前回は、3つの人生の座標軸 ①良い人間関係(身近な人との親密な関係) について書きました。私が考える、「親密な関係」とは、「互いに強いつながりを持った関係」のことです。身近な人とのかかわり方を変えることによって、
「他人を他人と思わず、他人と自分とを隔てる境界線を乗り越え、あらゆる人と親密な人間関係を築く」
という人類の叡智(実践知)を発揮して、社会の「分裂」と「分断」の進行を防ぐという考えを述べました。
今回は、二つ目の座標軸 ②人生の目的 について書きたいと思います。
1.「目的」とは何か
ビジネスの現場では、「目的」とともに「目標」「方針」という言葉をよく使います。しかし、それらを正しく使っていない人を見かけます。会社の意志決定の基本であるにも関わらず、それらの意味を正しく理解している人は意外と少ないのではないでしょうか。
私は、「目的」「目標」「方針」を次のように理解して使っています。
目的: 最終的な到達点、永遠の問い、理想の世界、何かをする意味や理由
目標: 目的に至る通過点、ある期間内で達成すべき状態
方針: 目標達成のために採用する手段、方法、選択肢のひとつ
登山に例えるならば、
「目標」とは、「元旦に富士山に登頂し初日の出を拝む」
「方針」とは、「5合目まで車で行って、そこから徒歩で登山を始める」
となります。そして、「目的」とは、理由を説明する言葉。例えば「願い事を叶えるため」などとなるでしょうか。
しかし、登山の目的ならともかく、「人生の目的」は何か、ということになると、たいていの場合、言葉にならない無意識レベルに潜んでいて、はっきりと自覚することは難しいのではないでしょうか。著名な登山家のマロリーは、
「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」
と問われ、
「そこにエベレストがあるから(Because it’s there. )」
と答えたという逸話は有名です。この言葉からマロリーにとって登山とは人生の目的そのものだったと想像できます。
ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory 、1886年6月18日 – 1924年6月8日もしくは9日)は、イギリスの登山家。 1920年代にイギリスが国威発揚をかけた3度のエベレスト遠征隊に参加。1924年6月の第3次遠征において、マロリーはパートナーのアンドリュー・アーヴィンと共に頂上を目指したが、北東稜の上部、頂上付近で行方不明となった。マロリーの最期は、死後75年にわたって謎に包まれていたが、1999年5月1日に国際探索隊によって遺体が発見された。以来、マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは、未だに論議を呼んでいる。 (Wikipediaより)
ニーチェが、
「すべての知識の拡大は、無意識を意識化することから生じる。」
と言ったように、無意識レベルに潜んでいる「目的」を発見、発揮するためには、何らかの方法で意識化する必要がある、ということになると思います。
2.「目的」の発見
ニーチェは次の言葉も残しています。
「君はこれまで、何を本当に愛してきたか、何が君の心をひきつけ君の心を支配し、かつまた有頂天にしたか。これまで崇拝してきたそれらの対象を、順々に心に思い浮かべてみるがよい。それらの対象は…一つの法則、君の根本法則を君の前に明らかにするにちがいない。」
私は、ニーチェが言う、「一つの根本法則」とは、「人生の目的」と同じ意味だと解釈しています。
そして、「人生の目的」を発見するためには、「一つの根本法則」を「意識化」する以外に方法がないと思うのです。
特定の信仰を持つ人にとって「人生の目的」とは、大いなる存在(神、万物の創造主)との対話によって気付きを得るものです。それは、現世で果たすべき役割、という言葉で表されます。
一方、特定の信仰を持たない大多数の日本人にとって、大いなる存在の力を得て自らに課された役割と人生の目的に気づくことは稀かと思われます。その結果、多くの日本人が悩むのは、「人生の目的」がはっきりしない中で、次々に与えられる「目標」の達成に翻弄されることです。「目標が目的化」するというのはこういった状態のことです。その結果、環境や自らの行いに対する納得感と満足感がなかなか高まらない。一度高まっても維持できない。そんな構図が頭に浮かんできます。
ニーチェは、神に頼らず自らの力で生きる意味を見つける、「超人になれ」と言いました。しかし、これはなかなか難しい。私たち普通の人間が、特定の信仰に頼らなくても、また「超人」にならなくても、「一つの根本原因」である「人生の目的」を発見し、意識化するためには、一体どうしたらよいでしょうか。
私は、前回書いた、人生の座標軸 ①良い人間関係(身近な人との親密な関係) がそのカギを握っていると考えています。
良い人間関係(身近な人との親密な関係)において、「人生の目的」を発見する上で重要と考えるのは、縦の人間関係です。縦の関係とは、師(親、恩師、上司等)から自己理解のフィードバックを受けること。また、後進を育てることによって自身の成長の機会とする、ということです。
縦の関係を掘下げてみたいと思います。
「士は己を知る者のために死す」という言葉があります。
中国前漢時代の歴史家、司馬遷(しばせん、紀元前145/135年 – 紀元前87/86年)が執筆した「史記」の中の「刺客列伝」で取り上げた故事です。
男子たる者は、自分の真価をよくわかってくれる人のためには命をなげうっても尽くすものだとの意。中国、晋(しん)の智伯(ちはく)が趙(ちょう)の襄子(じょうし)に滅ぼされたとき、その臣であった予譲は、いったんは山中に逃れたものの、このことばによって復讐(ふくしゅう)を誓い、姓名を変え、顔面を傷つけるなどして別人を装い、襄子をつけねらったが捕らえられ目的を果たせず、襄子の計らいで与えられたその衣を刺し通し、自らも返す剣の刃に伏して命を絶った、と伝える『史記』「刺客伝」などの故事による。(出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))
ここでのポイントは、自分では気づけなかった「一つの根本原因」つまり「人生の目的」の写し鏡になってくれる人の存在が必要だということです。
この言葉を企業で応用するならば、経営者が、従業員に業務を与える前に、その一人一人の真価を見極め、その真価を発揮できる環境を与える、ということになるでしょう。「真価」とは、いうなれば、その人のコアの部分。つまり「人生の目的」ということになります。
そして、経営者は、従業員一人一人の真価(目的)と、会社の目的(経営(企業)理念)とクロス(融合)する施策を講じます。目的で結ばれた経営者と従業員の関係は強固で、基本的な役割さえ決めておけば、業務(ジョブとタスク)をきっちり定めなくても望ましい行動をしてくれるようになります。これが理念経営と目標管理の理想の姿です。
さらに昨今では、2015年に国連総会で採択された、持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs〈エスディージーズ〉)が社会の共通言語となり、企業にも具体的な行動が求められるようになりました。SDGsは共通善(誰も否定しない目的)そのものです。経営者が、従業員一人一人の真価(目的)との整合性を図る上で重要な指針となっています。
今回は、人生の座標軸 ②人生の目的 について考えてみました。まとめると、「人生の目的」は、無意識レベルに潜んでいてはっきりしない。無意識を意識化するカギは「良い人間関係(縦の関係)」をもつこと。「縦の関係」をもつことによって自分の真価に気づかせてくれてその発揮によって、「人生の目的」に基づいた生き方ができるということを述べました。
次回は、人生の座標軸 ③好きな仕事 について考えてみたいのですが、先に問題点を整理しておきたいと思います。
自身の目的の実現に向けて取り組むことを見つけることが、好きな仕事(職業)の選択です。仕事は、「目的」に合致していれば成果も上がりやすいし、楽しいものです。
問題は、激しくなる環境変化に伴い、仕事の経験を通じてせっかく身につけたスキルも短期間に陳腐化してしまう可能性がますます高まり、「好きな仕事」を続けることが難しくなっているということです。そこで、仕事は常に見直しを迫られる訳ですが、企業内で雇用が守られていた時代では、その変化に気付くことが少なかったものの、これからは一人一人が労働市場と向き合って、自身の仕事の経験、スキルと、刻々と変化する市場のニーズとの適合性を図っていかなければならないということです。その際、常に立ち戻る原点として、私たち一人一人に備わっている真価(人生の目的)があるということです。
次回は、私たちが環境変化の荒波にもまれながらも、好きな仕事をしていく方法を考えてみたいと思います。