企業と人材記事シリーズ「成功する体験学習の進め方」第5回目「組織開発の実践事例」
2006年9月20日号より6回にわたり「成功する体験学習の進め方」をテーマに産労総合研究所出版の「企業と人材」誌に連載しました。
※以下に掲載している記事は、一部抜粋となります。
組織開発の実践事例
産労総合研究所「企業と人材」2007年1月20日号掲載分
体験学習は、個人のヒューマンスキル・トレーニングだけではなく、組織の生産性や創造性、安全性を高める組織開発にも応用することができます。
今回は、福岡県の歯科医院である『せら歯科医院』で実施した一連の組織開発プログラムの事例をご紹介しながら、体験学習を利用した組織開発の方法と効果について解説していきたいと思います。
なお、この文章は、せら歯科医院の院長、世良健司先生のご承諾を得て書いております。文中には、経営にも関わる情報もありますが、組織開発を研究する方の参考になればとの院長のご好意で、できるだけオープンに発表することができました。体験学習を実施する際には、具体的には、以下のステップが必要となります。
<経営改善プロジェクトと効果>
歯科医業界は、限られた市場の中で、多くの医院が林立しており、猛烈に激しい競争にさらされています。厳しい市場環境の中で存続と成長を図るためには、単に医療技術の改善だけではなく、真の顧客満足の提供、マーケティング、収益性管理などさまざまな経営努力が必要とされています。
せら歯科医院は、平成11年創業のスタッフ12名を擁する地域密着型の歯科医院です。
厳しい市場環境の中にあって、持ち前の誠実さとやさしさ、丁寧な医療方針のもとに、創業以来、順調に業容を拡大してきたものの、2003年に創業以来始めて新規患者数が減少したことを受けて、経営改善プロジェクトに取り組む事になりました。
プロジェクトは、受診システムの改善からスタッフ教育に至るまで多岐にわたるテーマで、ほぼ2年にわたり実施されましたが、その結果、減少傾向にあった新規患者数はX字回復し、2年目に入ってからは、今までにはなかったような急激な新患の増加が起こりました。また、収益性のみならず、従業員の離職率や欠勤率の減少、顧客満足度の向上と言った経営指標の改善が起こり、プロジェクトの終了時には、面積がおよそ2倍の新医院への移転が実現することになりました。
今回ご紹介する体験学習による組織開発プログラムは、経営改善プロジェクトの中の主要プログラムの一つとして、半年間に渡って実施されたものです。
プログラム名は、新しい自分、力強い組織、素晴らしい未来との出会いを願って"Adventure to Encounter(出会いへの冒険)"と名づけられ、1日研修を毎月1回の割合で全5回にわたり実施されることになりました。
<組織開発プログラム"Adventure to Encounter"概要>
本プログラムのねらいの体系は、下図のとおりです。
プログラムの目指すもの、最終ゴールは、せら歯科医院の経営改善の達成と経営戦略の実現につながることであり、そのために「お互いに知恵を出し合ってより良い職場を作る」ことが本プログラムの位置づけ、テーマとなります。
そのような職場を作るためには、「1.知恵を出し合える職場をつくること」「2.主体的に職場を改善すること」が必要となりますが、その2点がそのまま本プログラムのねらいとなります。
また、ねらいの実現のために、本プログラムでは、5つの下位目標を設定しており、その項目は以下のとおりです。
@組織開発を促進するリーダーを養成する。
Aコミュニケーションを学びチーム力を高める。
B自分らしく輝いて生きるために必要な要素を学ぶ。
C組織力を高めるために必要な要素を学ぶ。
D自ら学び成長する職場となる。
それぞれの目標は、それぞれそのまま1日の研修テーマとなり、1ヶ月ごとに実施されました。半年にわたり、全5回にわたるプログラムの中で、研修⇒目標設定⇒日常の仕事での実践⇒ふりかえり⇒研修といったサイクルをまわしながら、学習と実践、仕事上の改善を同時並行的に行うという展開となったのです。
全5回分の研修の概要は、以下のとおりです。
<1日目「組織開発リーダーを養成する」>
組織開発プログラムを効果的に展開するためには、単に研修だけを繰り返すのではなく、研修で学んだことを、現場で実践し、職場をよりよく改善していく成長のプロセスを促進する必要があります。本プログラムでは、すべてに先立って、この職場改善を促進するコアとなる人材としての組織開発リーダーを養成するための研修を初回に実施しました。
参加メンバーは5名であり、医院のリーダーとして、自分自身をふりかえり、リーダーシップを学び、主体的にプログラムに取り組めるように、趣旨と概要を理解して、学んだことを現場にどう生かしていけるのかの指針を決定しました。
研修の内容は、大きく3つのテーマに分かれておりそれぞれで使った体験学習の実習と学習内容は、以下のとおりです。
@自信と誇りの重要性
「リーダーにとって最も大切な要素の一つが自信と誇りであること」、「部下の人間性を尊重し、部下の自信と誇りを育むことこそが、リーダーの最大の仕事であること」について学びます。使用した実習は、「私は誰?」であり、「私は〜である。」と言う文章を時間内で出来る限り書いてみることを通して、自分の自己概念のあり方を振り返ることができます。実習を通して、例えば、自分は自分に対して意外に手厳しく自己否定的であること、などについて気づくことができました。
Aリーダーシップの定石
「リーダーの仕事には、押さえておくべき定石があること」「その定石の具体的内容と自分自身の強みと弱み」「信頼関係を育む質の高いコミュニケーションとしてのフィードバックと自己開示」について学ぶステップです。
実施した実習は2つあり、一つは、「洞窟の狼」です。これは、リーダー役とフォロアー役が協力して課題を解決する事を通して効果的なリーダーシップに必要な要素を学ぶ事のできる実習です。リーダー役には、チームの課題となる図形の完成図が渡され、フォロアー役には、図形を作成する素材となる紙片が渡されます。両者のやり取りを通して、紙片を組み合わせて課題の図形をつくる展開となります。実習を通して、普段意識はしないけれども効果的なリーダー行動や注意すべき点などに気づくことができるのです。
2つ目の実習は、「15人の勇者」です。これは、グループメンバーがそれぞれの鏡になって、自分に映った相手の姿をフィードバックし、また、相手に映った自分の姿を聴く実習です。実習を通して、メンバー相互の気をつけるべき点や、意外に大きな存在としてお互いを受け入れて大切に思っていることなど、多くの気づきが起こり、相互の深いコミュニケーションと相互理解、信頼関係が促進されることになりました。
B組織開発に向けての指針を作る
組織開発プログラムの全体像について解説し、その趣旨と計画について解説をしたうえで、本プログラムを展開していくに当たって、その推進リーダーとしての指針と行動目標をグループ討議で検討し、設定するセッションです。
話し合いを通して、医院を変えて成長させるのは自分たちであるという自覚を得て、現場改善への第一歩を踏み出すことになりました。
<2日目「コミュニケーションを学びチーム力を高める」>
医院のスタッフ全員を対象とした第一回目の研修です。テーマは、コミュニケーションの改善とチーム力のアップであり、さまざまな体験を通して、コミュニケーションの重要性と改善ポイントを学び、せら歯科医院全体としてのチーム力の向上に取り組むことになりました。
具体的には、以下の3つのステップで学習を進める展開となりました。
@コミュニケーションの重要性を学ぶ
「コミュニケーションは、21世紀の重要な経営課題の一つであること」「コミュニケーションが信頼関係を促進し、信頼関係はチームの無限の力を引き出すこと」について学ぶステップです。
実施した実習は、「絵によるコミュニケーション」です。言葉を使わずに絵によってコミュニケーションを図ろうとする実習です。メッセンジャーは、所定の言葉を懸命に絵で伝えようとし、メンバーは、集中してメッセンジャーが何を伝えたいのかを聴こうとします。双方の努力が実ってコミュニケートできたときに答えが出るのです。皮肉ではありますが、言葉を使えないからこそ集中度の高いコミュニケーションが実現し、次第に親近感やチームとしての凝集性が高まり、結果的に「初恋」のような抽象度の高い言葉でも意外に簡単に絵によって伝えることができるようになります。
実習を通して、チーム力を高めるためには特殊なテクニックではなく、お互いにコミュニケーションをとること、過度な緊張や懸念を解くことが大切であることや、信頼関係がチームの大きな可能性を引き出すことなどを学ぶことが出来ます。
Aコミュニケーションの改善ポイント
コミュニケーションの改善のために必要な事柄を学ぶセッションです。ここでは、実習「ポスターを復元せよ」が使用されました。
これは、グループメンバーが断片的な情報を持ち寄り、情報を整理統合して課題を解決していく実習です。課題を解決する事は大変難しく、コミュニケーション、リーダーシップ、問題解決法、などのさまざまな要素がうまく作用してく必要があります。実習を通して学習の素材となる多くの出来事が起こり、効果的なコミュニケーションのために必要なことの多くを、単なるお題目としてではなく、実感を伴った形で気づき、学習することができました。
Bせら歯科医院をより強いチームとするために
今日学んだ一連の事柄を、どう職場に生かしていくのかを検討するセッションです。
具体的には、「せら歯科医院をより強いチームとするために必要なこと」をテーマとしたグループディスカッションを行いました。
日常の職場の課題や問題点をどう改善していくのか、より強いチームとなるためにどんなことが必要なのかについて活発に話し合いが行われ、実践行動目標と計画が設定されて、日常の仕事に生かされる展開となりました。
<3日目「自分らしく輝いて生きる」>
医院全体が輝くためには、働く個人個人が輝く必要があるという哲学の基で、個人が「自分らしく輝いて生きるために必要な要素を学ぶ」ことをテーマとして実施した研修です。
大きく2つのステップからなっており、内容は以下のとおりです。
@自己探求
ちょっと立ち止まって自分自身を見つめてみるセッションです。セッションを通したメッセージとして「自分と人生を大切にする責任があること」「ものの見方、考え方が、人生に大きな影響を及ぼしていると言うこと」について学ぶことになりました。
自分への旅を進めるにあたって、自己分析ツールを使用しました。体験学習では、学習者の体験を整理したり、現状分析を促進するために、記入用紙や分析ツールを使用することがあります。記入用紙は、一般的な調査アンケートとは違い、学習者の学習を援助するために使用されるので、回収されたり、他の用途で使用されることはありません。あくまでも学習者の財産として活用されることになります。
ここでは、「自己効力感分析」「ファイブ ファンクション」の2つを利用しました。自己効力感分析では、自分に対する自信の程度、ものの見方や考え方の現状について、ファイブファンクションでは、"本音の私"と"表現している私"について分析を進めていくことができます。2つの分析を通して、今の自分自身の生き方、職場や家庭での自分の姿について、改めて客観的に振り返り、自分自身の課題や取り組むべきテーマを検討することができました。
A私のキャリアヴィジョンをつくる
私が生きていくうえで実現したいこと、本音の目標を設定するセッションです。一定の方法にのっとって、力強いヴィジョンを描いていくことになりました。
<4日目「組織力を高める」>
組織力を高めるために必要なポイントを学ぶことをテーマとした研修です。
ここでは、経営シミュレーション実習「アトランティックプロジェクト」を使用しました。この実習は、"アトランティックプロジェクト"と呼ばれる謎の仕事をめぐって、起業し、組織編制を行い、戦略を練り、経営計画を立て、プロジェクトを遂行し、損益計算書を作成し、決算をすると言った一連の企業活動のシミュレーションを展開する大掛かりな組織実習です。
自分たちの手で企業を起こし、製造活動を展開し、決算するといった経営シミュレーションを体験することを通して、経営の全体像、効果的組織運営の方法、リーダーシップ、協働の重要性、PDCAサイクル、意思決定のあり方、企業財務の仕組みなどについて学ぶことが出来ます。
メンバーは、楽しみながら熱中して、経営の全体像を学び、より高い視点や目的意識を持って医院の活性化に取り組んでいくために必要なことを体得することができました。
<5日目「自ら学び成長する職場となる」>
一連のプログラムのまとめとして、せら歯科医院が「自ら学んで持続的に成長できる組織」へと変容を図っていくためのヴィジョンと行動計画をつくる研修です。
まずは、組織風土の現状を知るために、組織風土診断を実施しました。調査の結果、数値的には、ハイ・パフォーマンス・レベルと言う、高い生産性や創造性、収益性など結果が出ている組織の多くが属している領域に入っていることが分りました。
また、風土の特徴として以下のような傾向が上がってきました。
「仕事をすることに情熱を感じており、そのような仕事が出来ることに感謝している。メンバー相互に基本的な信頼関係が醸成されており、良いチームである。しかし、未来への方向性や患者さんとのかかわり方、提供すべきサービスなど、方針やヴィジョンを明確にしきれていない部分があるので中心軸がゆれることがあり、メンバーの自分自身に対する自信の程度が低いこともあいまって、好調時には問題なく大きな力を発揮していけるけれども、一旦躓くと、意外に粘り強さに欠ける弱さもある。」
このような現状を踏まえ、成長への目標、中心軸となるヴィジョンや理念をつくることになったのです。参加メンバー全員が知恵を出し合い、今まで学んできた事柄をもとに、飾らない本音の言葉で書き綴っていった結果、せら歯科医院のクレド(信条)が完成しました。文章は、決して特別なものではありませんが、シンプルかつ正直で、実に力強く輝いたものとなりました。
<プログラムの効果と展開>
このプログラムを終了した後に、世良健司院長より以下の感想を頂いております。
「当初は、研修のテーマが抽象的であったので、半信半疑な面もありましたが、実際に研修を実施してみて、メンバーのコミュニケーションの改善、個人のやる気の向上、個性を生かした役割分担、目標設定と実践行動など具体的な改善があり、当院のテーマとしていた"人財の育成""コミュニケーション力の上達"を本当に実現できたと感じています。また、研修の効果は、単にチーム力の向上という以上に、患者さんとのコミュニケーションの改善や患者さんの満足につながっており、その結果、具体的な経営的効果として現れています。」
感想は、体験学習による組織開発が、単なる風土改善だけではなく、経営の成果にまで効果を出す可能性を示唆しています。
また、このプログラムのあと、せら歯科医院では、スタッフが自ら勉強会を開催し、コミュニケーションや職場改善についての実践学習を展開するようになりました。自主学習の効果分析のために1年後に改めて組織風土診断を実施したところ、自己効力感指標が3.5%、組織風土指標が1%改善し、わずかながらも着実に自信を高め、良い組織風土を育んでいることが分りました。プログラムをきっかけとして、せら歯科医院は、自ら問題を発見し改善を図っていく学習する組織としての特徴を身につけていくことになったのです。
まさに、体験学習が、自ら学び、自ら成長する最強組織を生み出すきっかけとなったと言えます。体験学習は、組織開発の領域において、素晴らしい可能性を持っているといえましょう。