イノベーションを産む仕組みと運用③

今回は、上質なビジョンを示し、メンバーと共有しながら、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメントの仕組みについて、

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

を念頭に置きつつ考察したいと思います。

先のブログで、経営上の重要情報が労使間で共有されていないことで生じる問題を理解するために、経済学の理論、「情報の非対称性」が参考になると述べました。「情報の非対称性」における、プリンシパル=エージェント関係は、企業における、プリンシパル(トップ)、エージェント(メンバー)関係に置き換えることが出来るからです。

この理論では、プリンシパル(トップ)とエージェント(メンバー)の双方で情報の共有ができていない状態、つまり、「情報の非対称性」があると、エージェンシー・スラック(モラル・ハザード)が生じて、エージェント(従業員)が、プリンシパル(経営者)の利益のために仕事を任されているにもかかわらず、エージェント(従業員)の行動に歪みが生じるとされます。

つまり、「情報の非対称性」を解消して、エージェンシー・スラック(モラル・ハザード)を防がないと、経営者と従業員の間に、本当の意味での「信頼」が築かれないということになります。「信頼」とは、「心理的安全性」に不可欠な条件です。そして、「心理的安全性」が担保されないと、トップとメンバー、またメンバー同士が腹を割った話ができず、創発は生じにくい、という結論が導かれるのです。

もうひとつ整理しておきたいことは、トップがメンバーに対して、経営上の重要情報を共有する意図、目的について、です。メンバーの日常業務にはほとんど関係のない情報を、トップがわざわざ開示するのは何故なのでしょうか。

この疑問を解く近道は、企業経営者から直接話を聞くことです。私がこれまでに関わった複数のベンチャー企業経営者によると、その目的はいずれも一致していて、

「メンバーに経営者意識をもってもらい、事業の発展に全力で貢献して欲しい」

とのことでした。

ベンチャー企業の急成長を支えるのは、言うまでもなく、メンバー一人一人の事業への強い参画意欲と高いモチベーションです。そこで、トップは、メンバーに対して、自分と同じ目的意識をもって熱心に仕事に取り組んでもらいたいがために、経営の重要情報を「知っておいて欲しい」と考えるのだと思います。

そんな、ベンチャー企業経営者が目指す労使関係を一言で表現する言葉がないか調べていたところ、偶然、

「経営パートナーシャフト」

という言葉を目にしました。

「経営パートナーシャフト」とは、ドイツの経営学者、ギード・フィッシャー(1899~1983)が1955年に著した「労使共同経営」という本で述べた概念です。

労使は対立する存在ではなく、経営のパートナーであるべきという考え方で、現在のドイツの労働法制は、フィッシャーの考え方が反映されていて、アングロサクソン流の市場原理に基づく労働観とは一線を画した、ドイツ的企業経営と雇用の基本軸として具体的に各企業に浸透しています。

では、「経営パートナーシャフト」を成立するために、トップとメンバーが、それぞれ果たすべき役割とは何でしょうか。

私が福岡の会社で勤務していた時に、研修講師をお願いするなど、相談に乗っていただいた、雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんが、最近出版された著書の中でフィッシャーの、「労使共同経営」について詳しく解説されていますので、やや長文ですが抜粋します。

従業員も企業のパートナーということになると、賃金と引き換えに単なる労務を提供する労働者を超えた責務を負うことになるのでしょうか。まさにその通り。同書で「協働者に課せられた要件」として並んでいる四要件を読むと、共同体のメンバーとしての責任が強く期待されていることが分かります。(63―64頁)。

(1)従業員はすべて、自己の最大の労働能率を経営共同体のために発揮しなければならない。単に量的・質的な物質的形態の面においてではなく、労働意欲と労働の喜びという思想的・精神的な形成の面においてもそうでなければならない。

(2)すべての個人は、自己の労働能率に対してだけではなく、協働者への人間関係に対しても、ひいては全体の経営共同体に対しても、個人としての責任を感じなければならないし、また、個人としての責任を負う用意が必要である。

(3)したがって、従業員ひとりひとりが自己の専門的・性格的特性の最高のものを経営活動のなかに投入し、さらに、いかなるときにもこれらの特性を十分に発揮する用意がなければならない。この点について会社側は、従業員ひとりひとりを人間性の陶冶というプログラムの中で援助する必要がある。

(4)従業員同士の関係や、上役と部下の関係は、真の仲間意識から生まれるものでなければならない。

これはまた、日本的経営の教科書にそのまま登場してもほとんど違和感のない言葉です。繰り返し「労働能率」が強調されていますが、能率を高めるために必要なのは尻を叩くことではなく、「社内の信頼の一致」であり、「経営全体への関心」であるというのも、職場レベルでの積極的な参加という意味で、日本的経営における小集団活動や自主管理活動と通ずるものが感じられます。

(中略)

労働者には「彼の仕事を遂行するのに、この責任そのものを引き受ける用意がなければならない」のですが、そのためには「各人が被個人の責任領域を認め、それを全体の経営組織ならびに経営の職能の中に組み入れる必要」があり、それは「会社側から従業員に対して、その経営体の意義や使命、ならびに個々の受注について、あるいは、経済状態、産業界の経営状態などについて、さらには、環境の変化に伴って、財政的・収益的・資産的にまったくか、あるいは詳細に報告されていないときには、不可能である」からです。「これが達成されてはじめて、両方のパートナーの実際面の利害の一致を合わせうる」という表現には、ドイツの共同決定法制こそが経営パートナーシャフトを支える基盤であるという認識が垣間見えます(70頁)。(働き方改革の世界史 濱口佳一郎/海老原嗣生「ちくま新書」より)

つまり、海老原さんがフィッシャーの言葉を引き合いにして解説している通り、

「従業員に、経営のパートナーとして、その能力と意欲を存分に発揮してもらうためには、経営に関する重要な情報を開示しなければならない」

ということがポイントだと思います。このことは、多くのベンチャー企業経営者が、

「メンバーに経営者意識をもってもらい、事業の発展に全力で貢献して欲しい」

と望み、その実現のために、経営の重要情報を開示し、共有していることと符合します。

では、経営の重要な情報が共有されさえすれば、トップとメンバーは経営のパートナーとして一致協力して、事業の発展にまい進するものなのでしょうか。

それでも、依然として、経営者の悩みは尽きないと思います。重要な情報を開示し、共有したにもかかわらず、メンバーが本気になってくれず、望んだ行動を見せてくれない、と嘆くトップが後を絶たないのではないでしょうか。

私はそこには二つの原因があると考えています。

一つ目は、

「各人が果たすべき役割と責任領域があいまい」

なこと、です。この課題を解決する方法について、私は、先のブログ「第36回_イノベーションを産む仕組みと運用①」で、「新日本型雇用」として、役割の明確化の重要性と効果について述べました。

二つ目は、経営の重要情報を開示している企業の多くが、情報を共有する本当の目的について説明が不足しているのと同時に、情報の受け取り方がメンバーに委ねられ過ぎていることがあるのではないかと思います。

つまり、日本のようなハイコンテクスト文化では、「文脈から行間を読み取る」ことが「情報の受け手に委ねられがち」なので、企業内においても、そのような文化の影響を受けて、無意識のうちにメンバーに、「トップの意を汲むこと」が求められてしまうのではないかと思います。

二つの目の原因についてある事例を紹介したいと思います。私が勤務したある上場企業での出来事です。

この会社では、プレスリリース(報道機関へ情報開示)をする場合、その発表時刻の直前に、経営から管理職へ、次に部門長から一般社員に向けて、開示情報についての説明が行われていました。自社の重要情報がネット経由で社員に伝わることがないように、との経営から従業員に対する配慮からだったと思います。

この会社は、ある時、事業の失敗で財務に問題が生じ自主再建が難しい状態に陥りました。そこで、新株を発行して業界のリーダー的存在だった競合会社にその株を引き受けてもらい、資金を調達して解決を図ろうとしました。

そんな、社会、市場に対してそれなりにインパクトのある情報が開示される直前に、いつものように私たちは、事実を知らされました。

多くの社員は、自社が苦境に陥っていることはおおよそ理解していましたが、まさか競合会社に助けを求めなければならないほど深刻な状況になっていたことを知り、衝撃を受けました。

それと同時に、経営の態度が、あまりにも淡々と事実を伝えただけだったことに、さらに大きなショックを受けたのでした。対外発表の前に、従業員に向けて情報開示する社内ルールがあることは分かっているものの、

「その事実を、私たち社員一人一人に、どのように受け止めて欲しいのか」

という経営の気持ちを表す言葉が見当たらなかったのです。

その時、私は気づきました。単に事実を知らせるだけではむしろ逆効果で、情報を開示する目的をはっきりと言葉で伝えなければならない、と。

その会社は、その後、不採算事業からの撤退を引き延ばした結果、全社の屋台骨を揺るがす程に負債が膨らみ、最終的に外国企業の100%子会社となり上場廃止になりました。

また、新株を引き受けて私たちの会社の苦境を一時的にではありましたが救ってくれた業界のリーダー的存在だった企業も、結局経営不振に陥り、外国企業の傘下に入り再建を果たしています。

私たちは、ドイツの、経営パートナーシャフトを参考にしつつ、原則に立ち返って、労使共同経営の基盤を築かなければなりません。その方向性は、トップとメンバーが経営の重要情報を共有すること。そして、情報共有の目的は、より明確に、

「創発によりイノベーションを産み出すこと」

という一点に絞ることが肝要かと思います。

そこで、トップには、メンバーと共有すべき経営の重要情報の質を担保するとともに、その開示目的を説明し続けて、徐々に説得力を高めていく、実践知としての賢慮(フロネシス)が問われることになります。そして、賢慮(フロネシス)が身に着くような、良い実践を積むためには、私たちの先輩が歩んできた歴史を俯瞰して、現在、私たちが直面している状況を正しく理解しておく必要があります。

東京大学東洋文化研究所教授の中島隆博先生によると、かつて古典主義と呼ばれた時代における経済は、富が物々交換に基づいていた。それに対して、近代における富は、生産に基づいている。そして、その生産を支えるのが労働する人間であり、人間の労働を通じて、モノが生産され、富を増やすモデルであったと述べています。

そして現在、モノは、情報や出来事というコトに置き換わり、人間はその「差異」を消費し、ある時は、その「差異」そのものとして消費されており、そこにはもはや「主体」としての「人間」の存在は消滅したと述べています。そして、人間の最後の砦として、消費されない者とは何か?という問いを立てられています。

中島先生は、消費されない者として、

「労働や消費から解放された人間」

の姿を模索しています。

そして、人間にとっての価値は、「所有」すべき何か(商品の転用)ではなく、人間的になる人を予想することで、それはbeingやhavingからの解放であり、Human Becoming(人間になる)、さらには、Human Co-becoming(共に人間になる)に向かっていると述べています。

つまり、トップがメンバーを、経営のパートナーに位置付けたいならば、「人間になるための教育」が必要である、ということになります。

ここで述べた教育の「教」とは、情報を伝えて頭で理解させる、ということです。トップの思い、経営の状態、そして情報共有の目的(メンバーに望むこと)を正しく、誤解なく伝える、ということです。

一方、教育の「育」は育むということで、「教」の目的が、Ability(知っている)状態にすることだとすると、「育」の目的は、Capability(出来る)ようにすることです。

企業の永続的発展を実現するカギは、「差異」を消費し、「差異」として消費される人間ではなく、再び「人間になること」が問われていることに、トップが解を出せるかにかかっているのです。

トップはこの問いに向き合う時、自らの思いと感情が自然に表出するでしょう。そして、それに呼応して、メンバー同士は互いに結び付き、共同体が醸成される。そんな、真の労使共同経営を実現する企業には、自ずと創発が生じてイノベーションが産まれるのです。

このような企業がどんどん増えて、日本の未来が明るくなることを、私は夢見ています。

これまで4回に渡って、イノベーションが産まれるのを阻む3つの要因と、取り得る取り組みについて述べました。

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

対策:トップは、メンバーが果たすべき役割と責任の範囲を明確化して労働契約を交わします。そこで定めたこと以外は自由を与えて自発的に創発が生じるよう促します。

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

対策:トップは、人間至上主義(人間の真の幸福の実現)に基づく普遍的なビジョンを描き、これをメンバーと共有します。

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

対策:トップは、メンバーと共有すべき経営の重要情報の質を担保するとともに、その開示目的を説明、説得する能力を、継続的に高めていくことが出来る実践知としての賢慮(フロネシス)を身に着けます。自らメンバーを育成し、彼らが各々の知恵と知識を共有せしめることによって、創発を生じさせ、イノベーションが産まれる共同体を醸成します。

今後のブログでは、人事が果たし得る創発とイノベーションの役割についての気づきと、視点に基づいて、広く社会全体を見渡し、様々な組織と人々の様子について書きたいと思います。

さらに、社会を見渡す中で、新時代の幸福論(回遊魚として生きる)で私が述べた3つの人生の座標軸 ①良い人間関係 ②人生の目的 ③好きな仕事 を備え、「身近な人との親密な関係を基盤にして、好きな仕事が出来ていて、人生の目的を意識している」という、理想の生き方をしている人々についても書き続けていきたいと思います。

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