先日、大学の就活講座で、「社会人になることが楽しみな人?」と問いかけたところ、手を挙げた学生が、たった一人。
「それでは、本当のところ、社会人になることが、いやだなと感じている人?」と聞いたところ。ほぼ全員が手を挙げていました。
理由を聞いたら、見かける社会人は、みんなつらそうで幸せそうじゃないとのこと。確かにそういう事例をたくさん見ていたら、社会人になどなりたくはないでしょう。もっともなことだと思います。
しかし、うーん、これは、ゆゆしき問題ですね。就活に向かっている学生の多くは、「実のところ、社会人になどなりたくはないけれども、ならないと大変なことになり、怖いので、一生懸命に就活をする」ということなのでしょう。本当のところそうしたくないけど、そうしないと怖いのでする。なんと悲しい現状でしょうか。
これは、夢を持てない若者を責めるというよりは、楽観的には到底なりえない社会を作り上げた、現代社会のリーダーや大人たちが責めを負うべきでしょう。
しかしながら、どんな社会環境であっても、夢を持てないということはない。志を持たない理由を環境や他人のせいにすることもできないのも事実です。もしも、天使に囲まれている社会で生きていたならば、幸せで素晴らしい未来を描くことはいとも簡単にできるし、そうした未来の実現を容易に信じることもできるでしょう。しかし、そのようなヴィジョンを持つことは、当たり前であり、偉くもなんともないのです。現代の様なストレスの多い危険な社会だからこそ、気高い志を持つことは努力と勇気が必要であり、そう生きようとすることは、大いなる冒険と偉大な生き方となるのですよ。だから、現代社会の様々な問題は、冒険譚に付き物の悪役であり、乗り越えられるべき障害であり、成長への踏み台なのです。だから、犠牲者となって絶望に染まるのではなく、勇者となって希望に向かわなければなりません。
そもそも、就活は、怖いからするのではなく、自分の幸せのためにするもの。自分の幸せにつながらない内定だったら何の意味もないのです。
怖がらずに、勇気を持って立ち向かい、真剣に生きれば、必ず未来は開ける。
人は、必ず幸せになれる。
そう生きるための十分な力量が人にはある。
だから、自分の幸せをあきらめてはいけない。
自分が幸せじゃなかったら、他人に真の貢献などできるわけがない。
幸せになることは、人にとっての責任なのですよ。ぜひ若者には、自分の本音で幸せなヴィジョンを描いてほしいですね。忠実であるべきものは、権威や恐怖ではなく、自分自身のヴィジョンなのですから。