元気と勇気と信頼の回復のために

16人の勇者 3.自然児・隠遁者 B.隠遁者

第3章 ①自然児、隠遁者 

B.隠遁者
――古い自己を失い、孤独の中で真の自己を探し続ける勇者

隠遁者は、孤独が好きな人ではありません。
仕事や人付き合いに疲れて、さぼっている人でもありません。
現実社会に傷つけられて、逃げ隠れしている人でもありません。

隠遁者とは、古い自己を失い、何物でもなくなることを引き受け、
孤独の中で真の自己との再会を待つ人であり、
たった一人でアイデンティティの危機、最も危険な暗闇に立ち向かう勇者です。

隠遁者の多くは、自分が勇者だとは思っていません。
ただ、前の自分で生きられなくなった。
しかし次の自分も見つからない。
その宙づりの状態にいます。
しかし、この状態には大切な意味があるのです。

隠遁者に何が起きているのか?
周囲の人や社会からは、何も起こってないし、停滞し、落伍者のように見えます。
しかし、隠遁者の内側では、静かな革命がゆっくりと進行しているのです。
社会から逃げているのではなく、以前の自分では生きられなくなっている。
「自分はこういう人間だ」
「世界はこうあるべきだ」
「こうすれば嫌われない、こうすれば認められる」
そうした自分を支えていた構造が、根底から崩れてしまったのです。

これは脱皮ではありません。
脱皮なら、古い殻の下に新しい皮膚がある。しかし隠遁者が経験しているのは、新しいものがまだ見えない中で、人生の基軸となっているアイデンティティが崩壊していくプロセスにあります。
さながら、内部の全てが崩壊するさなぎのような状況と言えます。

しかし、さなぎと違うのは、さなぎの場合は、蝶になることが定めですが、隠遁者には、未来が見えません。今の境遇では、蝶になるような奇跡は到底考えられません。そこには、暗さと不安、絶望の気配しか見えない状態であり、羽化は必ずしも成功は約束されていません。

隠遁者は、自分自身や社会の矛盾の中で調子を合わせて生きることを拒絶した人です。それは、自己防衛のための戦略であり、命がけの戦いでもあります。決して勝ち目のない戦いの中で、それ以上戻ることができない限界点まで避難してきて、もう背水の陣です。
隠遁者は、個人の矛盾と社会の矛盾が交差し、羽化して奇跡を起こすか、敗北するかの分水嶺に立つ勇者なのです。

⑴光の側面
外から見ると、隠遁者は停滞しており、何ら成長の気配は見えません。
しかし内側では、少しずつ静かに変化が起こっているのです。
植物は、移動しませんから、なにも変化がないように見えますが、日々、ゆっくりと根を張り、水脈を探し、栄養を蓄えています。
サナギは、芋虫に羽が生えるのではなく、芋虫の在り方が大胆に分解され、根本的に構造が解体されたうえで、まったく新しい在り方に変容していきます。
隠遁者とは、真のアイデンティティとの出会いに向けた熟成期間でもあります。
隠遁者は、古い在り方を超越し、まったく新しい可能性を探るダイヤモンドの原石の状態でもあるのです。

⑵影の側面
しかし、真のアイデンティティとの出会いは並大抵ではありません。
隠遁者の中では、自分の今のありように対して、自分が拒絶した旧価値観による裁き、非難で暴風雨が吹いています。結果、罪悪感、恥、自己嫌悪、絶望の中にあり、決してのんきで楽しく幸せに暮らせているわけではありません。
たっぷり存在する時間を自己成長に向けて使えているわけでもありません。
「どうせバカだから」「誰にも勝てないし」「誰も助けてくれないから」「社会が悪いから」などと、自己防衛のための言い訳、枠組みで鎧を作り、新しい試みにはなかなか手を出せません。
そして、隠遁者は、そういう自分を決して愛することはできていません。どちらかと言えば、消え入りたいという絶望を抱えているかもしれません。
ただ、隠遁者の挑戦していることは、ある意味で死と再生、古いエゴが死に、新しい自分の可能性に目覚めると言う途方もない冒険であり、それを、抜き差しならないところで命がけでその問題に直面させられている状況とも言えます。
いわゆる、とてつもなくつらく苦しい体験をしており、出口は見えません。ただし、古い自分が死を望んでいるとしても、だからと言って、決して多層多面の自分や他人に対して暴力をふるうべきではありません。変わるべきは肉体ではなくエゴだからです。

⑶恐れるもの
また傷つくこと。また挑戦して、失敗すること。また手を差し伸べて、人から嫌われること。そして、自分が何者かわからないまま、世界に晒されること。
勝利の目途もたたないまま、やみくもに戦いに出ることは自殺行為であり、危険から身を守ることは当たり前の戦略です。
また、アイデンティティの喪失は、心理的には死に近い体験です。だから怖い。だから閉じる。それは弱さではなく、崩壊しつつある自分を守るための、正直な反応です。

⑷課題
隠遁者の課題は、元に戻ることではありません。以前よりもっと強くなることでもありません。
まだ生まれていない自分のために、生き延びること。
そして、沈黙に耐えること。新しいアイデンティティが生まれるまで、答えの見えない暗闇の中に留まり続けること。それはまさに、ネガティブケイパビリティの実践です。

隠遁者の使命は、変わることではありません。
失われた自分を探すことでもありません。
孤独の中で、本来の自己が現れるのを待つことです。
自分を超えた大きな生命や真理、ロゴスとのつながりを信頼することです。

My Self、タオ、仏性、真我、ロゴス、…
たくさんの呼び方で呼ばれてきた在り方があります。
それがどういうものかは、いまの五感による認識、エゴによる意識では決して把握することはできません。しかし、今の自分が分からないからといって、存在していないわけではありません。
どちらかと言えば、少し丁寧に、すこし意識的に、すこし粘り強く、今ここと関わることができれば、少しずつ開示されてくるミステリーであり、とても近く、思ったよりも親しい存在なのかもしれません。

隠遁者は、何か新しい存在になるために旅をするのではありません。
本来の自己へ帰るために旅をします。
その旅の中で古い自己は死に、新しい自己が生まれます。
だから隠遁者とは、何者でもなくなる勇気が必要です。
古い自己の死を受け入れ、孤独の中で真の自己との再会を待つ勇者なのです。

⑸お勧めのチャレンジ
・動物と関わる
隠遁者は、アイデンティティの危機を迎えており、たいていの場合、自尊心がボロボロです。しかし、本来自尊心は、can do ではなく being に持つものです。どんなにボロボロな自分にも偉大なる価値がある。そう思える気持ちが自尊心なのです。一人で、そういう心境になりづらければ、時に、仲間に助けを求めることもありです。他人に無条件の愛を期待するのは、慎まなければなりません。自分もできないことを相手に無理強いするものではありません。
その点、動物は、エゴが少なく、愛情も無条件です。どんなにみじめな自分に対しても、しっぽを振って、キラキラした目で抱き着いてきて、大いなる愛を表現してくれます。そうした愛を通して、自分自身への無条件の愛を少しずつ思い出していくことは、決して不可能ではありません。

・瞑想、ヨガ、実践ワーク
瞑想やヨガなどの実践的ワークは、今の自分が自分だと思っている自分を静めて、今は気づけていない自分の可能性と出会うための実践的方法です。やりかたは、いろんなところにいろいろなやり方で書かれていますが、相性の良い、自分がやってみたいと思える方法から取り組んだらよいでしょう。ただし、偶像崇拝、権威主義にはご注意ください。本来の自己探求には、大金や高額な本、宝石、壺は必要ありませんから。自分に頼るのであって、他に頼るのは、隠遁者が拒絶した古いやり方であって、自分が求める道ではありませんから。

・意識的に感謝してみる
隠遁者は、危機の中にあるため、どうしても苦しみや不足、不満に意識が向きがちです。だから、周囲は、みんな敵に見えがちですが、決してそれは真実ではありません。そうしたバイアスを調整するためにも、意識的に感謝の気持ちを持ってみることは大切です。1日の終わりに、一つだけでもいいから、自分と他に対して、感謝の言葉を紙に書いてみる、そして、それを言葉で言ってみる。そうした挑戦は、すこし、今の行き詰まりに風穴を開けてくれるかもしれません。

⑹羽化
隠遁者は、ある日突然変わるわけではありません。
しかしある時、自分でも気づかないうちに、世界との関係が変わり始めます。
以前は敵に見えていたものが、学びに見える。
以前は呪いに見えていたものが、贈り物に見える。
以前は自分を否定していた経験が、自分を育てていたことに気づく。

世界は変わっていません。
変わったのは、自分の見方です。
羽化とは、新しい能力を手に入れることではありません。
本来の自分を思い出すこと、本来の自分の感受性を取り戻すことです。

本来の自分は、今の想像をはるかに超えて偉大な勇者なのです。
だから今の自分だけを見て、自分の価値を決めつけてはいけません。
今のちっぽけで狭い了見では、計り知れない謎が存在するのです。

だから、いまの自分の不完全さを受け入れて、欠点を嘆くのはやめませんか。
隠遁者の使命は、まだ想像すらできない自分のために生き延びることです。
隠遁者の旅は、何かになる旅ではなく、本来の自己へ帰る旅なのですから。