを大切にして、相手を受け入れ、積極的に関心を持ち、信頼を育むべきだ。

あなたが、自分の出会いと真摯に向き合い、誠実にかかわろうとしたとき、その一瞬から人生は変わるだろう。

真の謙虚さこそが、あなたの本当のすばらしさ、美しさ、偉大なる可能性を引き出す。

偉大なる自分への一歩を踏み出してみよう。

時代を導くリーダーとなる

人には、全く性質の異なる2つの動機がある。
一つは、『自分には、何かが欠けている。欠けているものを手に入れなければ苦痛であり、恐怖であり危機である。 だから何としてでも獲得しなければならない。』と言う信念に基づく欲求だ。
それは、不安と恐怖にたきつけられる渇望であり、欠乏動機と呼ばれる。

もう一つは、『自分には充分な力と価値がある。自分の素晴らしさを表現したい。未知なることに挑戦したい。』 と言う信念に基づく欲求だ。
恐怖の束縛から自由となった人に訪れる情熱であり、人本来のまさに魂の欲求、実存動機と呼ばれる。

多くのマネジメントは欠乏動機を利用してきた。
欠乏動機による管理とは、あめとムチによる管理とも言える。
恐怖心に働きかけるリーダーシップは、やろうと思えばだれにでもできる簡単な方法であり、
一旦行い始めると確実に効くこと、安定的であり将来の予測を立てやすいと言う強みがある。
しかし、反面、メンバーのモチベーションは低下し、
防衛的かつ攻撃的風土を助長するので、官僚主義が跋扈し、生産性や成長性は、必ず頭打ちとなる。

多くのリーダーは、厳しい競争にさらされており、不安と恐怖の中にいる。
強力な圧力が常にかけられており、心無い攻撃により、心身ともに満身創痍だ。
だから、その多くが、自尊心の糸が切れると、いとも簡単に恐怖心に首を垂れることになる。
『自分は、みじめで孤独な力ないダメ人間だ。自分もそうであるように、他人もそうだ。 自分は被害者であり、こんなに苦しんでいるのだから自分を守るためなら、人を傷つけても許される』 と信じ込み、恫喝を使うことに躊躇がなくなる。
自らが恐怖の代理人となるのだ。
あめとムチを使い始めた当初は、目覚ましい効果が出るので、どんどんその傾向を強めるが、 遅かれ早かれ、必ず頭打ちとなり、結果的には、自ら奮った力によって滅ぼされることになる。

しかし、その困難を乗り越えて、実存動機を哲学とするリーダーも存在する。
実存動機によるリーダーシップとは、人を大切にして、人の持っている素晴らしい潜在性と可能性を信じ、 引き出そうとするリーダーシップだ。

実存動機を哲学とするリーダーの歩む道は平坦ではない。
人を大切にしたからと言って、相手がそれに応えてくれる保証はない。
そうしたからと言って、誰にも褒められるわけでも応援されるわけでもない。
むしろ、皮肉屋から冷笑されることもあるだろう。
実存のリーダーには、そんな痛み、不信感を乗り越える勇気が必要だ。

また、人の心からのやる気と能力は、本質的に不安定だ。
良い時は奇跡的な成果を出すが、悪い時は、永く無力だ。
実存のリーダーには、そんな浮き沈みをものともしない強い忍耐力と信念が必要だ。

さらに、人の可能性にかけるということは、将来の見通しも立ちづらいと言うことだ。
実存動機による成長は、まさにイノベーションによる成長だ。
まったく新しい商品の開発、新しい顧客との出会いによる、ある意味で奇跡による成長だ。
しかし、奇跡は、コントロールはできない。
奇跡を、事前に予測することはできない。
だから、未来の計画を立てることができない。
本質的に、実存動機は、管理とは相性が合わないのだ。

しかし、ひとたび実存動機が機能し始めた組織には、奇跡が起こる。
メンバーのハートは鼓動し始め、目の輝きが明らかに変わる。
分離感が癒され、心が開かれ、情熱と叡智が交流を始める。
現状の課題と問題点が、偏見によるゆがみを経ることなく、その真実が分かり、対処される。
今までは想像もしなかったような全く新しいアイデアや工夫が、 日常のあらゆる仕事の場面で創造され、実践されて、あっという間に現実が変わっていく。
結果的に、生産性と創造性は、想像を超えて高まり、奇跡的な成長を遂げていくことになる。

今、時代は大きく変わろうとしている。
むき出しのエゴイズムは、消費者から嫌われ、高い意識の経営が評価され、株価を上げる時代となっている。
強欲な資本主義から、高い意識の資本主義へと、静かに、ゆっくりと変わろうとしている。

そのような中で、求められるリーダーシップは、まさに、実存動機を哲学とするリーダーシップだ。
しかし、あめとムチによる欠乏動機のリーダーシップではなく、人間本来の可能性を引き出す実存動機のリーダーシップ という理想を担える存在は、そう多くはない。

その数少ない存在の中の一人は、あなただ。

被害者意識に甘えて、強い分離感に身を任せてはいけない。
勝つべきものは、相手ではなく、自分自身なのだ。

皆がそうだからと言って、絶望に身を染めてはいけない。
一隅を照らす光となるのだ。

あなたには、泥沼に落ちようとしている仲間を救い出す責任がある。
知っているなら、あきらめても手を緩めてもいけない。
真に仲間を守る戦士になるのだ。

あなたは、断じて欠点だらけの無力な存在ではない。
あなたの潜在性と可能性は、今の想像をはるかに超えて大きい。
その可能性を信じてみよう。
自分にするように、仲間の可能性も信じてみよう。
奇跡への一歩はそこから始まるのだから。

アトランティックプロジェクト_online 完成

昨年より作成していましたアトランティックプロジェクトをオンライン化したプログラム、実習「アトランティックプロジェクト_online」がようやく完成しました。

昨年、体験学習のオンライン化に成功し、その流れを受けて、もっとも複雑な構造を持つ当社の実習「アトランティックプロジェクト」のオンライン化に取り組みました。

昨年末に一応の完成を見て、12月29日にプレトライアルを実施、修正を加えて、1月15日に有志を集めて第1回目トライアルを実施しました。

その際は12名もの方々がお集まりいただきました。お忙しい中ご協力いただけて、誠にありがたく、感謝申し上げます。

第1回目トライアルでは、万全を期したつもりでおりましたが、実際に実施してみると、もろもろの問題が発生し、残念ながら合格点に達しませんでした。

諸問題の修正をし、満を持して2月3日に、再び有志を募り、第2回目のトライアルを実施した次第です。

その節は、また12名の皆さんがお集まりいただきました。お忙しい中ご協力頂けて、誠にありがとうございました。

第2回目トライアルでは、決して完ぺきとは言わないまでも、実習として合格点を獲得した実感を得ることができました。プログラムとして完成することができたのではないかと思っております。

その後、トライアルで出てきた微調整を経て、マニュアル化を進め、本日、ようやくマニュアルも完成しました。

今後、商品としてWEB上で発表し、発売していきたいと思っております。

アトランティックプロジェクト_onlineは、WEB上で実施される体験学習の実習であり、特に協力しながら全員が、3次元の構造物を作り上げるという、私が知る限りでは、まだ世界に存在していない実習であり、きっとオンラインにおいてもチームワークやコミュニケーション、信頼関係や豊かな人間関係を育めることを学べるユニークで画期的なツールとしてきっと多くの場でお役に立てると思います。

すでに、いくつかの引き合いを頂いており、実施の計画も何件か出てきております。

実は、アトランティックプロジェクトとは別に、オンラインによるチームビルディング研修の案件を現在たくさんいただいており、その対応にもてんてこ舞いの状況です。コロナ過にあって経営が大変な企業さんが多い中で、本当にありがたい話なのですが、一つ一つのお仕事をしっかりとやっていくためには、ここは気を引き締めなければと思っております。

そのような状況でもあり、アトランティックプロジェクト_onlinは、今年度は既存のお客様の引き合いをしっかりと対応させていただき、新規の案件は募集しない意向です。

ですので、ただちにはなばなしく完成発表とはいかないのですが、当ブログでささやかながら完成をご報告するとともに、ご協力いただいた皆様に、心から感謝申し上げたいと思います。

ほんとうにありがとうございました、おかげさまで、とても良い商品ができました!

今後ともどうぞよろしくご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。

【関連リンク】
実習「アトランティックプロジェクト_online」プログラムの紹介ページ
実習「アトランティックプロジェクト_online」講師用マニュアル オンラインショップ
実習「アトランティックプロジェクト_online」教材セット オンラインショップ

彩雲-よいことがありますように!

おわかりでしょうか、車の窓からの写真で、妻がとってくれたものですが、真ん中のポールの左横に彩雲があります。窓の反射ではありません。

見事な彩雲で、かっこよく左に光が流れています。

今まで彩雲は何度か見たことがありますが、今回のものは、一番大きなものでした。

彩雲は、幸運が来る前兆とよく言われてますよね。

私にとって、家族にとって、友人たちにとって、日本にとって、世界にとって良いことが起こりますように!

勇気ある市民でありたい

ルドルフ・ヘスは、第2次世界大戦中のドイツの将校であり、アウシュビッツ強制収容所の所長だった。

ヘスは、敗戦後、身を隠し、他者になりすまし、行方をくらました。

ヘスは、アウシュビッツのホロコースト、極悪非道の悲劇を生んだ中心人物であり、世界中が彼を恐れ、憎み、徹底した捜査が展開された。

終戦の翌年1946年3月11日にとうとうヘスは見つかり、逮捕された。

世界中の人たちは、ヘスの実際を見て驚いた。

世界中の人たちは、ヘスを大量虐殺を推し進めた殺人鬼であり、けだもののような残忍で冷酷でサイコパスのような人物だと思っていたけれども、実際のヘスは、平凡で普通の人だったからだ。

ヘスは、裁判において、ユダヤ人を250万人ガス室に送り、虐殺したと証言した。彼は紛れもなく大量虐殺を命じた司令官だった。

しかし、彼は決して狂気の極悪人ではなかった。

私生活においては、家族を愛するごく普通の平凡な男であり、仕事においては上司に対して忠実であり、上司の命令に従い、その命ずるところを従順にこなしていった。
彼は、絞首刑になる前に手記の中で、自分は「悪い人ではなかった」と書いている。大量虐殺も「命令だった」「抵抗など考えられなかった」と語っている。

彼は、手記に書いている通り、悪い人ではなかった。しかし、おかしいと思っていながらも上官の命令に意見することなく、抵抗する勇気を持たない、ただ従順にどんなことでも従う茶坊主だったのだ。

ルドルフ・ヘスは、私たちに強烈な教訓を残してくれている。

この世において極悪非道を実現する人は、必ずしもサイコパスの狂人ではなく、権力におもねる茶坊主であり、普通の平凡な人物であり、誰もがそうなる可能性があるということだ。

確かに権威や権力が圧倒的な力で黒を白と言いくるめたら、そのように思い、そのように行動することの方が楽だ。流されて生きれば角が立つこともなく危険も少ない。
しかし、そういった安易な茶坊主的な生き方こそが、究極的には悲劇を生んでしまう可能性を忘れてはいけない。

最近、とてもおかしなことが続いている。
・中国の人権問題…法輪功の罪のない人たちを捕らえ、臓器移植のドナーとしている事実、チベットやウイグルをはじめとする人権問題、いまだにその蛮行を許している世界

・コロナウイルス…専門家でさえ人工的に加工された痕跡があると証言しているにもかかわらず天然のものであると断定されていること、思いのほか被害が少ないにもかかわらず、不安と恐怖をあおるマスコミ

・米大統領選挙の不正…あれだけの証拠が挙がっているにもかかわらず、取り合おうとしない司法、事実を伝えないだけではなく事実を捻じ曲げ悪者をすり替えるマスコミ、フェイスブックやツイッターなどの露骨なアカウント凍結による言論封鎖…、

調べれば調べるほど、ぬぐい切れない疑念が立ち起こってくる。

私は、ヘスのようにはなりたくない。
おかしいと感じることは、おかしいと主張したい。
私はそれを許してないと伝えたい。

「矛盾はつきもの」「きれいごとではやってけない」「陰謀論」「言っても無駄」「生意気なことを言ってると痛い目にあうぞ」
そういった皮肉屋の冷笑、脅しには屈したくない。

茶坊主たちは、こうした状況に目を背け、口を閉じ、ただ従順に従うことで抜け目なくリスクを避けているように思っているが、そうした生き方こそが最も危険な場所に向かう道しるべとなっていることに気づいていない。

私は、茶坊主ではなく、勇気ある市民でありたい。

気づいたこと、内面の真実を語ることは勇気がいる。
だれもがそれを気前よく受け入れてくれるとは限らないからだ。
それを言うことで嘲笑され、嫌われ、非難され、距離を置かれ、攻撃される可能性があるからだ。

しかし、私は、勇気ある市民でありたい。

昔から言われているように、正義は勝つのだと信じている。

真実に勝るウソはないし、光に勝る影はない。

人の力と可能性は、人の想像を超えて大きく、その本質は神聖であると信じている。
人が、本来の神聖さを思い出したとき、闇の愚かなたくらみを笑い飛ばすことができるほどの豊かな未来を手に入れることができるだろう。

お釈迦さまが、ご臨終の間際に、「自灯明、法灯明」と言葉を残してくださった。
「自分を頼りにせよ(人に頼るな)。自然界の法をよりどころとせよ(不自然さを受け入れるな)。」という意味だと私は思っている。

今こそ、自分自身の可能性、力を信じ、自分を大切にするべきである。

自分の人生を信じ、自分の哲学に基づいて、他者の権威や権力ではなく自分に対して忠実に、依存的にではなく独立した心をもってたくましく人生を生きるべきだ。

人間らしさ、勇気、陽気さ、明るさ、希望、夢、友情、愛、思いやりこそが、闇を退け、新しい可能性を開くカギとなる。

そう信じて、私は、今の時代を生き抜いていきたい。