年別アーカイブ: 2016年

正直さの勝利

アメリカの大統領選を受けて、いろんな波及が起こっていますよね。

テレビの報道を見ると、厳しい選挙戦を勝ち抜いた人に対して十分な敬意を払っているようには思えないコメントが多いのがとても気になります。日本では、勝負に負けたにもかかわらず、自分の至らなさを反省せずに勝った相手の弱点をバカにして見下す態度を“負け惜しみ”と呼んでおりました。それは、恥ずべき浅ましい態度であって、まっとうな人は、そういうことはしないのだと考えられていました。

日本の報道陣は、そんなことも忘れてしまったのでしょうか。気高い意識、矜持と言うものを感じられない報道が多いのはとても残念に思えます。

トランプさんは、マスコミの大半が敵となった状況の中で、奇跡的な勝利を得ることができました。

多くの一般市民が、マスコミの言うことを鵜呑みにせず、自分が調べたこと、感じたことや気づいた事を信じたからこそ、こうした結果となったのだろうと思いますよ。まさに一般市民による民主主義の結果じゃないですか。知性的な大人であるならば、その重みを十分に感じるべきなのだろうと思います。

もはや、操作や支配、コントロールの効かない時代となっているのだろうと思います。今回の出来事は、どんなに巧妙で高度なテクノロジー、権威、権力よりも、不器用な正直さが勝利した歴史的な快挙だったのではないでしょうか。

しかし、マスコミは、負けた後でも、まだトランプさんの印象を悪くするような報道、描き方ばかりをしているように私には思えますね。

まだ、視聴者を愚かな大衆だと思っているのでしょうかね。まだ演出や操作が通用すると思っているのでしょうかね。私は、そのようなスタンスはとても愚かだと思いますよ。彼らがしゃべればしゃべるほど本性が暴露されているように思えますし、遠く感じてしまう。

光に勝る影はありませんし、真実に勝る嘘はありません。時代は、次第に真実以外は苦痛と感じるごまかしのきかない雰囲気を帯びてきているのではないでしょうか。

トランプさんは、大統領に就任した後は、さまざまなタブー、不条理だった謎を再捜査したいと言ってました。

きっとアメリカの多くの人々は、うそやでっち上げはこりごりなんだと思います。きっと世界中の人たちも、嘘やでっち上げはこりごりなんだと思います。

そもそも人殺しが好きな人はいないように、本当のことが本当なんだと伝えられるならば、戦争など起こらないのですよ。

そもそも子孫の繁栄を願わない人がいないように、本当のことが本当なんだと伝えられるならば、核の取り扱いは現在のようにはなっていないのですよ。

そもそも人の苦しみを自分の痛みと感じない人がいないように、本当のことが本当なんだ伝えられるならば、5秒に一人の子供たちが空腹で死んでしまうような状況が許されているわけがないのですよ。

色んな詭弁や嘘があるからこそ、悲劇が起こってしまうのだと私は思います。だから、特殊なことが必要なのではなく、シンプルに本当のことが分かれば、きっとそれだけで地球は平和になって、住みやすい美しい世界となるのではないでしょうか。

願わくば、この大きな転換点、出来事を基に、素朴でシンプルで、もともと持っていた家族愛に満ちた優しく平和で穏やかで幸せな世界に、この地球が変わっていけますように。

青年会議所でリーダーシップ研修

来る10月29日に、リーダーシップ公開講座を担当することになりました。主催は、牛久青年会議所です。

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こうして担当させていただけることは、大変光栄なことです。

集まって下さった皆さんが、楽しく、リラックスをして、充実した価値ある時間を過ごせますよう、しっかりとがんばりたいと思います。

 

失敗を怖がらない

「こころみるというのは、一度でうまくいくことを期待しないということだ。
科学者が行う実験と同じで、それは、行動の結果から学ぶことが中心となる行為なのだ。」

『チームが機能するということはどういうことか』エイミー.C.エドモンドソン 英治出版

平和記念公園で思ったこと

先日、広島に出張する機会があったので、その足で平和記念公園に行ってきました。

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原爆ドームです。さまざまな写真では見ていましたが、実物を見ると、とてもリアルです。

原爆による破壊の前は、こんな建物だったそうです。

Hiromuseum

美しい大正ロマンの漂う美しい建物だったのですね。ずいぶん大きな建物だったようですが、残った部分はほんの一部だということが分かります。

鉄筋の頑強な建造物が一瞬で粉々に破壊される、原爆の破壊力は、まさに激烈です。

広島平和記念資料館の中も拝観しました。

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フラッシュをたかなければ写真を撮っても良いとのことでしたので、少しだけ取らせていただきましたが、記念館の展示が、あまりにも悲しく、痛々しく、むごたらしいものがあり、二の句が継げない状況になってしまい、写真どころではありませんでしたね。

被災者のぼろぼろになった衣服も展示されていましたが、その衣服が小さいのです。子供なのです。いたいけな子供たちが、衣服がこんなにボロボロになるほどの熱風を受け、ある子は即死し、ある子は重篤なやけどを負った状態で助けもない中で苦しんだのです。

犠牲者の多くは、戦闘員ではなく、罪のない市民であり、弱い女性や子供たちだったのです。

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この惨状を見るにつけ、私は、原爆を落としたことは、愛のない暴力であり、間違いであり、どんな言い訳も効かない取り返しのつかない狂気であると感じました。

展示の中には、蝋人形で原爆の投下直後の被ばく被害の状況を描いている被爆再現人形が展示されていました。

大やけどを負った被害者たちが、ぼろ雑巾のようにやぶけた皮膚をたれ下げながら腕を前に掲げて、燃え盛る破壊尽くされた街をさまよっている様子がリアルに描かれています。その悲惨さ、痛み、苦しみは、見ている人の胸に強く迫るものがあります。

しかし、実は、この展示は、近々撤去される予定だそうです。

撤去の理由は、一般的には「怖すぎるからだろう」と考えられています。

公式的には「凄惨な被爆の惨状を伝える資料については基本的にありのままで見ていただくべきという方針」によるものだということです。要するに、この展示は、作り物であり、事実をありのままに描いたものではないので撤去するとのことです。

わたしは、それを聞いて、いかがなものだろうかと唸ってしまいましたね。

事実をありのままに伝えていないとの見解ですが、本当に体験された痛みを直接的にありのままにに理解できる優れた教材であるように私には思えます。あのような意味深い展示物は、つまらない理由で撤去すべきではないと思います。

実は、私は、ガス爆発で、両手上腕部と顔面を大やけどしたことがあります。

両手上腕部は、肘から指先まですべて3度のやけどを負ったので、部分的には、被爆者の方々と似た体験をしたことになります。(もっともその重傷さ、苦しみは、被爆者の方々の足元にも及びませんが)

3度のやけどとは、やけどの中で、最も重症な症状であり、真皮を超えて皮下組織まで損傷を受けており、治癒後も色素沈着やケロイドが残ってしまうほどの深さのやけどのことを言います。

私は、そのようなやけどに両腕全体がなってしまったことがあるのです。

やけどをすると、水膨れになることはご存じだと思います。私の場合は、腕全体が水膨れになった状態になりました。ですから、事故直後は、自分で腕を触ると皮膚がグズグズであり、ちょっとした衝撃で皮膚が破れ、垂れ下がってしまう状況でした。だから、再現人形のけがの状況はとてもよくわかります。

それから、展示では被爆された方が、腕を幽霊のように前に突き出して歩いてますよね。

体験談を聞いてみると、被爆直後の街では、実際に多くの人たちがそうした腕を前に出した状態で逃げ惑っていたそうです。

その前に腕を突き出して歩く様子ですが、なぜ腕を前に突き出して歩くかお分かりですか?

それは、やけどで腕全体が真皮むき出しの状況になると、皮下組織の毛細血管が損傷しており、腕を心臓より下げると、毛細血管が膨らんで、腕が破裂してしまうような痛みが起こるからです。

風船が空気で膨らんで破裂してしまうように、腕を心臓より下げると、血圧で毛細血管が膨らんで、まさに腕全体が“パン”と破裂してしまいそうな強烈な痛みが起こるのです。ですから、腕を心臓より下に下げることができずに、幽霊のように前に掲げる姿勢を取らざるを得ないのです。

私も、やけどを負った後、しばらくは全く同じ状況になりました。ベッドで寝ている時は傷まないのですが、トイレに行くときなど、所要で立ち上がる時は、腕を下げることができずに幽霊のように前に突き出して歩いていたものです。(実際にトイレをする時はどうしたかって?実は、まったく腕を下げられないわけではありません。時間をかけてゆっくりゆっくり下げると何とか下げることができるのです。だからトイレをする時は、脂汗を流しながら痛みと格闘し、ものすごい時間をかけてでなければすることができなかったのです。ちなみに、当時の私は、顔全体が包帯にくるまれており、腕全体も包帯で、白い浴衣を着ていたので、当時の私が歩いていた姿を見た人は、相当な恐ろしい思いをしたかもしれません。)

そのような体験があるので、被爆再現人形の描いている状況は、私にはとてもよくわかるのです。

しかし、帰ってから、前に腕を突き出す姿勢の理由について、インターネットで調べてみると、その正しい理由がほとんど伝えられていないのですね。これは、私にとっては衝撃でした。あれだけ多くの人たちが体験した無理のある姿勢の理由、ただでさえ疲れ切っており、痛み苦しみの中で腕を上げることは、なおのこと疲れて苦しかったろうに、そうせざるを得なかった悲しい理由、その痛みやつらさが、現在ではもはや誰もわからないのです。

もしかしたら、そうした正しい理由が分からないので、再現人形のリアリティが分からずに、作り物と感じてしまうのかもしれませんね。とても残念なことです。

私は、だからこそ、こうした展示は、後世に伝え残しておくべきだと思いますね。話によると、この展示物を作った作者は、多くの被爆者の体験に耳を傾けて作ったとのこと。

人は、体験に耳を傾け、体験から学ばなければなりません。

人の体験よりも権威者の言うことに耳を傾ける、感じることや正直な思いよりも強い権力の言うことを盲目的に信じる。そのような傲慢で卑屈な態度でいるからこそ、こうした悲劇が起こってしまうのではないでしょうか。

8月6日の8時15分、一瞬のすさまじい爆発によって、多くの子供たち、女性、老人、戦闘員ではない善良な市民たちが、深刻な被害を受けました。ある人たちは即死し、ある人たちは重度なやけどを負い、皮膚がずる剥け、真皮むき出しとなり、痛くて腕を下げられない状態で灼熱の中を逃げ惑いました。真皮むき出しの皮膚にとって、あらゆるものが痛みの原因となります、そよ風さえも激痛の原因です。特に照りつける太陽にさらされた痛みは筆舌に尽くしがたいものがあります。しかし、真夏の太陽は容赦なく照り付け、日陰となる一切の建造物が破壊された中で、水も食料もなく、助けもない中で腕を前にかざす無理な姿勢で逃げ惑わざるを得なかったのです。さらに、放射能の影響で希望すら破壊されていった被害者の方々の痛みや苦しみはいかほどだったでしょうか。

そのような悲しくつらい体験を正確に理解するにつけ、あらゆる権威の言う言い訳は詭弁に聞こえます。

エノラゲイで原爆を落とすことに関わった人たちは、どのような顔でこうした体験を聞くのでしょうか。体験を聞いた後、いま言っている言い訳を良心の呵責なしに言うことができるのでしょうか。

どのような理由があれ、私は、原爆は、常軌を逸した狂気であり、悪魔的な暴虐、間違いだと思います。もう2度とこうした悲劇が起こらないことを広島の地で心から願った次第です。

8月6日、原爆の犠牲となられた多くの方々の痛み、悲しみが癒されますように、心からご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

大手食品メーカーで新人研修(20160510)

明日から出張です。大手食品会社で、新入社員研修を担当することになっており、弊社のアトランティックプロジェクトによるプログラムを担当してまいります。

おかげさまで、アトランティックプロジェクトをご利用いただける機会が増えて、4月から新入社員研修のお仕事が続いいたのですが、明日からの出張で、今年度の入社時研修のひと段落がつくことになります。

今年の新入社員のみなさんと関わってみて私が感じることは、概して、まじめで一生懸命であるということ。誠実さを持ち、秘めたる情熱を胸に、よき仕事ができるように真剣に努力をしていることがよく分かります。本当に素晴らしい若者たちです。

しかし、一方で、人間関係が引き気味で、距離を取り、懐に飛び込んでくるような人懐っこさに欠けていること、完璧主義であり、ルール違反となることやマニュアルから外れることを恐れること、傷つきやすくあきらめやすいということ、など、気になるところも決してゼロではありません。

いろいろな考え方がありますが、そうした傾向の根底には、自尊感情の問題があるのではないかと私どもは考えております。

「何とかなる、大丈夫だ」という思い弱いからこそ、正直に自分を表現する勇気がわいてこないだろうし、反すること、失敗することを過度に恐れてしまうのだろうし、ひいては、早期離職問題や成長格差問題につながってしまうのだろうと思っております。

新入社員研修プログラム「アトランティックプロジェクト」は、そうした健全なる自尊感情、前向きで粘り強い態度、チャレンジ精神を育むことを主要テーマの一つとしたプログラムです。そんなコンセプトに共感いただいている企業さんが、最近増えてきており、この4月~5月のご利用が多くなっている次第です。

新入社員や若手社員のみなさんの元気と明るさと健全な逞しさを育成するという非常に大切なお仕事に貢献することができて、私どもは大変幸せです。大変光栄なことだとありがたく思っております。

明日からの出張も、よき研修となるように、しっかりとがんばってまいります。

自尊心とコミュニケーション ③自尊心をもって人と関わるーその1

自尊心をもって人と関わるために必要な指針、考え方のヒントを以下、記していきます。

1.隠さない、ごまかさない

自尊心が欠如している人は、みっともないところもあり、カッコ悪いところもある自分を受け入れることができません。ですから、他人に自分のそういう欠点や弱さやを知られないように、隠し、ごまかし、内面をさとられないように懸命な努力を続けるのです。

人は、相手の完璧さなんて求めていません。完璧さを求めるのは、一切の非難される要素をなくしたいというエゴの恐怖感であって、すでに与えられたもので満足できない傲慢さからくるものです。

自分にダメな部分があったっていいじゃないですか。人間存在には、欠点がつきものだし、失敗から学ばなければならない未熟さもつきものです。そもそも、完璧ではない条件の中であっても一生懸命に頑張るあなたが、かっこいいのですから。

また、自分の内面で感じる痛みや欠点は、人類すべてが感じている痛み、問題と言えます。自分のそれを否定してしまったら、相手のそれも受け入れることができなくなってしまう。受け入れあい、信頼しあうことができなくなってしまいます。

ありのままの自分に自尊心を持つことが大切です。例え醜さがあったとしても、現在の自分の姿は、一生懸命にサバイバルしてきた結果としての在り方であり、事情があるのです。そんな事情を受け止めて、理解してあげることが大切です。もしそれが気に入らないとしても、すでに起こってしまっていることは、いったん受け止めなければ、理解もできないし、変えようがありません。

あれがないこれがないと、すでに受け取っているものに文句ばかり言ってはいけません。そうした不満は、今のあなたの輝きを曇らせてしまう雨雲のようなものです。

あれがあれば自信を持てる、これがあればもっと前向きになれるなどとけち臭いことを言ってはいけません。今あるものにひとまず感謝することが大切です。

自分を嫌うことで見えなくなってしまった自分の魅力がどれほどなものなのかを知ったら、きっと誰もが驚くはずです。人はたいていの場合、自分で思っている以上の存在です。ありのままの自分を受け入れ、愛し、信頼することを通して、隠されている自分自身の秘密、偉大なる可能性が開示されてくるものです。その第一歩として、自分を隠さず、ごまかさず、ありのままを理解し、受け止めてみましょう。

自尊心とコミュニケーション ②自尊心と聴く力

また、自尊心が損なわれている場合は、人の話に耳を傾けることができません。

自分は弱く脅威にさらされていると思い込んでいる人は、他人からの働き掛けを脅威や攻撃ととらえてしまう癖がついています。ですから、相手の語る言葉を、ありのままに受け止めることができずに、驚くほど歪曲して、受け止めてしてしまう傾向が強くなります。

どこかに悪意、悪巧み、罠があるのではと疑ってしまい、常に過剰防衛の姿勢で人と向き合ってしまうので、健全な関係性が育みづらくなってしまうのです。

自分の本質は醜く、愛されるはずがないと思い込んでいる人は、他人からの優しさや愛情を素直に受け止めることができません。その愛情は、自分の表面的な演技の反応からくるものと解釈しているので、いつか自分の本質がばれたら、嫌われるに違いないと思い込んでいるのです。ですから、人と落ち着いてじっくりと深くかかわる、正直に誠実に向き合うということができずに、豊かで生き生きとした人間関係を育むことが、非常に困難となってしまうのです。

自分の内面は崩れやすくもろいものだと思い込んでいる人は、他人の考えを受け入れると、自分を見失ってしまうのではないかと言う恐怖があるので、他人の意見に耳を傾けることができません。他人を快く受け止めるだけの度量がないのです。

こうして、自尊心が損なわれている人は、人の話に耳を傾けることが難しくなり、また、前述のとおり、話すことにも苦手意識が強くなってしまうので、コミュニケーションの問題を多く抱えてしまうことになり、健全な人間関係が育みづらくなってしまいます。

自尊心とコミュニケーション ①自尊心と話す力

自尊心とは、現状のありのままの自分を尊いと思える魂の健全さのことであり、傲慢さや自惚れとは違います。

傲慢さや自惚れは、自分の本質が、醜く愚かで劣っていると思い込んでいるので、それを隠そうとしたり、否定しようとするが故の無理=劣等感から起こる態度であって、決して健全な自信からくるものではありません。

一方、自尊心は、不完全で欠点のある自分を嫌わずに、そのまま受け入れて、発展途上の自分を、それで良しとすることができるので、自分のありのままを隠そうとしたり、ごまかそうとする必要がありません。

健全な自尊心は、さまざまな病理や心の病を防衛する強力な免疫力ともなり、前向きな生き方、チャレンジ精神、たくましく粘り強い態度の原点となるとも言われております。

その意味での自尊心は、人間関係やコミュニケーションにも大きく影響を及ぼします。

このシリーズでは、自尊心とコミュニケーションの問題に焦点を当てて、その原因と改善方法を探求していきたいと思います。

1.自尊心と話す力

自尊心が欠如していると、相手に語ることができません。

自分に価値を見いだせない人は、自分の内面でひらめいたアイデアや考えに価値があるとは思えません。ですから、それをあえて他人に伝える必要性も感じないし、他人に馬鹿にされたり否定されたりする可能性を乗り越えてまで話そうとする勇気が湧いてきません。

自分がつまらなく意味のない存在だと思い込んでいる人は、他人に話しかけることができません。「こんなダメな自分と話すことは、相手にとって、時間の無駄遣いである」と罪悪感を感じてしまうのです。ですから、時には、あたりまえな挨拶、日常会話に事欠くようになり、最低限な報告や相談、メールの返信、連絡すらまともにすることができなくなってしまうのです。

一方で、相手は、本人が、そんな悩みを抱えているとは全く分かっていませんので、当然あるべき報告や連絡をしてこない理由がわからず、悪意があるのでは?嫌って避けているのでは?などと誤解されてしまうことが多く、後々の人間関係に悪影響を及ぼしていくことになるのです。