前回のブログでは、イノベーションを起こすトップの作法として、ダイアローグ(対話)によってメンバー一人ひとりが持つ異なる考えや意見を聴くこと。仮に1,000個の異なる意見が出ても、それらに個別対応するのではなく、「アウフヘーベン(止揚)」して、共通項を導き出すことを提起しました。
今回は、「アウフヘーベン(止揚)」は時代の要請に則った手法であることの検証をふまえて、それを実践した企業とトップの事例を書きたいと思います。
止揚(しよう、独: aufheben, アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。(Wikipediaより)
まず、本題に入る前に、「アウフヘーベン」を活かす方法について理解を深めたいと思います。
西山圭太さん(東京大学未来ビジョン研究センター客員教授/前・経済産業省商務情報政策局長)が、日本企業の弱点と人材不足の克服へ(膠着する日本経済の深層)というタイトルで、日本経済が行き詰っている原因について語っています。一つ目はマーケティングを軽視すること。二つ目は、顧客の要望の聴き方を間違っていること。以上を指摘しつつ、その克服のカギは、「アウフヘーベン」することだと述べていて参考になるので引用します。
(日本企業は)「技術があればいいんだ」みたいなことになっています。(中略)当時、ドイツ企業と比較したことがあります。日本とドイツは、やっている業種・業態が似ています。製造業が多く、B to Bが中心。ところがある時期から、圧倒的にドイツのほうが利益率が高いのです。なぜかというと、ギリギリの標準化をドイツ企業はするのです。当時、日本の経営者の方にこの話をしたとき、彼らがどう言ったかというと(中略)「いやいや、お客さんの意見はもちろん聞いています」と言うのですが、そこに大きな誤解があり、ドイツ企業と日本企業の決定的な差があるのです。ドイツ企業も(中略)仮に1000人のお客さんがいたとして、1000人のお客さんの意見を徹底的に聞くけれど、そこで1000種類つくることはしません。1000人のお客さんの意見を、ドイツ的にいえば「アウフヘーベン」して、1000個ではなく、例えば10個とか50個にするのです。ところが、日本の場合は1000個を1000個のままやる。お客さんから見ると、「言ったとおりやってくれた。こんなありがたい人はいない。また来年お願いします」となって(中略)日本はそれをやっていて、しかもそれをすごく良いことだと思っている。(10MTVオピニオンより)
この話しは、私も製造業に属していた期間が長かったので、現場で体験したことにそのまま当てはまります。加えて西山さんは言及していませんでしたが、人事的な視点から言えることは、「お客さんの1000の要望をすべてかなえようとする」発想は、従業員の全人格的労働、つまり、時間制限なく働かせることが出来るという意識が背景にあったからではないでしょうか。ドイツのように厳格な労働時間規制があると、当然、経営は最大限効率良く成果を上げる方法論を練り上げるはずです。日本はそれとは対称的だったとも言えると思います。
西山さんの話しは、ビジネスの世界における「アウフヘーベン」の話しですが、前回も取り上げた、台湾のデジタル担当政務委員(閣僚)のオードリー・タンさんが、行政の見地からも、多くの人々の意見の中から共通項を見いだして「アウフヘーベン」することの有効性について述べていますので引用します。
「最初から完璧を目指すと、取り残される人々が必ず出てきます。それでは公平とは言えません。真に多様で公平な社会を目指すためには、私は二つのステップを経る必要があると思っています。一つはこの『共通の理解』を得ること、つまり、ある問題に対して、満足できるわけじゃないけど受け入れられるという状況にまで持っていくことです。最終的な目的地を決める前に、人々が今共通認識として持っていることは何かを学ぶのです。この過程を経て、ついに共通の目的が定まれば、あとはその実現に向けて突き進む。そのためには、この共通の理解を意思決定に携わる人だけではなく社会全体に周知する必要があります。私の役割は、この2ステップを経るための場を用意することなのです」(VOGUE JAPAN 2020年8月21日「完璧を目指そうとしなくていい」──台湾のデジタル大臣、オードリー・タンが目指す政府と社会)
タンさんは明確に、「答えありき」で政府が民意を問うのではない。自らの役割は、そもそも何もない状態から人々の「共通認識」を見いだし、それを人々に受け入れられる「共通の目的」として定め、「社会全体に周知」する場を用意することだと述べています。
また、タンさんは別の場で、人間の知恵を結びつけ具現化することこそがDX(デジタルトランスフォーメーション)の本領発揮の場なのであって、従来のITが、機械と機械をつなげることであったのと比較して、そもそも目的が異なると述べています。
私は、西山さん、タンさんは、共に「ニューノーマル」を示唆しているということに気づきました。
「ニューノーマル」、日本語では「新常態」「新しい日常」などと訳されます。これまでとはがらっと異なる世界がやってくる、という文脈で使われる今再頻出ワードの一つです。
この言葉は、産業経済は2007年から2008年にかけての世界金融危機後に、近年の平均的な水準に復元するだろうという、経済学者や政策決定者たちの間に共有された信念に警鐘を鳴らす議論の文脈から登場してきた。リーマン・ショックを含む一連の危機の前後で生じた避け難い構造的な変化を経て、「新たな常態・常識」が生じているという認識に立った表現である。(Wikipediaより)
「ニューノーマル」という言葉を「アフターコロナ」に当てはめて近未来を予測する人の中には、非対面の「リモートワーク」が不可逆的に普及するので、企業は必ずしも都心に拠点を持たなくてもよくなるだろうとか、情報セキュリティーをより厳格化する必要がある、などといった、非常に単純化した概念にとどまるものが多いようです。
一方、そのような中で本質を突いているなと思ったのは、慶應義塾大学教授の宮田裕章さんの言葉でした。オードリー・タンさんが言っているような、実現すべき目的は、「権力が与えるのではなく、一人一人から生まれる」と述べていて目を奪われました。
従来の企業活動は、新聞、雑誌、広告も含め、多くの人に届けられるモノを提供するということが中心でしたが、これからはデータで一人ひとりを捉えて「体験」を共創していく時代になるでしょう。「新しい日常」というのは権力を持った一部が定義して画一的に求めるものではなく、激動する社会の中で一人ひとりが見いだして、響き合って生まれるものであってほしいと考えています。(宮田裕章(慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授))
この中で、宮田さんが述べている、「激動する社会」についてですが、同じく慶應義塾大学教授の菊澤研宗さんが詳しく解説しています。私たちが直面している現実について理解を深めることが出来るので引用します。
新型コロナ後のニューノーマルとは、ある意味で安定状態がノーマルではなく、異常事態がノーマルになるということでもあると思う。まさにVUCA(ブーカ)と呼ばれる不確実な時代が到来しているのだろう。VUCAとは、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)の略語であり、米軍がテロ対策に用いた用語だといわれている。このVUCAに対応できない企業はパラダイムの不条理に陥り、合理的に失敗することになる。このようなVUCA時代に、①環境変化を感知し(sensing)、②そこに機会を捕捉し(seizing)、③既存の資源を再構成して自己変容(transforming)する能力のことを、ダイナミック・ケイパビリティ(変化対応的な自己変革力)と呼ぶ。(菊澤研宗(慶応義塾大学商学部教授))
ここまで引用した方々の言葉を私なりにまとめます。
「新型コロナ後のニューノーマルとは異常事態がノーマルになること。不安定、不確実、複雑が増し、ますます曖昧な中で意思決定が求められるようになる。そのような環境では、権力が一方的に押し付けた目的と方法は役に立たない。従来の発想を逆転して、一人ひとりがもつ認識からアウフヘーベンして共通理解を醸成し、社会全体に周知して実現に取り組む。そのような変化対応的な自己変革力が求められる。」
そこで、会社が直面した危機的な状況を、「変化対応的な自己変革力」で乗り切るべく奮闘した事例がないか探したところ、レストラン「ロイヤルホスト」で知られる、ロイヤルホールディングス会長の菊地唯夫さんが、2011年3月に発生した東日本大震災の際に経験されたことを語った日経ビジネスオンラインの記事が目に留まりましたので、やや長文ですが引用します。
菊地唯夫 [きくち・ただお]氏 1965年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本債券信用銀行に入行。頭取秘書を務めていた98年に経営破綻を経験する。その後ドイツ証券を経てロイヤル(現ロイヤルホールディングス)に入社。総合企画部などを経て2010年社長に就任。ロイヤルの経営立て直しに着手する。16年会長兼CEO(最高経営責任者)、19年から現職。
痛烈な皮肉から芽生えた自覚 外食は再びよみがえる 2020年9月11日
社長に就任した2010年は、リーマン・ショックの影響が残り、外食産業の景気も低迷していました。ロイヤルホールディングスも2期連続の赤字から立ち直るための方策がなかなか定まりませんでした。定まらないどころか、経営陣の間では経営方針をめぐって対立が起こっていた。「何とかしてまず利益を回復させよう」という考え方と、「従業員の処遇やお客様の満足度向上が先だ」とする考え方です。
本来、企業経営というものは企業価値の向上を通じて全てのステークホルダーに恩恵を与えるものでなければなりません。2つの考え方が対立すること自体が問題なのですが、当時の私はそこまで気が回りませんでした。社長だったのに「どうすれば会社を良い方向へ導けるか」というビジョンを持ち合わせていなかったのです。
その結果、対立が思わぬ形で表面化してしまいました。11年1月、社長を退いた会長が株主を巻き込み、株主提案を突き付ける事態にまで発展したのです。一部の取締役が経営を実質的に支配しているとして取締役の刷新を求める提案でした。
提案株主と話し合いの場を設けましたが残念ながら決裂し、会社として会長の職を解くことを決めました。この騒動は世間に知れ渡り「お家騒動」「内紛」などと厳しい批判も浴びました。私は店長や料理長など、幹部クラスの従業員を集めて会社の現状を説明する必要に迫られました。
そこでの出来事は今でも忘れられません。一通り説明を終えて、「ゴタゴタが起きて皆さんには申し訳ないけど、今いらっしゃるお客様に迷惑がかからないように頑張ってください」と私が伝えた時です。1人の従業員が突然手を挙げて大声で言いました。「社長、大丈夫です。我々は経営陣なんて一切見ていませんから。お客様しか見ていませんから」と。
ああ、これは私に対する痛烈な皮肉なんだ。そう心に突き刺さりました。「今のロイヤルは経営陣と現場を支える従業員との間に大きな溝が横たわっているのだ」と痛感しました。本気でこの会社を何とかしなければと思い始めたのはこの時からです。初めて経営者としての本当の自覚が芽生えたと言えるかもしれません。
そのすぐ後に発生したのが東日本大震災でした。皆さんのご記憶の通り、地震がもたらした被害は甚大でした。我々も物資の調達が困難になり、「ロイヤルホスト」を中心に東北地方の多くの店が営業できない状態になりました。そこで会社が決めたのが、トラックに支援物資を積める限り積んで応援に行くこと。13日に最初の支援チームが出発し、私も「15日までには現地の状況視察を兼ねて応援に行く」と社員に伝えていました。
(中略)現地の様子を自分の目できちんと確認したい気持ちからの行動でしたが、想像以上に従業員たちが喜んでいました。「社長が自分たちと同じ船に乗ってくれた」。そんな印象を持ったようです。それが全国の従業員に伝わり、私に対する見方や会社の雰囲気が変わるきっかけになった気がします。
宮城県の東南端にある山元町では、30人ほどのチームを組み、がれき撤去のお手伝いをしたり、避難所にいる被災者に煮込みハンバーグや豚の角煮丼などの温かい食事を提供したりするボランティアもやりました。そのときのことを今も鮮明に思い出します。
ホテルに戻ると毎晩、皆が集まって何か話し合っています。何をしているのだろうと思ったら、食事内容や提供方法について改善するところはないか、反省会を開いているのです。これには感動しました。「この会社にはお客様のことを思う素晴らしい従業員がたくさんいる。もっと彼らが輝ける場を用意してやらねば」と心から思いました。
従業員がお客様に良いサービスを提供できる「仕組み」を作るのが経営の役割であり、それがゆくゆくは会社の業績につながっていく。新米社長の私はそのことにようやく気付いたのです。経営と現場が問題を共有し、同じ方向を向かなければ会社は立て直せないと。
それから、私は1人でこっそり店舗に足を運ぶようにしました。店長会議など、普段の会議ではなかなか出てこない現場の「本音」を知りたかったからです。コーヒーや軽食を頼み、店長の時間ができそうな時を見計らって声をかけました。現場が抱えている問題を色々と聞き出せる有意義な機会でした。
(中略)従業員向けに決算説明会を開き始めたのもこの頃です。ロイヤルの置かれている現状を説明した上で、会社の方針や今後の施策を伝える場を作れば、従業員もモチベーション高く仕事に励んでもらえるのではと思ったのです。(中略)経営と現場との距離を徐々に縮める。私がロイヤルの経営の立て直しに挑んだ数年間は、そのための地道な活動の繰り返しでした。
ロイヤルの菊池社長(当時)が経営の立て直しに取り組んだことは、トップダウンではなく、店舗で働く社員一人ひとりの本音を経営の意思決定に活かすことだったようです。東日本大震災の混乱の中で、自らの役割を、「従業員がお客様に良いサービスを提供できる「仕組み」を作るのが経営の役割であり、それがゆくゆくは会社の業績につながっていくことだと気づいた」という言葉にその意志が凝縮されていると思います。
さらに、「経営と現場との距離を徐々に縮める」べく、「従業員向けに決算説明会を開き、会社の方針や今後の施策を伝える場を作ることで、従業員のモチベーションを高めることに取り組んだ」と述べています。私が考えるイノベーションの条件である、「自分の考えをメンバーに押し付けない」「経営が目指す絵を描きメンバーに見せる」「経営上の重要情報をメンバーと共有する」にぴったり符合します。
今回は、アフターコロナに私たちを待ち構えている「ニューノーマル」の姿について様々な視点から考察しました。
「ニューノーマル」において、実現に取り組むべき目的は、従来のように、権力を持つ側が一方的に決めるのではなく、一人ひとりの認識を集めて共通認識を見出し、共通理解を醸成して、すべての人が、たとえ満足できないとしても、受け入れられる状態にする。
そして、
誰一人漏らさず全員が一致して取り組めるかどうかにかかっていると思います。
それこそが、新型コロナ後の、異常事態がノーマルになる、「ニューノーマル」への変化対応的な自己変革力を備えることになるという気づきを得ました。今後、「ニューノーマル」についての概念は、様々な変遷を経て徐々に明確化されていくと思いますが、「人間中心主義」に基づいたものでなければならないということを、私は主張し続けたいと思います。