月別アーカイブ: 2009年7月

大学授業 今期の最終講

今日は、大学の授業「キャリアスキル演習」の最終日です。前期の授業であり、4月から開催した授業でしたが、早くも今日が最終回です。学生諸君とともに、良い学びの場を作ることができたのではないかと思っています。学生のみなさん、本当にありがとう。キャリアを形成する上で、今の時代は、とても厳しい受難の時代だと思います。彼ら彼女らの親御さんの時代は、まだ、会社が社員の人生を導く時代でしたが、今は全く雰囲気の違う時代となってしまいました。もちろん古き良き美徳を踏襲している会社もありますが、多くの場合は、以前のような期待を会社にかけることは、とてもできない状況です。親御さんにとって、子どもたちの就職活動やキャリア形成が思うようにいかないとお嘆きの方もいらっしゃると思いますが、それは、昔が恵まれていたからで、今、同じ時代を若者として生きたら、きっと厳しさを肌身に感じると思います。
 しかし、こんな時代だからこそ、本当に幸せな人生を考えることのできるチャンスでもあります。私自身は、自営業として、自分の本当に好きな仕事をして生きていますが、決して豊かではありませんが、私はいま本当に幸せだと思いますね。学生たちにも、こんな幸せな人生を自分でつかんでほしい。こんな時代だからこそ、たくましく立ち向かっていってほしい、そんな願いをもっています。そんな自分らしく力強く輝く幸せな人生を自らの力で開拓できるように、私も一生懸命にバックアップしたいと思います。

学ぶということ?

<私たちが教えられてきた学習方法は万能ではない>

 私たちは、”学ぶ”ということをどう考えているでしょう。

 通常、私たちが”学ぶ”ときの”学び方”は、”モデル学習”といえるでしょう。

 モデル学習とは、基本的に漢字の書き取りと同じで、先生が”見本(モデル)”を示し、生徒は、それを”複写”し、何回も”練習”をして、”記憶”し、自分のものにする。そして、当初先生の示した見本が、自分のものになったときに、さらに新しく高度な”見本(モデル)”を提示してもらうと言ったサイクルを”モデル学習”と言います。

 モデル学習は、どんな教育機関、組織、文化でも行われている教育方法であり、汎用的で一般的であるといえましょう。
 非常に、効率的で便利な学習方法であり、応用範囲は広範囲にあるとはいえますが、実は、モデル学習は、限界があり、どんなことでもこの方法で学べるわけではありません。

 たとえば、一流のプロスポーツ選手を思い浮かべてください。
 彼ら彼女らは、大変パフォーマンスが高く、一流であり、モデルとするにはもってこいの人たちですが、しかし、モデル学習のように、彼ら彼女らの物まねをしたからといって、その技術を得られるわけではありません。
 また、一流になればなるほど、その技術はユニークであり、一般的ではありません。
 有名なプロ選手は、一様に個性的であり、全く画一的ではありません。
ですから、一流であるための型にはまったモデルは、存在しないのです。

 匠の技、というものがあります。一流の職人芸は、大変みごとであり、見習いたいスキルであります。しかし、残念ながら、見取り稽古には限界があり、同じようにやってみても、同じようにはできません。その技は、その人独自のきれをもっており、その人にしかできない独特なものだからです。

メンター養成講座を担当しました(20090710)

東京の番組制作プロダクションT社で、メンター養成講座を担当しました。
 メンターとは、語源は、古代ギリシアの盲目の吟遊詩人ホメロスの叙事詩「オデュッセイア(The Odyssey)」の中に描かれている「メントル(Mentor)」と言う賢者に由来しています。
 オデュッセイアは、イタカ島の王である英雄オデュッセウスがトロイア戦争に参加した後、エーゲ海を10年間に渡り放浪してついに故郷のイタカ島に帰還する冒険叙事詩です。物語の中で、王が、息子のテレマコスの教育を託したのが、親友メントールであり、メントールは、テレマコスの良き支援者 ・理解者・指導者となり、帝王学を身につけさせ、テレマコスの日となり陰となり、テレマコスの成長を援助することになります。
 その指導者、支援者としてのあり方が、見事であり、偉大であることにちなんで、現在では、支援者や助言者などの役割を果たす人を総括的に「メンター」と呼んでいます。

 現在の「メンター」を分かりやすく身近な例でたとえていえば、昔は、良く近所にいた、子供たちをほめたりしかったりする面倒見のよい(口うるさい?)おじさんやおばさんがいましたが、まさにそのようなおじさんやおばさんが、現代版のメンターのイメージといえるのだろうと思います。

 メンター制度は、もともとは、非行少年少女たちの支援を目的として、年長者が1対1で定期的に少年少女と合い、対話して、彼ら彼女らの生活、心理、生きかたを支援していく方法として試みられたものですが、1980年代後半以後、薬物中毒、妊娠、退学・落第、引きこもり、暴力団への関与、などの青少年問題に対応するために主にアメリカにおいて大きなムーブメントが起こり、現在では、一般的に広く民間ボランティアを中心とする広範な社会運動として取り入れられています。

 一方、企業においても、現在活躍している人たちには、メンターとして面倒を見てくれた存在が、かなり多くの割合で存在し、企業社会の中で、輝くためには、メンターの存在が欠かせないものであることが、各種の研究で明らかになってきました。
 また、新入社員などの未熟練者をいち早く戦力とするためにも、優れた教育方法が必要であり、そのためには、単に機能的なことを指導するだけではなく、キャリアを含めた総合的な支援をするほうが、最終的には、モチベーションなどの問題も含め、企業にとっても効果的であることが次第に明らかになるようになり、現在では、そのような総合的な個人の成長を支援できるメンター制度を取り入れる企業が増えてきました。

 今回のT社での研修は、こうした、後輩指導にあたるメンターを養成する講座を今回開催する運びになりました。メンバーは13名、1日という短い時間でしたが、メンバーに恵まれて、充実した場となったのではないかと感じております。講座の内容は、①メンター、メンタリングの意味と重要性を学ぶ ②メンターの役割を学ぶ ③メンタリングの基盤となる考え方、哲学を学ぶ ④メンタリングの場で使える実践ツール(ノウハウ)の使い方を学ぶ の4点です。
 1日の講座にしては、内容が盛りだくさん過ぎて、とても忙しいプログラムになってしまいました。受講されたメンバーには、せわしない思いもさせてしまったのではないかと心配しています。ただ、お伝えした内容は、とても実践的で現場での強い武器になるものばかりですので、現場でご活用いただけることを心から願っております。

 メンタリングは、本来は、自然発生的に起こることが望ましいのですが、人間関係が希薄化している現在、人為的に制度として取り入れることが大切だと思います。経費はほとんどかからずに、大きな成果を生み出す方法でもあり、今後も組織の戦略的な手法としてどんどん活用されていくと思います。組織の中に、対話を生み出し、パフォーマンスに大きなインパクトを与える方法を、弊社なりに今後とも広げていきたいと願っております。

こころざしの重要性? (最終回)

 自らのこころざしを実現するためには、そのような厳しい道を歩む必要があることをしっかりと理解して、信念をもって事にあたろう。

 どんなに困難な試練であったとしても、あなたがあきらめずに、前向きに粘り強いく立ち向かっていけば、必ず道は開けてくる。

 ”チャンスとピンチは、準備が整ったものにやってくる”のだ。

 だから、実のところ、立ちはだかった壁がどんなに高いものであったとしても、乗り越えられないものは存在しない。あなたの試練は、あなたが乗り越えられる準備が整ったからこそやってきた。だから、これからもあなたが生きていく上で、あなたが乗り越えられないような困難は、決してあらわれることはない。その意味で、あなたが出会うであろう障害は、あなたにとってのよき教材であり、成長への貴重な踏み台なのだ。

 人は、たいていの場合人が想像している以上の存在である。あなたの可能性は、今は想像できないくらいに大きい。自分の人生を信じて、自分が選ぶ道を堂々と力強く歩いていこう。あなたには、それをやり遂げる充分な力があるのだから。

こころざしの重要性?

 志を手にした者は、自分の輝かしい未来についての青写真を手に入れたことになる。

 あなたが手に入れたその青写真は、とてつもなく価値あるものである。地球上のどんなに美しい建物であっても、最初は、そっけない鉛筆書きの設計図から始まっていることを忘れてはいけない。今は、手書きの頼りないメモのように見えるかもしれないが、それが種となり、芽を出し、茎をのばし、葉を広げ、ついには今は想像もつかないような美しく大きな花を咲かせるのだ。

 ただし、たんに設計図があるからと言っても、それを行動に移さなければ、けっしてその後のプロセスは、展開することはあり得ない。ヴィジョンに向けての具体的な行動への第一歩を踏み出す必要があるのだ。

 その際に、必要となるものが、信念だ。「苔の信念岩をも通す」のことわざどおり、「私のこころざしは必ず実現する」という信念をもって行動に当たれば、必ずいつかは花を開かせることになる。しかし、「夢なんてどうせ実現するはずがない」と信じて事に当たれば、途中で遭遇するはずの困難にいとも簡単に屈服してしまい、素晴らしい可能性への道は閉ざされてしまうだろう。

 夢の実現への道は、平坦ではない。その過程で出会う人や出来事は、礼儀正しいお客さんばかりとは限らないのだ。目の前に立ちはだかるだろう想像を絶する痛みや苦悩、困難は、1度や2度に限ったことではないだろう。世に言われる成功者たちは、このような困難に遭遇したことは、数限りなくあるのだ。成功とは、失敗しないことでも苦しまないことでもない。失敗してもあきらめないことが、最終的には成功につながるのだ。

 人が成長するためには、どうしても「痛み」と向き合う必要がある。苦労が多ければ多いほど、その人の慈悲の深さと、揺るがない前向きな信念と、多くの人を受け入れる広さと度量が育まれてくるのだ。学問に王道がないように、人生にも抜け道はない。試練を潜り抜けてこそ人は大きくなっていくのである。

こころざしの重要性?

<こころざしの重要性 その1(キャリアスキル演習(プレゼンディスカッションスキル演習)最後にあたって)>

 さて、講座の最後に当たって、みなさんに改めて”こころざし”の重要性についてお話したい。

 「私は一体何のために生きるのだろう?」
 この問いは、とても厳しい問いである。いったん問いかけたら、答えが出るまでは、止むことはない。しかし、その問いにだけは、満足のいく答えを出すことなど不可能だ。だからこそ、「何のために生きるのか?」の問いかけは、危険が大きく、立ち向かっていくためには勇気が必要である。しかし、みなさんには勇気をもって、この問いに取り組んでもらいたい。

 難しい問題だからこそ、危険な問題だからこそ、真剣に向き合う時には、強烈なエネルギーと情熱が心の奥底からやってくる。この情熱こそが青春の証なのだ。危険を避けて、どうせ考えても無駄だからと、この問いから背を向けて、流される生き方を選んだ時から、ひそかに老化が始まるのだ。

 「戸を叩け、されば開かれん。」

 聖書の言葉にもあるとおり、問いをかけられたものには、必ず答えはやってくるものである。

 「何のために生きるのか?」この真剣な問いかけの今の自分の答えとなるものこそが”こころざし”である。志は、自分の理想、夢、あこがれ、育みたい人間性、哲学、最高のバージョンの人生である。

なぜコミュニケーションは重要なのか

 コミュニケーションは、パフォーマンスに大きな影響を与えると言われています。

 では、なぜ、そのような生産性の向上や創造性をもたらすのでしょう。
 社会心理学上で、この問題を上手に説明する理論で、「四つの懸念」(ジャック・ギブ)という理論があります。

 この理論では、人の「出会い」は、まさに未来を拓く「可能性」を意味することであり、すばらしい出来事でありますが、しかし、同時に、「出会い」は、「懸念(不安や疑いなどの総称)」をももたらし、それは、どんな人数や文化、集団でも避けることはできないされています。

 ギブは、チームの人間関係の実践研究をとおして、人間にはどのような懸念が発生するのかを調査しました。

 具体的データを集め、仕分けした結果、以下のような4種類の懸念に分類できたので、この理論は、「4つの懸念」と呼ばれています。

<四つの懸念(J.ギブ)>
1.受容懸念
 ・そもそも私は受け入れられるのか?
 ・相手は私を非難攻撃するだろうか?
2.データ懸念
 ・言葉を選ばなくては・・・
 ・ここではどんな話題が通用するのか?
 ・私はどのように振舞えばいいのだろうか。
3.目標懸念
 ・この対話の目的、目標は何か?
 ・自分の目的や目標は競合しないか?
4.統制懸念
 ・相手は私を強制するだろうか?
 ・私は、支配されないだろうか?
 ・誰が仕切るのだろう?
 ・またどのように仕切るのだろう?

 J.ギブによると、数々のグループの調査分析により、グループの成長は、懸念の解消のプロセスと等しいとされています。
 つまり、当初グループに強くあった懸念が解消されていくにつれて、信頼関係やメンバーの自由度が増し、チームとしての生産性や創造性が開発されていくと考えたのです。

 この理論では、チームのもともと持っている生産性や創造性はとても大きいのですが、その懸念が足を引っ張り、チームのもともとの力を麻痺させる阻害要因となっていると考えられます。
 チームの生産性や創造性の源は、チームの外にあるのではなく、チームの中、既に今ここにまどろんでおり、ただ、その懸念がチームの足を引っ張り、チーム力の発揮を阻害していると考えられるのです。
 ですから、私たちが、チームの潜在性を開発し、チームの創造性や生産性を高めるために必要なことは、チームの外にある新たな特別なものを取り込むことや不自然にりきんで特殊なことをするというよりはむしろ、懸念(誤解や不信)を解消すること、お互いに肩の力を抜くことこそ重要な要素であると言えましょう。
 その際、懸念を解消するための方法は、いろいろあるけれども、本質的で最も効果的なな方法がコミュニケーションであるといえるのです。
 なぜならば、懸念は、相互理解をすること以外には、解消されることはないからです。

 信頼関係は、取り繕ったり、テクニックを使ったりして作り上げるものではなく、コミュニケーションを通して懸念が解消されれば、自然に起こることであり、信頼関係が起これば、チームの閉ざされていた潜在能力の扉が開かれ、本来のチーム力が開花し、高いパフォーマンスを遂げることにつながっていくと言えましょう。

 このように、コミュニケーションは、懸念の解消を促進し、信頼関係を育成することを通して、私たちが本来持っている素晴らしい可能性を引き出し、チームの生産性や創造性を高めることにつながると言えるのです。

B動機とD動機

D動機とB動機という概念は、人間性心理学の巨大な哲人A.マズローによるものです。
今日は、弊社の基盤となっている考え方のひとつである”マズローの動機付け”に関する弊社なりの認識をご紹介したいと思います。
マズローによると、人が行動を起こす動機は、大きくD動機とB動機に分類できるとされています。
D動機とは、欠乏動機と訳され、「自分には、何かが足りない」と認識している人が「足りない何かを満たさなければならない」と思い、自分以外の何かを求めてそれを得ようとする欲求を言います。それは、恐怖や不安に基づく動機でもあり、「そうしないと怖いからする」といった焚き付けられるような渇望ともいえましょう。
一方、B動機とは、Be(存在、実存)から来る動機であり、自分自身の内面にある価値を表現していきたいと願う、自己実現の欲求であるとされています。B動機は、欠乏動機を追い求めることではなく、むしろそこから脱して自由となった人に訪れる欲求であり、「本当にそうしたいからする」といったシンプルで自然な欲求であり、健全なチャレンジ精神の根源ともなるので、その人の本来の潜在的な可能性とも言える動機ともいえます。

マズローは、従来の経営管理は、人のD動機に働きかけて、人をうまくコントロールしようとする権威主義的なものが多く、その方法は、次第に機能しなくなるだろうと予測し、これからのマネジメントは、人の本来の力や可能性を引き出すB動機に働きかけるものであるべきであり、そのようなマネジメントこそが、人の本来のすばらしい創造力を引き出すのだと述べています。

マズローは、
『人はだれでも、より高次の価値を体現したいという生まれながらの欲求を持っている。ちょうど亜鉛やマグネシウムを摂取するという生理的な欲求が、生まれながらに備わっているのと同じように。このことは、より高次の欲求や動機付けが生物学的起源を持つことを明確に示している。あらゆる人間は、美、真実、正義といった最高の諸価値を求める本能的欲求をもつのである。この考えが理解できれば「何が創造性を育むのか」が問題ではないことが理解できよう。真に重要な問題とは、「誰もが創造的とは限らないのはなぜか?」ということなのだ。』
『…何世紀もの間、人間性は軽んじられてきた。』
として、人間本来の力を阻害するD動機による支配を明快に批判しています。

そして、『人間が成長するにしたがって、権威主義的経営管理はいっそう深刻な問題を引き起こすようになる。成長した人間は、権威主義的状況の下で実力を発揮することはできず、そうした状況を嫌悪するようになるのだ。』として、個人の成長が、組織や社会のあり方を変えていくであろうことを示唆しています。『…恵まれた状況を経験した人間は、劣悪な状況には満足しなくなる。…人間が成長し、精神の健康度を増すにつれて、競争を勝ち抜く手段として進歩的な経営管理がいっそう求められるようになり、権威主義的経営管理を続ける企業はますます不利な状況に追い込まれる。』と予言し、このことは、学校や宗教団体でもまったく同じことが起こるだろうと言及しているのです。

マズローが予言した状況は、まさに現代が抱えている問題のエッセンスといえましょう。
毎日のように起こる企業の犯罪、問題行動は、やはり、前時代的な恐怖による支配、管理が行われている企業体質に多く発生しており、逆に、コミュニケーションや人間性を大切にしている進化したマネジメントを実践する会社は、ますます成長軌道に乗ってきております。
また、マズローは、『厳格な権威主義的経営管理スタイルから参加型の経営管理スタイルへと移行し、権威による厳格な規制が取り除かれた直後は、無秩序状態が生じ、鬱積していた敵意や破壊性などが噴出してくる。』とも言及しており、進化に伴う痛みについても示唆していますが、今まさに起こっているさまざまな悲劇は、まさに変わろうとしている社会の生みの苦しみなのかもしれません。そう考えると、時代のダイナミズム、大きなうねりを感じます。また、戦争や多くの悲しみの先にあるものは、絶望ではなく、新しい社会の可能性なのかもしれません。

引用「完全なる経営」マズロー 日本経済新聞社