企業と人材記事 シリーズ「成功する体験学習の進め方」第2回目「体験学習の歴史とその背景」
2006年9月20日号より6回にわたり「成功する体験学習の進め方」をテーマに産労総合研究所出版の「企業と人材」誌に連載しました。
※以下に掲載している記事は、一部抜粋となります。


体験学習の歴史とその背景
産労総合研究所「企業と人材」10月20日号掲載分
<体験学習の原点>
体験学習の歴史は、K.レヴィン(Lewin,K,.1890−1947)の活動に端を発しています。
レヴィンは、社会心理学の偉人であり、小集団の人間関係(コミュニケーション、リーダーシップ、信頼関係など)がそのパフォーマンスに大きな影響を与えているだろうとの考え方をもとに、多くの小集団の実践研究を展開し、グループダイナミクスと呼ばれる小集団の社会心理学の分野を創始しました。
彼の研究を通して発見された理論や方法は、大変効果的で有用なものが多く、『アクション リサーチ』『力の場の理論』など、現在でも多くの理論や技術が活用されています。
その技術の中の1つに、Tグループと呼ばれるヒューマンスキルに関する学習方法があり、体験学習は、そのTグループを基にした学習方法です。
以下、今回のテーマである体験学習の原点となっているTグループについて、その歴史と実際を記して行きたいと思います。なお、以下の記述は、私が、故柳原光先生(日本におけるTグループ発展の草分け)はじめラボラトリーメソッドに関わる様々な諸先生より教えていただいたことや本で学んだことを基にして、私が理解している内容を書かせていただいております。
<Tグループの誕生>
Tグループは、1946年夏、コネティカット州ニューブリテン市の州立教育大学で、コネティカット州教育局人種問題委員会とマサチューセッツ工科大学集団力学研究所共催で開催されたワークショップ「公正雇用実施法の正しい理解とその順守を促進する地域社会のリーダー養成」での偶然の出来事に端を発しています。
当ワークショップの参加者は、ソーシャルワーカー、教育関係者、産業界の人や一般市民で、「人種差別をなくすためにはどのようなことが必要なのか?」についてのテーマのもとで、グループ討議やロールプレイングなどでプログラムが展開してくことになります。
レヴィンは、そのワークショップがより効果的に運営されるように、他の研究員と共に、スタッフとして参加したのです。
さて、一日目のプログラムが終わった後、Tグループ誕生の発端となる出来事が起こります。
初日のプログラム終了後、K.レヴィンの発案で、グループの状況をより正しく認識するためのスタッフミーティングが行なわれました。話し合うメンバーは、もちろんスタッフですが、そのミーティングに興味を持っている数人のワークショップに参加している受講メンバーが、スタッフミーティングに参加することを希望し、傍聴者として参加することを許可されたのです。
ミーティングでは、当初、ワークショップ中にグループ討議をしているときのメンバーの言動や様子、感情の動き、リーダーシップやコミュニケーション上の出来事に関するさまざまなプロセスの観察報告がなされていました。しかし、観察データの報告の最中に、そのミーティングを傍聴していたワークショップ参加メンバーから、報告されていた観察事実の解釈に対して異議が唱えられたのです。それをきっかけに、観察報告だけではなく、グループ討議の中で起こっていたワークショップ参加者の生の体験や本当に感じたこと、気持ちが開示されるようになり、人間関係のありのままのプロセスについて、さまざまな人から意見が出てきて、結局は、リーダー、調査研究者、メンバー全員が、一堂に会して、3時問にも及ぶ討議となったのです。
報告された観察事実の解釈の一例を挙げると以下のようになります。
「午前10時、X夫人はグループリーダーに攻撃を加えた。Y氏はリーダーの弁護につとめた。そのため、X夫人はY氏と激論を戦わすことになった。また他のメンバーの中には、この論争に巻き込まれてどちらかの味方をするはめになった者もいた。他のメンバーは恐怖を感じ、2人の激論を平穏におさめようと努力しているように思われた。しかし、それも激論中の2人からは無視された。10時10分、リーダーは、激論のために忘れられていた話題に注意をひきもどした。X夫人とY氏は、その後の討論でも互いに反駁しあった」。 『人間関係トレーニング』(津村俊充・山口真人編 ナカニシヤ出版)P11より引用
このような観察報告に対して、グルーブメンバーが体験した感情や心の動き、他者や出来事に対する自分の認識や反応などのデータを率直に出し合って、その場で起こっていた本当のことをオープンにして、全員がありのままに認識することができるようになってきたと同時に、以前のグループ討議のことではなく、今ここのスタッフミーティングで起こっているプロセスにも焦点が当たるようになり、今ここで感じているお互いの正直な気持ちが開示されると同時に率直なフィードバックが行われ、コミュニケーションが深まることを通して、メンバー同士の深い相互理解が起こったのです。
この出来事は、メンバーにとって、人種差別をなくすこと、人間尊重、相互理解や相互信頼ということについて、体験を通した深い理解と学習を促進し、メンバーやスタッフにとって非常に大きなインパクトを与えると同時に、貴重な学習の機会となったのです。
レヴィンや参加メンバーは、この出来事を通して、人間関係やグループの学習は、既に一般化された知識や概念の学習よりも、"いまここ"の場で起こっているリアルな体験を学習素材に用いる体験学習の方が、はるかに効果的であることに気づいたのです。
この出来事がヒントになって、レヴィン没後、翌1947年夏、メイン州、ベセルにおいて、前記ワークショップと同じトレーニングスタッフで、3週間のセッションが開催されました。
このプログラムは、BST(Basic Skil Training)とよばれ、翌年の1948年以降は、NTL(National Training Laboratories)が主催し、"Tグループ"と呼ばれるプログラムとして、開催されるようになりました。
以後、Tグループは、様々な技法を取り入れて、ラボラトリーメソッドと呼ばれる教育技法として、全世界に広がっていったのです。
<参考文献>
「TグループQ&A(1990年3月)」 星野欣生 『人間関係』南山短期大学人間関係研究センター刊
「人間関係トレーニング」 津村俊充・山口真人編 ナカニシヤ出版
<日本におけるラボラトリーメソッド>
日本におけるTグループは、1958年に清里において開催された2週間にわたるワークショプが、初めてのものとされています。
このワークショップは、世界キリスト教協議会主催の「教会における集団生活指導者研修会」というテーマの研修会であり、アメリカ、カナダのトレーナーのもとに開催され、成功し、さらにその後、1960年に第二回目のTグループが開催され、多大の成果を収め、ラボラトリー方式による教育方法が極めて効果的であること、革新的で今後の教育にとって価値が高いことが強く認識されることになりました。
それらの研修の成功を受けて、1962年4月に立教大学内の一機関として「キリスト教教育研究所(通称 JICE(ジャイス):Japan Institute of Christian Education of Rikkyo University)」が設立されました。
日本におけるTグループやラボラトリーメソッドによる教育技法は、このJICEの活動が中心となって広まっていくことになったのです。
その時のJICEのリーダーは、柳原光先生であり、私もご指導をいただいた先生です。
柳原先生は、気高くフェアーであり、不正には厳しく、また人間には優しく、自らがクリスチャンでいらっしゃったので、背景にキリスト教の人間哲学をしっかりと基盤に置かれてプログラムを運営されていました。
私自身は、組織宗教には縁が無く、クリスチャンではないのですが、人間関係の本質は愛であること、人間存在の価値は途方も無く大きいこと、といった哲学を柳原先生の生き方やラボラトリーのプログラムから教えていただきました。残念ながら柳原先生は1994年1月にご逝去されていますが、先生から教えていただいたことは今の私にとって貴重な宝であり、先生の哲学は、今でも私自身の仕事の根底に流れています。
さて、当初、そのようないきさつで、日本におけるTグループは、キリスト教の聖職者の方々を対象として立ち上がってきたのですが、その後、産業界においても、従来にない学習方法であることや、行動変容を促す実践的な方法であることが注目され、企業研修などに取り入れられて、大きなムーブメントを巻き起こすことになりました。
しかし、大きなブームの中で、一部コンサルタントや業者などにおいて、ラボラトリーメソッドの原点となっている哲学である「人間尊重」の人間観や「共に学ぶ」教育観が欠如した、時には、洗脳的な操作や支配が横行し、STや自己啓発セミナーなど、社会問題ともなったのです。
この問題は、現在でも続いており、このようなメソッドを安易に利用したコンサルタントやセミナー会社、業者で、問題視されているところも少なくありません。
臨床心理学者カールロジャーズがラボラトリーメソッドを「今世紀最大の最も将来性のある社会的発明」と評したほど、ラボラトリーメソッドには、可能性と効果性を秘めていると言えるのですが、諸刃の刃であり、反面、使い方を間違えると、"人の心"を扱う方法であるだけに、大きな問題を起こしてしまう可能性は否めません。
歴史的な経緯からも、ラボラトリーメソッドを運営するファシリテーターは、真摯な姿勢と哲学と注意深さが必要といえましょう。
<Tグループの実際>
Tグループは、「人間関係スキルの向上、個人の人間的成長、グループスキルの向上」などを目的として開催される集中セッションであり、通常5泊6日程度の合宿で開催されることが多いといえます。
下図は、私が受講したTグループの実際のスケジュールです。
主催:南山短期大学 人間関係研究センター
日時:1990年9月14日〜19日
場所:御岳名古屋市市民休暇村
プログラムは、主に、Tセッションと呼ばれる80分にわたる集中セッションが、休憩を挟んで1日4回程度繰り返され、6日間全体で、おおよそ14回程度開催されます。
Tセッションでは、椅子だけが人数分円形に並べられており、ファシリテーターとメンバーは、自由に着席します。
討議内容は、何も決められておらず、すべてがその場で起こったことを元に進められていきます。学習の素材は、「いまここ」であり、今ここで起こっていることがらや人間関係、ダイナミックスを個々人が言語化して、お互いに対話することを通して理解を深めていく展開となるのです。ですから、そこで話し合われる内容は、過去の出来事や末来の対策ではなく、まさに、今ここにいるメンバーに対して感じていること、自分の気持ち、気づきが話し合われることになります。
主に、昼食後の午後一番には、Gセッション(全体会)と呼ばれるセッションが実施されることがあります。Gセッションとは、Tセッションとは違った状況の中で、プロセスへの理解を促進するために実施されるセッションで、あらかじめ構造化された実習やツールを使用して自分について、自他の影響関係について学ぶことになります。実習は、たいていよく工夫されており、刺激的で、楽しいことが多く、グループで起こっている人間関係やダイナミックスが浮き彫りになり、探求しやすくなることが多いといえましょう。
<私のTグループ体験>
Tグループは、構造はとってもシンプルですが、その中で起こるドラマ、気づき、学びの深さと価値の高さなど、なかなか言葉では表現しづらい非常に印象的なプログラムとなることが多い方法です。ここでは、Tグループの実際をご理解いただくひとつの参考として、私自身が体験したTグループの体験を記して行きたいと思います。あくまでも個人の体験で、一般論ではありませんが、Tグループの特徴と効果を知る手がかりとしていただければ幸いです。
実は、私は、もともとは人嫌いであり、どちらかと言うと引きこもりがちな性格でした。
「自分は、本性がばれたらきっと嫌われる」「人は、意地悪でいやなやつだ」「弱肉強食の世の中、人間関係の本質は戦いである」…
自分の本性がどんなことかも分からずに、そのような考えを心の奥深くに秘めながら、本音を隠して演技をし、強がりながら生きていたように思います。
そのような私でも、さまざまな体験を経て、心に深く根ざしていた呪いともいえるネガティブな信念が融け、少しずつ生きやすく、楽になってきたように思えます。
きっかけとなった出来事や気づきは、たくさんあり、どれも大切な宝物なのですが、決定的だった体験の一つが、まさにTグループでした。
私が受けたTグループは、南山短期大学人間関係研究センターの主催するプログラムであり、1990年の夏に木曾御嶽山のふもとの大自然の中にある研修所で、5泊6日にわたって実施されました。ファシリテーターは、南山短期大学の山口真人先生他1名、参加者は、ファシリテーターやスタッフも含めて10名でした。
初日の第一回目のTセッションの際、ファシリテーターから全体のねらいと方法論がざっくりと説明されたあと、「では始めましょう」と放り出されるように開始してから、誰も何も話さず、身じろぎ一つできないような沈黙がしばらく続きました。沈黙の中で、何ともいえない不安感と恐怖を感じていたことを良く覚えています。最初のうちは、そのような懸念は、私だけではなくメンバー全員が感じていたようで、緊張しており、固くぎこちない不器用で手探りの対話が途切れ途切れでなされていました。
しかし、回を重ねていくうちに、次第に肩の力が抜け始め、落ち着いて自分の心や場に関心を向けることができるようになっていきます。それと同時に、話す話題や内容は、"今ここ"で感じていることなので、自分の内面で体験している出来事と、他のメンバー同士で話されている内容が一致するようになってきて、その場で起こっていることが、誤解無く、とても良くわかるようになってきます。
そのような状況になってからでしょうか、突如私は、「私は、今ここで、何も演技をしていないし、うそをついていない」ことに気づいたのです。今までは、「何かうそをついたり演技をしたりしないと、本当の自分がばれて、嫌われてしまう」という不思議な思い込みがあり、全くの無防備で警戒の無い本音で素の自分を出すことなど、人前ではありえなかったのですが、そのときは、何の意図も無く、何の構えも無く、自然に素の状態でいる自分を発見したのです。
ささやかなことかもしれませんが、私にとっては人生がひっくり返るような出来事でした。なぜなら、素のままの自分は、嫌なやつではなかったし、メンバーからも受け入れてもらっており、そのメンバーの気持ちにうそが無いことが本当に分かったからです。
何と、自然でありのままでいる自分は、決して捨てたものではなかったのです。
そのような気づきが起こった時、私の心の中で、暖かい感動が起こり、とってもうれしく、元気が湧き起こってくるのを実感したのです。
その回をきっかけに、私のTセッションは、とっても自由で開放的で基本的には恐怖や不安を感じない、信頼のおける楽しい場に変わっていきました。
そうこうしているうちに、不思議な体験もするようになりました。円座になって座っているだけで、メンバーの気持ちや感情が手に取るように分るようになったのです。1人に関心を向けると、そのメンバーの気持ちが私の胸の中に流れ込んでくるような体験が起こるのです。その気持ちを相手のメンバーに言葉で確認すると、本当にそのような体験をメンバーがしていたことが確認でき、私の体験に間違いが無いことが分かりました。
この体験は、言葉で言うと「人の気持ちが分かる」という何ともそっけない言葉になるのですが、そのときの私の心境は、衝撃的でした。人の気持ちが本当に共感できるものであることを生まれて初めて知ることができたのです。まさに、豊かな社会的感受性と言えるのでしょうか、Tグループのめざすテーマを体感した瞬間でもありました。
また、何よりも驚いたのは、そのような状況になったとき、人間関係は、戦いではなく、暖かく優しくやわらかく私を包み込んでくれるものであり、つまらなくうっとうしくわずらわしいものではなく、躍動的で生き生きとしており、この上なく興味深く、私に生きる元気を与えてくれる尊いものであると実感したことでした。
これは、今まで私の生き方をある意味規定していた否定的な信念とは完全に相容れない体験であり、世界観がひっくり返る危険な体験でもありましたが、しかし、私は、そのような信念よりも、今感じている喜びや実感のほうが、絶対的に真実に近いことを直観しておりました。理由は分かりませんが、何か、本当のこと、人間関係の真相に触れることができたと言う確信が起こり、私の心の奥深くで、世界が変わったのです。
そのような体験を経て、私自身は、現在は、コンサルタント会社を立ち上げ、ラボラトリーメソッドによる気づきや学びを支援する教育をライフワークとしています。ですから、Tグループでの体験は、今の私の原点のひとつでもあり、私の人生を導いてくれた、とても大切で価値あるものだと言えるのです。
<体験学習の運営上の留意点>
ここで言う体験学習は、このTグループをベースにして応用した学習方法です。
現実的に長期の研修ができない企業や組織の事情を背景に、もっと短時間で効果的な方法をという現場のニーズに応える形で、主に、Tグループにおける午後一番で実施される構造化された実習を元にしたGセッションを中心として構成しなおし実施するようになったプログラムが、体験学習へと発展していったのです。
体験学習は、単なる知識による学習ではなく、体験を通して人の内面に触れ合う、ハートに響く学習方法でもあります。そのあり方によっては、人の人生に大きな影響を与えるような素晴らしい気づきや学びを提供することもできますが、反面、人の心に関わることでもあり、前述の歴史上の失敗もあり、その運営には、非常に慎重な姿勢と注意深さが必要であると考えております。私どもでは、南山短期大学前副学長の星野欣生先生に以前私が教えていただいた哲学をもとに、体験学習の運営上の留意点を以下のように考えております。
1.ともに学ぶ
・ファシリテーターは、権力者ではなく、学習者とともに学ぶ存在であり、学習の援助者、促進者である。
・参加メンバーの言動、気持ち、あり方は、参加メンバーが主体的に自由に決定するのであって、ファシリテーターは、その主体性と自由を尊重すべきで、決して強制したり、支配しようとしてはならない。
・主役(主体)は、参加メンバーであって、ファシリテーターではない。
2.操作しない
・気づかせたいことに向けて誘導したり、罠にかけるようなことはしない。
・作為、不自然さ、小細工などは、最終的にメンバーに伝わることが多く、共感されない。
3.評価しない
・評価は、前提として"あるべきモデル(正解、価値)"を基準としているので、評価することは、結果的にそのモデルを相手に押し付けることにつながってしまうが、体験学習の場合は、体験を通してメンバーが自由にあり方を探求する場であるので、押し付けはすべきではない。
・期待や評価をすることは、結果的にメンバーを支配することにつながってしまい、メンバーの自分らしいあり方を探求する可能性をつぶしてしまう。
・「答や正解はファシリテーターサイドが持っている」という思い込みは、厳に慎むべきである。人間関係のことは分からないことが多く、だからこそ謙虚に体験から学ぶ必要があると言えよう。
4.個性の尊重
・メンバーの個性は最大限尊重すべきであって、決して虐待したり、粗末に扱うべきではない。
・違いは、好ましいことであって、矯正すべきものではない。
・体験学習のねらいは、個性的で自分らしい生き方を後押しすることであって、画一的な生き方や態度を教え込むことではない。