前回は、メンバー間の相互作用によるイノベーションのきっかけは「創発」であること。また、創発は、トップの掛け声だけでは生じず、マネジメントの仕組みを講じて、これを適切に運用することによって偶然から必然的に生ずるようにすることが出来るとの考えを述べました。
そして、マネジメントの仕組みを講ずる際には、やるべきことを考える前に、やってはいけないことを押さえておく必要があり、私が経験で得た、創発が生ずるのを阻害する3つの要因について書きました。
創発を阻害する3大要因とは、以下の通りです。
阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる
阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない
阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない
今回は、
阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる
を基にして、トップがメンバーに対して講ずるべき、マネジメントの仕組みと運用について、考えてみたいと思います。
「成果を求め過ぎる」ことの弊害として、メンバーが、過去の延長線上にはない新しいアイデアが出せなくなることを問題提起しました。
例えば、トップが、
「新規事業や、既存商品のシェア拡大策を考えろ。」
などと、メンバーに具体的な答え(成果)を求めると、それが足かせとなってメンバーは自由な発想が出来なくなります。
命ずることが具体的であればあるほど、どうしても本来業務の範疇(既存の評価軸)で発想を強いることになり、心理として失敗を避けるべく、出来ないこと、やれないことに意識が向いてしまうのです。
創発は、一切の制約と懸念が取り払われた環境で、自由にアイデアを出し合うことが必要ですので、トップがメンバーに与えるのは、大きくて、漠然としていて、極力抽象的なテーマが効果的なのです。
とはいえ、トップとしては、
メンバーを完全に自由にさせるということには抵抗があるはずです。
そもそも、信じて任せる、ことと、自由放任にすることとは同義語ではありません。あくまで、マネジメントの仕組みに基づいてメンバーに自由に発想させて、創発が生ずるのを促すのです。
そこで、まずは、
各個人が果たすべき役割、やるべきことなのかを明確にして
それ以外の部分は自由にさせるという段取りが必要です。
ところが、多くの日本企業では、トップの人間観、組織観によって、マネジメントの方向性が、自由放任主義か、管理・監視主義かに二極化していることが多く、その中間をなかなか見ることがありません。
それは、トップによるマネジメントの経験が、「成功体験」が勝る場合は、労使強調による自由度の高い方向へ。一方、「失敗体験」が勝る場合は、自主性を認めない強権的な方向へと、二つに分かれていき、ある時点で均衡が生じて、組織文化や企業風土として定着していくと考えられます。
自由放任主義、管理・監視主義のいずれにおいても、イノベーションが必然的に産まれる創発を生じさせるためには、
マネジメントの仕組みとして、メンバーのやるべきことを明確化して、これを約束事としてトップとメンバーの双方が合意している必要があります。
そして、やるべきこととして定めない(定められない)部分をあえて設けおき、その部分については、自由度を与えることで、創発が生じ易い環境を整えることが出来ると思います。
次に、メンバーのやるべきことを明確化する方法について考えてみます。
やるべきことの明確化というと、すぐに思いつくのは「職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)」です。
日本を除く多くの国では、労使間で締結する労働契約には、必ず職務記述書がセットになっています。労働契約の前提として、果たすべき職務が明確化されていて、その職務の難易度や業績に与えるインパクトの大きさに応じて等級と報酬が決まります。
日本以外の多くの国では、まず職務が存在していて、そこに人を割り当てるという考え方が主流なのです。これが昨今、話題になっている「ジョブ型」制度の基本的な考え方です。
日本では、労働契約は緩やかに、あいまいさを含めた形で締結しておいて、入社後の環境の変化に応じてフレキシブルに職務を変えていくという方法をとります。このため、社内での雇用流動性を確保しておけるので、不況時でも大きなリストラをしなくても良いというメリットがあります。
反面、個人間の職務内容の違いをダイレクトに報酬に反映しにくいため、不公平感が生じやすいというデメリットがあります。
そのため、これまで日本では、従来の、能力本意の、終身雇用、年功序列に基づく人事制度の見直しが行われてきました。苦心の結果、欧米的なジョブ型(職務主義)と日本的な能力型(職能主義)の中間に位置する、「役割」をベースとした等級制度と報酬体系が普及しました。
先輩たちが日本的労働環境に即して苦心して考案した「役割型」を、「ジョブ型」にシフトする、というのが昨今の世の中の流れなのです。
その背景として考えられるのは、法律改正により増えすぎた非正規雇用と、正社員との区別が曖昧となり、両者の違いに合理性を持たせるために同一労働同一賃金の原則を徹底する必要性が生じていることが考えられ、その解決の方向性として、職務基準を明確化して、各職務の実態に応じてダイレクトに処遇することが必要、との考えが勢いを増しているのではないかと想像します。
しかし、理想は良いですが、「ジョブ型」の普及はあくまで机上の話しで、その導入は非常に困難です。
なぜならば、
「人に仕事を割り当てている」
実情を、
「職務を人に割り当てる」
という、正にコペルニクス的な大転換を伴うからで、職場には大きな負担を強いて、各方面に様々な影響をもたらします。
「ジョブ型」の導入手段としては、まず、メンバー全員の職務内容の洗い出しを行うことから始まります。次に明らかにした職務は、一旦、その担い手から切り離され、本来誰が担うべきかが検討され、改めて各個人に割り当てられます。
すると、必ず実態とのギャップが生じます。そして、「そのギャップは誰が埋めるのか」という論争が生じるはずです。理論上生じた人員の過不足は、人事では解決出来ませんので、職場単位での解決が求められるはずです。
結果として、一般社員については、「ジョブ型」で「やるべき仕事」と「やらなくてもよい仕事」が明確化されます。そして、誰が担うべきか曖昧になった職務は、暫定的に管理職以上がカバーするという、いびつな状況に陥ることが予想できます。
または、従来1.5人分、2人分の職務をこなしていたハイパフォーマー一般社員の職務を、敢えて限定することによって、周囲の社員との整合性を図り、且つ処遇変更するという、当人にとってはアンハッピーな措置を講じなければならなくなる可能性もあります。
さらに、実際に職務を個人に割り当ててみないと人件費が試算できないという問題も生じて、明白な混乱が経営の目にも留まる段階になって、やっと「ジョブ型導入断念」が決定するでしょう。
このように、ざっと想像しただけでも「ジョブ型」導入には様々な課題があり、日本の企業には普及が難しいのではないかと思います。
そこで、私たちが今考えるべきなのは、イノベーションが産まれることに寄与する制度、仕組みとしての、「新日本型雇用」を考案するということです。
「新日本型雇用」とは、企業ごとに異なる競争環境、またその影響を受ける社内業務に応じた現実的で、合理的な人事制度のことです。最小単位のタスク(作業)を洗い出して、それらをジョブ(職務)という単位でグルーピングして、最後に、一人一人が果たすべきミッション(役割)に集約する、構造的にやるべき仕事が明確化された人事制度です。
構造化のステップですが、まず、最小単位であるタスクをマニュアルで定義することから始めます。マニュアルとは、本来、誰でも出来るように仕事の方法を共有化するためのものですので、一切の属人性を排除する必要があります。マニュアル化が難しいタスクについては、職務記述書で定義します。
次に、職務記述書は、ジョブを定義するためのものです。構造としては、複数のタスクを束ねることによって定義されます。職務記述書からも属人性を排除する必要があります。
尚、タスクとジョブは、継続的に改善と改良が加えられるべきものですので、マニュアルと職務記述書は常に改定作業が行われる必要があります。担当者は、専任化するのではなく、実際の職務の担い手であるメンバーに委ねるのが良いでしょう。
最後に、各個人のミッション(役割)にジョブを割り当てていきます。ミッション毎に割り当てられたジョブの重要度、難易度の合算でミッション・バリュー(価値)が決まります。そして、バリューのサイズ(重要度・難易度)によって処遇が決定されます。ミッションは各人各様ですので、タスク、ジョブとは異なり、属人的に定めて、フレキシブルに変更が加えられるものになります。
これまでに、多くの日本企業に導入された、「役割型」の人事制度は、多くの場合、役割の根拠となるジョブ、また、最小単位であるタスクが紐づいておらず、非常にざっくりとしたものでした。
多くの場合、実際の役割のサイズ(重要度・難易度)をダイレクトに処遇に反映できないことを承知の上で、便宜的に等級を定めて報酬を決定するためのツールの域を出ませんでした。その曖昧さゆえ、昨今、「ジョブ型」への移行が叫ばれていると思うのですが、しっかりとミッションにジョブを割り当てることさえ出来れば、合理的で公正な人事制度を構築することが出来るはずです。「ジョブ型」ありきではなく、ミッションを明確にして運用する、「役割型」が日本企業にマッチすると思うのです。
尚、マニュアル中心主義の弊害についても記しておこうと思います。
これまで多くの企業が取り組んできたことは、職務記述書が存在しない中でのマニュアル整備でした。その結果、マニュアルでがんじがらめにされた個人からは裁量が奪われ、改善意欲や組織運営への参画意欲を低下させるというマイナス効果を生じさせたと考えます。
日本はマニュアル社会(言われたことしかできない人があふれている)と外国人から揶揄されるのを、私は度々耳にしたのですが、それは、マニュアルが金科玉条の絶対に守るべき仕事ルールとして個人に押し付けられているからで、その前提としてのジョブとミッションが定められていなかったからだと思います。
以上のように、個人のミッションを明確化して、そこでは表現しきれない部分はあえてきっちりと定義せず、個人の裁量の範囲として自由度高くアイデアを発想し、創発し、事業、組織への貢献を促す。そのようなマネジメントの仕組みが定着すると必然的にイノベーションが産まれる環境が醸成されるのではないかと思います。
最後に、もう一言付け加えます。やるべき事の明確化の上位に位置する概念として、
メンバー全員が共有するシンプルな価値基準の制定
が必要です。
かつて私が勤務した企業では、その価値基準が、
「新しいことをする」
という分かりやすいものでした。
上司、先輩から、部下や後輩に、
「新しいことをしたときにプラス評価される」
と教えられました。そんな話を別の企業ですると決まって言われたのが、
「間接部門の経理や人事は新しいことをするのは難しく、営業のように成果がはっきりしている職種に比べて評価が難しいのでは」
という言葉でした。
しかし、私が勤務した会社では、あらゆる職種において、前例を踏襲しているだけではプラス評価は与えられないという不文律がありました。
そして、大多数の社員の気質として、常に新しいことをすることが意識化されていて、事業、組織運営、人事マネジメントに、イノベーションが生じ易い社風が醸成されていたのです。シンプルな価値基準はとてもパワフルだということを強調しておきたいと思います。
今回は、
阻害要因①:トップがメンバーに成果を求め過ぎる
を基にして、トップがメンバーに対して講ずるべき、マネジメントの仕組みと運用について、考えてみました。
次回は、さらに踏み込んで、「新しいことを生み出す」のを奨励しながら、個人を孤立させずに、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメント仕組みについて、
阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない
を念頭に置きつつ考察したいと思います。