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大雪です

自宅兼会社の2階からの風景写真です。

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私は、出身が北海道の夕張で、豪雪地帯の出なので、雪の降る様子で、積もる程度が何となくわかるのですが、今日の子の降り方は、落ちてくる雪の勢いが結構激しいのです。これは、結構積もるかもしれません。

雪の真っ白の景色は美しいのですが、明日キャリアアドバイザーで出かけなければならないので、それが少々心配です。

ところで、天気予報では今日は雨だったと思いますが、皆さんのところは、どんな感じですか?雪が降っているのは、多摩地区だけなのだろうか?

まあ、今日は、覚悟を決めて在宅仕事に徹します。

「夢を」と15歳の私に励まされ

     「夢を」と15歳の私に励まされ
                 朝日新聞 2011/3/4朝刊『声』より引用

夢を追いかけていますか―15歳の私の言葉が20歳の私の胸にぐさりと突き刺さった。来年、就活を迎える私は景近、そのことで悩んでばかりいた。どのような仕事が自分に合い、どの会杜が良いのか。就職決定には何が必要で、大学2年の私は今何をすべきなのか。そんなことを毎日考えるが、答えは見つからず、将来への不安は高まるばかりだった。

 成人式を迎えた私に1通の手紙が届いた。「20歳の私へ。夢を追いかけていますか?充実した毎日を送.っていますか?やりたいことを諦めていませんか?後悔しないように、やりたいことには挑戦してください。……ずっと私は私を応援しています」。15歳の時、5年後の自分へ宛でて書いた手紙だ。中学の同窓会が保管し送ってくれた。

 私ははっとした。将来のため、今何かをやるのではない。私のやりたいことが未来へとつながっていくのだ。やりがいを感じられるものこそが、きっと自分の未来をつくる。前を向くことは大切だが、自分を常に見つめて一歩一歩進んでいこう。 

                     以上、朝日新聞 2011/3/4朝刊『声』より

 

 

 今朝の朝刊の『声』欄に、素敵な記事があったのでご紹介します。ご覧の通り、就活に取り組もうとする学生さんの記事で、20歳の女性の方の投稿です。

 就活を迎えて何をすべきか戸惑っているときに、15歳の自分からの手紙が届いたとのこと。その手紙には、夢をあきらめていませんか?と問いかけられていたとのこと。なんて素敵なドラマなんでしょうか。きっと彼女にとって、今最もしなければならないことは、不安と焦りでやみくもに動くことではなく、腰を据えて自分の夢や志をしっかりと明確にして、それに向けての作戦を練ることなんでしょう。

 あたりまえなのかもしれませんが、最も見えなくなる大切なこと、そんなことを教えてくれたのが、15歳の私だったのです。もちろん、手紙を大切に扱ってくれた同窓会の方々や、5年間という歳月が手伝ってくれてのことでしょうが、まさに、奇跡なんだろうと思います。素敵なドラマだと思いますね。

 本人も気づかれたとおり、今固めなければならないことは、まさに、自分の夢なんだろうと思います。

 いったい自分は、どんな社会人に成りたいのか?

 これから年を取って、いつか死に向かおうとするとき、いったいどんな自分だったならば、納得して死ぬことができるのか?

 自分が一生貫きたい価値、人間性とは何か?

 どんなあり方を実現したいか?どんなことを成し遂げたいか?

 どんな人間関係に恵まれたいか?どんな家に暮らして、どんな幸せを実現していたいか?

 どんな仕事を通してどんな貢献を世界に提供していきたいのか?

 そんな志をしっかりと固め、その夢を貫こうと腹を据えて、それを実現するための最高の職場を探す。まさにその活動を就活というのです。決してそうしないと怖いからするものでもないし、周りから言われるからするものではない。自分の幸せのためにするものなですから。

 最近の採用担当者の学生に対する要望は、主体性を持ってほしいということ。主体性とは、逃げることではなく追いかけること。従うことではなく自ら生きること。他人の目標のためではなく、自分の目標のために活動するということ。そんな前向きな生き方が主体的な生き方なのであり、採用担当者は、学生にそういう資質を求めているのです。まさに、この学生さんが気付いたことは、的を得ているのだろうと思います。

 ぜひこの気づきを大切に、自分をしっかりと持って、厳しい戦いではあるけれども、ひるまずに頑張ってほしいですね。素晴らしい記事をありがとう。応援しています頑張ってください!

今日はダルマ市

 今日は、調布の深大寺のダルマ市に行ってきます。ダルマ市とは、もう5年か6年くらいのお付き合いです。最初にダルマ市に行った頃は、売り上げがほとんどなく、生活費を切り詰めて、白菜だけ具材に塩でいただく白菜鍋と称するものをよく食べていたころで、少しでも運が良くなるようにと、少々落ち込んだ気持ちを奮わせてだるまさんを買いに行ったものです。不思議なもので、そのころを機に売り上げも好調になり始め、めぐりあわせが良くなってきたので、毎年この時期になると深大寺に出かけ、だるまさんを更新するようになった次第です。

 最初に買っただるまさんは、片手のひらに乗る大きさだったものが、次第次第に大きくなり、昨年は、私の顔の大きさを超えるサイズを買いました。今年はどうなる事やら。

 昨年から今年にかけても、だるまさんにはお世話になりました。おかげさまで、幸せに楽しく、日々の糧に困ることもなく過ごすことができました。ありがとうございました。深大寺に行ってお坊さんに残る片目を入れてもらい、成就していただいたうえで、新しいだるまさんにも片目を入れてもらい、これから一年の願いを託す次第です。今年は護摩も焚いてもらおうと思っています。だるまさんに護摩で、運気は大変です。こんなにたくさんの運気をどうしましょう!世界が平和でありますように、家族や仲間とともに仲良く健康で幸せに豊かに仕事ができますように、これを読んでくださっている方々にもっと幸運がやってきますように、そして、もっともっとたくさん売り上げが上がって良い仕事がたくさんできますように!

着実に成長していく学生たち

 毎週火曜日は、大学でキャリアアドバイザーを担当しております。毎週、多くの学生たちが相談に来てくれるのですが、回を重ねるごとに、学生たちの成長度合いが増してきて、しっかりした就活戦士となっていく様子に、感動しています。

 もともと相談に来る前は、不安に押されて仕方なく就活をしている様子だったものが、自分の将来について真剣に考え、自分の幸せを実現するための職場を積極的に探すのだという主体性を身につけてきています。しかも、企業にぶつけていくことになる自己PRや志望動機も練られてきて非常に強力な武器と防具となってきており、もはや、他校の学生たちと引けを取らない立派な就活戦士です。

 一人の学生は、自分のプレゼンを録画して練習するようになったとのこと。お姉さんから録画の機械を貸してもらったら、お姉さんが、その練習の立会いをしてくれたとのこと。さらに、お母さんも練習を手伝い、ダメ出しやコメントをしてくれたとのこと。こうして、自分で何かを真剣にやっていこうと一歩踏み出したら、不思議に協力者が現れて、ますます成功に近づいていくものですよ。まさに、踏み出す勇気が奇跡を呼び起こすということなんだろうと思います。

 まだまだ厳しい戦いは続いていくでしょうが、こうした努力は人を裏切らない。学生たちは、必ず戦いに勝つだろうと思います。その後押しができるように、こちらも頑張りたいと思います。

襟川陽一氏のドラマ

 襟川陽一氏は、1950年10月生まれの栃木県出身です。実家は、栃木県足利市で染料の問屋を営んでいました。大学卒業後、襟川氏は、大阪の染料販売会社に就職し、将来経営を継ぐ者として、修行に励んだのでした。

 しかし、4年半にわたる大阪での修行を終えて実家の家業を継ぐべく、帰省したところ、襟川の入社3ヵ月後に廃業へと追い込まれてしまったのでした。
 染料業界は、構造不況業種であり、しかも競争が激しく、父親の奮闘むなしく、会社をたたまざるを得なくなってしまったのです。襟川が父親に呼び戻されたのは、その残務整理のためでした。

 一通りの手続きを終え、襟川は、新たな一歩を踏み出すべく、会社を設立することになります。しかし、その会社は、何と、廃業した会社と同じ染料を販売する会社だったのです。襟川としては、見通しや勝算があったわけではありませんが、父親の弔い合戦をしたかったのでした。
 創業後、襟川は、一生懸命になって営業活動を展開し、様々な研究をして経営にエネルギーをつぎ込んでいったけれども、如何せん、構造不況業種だけあって、なかなか思い通りにはいきません。そのうちに、家族の生活費に事欠くようになり、また、取引先の倒産、手形の回収不能、貸し倒れなどが起こり、事態はどんどん悪くなっていきました。

 奥さんの遺産相続資産を処分しながら運転資金を調達し、何とか経営を維持しながら苦闘している間、その苦しみの中で、様々な経営書、哲学書を読むようになり、そんな中から、現状の問題が明確に浮き彫りになってきたのでした。その問題とは、存在意義ということ、現在の染料の仕事には、もはや現代においては価値は少なく、もっと存在意義のある仕事に鞍替えしなければならないと言うことだったのです。
 しかしながら、そんなに都合よく簡単に存在意義のある儲かる仕事に商売換えできるはずがありません。襟川は、悶々としながら苦しい経営を続けていったのです。

 2年後、将来への希望を持てず、目標も無く、生きる張り合いも無い中で、30歳の誕生日を迎えた襟川は、奥さんから、誕生日のプレゼントにシャープ製のパソコンをプレゼントされます。
 襟川は、パソコンにとっても興味を持っており、かねてからのどから手が出るほどほしかったのでした。深刻に落ち込んでいる襟川を心配した奥さんが、へそくりをはたいて買ってくれたのでした。

 その後、襟川は、うまく行かない会社経営の欝憤をはらすかのように、パソコンに没頭していくことになります。もともと大好きなパソコンでしたので、上達は速く、まもなく独学で、会社の在庫管理や販売管理のプログラムを作ってしまいました。それだけに飽き足らない襟川は、台頭し始めたゲームを作ろうと思い立ったのです。
本来であれば、会社経営を立て直すために工夫したり、対策を真剣に考えていかなければならなかったのですが、ある意味で現実逃避ともいえる、1銭の得にもならないゲーム作成に熱中するようになってしまったのです。

 本業がままならない中、ゲーム作成に取り組み始めて1年後、襟川は、「川中島の合戦」と「投資ゲーム」を作り上げることになります。川中島の合戦は、歴史が好きな自分自身のために、投資ゲームは、幼いころに父親の遺産を相続した奥さんのために作ったものでした。

 しかし、せっかく作ったゲームでもあり、家族だけで楽しむだけではなく、食費のたしにでもならないだろうかと思い、雑誌『マイコン』に、5万円で小さな広告を出したところ、お客さんから大きな反響があり、手紙や電話が殺到し、郵便局から山盛の現金書留が配達されるようになりました。

 何と、そのつもりもなく作り上げたゲームが、予想外の大きなヒットをもたらしたのです。本業で苦労に苦労を重ねながらも結果が出なかった時代が続いていた襟川にとって、このヒットと忙しさは、何よりの喜び、生きがいとなりました。

 早速、染料の販売会社からゲームソフトメーカーへの転進を図り、徹夜で作り上げた新作が『信長の野望』であり、記録的な大ヒット商品となりました。

 このシミュレーションゲームのヒットをきっかけに、染料販売会社光栄は、ゲームメーカー光栄へと大きな飛躍を遂げ、全国に名をとどろかせることになりました。
光栄は、その後、「青き狼と白き牡鹿」「三国志」「三国無双」など大ヒット商品を次々と発表し、いまや代表的なゲームメーカーとして活躍しています。

 勝利の女神は意外なところで微笑むものです。しかし、これも、悪戦苦闘時代にあっても決してあきらめずに、絶望の中でも経営を続けていったこと、その苦しみの中で、経営について、人生について、深く考え、探求していったこと、そして、普通では体験できないような苦労を体験したことが見事に糧になって、成功につながっているのだろうと思いました。

 数限りない敗北のあとにこそ勝利の女神がやってくること、意味のない苦労などないということ、意味のない出会いなどないということ、チャンスは意外なところにあるということ、やっぱり好きなことにこそビックチャンスが潜んでいることなど、襟川さんの事例は大切なことを教えてくれているような気がしました。(旧ブログより転載)

    参照文献 「どん底から這い上がった男たち」すばる舎出版 鈴田孝史著

われとなんじ

 私どものラボラトリーメソッドの哲学的な骨格のひとつとなっている実存哲学者マルティン・ブーバーの考え方をご紹介します。ブーバーの主著は、「我と汝」という名著です。その中で、高邁な”関係性”の哲学を展開しており、今回は、その考え方の一部をご紹介したいと思います。

 本書の中で、ブーバーは、世界は人間のとる態度によって2つとなるとしています。
ひとつは「われ-なんじ」の世界であり、もうひとつは「われ-それ」の世界です。

 「われ-なんじ」の関係は、われとなんじが、個別な存在と言うよりは、本質的に同じ存在として認識しあえる関係であり、われがなんじと全人格的に関わり、関係性に生きる実存の世界です。
 一方、「われ-それ」の関係とは、われとそれが異なった対象と認識する関係であり、われがそれを利用し、われに取り込もうとする分離と対立に生きる現象の世界となります。
その際、「われ-なんじ」のわれと、「われ-それ」のわれとでは、まったく異なった<われ>となります。

 「われ-それ」の<われ>は、個的存在としてあらわれ、他を利用し経験する主観として自己を意識します。
 一方「われ-なんじ」の<われ>は、人格的存在としてあらわれ、真実の関係を生きる主体として自己を意識することになります。

 ブーバーによると、「われ-なんじ」の関係こそが、リアリティの世界であり、『人間や人類が「われ-それ」の個的存在に支配されればされるほど、われは、一層非現実の深みに落ちていく。現代のような(「われ-それ」の)時代には、人間や人類の中にあるわれは、再び呼び起こされるまで、地下に隠れ、いわば、無価値な存在となってしまう。』としています。ブーバーによると、現代文明の危機は、「われ-それ」の途方もない支配の結果によるものとなります。
 「われ-なんじ」の全人格的な関係性を通して、「われ-それ」を癒し、自然を取り戻し、人格的存在となり、人間の全きを回復させていくことこそ大切と言えるのでしょう。

 ブーバーの視点は、きわめて現代社会の問題点の本質をついているように思えます。行き詰っている現代のさまざまな問題を解きほぐしていくためのヒントや大切な指針となるのではないでしょうか。

新入社員研修アトランティックプロジェクト打ち合わせ

 今日は、4月の新入社員研修の打ち合わせです。プログラムは、アトランティックプロジェクトをご利用いただいてますが、今年で早くも4年目となるお客様です。長く続く新入社員研修の中で、このアトランティックプロジェクトが、毎年新入社員にとって最も印象に残ったプログラムになるとおっしゃっていただいております。弊社としてはこの上ないお言葉であり、本当にありがたく、光栄に思っております。

 今年も、昨年同様に、充実した良き学びの場となれるように一生懸命に頑張りたいと思っております。今年は一体どんな出会いとドラマが展開していくのでしょうか。とっても楽しみです。

自信を育む

「自信を持てなくなるのはしょうがない。

 でも、いかに自分を信じることができるか。

 そういうことが大切になってくると思う。」

 石川遼

 3回目の世界マッチプレー選手権に向けて

 朝日新聞朝刊(2011/2/22)