日本大使館を巻き込み、工業団地管理局にプレッシャーをかけて、就労許可が正常に発給され始めたことを受け、私はもう一つの問題である、某韓国企業から差別を助長すると指摘された2つの食堂(日本人出向者用とベトナム人従業員用)の扱いをどうするか、あれこれ考えを巡らせました。
仮に、そのままS社の要求に従い、日本人出向者用食堂とベトナム人従業員用食堂を統合しようとすると、日本人出向者だけではなく、日本からの出張者(本社役員含む)からも不評を買い、私は引き続き仕事をさせてもらえなくなるであろうことは容易に想像できました。かといって、当時某韓国企業はベトナム工場にとって唯一といってよい程の重要顧客で、その顧客から「継続して取引を望むならば必ず解決するよう」正式な要求をされてしまった以上、必ず対応しなければなりませんでした。解決できない場合、私は、職責を果たせないことを理由に、引き続き仕事をさせてもらえなくなることも想像できました。
いよいよ某韓国企業による再監査まで1ヵ月を切り、これは絶体絶命のピンチと、食いしん坊の私には珍しく食事がのどを通らなくなり始めていたちょうどその時、思いもよらぬところから解決のヒントを得ることが出来ました。
以前のブログで、私は食堂の責任者として、日本人出向者から、ことあるごとに日本人出向者用食堂で提供する食事の献立や味、量などに関するクレームを受けていたと書きました。ちょうどその日の昼食は週一回のカレーライスの日だったのですが、ある日本人出向者から、「量が少なすぎる」とクレームを受けたのです。「思う存分おかわりをしてください」と言いたいところでしたが、それが言えない事情がありました。というのも、日本人出向者用食堂の食材、調味料等は日本製が多く、ベトナム人従業員用食堂とは別ルートで調達しているものがほとんどで、事前に申し込みがあった人数分だけ用意するよう工夫して運用しなければならないほどコストが高く、そうとも言えず困っていました。その時、ふと頭に浮かんだのは、日本人出向者とベトナム人従業員が一緒にカレーライスを食べている光景でした。
部下のベトナム人従業員にそのことを話したところ、
部下「大西さん、日本人はカレーライスが大好きですよね。でも、ベトナム人は香辛料が効いた食べ物はほとんど食べないんです。だから、カレーライスを食べないと思いますよ。」
と言われてしまいました。
しかし、私はそれでも試してみる価値はあると思い、ルー以外は全てベトナム人従業員用食堂で使っている食材で自らカレーライスを試作してみました。そして、これは日本人出向者用食堂で提供しているカレーライスと遜色ない状態となったことを確認した上で、60人分ほどのカレーライスを用意し、日本人出向者用食堂と、ベトナム人従業員用食堂と両方で同じものを出してみました。
日本人出向者には、某韓国企業による監査結果を受けた対応であること。また、カレーライスの量が少ないとのクレームへの対応として大盛りで食べることが出来ることを説明して、ベトナム人従業員食堂で、部下たちと一緒に食事をしてみてはどうかと勧めました。ベトナム現地法人社長Wさんはじめ、何人かの日本人出向者は私の勧めに応じて、これまで昼食時にはほとんど立ち入ることが無かったベトナム人従業員用食堂に来てくれました。そして、大盛りのカレーライスを食べて「美味しい」と言ってくれました。
肝心のベトナム人従業員の反応は、というと、これまで食べるどころか見たこともない食べ物だったからでしょう、最初は素通りしていつも通りのベトナム食を手にとっていました。しかし、そのような中でも、留学など、日本での滞在経験がある従業員数名は、「カレーライスなんて久しぶりです。嬉しいです。」と言ってくれて、美味しく食べてくれました。手ごたえを感じた私は、毎週水曜日は「カレーの日」と定め、ベトナム人従業員用食堂で日本人出向者も、出張者も、ベトナム人従業員も一緒に食事をすることを目論みました。
その狙いは当たり、回を重ねる毎にカレーライスを食べるベトナム人従業員は増えていきました。労働組合の委員長Hさんは、「こんなにおいしい社食の食事は初めてです。」と本当に喜んでくれました。そして、日本人出向者も数名を除いてベトナム人従業員食堂で一緒にカレーライスを食べるようになりました。
この数名の日本人出向者は、日本人出向者用食堂を決して出ようとはしませんでした。彼らがかたくなにベトナム人従業員と一緒に食事をすることを避けた理由を質問したところ、「ベトナム人従業員食堂はきたない」とか、「日本人出向者用食堂は冷房が効いて快適なので出たくない」といったような返答でした。私は、彼らと同じ出向者として、暗澹たる思いがしました。このような人物に、果たして異文化に囲まれた中で部下を動機づけて成果が出せるのだろうかと。仕事が出来る出来ない以前の問題として、人としてどうなのか、と疑問を抱かざるを得ませんでした。
人事の世界では長らく、「グローバル人材」というスローガンが掲げられ、海外でも持てる能力を存分に発揮して成果を上げることができる人材をどれだけ確保できるかが日本企業の課題だと言われています。しかし、見落としがちな視点として、このような、「自分さえ良ければよい。」というエゴを、どのように戒めるのか、律するのか、ということがあるのではないかと思いました。
私は、某韓国企業に対して、次回の監査は水曜日(カレーの日)にして欲しいとお願いしました。そして、できれば昼食を一緒にとって欲しいと要望しました。彼らは快く応じてくれまして、その日を迎えました。私は、ベトナム人従業員用食堂で監査担当者と以下の会話を交わしました。
私「日本人出向者用食堂は、もともとお客様(VIP)用食堂です。そして、現時点では、ベトナム人従業員用食堂では、お客様が好まれるような献立(和食、洋食等)に対応することが出来ないため、廃止が難しい事情があります。しかし、今回、日本の国民食であるカレーライスを提供したように、徐々に日本食の献立を増やしていき、日本人出向者とベトナム人従業員が一緒に食事が出来る時間を増やしていくことをお約束します。これは、御社の食堂を見学させていただいて、韓国食が提供され、韓国人もベトナム人も一緒に食事をしている様子を見たことからヒントを得ました。そして、食堂業者も御社に合わせ変更しまして安心安全な食事を提供する体制が整いました。」
監査担当者「このカレーライスはとても美味しいですね。従業員の皆さんも喜んで食べている様子がうかがえます。前回の監査では、日本人とベトナム人が完全に仕切られた空間で別々に食事をしていたので、これで正常な職場運営が出来るのだろうかと不安に思ったんです。でも、今日の食事の様子を見て安心しました。引き続き食堂の改善に努力されることを期待しています。」
監査担当者は、再監査の結果、改善要求に「合格」と判断してくれました。根本的解決こそできませんでしたが、なんとか取引中止になるような事態だけは避けることが出来てほっとしました。
ここまで、数回に分けて、食堂不正の疑いへの対応、そして某韓国企業による食堂改善要求への対応について書きました。ここで言いたかったことは、ベトナムでは日々、日本では想像もできないことが繰り返し発生しているということです。そして、これらのほとんどは、実際に現地に出向、駐在勤務しなければ分からないことばかりだということです。いま、チャイナリスク回避でベトナムに多くの日本企業が拠点を移す、または新設する動きが加速しています。そのような企業では、日々、現地の出向者、駐在員から日本側本社へ、にわかには信じがたいような報告や相談が寄せられているのではないかと想像します。そのような時に、先入観なく、ありのままを懐深く受け入れて、一緒に解決の方法を考えてくれるような本社スタッフが一人でも増えて欲しいと、祈るばかりです。私は、そのような人材こそが「グローバル人材」への登竜門だと考えています。