新年を迎えた日本は、コロナウィルスの感染拡大で揺れています。菅総理大臣は1都3県に緊急事態宣言の発令を決定し、これから私たちの生活にどのような影響が出るのか戦々恐々とした雰囲気が漂っているようにみえます。
具体策の一つとして、飲食店の営業時間を20時までとする、罰則規定を設けた規制が行われるようです。罰則規定が設けられるという点について、緩やかな規範の下にやってきた方針の大転換だと問題視する意見がマスコミや識者と呼ばれる人たちから出ています。なんとか年末年始は乗り切りましたが、今後一定期間は継続的に感染者数が増加することは避けられそうもないので、医療機能不全を回避する対処療法的な対策と、先々を見据えた感染拡大抑止策の両面から舵取りをしなければならない政府には、非常に高度な判断が求められます。
日本の場合、残念ながら問題が大きくなってしまった訳ですから、まずは顕在化した問題への対応に優先度を上げて取り組まなければなりません。このような状況に陥るとモグラ叩きゲームのようになった医療現場は疲弊し、人は離れます。よって、目下、最も重要なことは、医療機関からの医師、看護師の離反を防ぐということで、その一点にあらゆる手段を講じなければなりません。それが出来ているのか、いないのか、連日テレビに出演している医師の話しを聞くと、十分な対応が出来ているようには見えません。それよりも、人々の関心が、飲食店の営業時間短縮や、ワクチンの安全性に向いているようです。それは、政府が正しい情報を提供し、人々の素朴な疑問に真摯に応える等して、適切に導いていないからではないかと思います。
台湾のコロナウィルス感染対策の先頭に立つIT担当大臣のオードリー・タン氏が、NHKの特集番組のインタビューに答えていた次の言葉が印象的でした。
「感染対策で最も必要なことは、政府が国民を信じる(Trustする)ことです。信じれば、国民が政府を信じ返して(Trust backして)くれる。」
相互の信頼関係が台湾のコロナウィルス感染対策の理念になっていること。その点の圧倒的な不足が、日本の対応を迷走させ、いつまで経っても国民に納得感を与えられない真因だと、私は感じています。
さて、本題に入ります。前回の松下幸之助さんに続き、もう一人の昭和を代表する名経営者であった「本田宗一郎さん」の金言と、私が考えた3つの、「創発が生じ、イノベーションが産まれる条件」と符合するか、検証したいと思います。
参考にしたのは、前回同様、週刊東洋経済のバックナンバーです。「インタビュー本田宗一郎1973年9月1日 3758号「わが退陣の弁 もう若い者の時代」です。
このインタビューは、本田宗一郎さんが、本田技研工業創立25周年を機に、副社長の藤沢武夫さんと一緒に経営の第一線から退く意図を明らかにしたことを受けて行われたものです。本田さん66歳、藤沢さん62歳だった当時、決して老齢というわけでもなく、しかも、創業者社長の去り際があざやかだともてはやす記者(インタビュワー)の言葉に対して、本田さんは何と答えたでしょうか。
「人間はなま身なのだから、いつ、どうなるかわからない。事故や病気で明日にでも死ぬかもしれない。だから、われわれがいなくても経営できるようにしておくのが、株主や従業員に対する義務だと思うんですよ。経営者というのは“かけがえのない人”であっちゃいけないんだ。その経営者が急に死んでも、ちゃんと経営ができるようにしておくというのが、経営者の役目だと思う。」
と言っています。これが、本田さんの基本的な考えです。
だから、
「こういう考えで、藤沢副社長と二人で早くから後継者を育ててきたわけです。そして、後継者が育ってきたら、私たちは早くバトンタッチすることがいい。」
として退任を決めたようです。
その準備は退任の10年程前から、「重役会にほとんど出なかった」という行動から一貫していたようです。
そこで、【条件①:トップがメンバーに自分の考えを押し付けない】に関連したことを、本田さんは次のように語っています。
「なぜ(重役会)に出ないかというと、私でも副社長でも、出席して「こういうふうにしたらどうだい」と役員たちに相談をもちかけると、こっちは相談のつもりでも、相手は命令と受け取っちゃうんですね。だから、われわれは出席しないで、若い役員たちだけで議論をしてもらう。(中略)こういうことをやってきたから、うちは若い人がどんどん育ってきたわけだ。」
私は、人材育成担当者の交流で、青山の本田技研工業の本社で人事部の方から話しを伺ったことがあります。本田さんが引退され、お亡くなりになられて数十年も経つのに、社員一人一人のやる気と、強みを発揮する環境の醸成を第一に取り組む、「ホンダイズム」が脈々と受け継がれていることを目の当たりにしました。
例えば、これはどこの会社でも同じですが、「上司は部下を育てる役割」を担っています。そして、たいていの企業では、部下育成の取り組みを人事評価基準に入れる等、対策を講じますが、ホンダではもっと根本的に、「上司が部下を育てない原因」を徹底的に考え抜いて対策を講じたそうです。
お名前は失念しましたが、人材育成の責任者の方は次のようにおっしゃっていました。
「上司が部下を育てない理由は、優秀な部下に依存してそうでない部下に頼る必要がないからです。だから、ホンダでは優秀な部下を抱え込まないようにするために、高い人事評価を与えられた社員(部下)は、一定期間を経過すると他部門に異動させなければならない、という厳格なルールがあります。そのため、上司は、4番打者はいずれいなくなると分かっているので、次の4番打者、さらにその次の4番打者の候補を育てざるを得なくなり、自然に人材育成が促進するのです。」
この言葉はまるで、「重役会に出ない」ということを自らに課し、次世代に任せて育成を行った本田さんの智慧に倣っているかのようです。
実際にインタビューで本田さんは次のように語っています。
「これからも本田技研はいまのシステムでずっとやっていくでしょうね。今後、経営者に突発事故が生じても、経営自体はちゃんと回転していくだろうと、自信を持っていますよ。」
個人の自主性に依存するのではなく、育成が促進するシステムを講じて運用する。目から鱗が落ちる思いをしました。
続いて、【条件②:トップとメンバーが同じ絵を見ている】についてですが、本田さんの場合、あることがきっかけで、同じ絵を見続けてきた社員が、自分よりも優れた考えを持つに至ったことを痛感して引退を決意したと語っています。記者からの、「若い社員の人たちと、ものの考え方でギャップを感じるようになりましたか」との質問に対する本田さんの以下の回答は非常に興味深いです。
「感じるですね。低公害エンジンの開発でも、私は開発に成功すればGMやフォード、トヨタ、日産などとこの排気問題に関しては同一のスタート・ラインに立てると考えた。ところがこれが若い人たちから猛反対を受けた。「社長は企業本位に立って排気ガス問題を考えているが、それはまちがいで、社会的責任の観点から開発に努めるべきだ」というわけだ。全く彼らの言うとおりだ。」
全面的に社員の言葉に理解を示したうえで本田さんは自己を内省します。
「長く経営にたずさわっていると、どうしても経営の苦労がしみ込んで、つい経営というものを基盤においた話をしがちである。ところが、最近は企業の社会的責任が非常にやかましく言われだした。こうした急激な変化に対応するには、私も年老いたなということをはっきり認めざるをえない。こうした問題は、どこの企業でもかかえていると思うんだが、トップが早く認識するかどうかの違いだろう。それは、下の意見が上に通じているかどうかによる。」
さらに、経営にとって耳の痛い意見でも言いやすい環境を整えていたと本田さんは続けます。
「本田技研ではふだんから、誰でも私や藤沢副社長にずけずけものを言えるようにしてある。若い従業員は純粋な立場から企業責任を考えている。こうした意見が、すぐにトップに反映するようにしてあったということは重要だと思う。」
そして、結論として自らのポリシーを語ります。
「経営者としては、従業員の心の中に生きることを考えていけば、自然と、企業の社会的責任の問題だって解決できると思う。従業員の心の中に生きることはいちばん大事なことではないかな。それは、大衆の心を知るという一つの基本なのだ。」
本田さんの言葉は、冒頭私が書いた台湾のオードリー・タン氏の言葉、
「感染対策で最も必要なことは、政府が国民を信じる(Trustする)こと。信じれば、国民が政府を信じ返して(Trust backして)くれる。」
に通じると思いました。人が人と心を通わせることが、成功の普遍的要因であることを、時空を超えて、お二人が教えてくれているようです。
【条件③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されている】については、インタビューでは具体的な話をされなかったようです。しかし、経営上の重要情報が共有されていなければ、社員の育成にも成功できなかったでしょうし、社会的責任を果たすべきだという社員の言葉は出なかったと想像します。
本田さんにとって、会社存在の目的と事業の目標を達成するために、社員と経営の重要情報を共有して、一体化することはあまりにも当たり前すぎて、敢えて語るまでもないことだったのかもしれません。
2回に渡って、「経営の神様」と「昭和の名経営者」、お二人の金言を振り返り、答えのない時代に企業が継続的に成長発展していくための智慧を探りました。
次回は、現代を生きる経営者の言葉の中から、「創発を生じ、イノベーションを起こす」条件を探ってみたいと思います。