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イノベーションを産む仕組みと運用①

前回は、メンバー間の相互作用によるイノベーションのきっかけは「創発」であること。また、創発は、トップの掛け声だけでは生じず、マネジメントの仕組みを講じて、これを適切に運用することによって偶然から必然的に生ずるようにすることが出来るとの考えを述べました。

そして、マネジメントの仕組みを講ずる際には、やるべきことを考える前に、やってはいけないことを押さえておく必要があり、私が経験で得た、創発が生ずるのを阻害する3つの要因について書きました。

創発を阻害する3大要因とは、以下の通りです。

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

今回は、

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

を基にして、トップがメンバーに対して講ずるべき、マネジメントの仕組みと運用について、考えてみたいと思います。

「成果を求め過ぎる」ことの弊害として、メンバーが、過去の延長線上にはない新しいアイデアが出せなくなることを問題提起しました。

例えば、トップが、

「新規事業や、既存商品のシェア拡大策を考えろ。」

などと、メンバーに具体的な答え(成果)を求めると、それが足かせとなってメンバーは自由な発想が出来なくなります。

命ずることが具体的であればあるほど、どうしても本来業務の範疇(既存の評価軸)で発想を強いることになり、心理として失敗を避けるべく、出来ないこと、やれないことに意識が向いてしまうのです。

創発は、一切の制約と懸念が取り払われた環境で、自由にアイデアを出し合うことが必要ですので、トップがメンバーに与えるのは、大きくて、漠然としていて、極力抽象的なテーマが効果的なのです。

とはいえ、トップとしては、

メンバーを完全に自由にさせるということには抵抗があるはずです

そもそも、信じて任せる、ことと、自由放任にすることとは同義語ではありません。あくまで、マネジメントの仕組みに基づいてメンバーに自由に発想させて、創発が生ずるのを促すのです。

そこで、まずは、

各個人が果たすべき役割、やるべきことなのかを明確にして

それ以外の部分は自由にさせるという段取りが必要です。

ところが、多くの日本企業では、トップの人間観、組織観によって、マネジメントの方向性が、自由放任主義か、管理・監視主義かに二極化していることが多く、その中間をなかなか見ることがありません。

それは、トップによるマネジメントの経験が、「成功体験」が勝る場合は、労使強調による自由度の高い方向へ。一方、「失敗体験」が勝る場合は、自主性を認めない強権的な方向へと、二つに分かれていき、ある時点で均衡が生じて、組織文化や企業風土として定着していくと考えられます。

自由放任主義、管理・監視主義のいずれにおいても、イノベーションが必然的に産まれる創発を生じさせるためには、

マネジメントの仕組みとして、メンバーのやるべきことを明確化して、これを約束事としてトップとメンバーの双方が合意している必要があります

そして、やるべきこととして定めない(定められない)部分をあえて設けおき、その部分については、自由度を与えることで、創発が生じ易い環境を整えることが出来ると思います。

次に、メンバーのやるべきことを明確化する方法について考えてみます。

やるべきことの明確化というと、すぐに思いつくのは「職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)」です。

日本を除く多くの国では、労使間で締結する労働契約には、必ず職務記述書がセットになっています。労働契約の前提として、果たすべき職務が明確化されていて、その職務の難易度や業績に与えるインパクトの大きさに応じて等級と報酬が決まります。

日本以外の多くの国では、まず職務が存在していて、そこに人を割り当てるという考え方が主流なのです。これが昨今、話題になっている「ジョブ型」制度の基本的な考え方です。

日本では、労働契約は緩やかに、あいまいさを含めた形で締結しておいて、入社後の環境の変化に応じてフレキシブルに職務を変えていくという方法をとります。このため、社内での雇用流動性を確保しておけるので、不況時でも大きなリストラをしなくても良いというメリットがあります。

反面、個人間の職務内容の違いをダイレクトに報酬に反映しにくいため、不公平感が生じやすいというデメリットがあります。

そのため、これまで日本では、従来の、能力本意の、終身雇用、年功序列に基づく人事制度の見直しが行われてきました。苦心の結果、欧米的なジョブ型(職務主義)と日本的な能力型(職能主義)の中間に位置する、「役割」をベースとした等級制度と報酬体系が普及しました。

先輩たちが日本的労働環境に即して苦心して考案した「役割型」を、「ジョブ型」にシフトする、というのが昨今の世の中の流れなのです。

その背景として考えられるのは、法律改正により増えすぎた非正規雇用と、正社員との区別が曖昧となり、両者の違いに合理性を持たせるために同一労働同一賃金の原則を徹底する必要性が生じていることが考えられ、その解決の方向性として、職務基準を明確化して、各職務の実態に応じてダイレクトに処遇することが必要、との考えが勢いを増しているのではないかと想像します。

しかし、理想は良いですが、「ジョブ型」の普及はあくまで机上の話しで、その導入は非常に困難です。

なぜならば、

「人に仕事を割り当てている」

実情を、

「職務を人に割り当てる」

という、正にコペルニクス的な大転換を伴うからで、職場には大きな負担を強いて、各方面に様々な影響をもたらします。

「ジョブ型」の導入手段としては、まず、メンバー全員の職務内容の洗い出しを行うことから始まります。次に明らかにした職務は、一旦、その担い手から切り離され、本来誰が担うべきかが検討され、改めて各個人に割り当てられます。

すると、必ず実態とのギャップが生じます。そして、「そのギャップは誰が埋めるのか」という論争が生じるはずです。理論上生じた人員の過不足は、人事では解決出来ませんので、職場単位での解決が求められるはずです。

結果として、一般社員については、「ジョブ型」で「やるべき仕事」と「やらなくてもよい仕事」が明確化されます。そして、誰が担うべきか曖昧になった職務は、暫定的に管理職以上がカバーするという、いびつな状況に陥ることが予想できます。

または、従来1.5人分、2人分の職務をこなしていたハイパフォーマー一般社員の職務を、敢えて限定することによって、周囲の社員との整合性を図り、且つ処遇変更するという、当人にとってはアンハッピーな措置を講じなければならなくなる可能性もあります。

さらに、実際に職務を個人に割り当ててみないと人件費が試算できないという問題も生じて、明白な混乱が経営の目にも留まる段階になって、やっと「ジョブ型導入断念」が決定するでしょう。

このように、ざっと想像しただけでも「ジョブ型」導入には様々な課題があり、日本の企業には普及が難しいのではないかと思います。

そこで、私たちが今考えるべきなのは、イノベーションが産まれることに寄与する制度、仕組みとしての、「新日本型雇用」を考案するということです。

「新日本型雇用」とは、企業ごとに異なる競争環境、またその影響を受ける社内業務に応じた現実的で、合理的な人事制度のことです。最小単位のタスク(作業)を洗い出して、それらをジョブ(職務)という単位でグルーピングして、最後に、一人一人が果たすべきミッション(役割)に集約する、構造的にやるべき仕事が明確化された人事制度です。

構造化のステップですが、まず、最小単位であるタスクをマニュアルで定義することから始めます。マニュアルとは、本来、誰でも出来るように仕事の方法を共有化するためのものですので、一切の属人性を排除する必要があります。マニュアル化が難しいタスクについては、職務記述書で定義します。

次に、職務記述書は、ジョブを定義するためのものです。構造としては、複数のタスクを束ねることによって定義されます。職務記述書からも属人性を排除する必要があります。

尚、タスクとジョブは、継続的に改善と改良が加えられるべきものですので、マニュアルと職務記述書は常に改定作業が行われる必要があります。担当者は、専任化するのではなく、実際の職務の担い手であるメンバーに委ねるのが良いでしょう。

最後に、各個人のミッション(役割)にジョブを割り当てていきます。ミッション毎に割り当てられたジョブの重要度、難易度の合算でミッション・バリュー(価値)が決まります。そして、バリューのサイズ(重要度・難易度)によって処遇が決定されます。ミッションは各人各様ですので、タスク、ジョブとは異なり、属人的に定めて、フレキシブルに変更が加えられるものになります。

これまでに、多くの日本企業に導入された、「役割型」の人事制度は、多くの場合、役割の根拠となるジョブ、また、最小単位であるタスクが紐づいておらず、非常にざっくりとしたものでした。

多くの場合、実際の役割のサイズ(重要度・難易度)をダイレクトに処遇に反映できないことを承知の上で、便宜的に等級を定めて報酬を決定するためのツールの域を出ませんでした。その曖昧さゆえ、昨今、「ジョブ型」への移行が叫ばれていると思うのですが、しっかりとミッションにジョブを割り当てることさえ出来れば、合理的で公正な人事制度を構築することが出来るはずです。「ジョブ型」ありきではなく、ミッションを明確にして運用する、「役割型」が日本企業にマッチすると思うのです。

尚、マニュアル中心主義の弊害についても記しておこうと思います。

これまで多くの企業が取り組んできたことは、職務記述書が存在しない中でのマニュアル整備でした。その結果、マニュアルでがんじがらめにされた個人からは裁量が奪われ、改善意欲や組織運営への参画意欲を低下させるというマイナス効果を生じさせたと考えます。

日本はマニュアル社会(言われたことしかできない人があふれている)と外国人から揶揄されるのを、私は度々耳にしたのですが、それは、マニュアルが金科玉条の絶対に守るべき仕事ルールとして個人に押し付けられているからで、その前提としてのジョブとミッションが定められていなかったからだと思います。

以上のように、個人のミッションを明確化して、そこでは表現しきれない部分はあえてきっちりと定義せず、個人の裁量の範囲として自由度高くアイデアを発想し、創発し、事業、組織への貢献を促す。そのようなマネジメントの仕組みが定着すると必然的にイノベーションが産まれる環境が醸成されるのではないかと思います。

最後に、もう一言付け加えます。やるべき事の明確化の上位に位置する概念として、

メンバー全員が共有するシンプルな価値基準の制定

が必要です。

かつて私が勤務した企業では、その価値基準が、

「新しいことをする」

という分かりやすいものでした。

上司、先輩から、部下や後輩に、

「新しいことをしたときにプラス評価される」

と教えられました。そんな話を別の企業ですると決まって言われたのが、

「間接部門の経理や人事は新しいことをするのは難しく、営業のように成果がはっきりしている職種に比べて評価が難しいのでは」

という言葉でした。

しかし、私が勤務した会社では、あらゆる職種において、前例を踏襲しているだけではプラス評価は与えられないという不文律がありました。

そして、大多数の社員の気質として、常に新しいことをすることが意識化されていて、事業、組織運営、人事マネジメントに、イノベーションが生じ易い社風が醸成されていたのです。シンプルな価値基準はとてもパワフルだということを強調しておきたいと思います。

今回は、

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

を基にして、トップがメンバーに対して講ずるべき、マネジメントの仕組みと運用について、考えてみました。

次回は、さらに踏み込んで、「新しいことを生み出す」のを奨励しながら、個人を孤立させずに、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメント仕組みについて、

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

を念頭に置きつつ考察したいと思います。

イノベーションの阻害要因とは

前回は、イノベーションを偶然の産物から、必然的な結果に変えるために、その阻害要因を明らかにして、それらを解決する手段を講ずる必要があるとの課題を提起しました。

そして、イノベーションの目的とは、技術革新ではなく、社会や経済を良い方向に変えるためのアイデアが社会実装され、実際に社会が動いていくことだ、とも述べました。

今回はイノベーションの阻害要因について考えてみたいと思います。

イノベーションはどのようにして産まれるのでしょうか。天才的な個人のひらめき、もあるでしょうが、私が明らかにしたいことは、メンバー間に生ずる相互作用によって産まれるイノベーションについてです。

私が考えるメンバー間に生ずる相互作用とは、「創発」です。「創発」が生ずるとイノベーションが産まれる可能性が高まる、そのように考えています。

そこで、「創発」の定義を調べてみました。

創発(そうはつ、英語:emergence)とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。(中略)組織をマネジメントする立場からは、組織を構成する個人の間で創発現象を誘発できるよう、環境を整えることが重要とされる。一般的に、個人が単独で存在するのではなく適切にコミュニケーションを行うことによって個々人の能力を組み合わせ、創造的な成果を生み出すことが出来ると考えられている。(Wikipediaより)

ドラッカーはマネジメントの目的を、

「個人の能力の総和以上の成果を上げること」

と述べました。それと前述の「創発」の定義を合わせると、

「人間が集まり、その能力が組み合わさると、単純にその足し算以上の成果が産まれる。」

ということが言えると思います。

つまり、イノベーションが産まれる条件は「創発」であり、「創発」が生ずるようにメンバーを適切にマネジメントする、ということが目指すべき方向性のようです。

この文脈で、イノベーションは起きるものなのか、起こすものなのかという問いを立てると、「マネジメントする」という能動的な取り組みによって「創発」が生ずるので、イノベーションは、「起こすもの」だと言えます。

よって、トップが、「イノベーションを起こせ」と社内に号令をかけても到底「創発」は生じません。「マネジメント」という仕組みが伴って初めて生ずるものだ、ということになると思います。

余談ですが、仕組み(マネジメント)なき変革(イノベーション)がなぜ起きないかを理解する上で参考になるキーワードが、私たちの「意識」です。

ある人が、

「社会や組織の変革は、意識を変えて起きたためしがない。変革には新しい仕組みが伴うものだ。」

と言っているのを聞いたことがあります。

そういえば、私が勤務した会社が、環境変化に適応できず業績不振に陥った時、社員に「意識を変えろ」と声高に叫ぶトップがいました。

しかし、いくら声高に叫んでも社員はぽかんとして一向に目の色を変えない。意識が変わることはなかったのです。従来とは異なる新しい仕組みに伴って、初めて、人間の「意識」が変わり、変革が生ずると思います。

人間の「意識」についてもう少し深堀りします。

以前、NHKスペシャルで「脳」の特集があり、「意識」について興味深い解説がありました。それによると、「意識」とは、外部から入った刺激に対して、既に脳内に蓄えられていた経験や知識等の複数の記憶が結合して生ずる現象、とのことでした。

「よって、人は経験していないこと、知らないことを意識することはできない。」

番組内で科学者が語ったこの一言は、私にとって衝撃的でした。なぜかというと、それまで社内で多く見聞きした、「意識を変えろ」というトップの掛け声が、なぜ社員に響かず、一向に意識の変化が起きなかったのか、やっと理由が分かったからです。

経験していないこと、記憶していないことを人間は意識できない。掛け声だけでは従来の意識は変わらないので変革は起きない。つまり、創発とイノベーションは掛け声だけでは起こり得ず、仕組みを講じ、これを実践することによってしか起こり得ない、と結論を導くことが出来ます。

以上を念頭に置いて、創発が生じイノベーションが産まれる仕組みと実践方法の検討へと駒を進めたいのですが、その前に、今日のテーマである、創発とイノベーションの阻害要因を先に考えてみたいと思います。

人は、「やるべきこと」を考えることは得意ですが、「やるべきではないこと」を考えるは苦手です。あえて逆方向から、「避けるべき阻害要因」を明らかにしたいと思います。

以下、創発とイノベーションを阻害する3大要因(私が経験から得た私見)を述べます。

阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる

まず思い浮かんだのは、トップがメンバーに、意味あること、価値あることを求め過ぎるということです。そもそも、イノベーションとは、過去の延長線上にはない新しい価値創造です。そして、イノベーションの前提である創発とは、答えがないことに対してメンバーがアイデアを出し合い相互作用を起こすことです。にもかかわらず、トップはとかく、

「新規事業、既存商品のシェア拡大策を考えろ。」

などと具体的な答えを求めてしまいます。すると、足かせをはめられてしまったメンバーには、なかなか創発は生じなくなります。

トップがメンバーに、大きくて、漠然として、極力抽象的なテーマを与えると創発が生じやすくなると思います。

例えば、

「持続可能な社会の実現に自社が果たし得る役割を既存事業の枠に囚われずに考えなさい。」

などとした方が、自由な発想からアイデアが出やすくなり、創発が生じやすくなります。

かつて私が関わった研修では、受講生に、「真っ白なキャンバスに絵を描く」というお題が与えられ、創発が生じ易い場作りがされていました。

さらに、「仕事で使う専門用語を一切使わない」というルールも与えられてディスカッションすることによって、メンバーの間に、既存の枠に囚われない発想が生じていました。

仕事の範疇で発想すると、どうしても出来ない、やれないことに意識が向いてしまうものです。創発を生じるためには、一切の制約を取り払って、自由な発想でアイデアを出し合うことが必要なのです。

余談ですが、これから短期的な成果の追求は、ますますAIに委ねられることになるでしょう。一方、AIには任せられない、人間にしかできないことは、「夢を見ること」ではないかと私は思います。

「夢」とは、常に正しいこととは限りません。むしろ、はたからみて、非合理的なこと、バカなこと、無意味なことにこそ「夢」があるのではないでしょうか。

メンバーの自由な発想を封じて、創発が生じるのを妨げるのは、正しい答えを求め過ぎるトップの言葉ではないかと思います。メンバーの可能性を信じて、委ねれば、創発が生じイノベーションが産まれる場を醸成することが出来るはずです。

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

次に思い浮かんだのが、「ビジョンが共有出来ていない」つまり、トップとメンバーが「同じ絵を見ていない」状態です。

ビジョンが共有できないと、創発の目的と、矢印を向ける対象が曖昧なままなので、いつまで経ってもメンバーがトップと同じ「心境」になってくれません。

トップは、そんな状態を観かねて、メンバーに対して、

「意識を変えろ。」

と命じがちです。しかし、前述の通り、脳の機能制約上、未経験なこと、知らないことについて人間は「意識」することはできません。

そこで、私が考えたのは、未経験のこと、知らないことに創発を生じさせてイノベーションを産むのだ、といった「心境」になっていなければならないということでした。

「心境」とは、「なぜ自分がここにいるのか?」「なぜこのテーマが選ばれたのか?」「なぜ今やる必要があるのか?」という疑問が解かれていて、すっきりと、「いまここ」にいる状態と考えています。

ある研修講師の方が、

「私は研修の本題に入る前、受講生が、研修に向き合う状態(研修受講の心境)になるように工夫しています。それは、「なぜ自分がここにいるのか?」「なぜこのテーマが選ばれたのか?」「なぜ今やる必要があるのか?」という受講生が抱く3つの疑問を、丁寧に解いてあげることなのです。」

とおっしゃっていたことを思い出しました。

メンバーに創発を生じさせて、イノベーションを産むことを阻害する要因は、トップがメンバーとビジョンを共有する、つまり、同じ絵を見る取り組みを怠っていたり、重要視せずに成り行き任せにしていたりして、メンバーをある「心境」に至らせていないことではないかと思います。

良いトップ(リーダー)とは、

「少しでも良い未来を見させてくれると、メンバーに信じさせることができる人」

ではないでしょうか。トップはメンバーに対して、「意識」を変えろ、と丸投げするのではなく、ビジョンを語り、見せてあげることで、ある「心境」を醸成しなければならないのです。

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

私は、メンバーに創発を生じさせてイノベーションを産むことの阻害要因として、トップとメンバー間の、「情報の非対称性」があると考えています。

情報の非対称性(じょうほうのひたいしょうせい、英: information asymmetry)は、市場における各取引主体が保有する情報に差があるときの、その不均等な情報構造である。「売り手」と「買い手」の間において、「売り手」のみが専門知識と情報を有し、「買い手」はそれを知らないというように、双方で情報と知識の共有ができていない状態のことを指す。情報の非対称性があるとき、一般に市場の失敗が生じパレート効率的な結果が実現できなくなる。(中略)プリンシパル=エージェント関係において情報の非対称性が存在すると、エージェンシー・スラックと呼ばれるモラル・ハザードが発生する。(Wikipediaより)

ここでいう、プリンシパル=エージェント関係は、プリンシパル(経営者)、エージェント(従業員)の関係に置き換えることが出来ます。また、エージェンシー・スラック(モラル・ハザード)とは、エージェント(従業員)と、プリンシパル(経営者)双方で情報と知識の共有ができていない状態において生じます。

情報の非対称性、つまり、プリンシパル(経営者)が知りえないエージェント(従業員)のみ知り得る情報や専門知識がある(片方の側のみ情報と専門知識を有する)ことから、エージェント(従業員)が、プリンシパル(経営者)利益のために仕事を任されているにもかかわらず、エージェント(従業員)の行動に歪みが生じ効率的な資源配分が妨げられる、経営上のリスクとされる現象です。

つまり、トップとメンバー間に情報の非対称性があると、互いの重要な情報と知識が共有されないことで、一向に「信頼関係」が築かれず、創発が生じるのを妨げると考えられるのです。

その理由は、「信頼関係」とは「心理的安全性」に不可欠な条件であり、「心理的安全性」が担保されないとトップとメンバー、またメンバー同士が腹を割った話ができない。つまり、創発が生じにくいのです。

さらに、トップとメンバー間の「情報の非対称性」が解消されたとしても、創発の結果得られたアイデアを実行に移す権限がメンバーに与えられる必要があります。

メンバーに権限が与えられていないと単なる「アイデア出しゲーム」で終わってしまいます。せっかく創発で得られたアイデアがトップに無視され放置されてしまえばメンバーの「参画意欲」が持続しません。創発とイノベーションにおいては、メンバーの「帰属意識」よりも、継続的な「参画意欲」が重要なのです。

ところで、以前書いたブログで、ドイツの経営体について述べたことがありました。

ドイツでは、「有限会社(GmbH)」は、取締役会、社員総会(組合)、監査役会(設置は任意)で構成されていて、最高意思決定機関は「社員総会(組合)」であり、その権限はすべての事項(年度決算書の確定、利益処分、取締役の選任・解任、経営管理の監査及び監督等)に及び、その決議はすべて社員総会(組合)で行われると、法律で定められています。つまり、組合代表者は、経営責任者であり、日本のような労働者の権利を代弁し会社に対して団体交渉を担う機能とは全く異なるということです。(第8回:知っているようで知らないドイツ人のお話しより)

このドイツの経営システムは、「労使共同経営」と呼ばれるのですが、その存立条件として重要な2大項目は、①経営上の重要情報の従業員との共有 そして、②従業員に経営上の意思決定権が与えられている とのことで参考になります。

以上、創発を阻害する3つの要因について述べました。これらのいずれか一つでも解消されないと創発が生じず、その結果イノベーションが産まれないというのが私の考えです。

ここまで書き終えて、実は、もっとシンプルで重要な阻害要因があることに気づきました。

それは、

「メンバーに元気がなく、活気のない職場」

です。そのような熱量が低い職場では、創発は生じ得ず、イノベーションは産まれないはずです。

メンバーの元気、気力、職場の活力は、企業活動の源です。改めて、このような目に見えない人間のエネルギーが重要視されることを願っています。

今回述べた3つの創発の阻害要因を基にして、次回からは、私たちが講ずるべき仕組みとその運用方法について考察したいと思います。

人事のミッションはイノベーションを起こすこと

7月15日にブログを書き始めて約半年が経過しました。この間、韓国留学の思い出も含めて33回、投稿しました。私の仕事人生を振り返り、その時々で目にしたこと、聞いたこと、そして私がどんな行動をしたのかを一つ一つ思い出し、書き出したことに充実感を覚えました。

ある方から、

「記憶の断片を書き出すと頭の中に空間が出来て創造的な活動に取り組めるようになるよ。」

と教えていただいたことがあるのですが、私も今、そのような感覚を味わっています。そこで、おおよそ記憶の棚卸が終わった現時点から、次はどのような方向に創造的な思考を傾けてブログを書き続けるかを、ブログを勧めてくださったヴィーナスアソシエイションの手塚さんに相談したところ、次のアドバイスをいただきました。

「人事の仕事とは何か。会社、職場でイノベーションが起きるようにすること。偶然ではなく、必然的に起きるようにすることだ。」

手塚さんは続けて、

「企業には永続性が求められる。先が見通せない時代になってもその命題は変わらない。そして、永続を保証するものは、過去の延長線上にはない新しい価値の創造、つまりイノベーションを繰り返して起こすこと。イノベーションは、個人では生み出せない。たいていはメンバーの相互作用によって生みだされる。メンバー間の相互作用を起こすには、互いに自身の考えを自由に述べ合える心理的安全性が満たされた場が必要。そして、心理的安全性と相互尊重は、一人一人に自尊心が備わっていなければならない。だから、自尊心を育む必要があり、ずっとそれに取り組んできたんです。」

とおっしゃいました。そして続けて、

「イノベーションが、偶然の産物ではなく、必然的に生み出されるものとするために、人事が主体となって、人間中心の場づくりに関与するという理想を掲げ、その理想に共感する人々とつながるために、実現にむけた想像力を働かせてみてはどうですか。」

と勧められたのでした。手塚さんは、自らの理念、

「人は、断じて欠点だらけの無力な存在ではない。自分らしく輝いて生きるに値する充分なちからと能力を兼ね備えており、その可能性は想像をはるかに超えて大きい。」

を信じ、その理念の普及に人生をかけて取り組んでこられた本物の人だと第一回目のブログに書きました。その理念の先には、企業永続の条件である、イノベーションの創出があり、その大きな目的の実現のために、個を生き生きと輝かす必要があるとお考えになっているということを、何度もお話しを伺っていたにもかかわらず、お恥ずかしながら今まできちんと理解していなかったことに気づきました。

私の中では、企業永続=イノベーション までは頭では理解していたのですが、イノベーション=個人の自尊心 という公式までは描けていなかったのです。たしかに、暗く澱んで、人間関係も冷たく希薄で、懸念に満たされた居心地の悪い場でイノベーションが起きることを想像することはできません。偶然の産物が全くないとは言えませんが、そんな場を放置して世の中にあふれてしまったらイノベーションが必然的に産まれる状態にすることなどは到底望み得ないでしょう。

やはり、イノベーションは人間の相互作用によって産まれるもの。つまり、人事の仕事の領域なのです。再び手塚さんのお知恵を借りて、私のブログの方向性が定まりました。人事が主体的役割を担い、人と組織にイノベーションを起こす方法について、です。

そこでまずは、教科書的にイノベーションの定義を確認しておきたいと思います。

イノベーション(英: innovation)とは、物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。一般には新しい技術の発明を指すという意味のみに理解されているが、それだけでなく新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。つまり、それまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすことを指す。(Wikipediaより)

では、なぜイノベーションが、いま、私たちの日本で特に必要とされているのでしょうか。立命館大学アジア太平洋大学学長の出口 治明(でぐち はるあき)さんが、次のように述べておられます。

まず必要なのは、現在の日本で何が起きているのか、何が問題で、何を失いつつあるのかといった「現状把握」をすることです。全ての改革、全ての生存への作戦はそうした現状認識から始まると思います。改めて5つの問題を指摘したいと思います。

1つ目は、製造業から金融・ソフトといった主要産業のシフトに対応できなかったこと。また自動車から宇宙航空、オーディオ・ビジュアルからコンピュータ、スマホへと「産業の高付加価値化」にも失敗したこと。

2つ目は、トヨタやパナソニックなど日本発の多国籍企業が、高度な研究開発部門を国外流出させていること。つまり製造部門を出すだけでなく、中枢の部分を国外に出してしまい、国内には付加価値の低い分野が残っているだけという問題。

3つ目は、英語が通用しないことで多国籍企業のアジア本部のロケーションを、香港やシンガポールに奪われてしまい、なおかつそのことを恥じていないこと。

4つ目は、観光業という低付加価値産業をプラスアルファの経済ではなく、主要産業に位置づけるというミスをしていること。

5つ目は、主要産業のノウハウが、最も効果を発揮する最終消費者向けの完成品産業の分野での勝負に負けて、部品産業や、良くて政府・軍需や企業向け産業に転落していること。

この5つの結果として、日本型空洞化が日本経済を蝕んでいるのだと思います。1997年の人々が「このままでは2020年には世界のGDPの9.6%」というシェアまで落ちてしまう、そうなれば「日本が消える」と真剣に心配していたわけですが、実際の2020年になってみたら「9.6」どころか「5.9」という「地をはうような状況」になっているわけです。

出口さんが指摘されているポイントは、産業界が生み出す付加価値が下がっていて世界との競争に負け続けている、ということです。加えて、低付加価値の分野を殊更に過大評価して本質的な問題の解決(高付加価値分野への挑戦)から目を背けているということではないかと思います。

日本は今、絶望的な状況にある、という非常に厳しい見立てをされていて、私たち一人一人が何をなせるのか、何をなすべきなのかを考えると途方に暮れそうになりますが、諦めてはいけないと思います。過去からの延長線上には未来がないことを踏まえ、一人一人が現状を打破すること。とはいえ悲観的にならずに、明るく、前向きな気持ちでイノベーションに取り組みたいです。

次に、日本のイノベーションの先行研究とそこから得られる知見について整理をしておきたいと思います。

唯一といってもよい世界的に評価された日本発のイノベーション理論に、「知識創造(SECIモデル)」があります。私が多摩大学大学院在学中に修士論文の指導をお願いし大変お世話になった紺野 登 先生は、この理論の考案者である野中 郁次郎 先生の弟子で、お二人は共著も多く出されていて日本のイノベーション研究の先端を走っておられます。そんな紺野 先生が常々、

「イノベーションが産まれるのは、人間が蓄えた知(暗黙知と形式知)を人間の相互作用によって次々と変換して、進化、発展する場をつくること。それは、人間同士の豊かな関係性がベースとなっていて、且つ、触媒的な役割を担うリーダーの存在が不可欠である」

とおっしゃられていました。

そんな良い知恵を授けていただいたにも関わらず、大学院を修了しても尚、私が度々躓いたのは、企業組織に属すると、経営者、社員にかかわらず、人間の個としての属性が制約となって、なかなか理論通りにはいかない。理想と現実のギャップを埋めること、つまり、理論を、組織に、仕組みとして実装することが難しかったからでした。

本当のイノベーションとは、社会や経済を良い方向に変えるためのアイデアが社会に実装され、実際に社会が動いていくことだと思います。今、語られているイノベーションの話題は技術革新に偏りがちで、実装するための制約条件は何か、それをどのようにして解決するのか、についてはこれまで多く語られてこなかったように思います。

つまり、イノベーションを偶然の産物から、必然的な結果に変えるためには、イノベーションが起きる条件を考えるだけでは足りなくて、イノベーションが起きない阻害要因を明らかにして、それらを解決して、組織に実装する手段を講ずる必要がありそうです。

次回からは、数回に分けて、イノベーションを阻害する要因とその対策について、私の経験談を交えて考えてみたいと思います。