民主主義とイノベーション

成功するトップが、人並外れて持っている能力っていったい何なのだろうかと、これまで私が仕えた方々のことを思い出しながら考えてみました。

一つは、場の空気を読む力。もう一つは、一人一人のメンバーの気持ち(考え)を把握する力、ではないかと。今回は、そんな考えに至った理由を書きたいと思います。

2021年が始まるや否や、コロナ感染の拡大を受けて政府は、東京、神奈川、千葉、埼玉に緊急事態宣言を発出しました。その後も、全国に感染拡大が広がる中で、各道府県の知事達からは、「自分たちの道府県にも緊急事態宣言の発出を」との声が出始めています。一方、菅総理は、現時点では、「数日間様子を見極めたい」とし、対象地域の拡大について明言を保留しています。そのような中で、次のようなネットニュースが配信されました。

緊急事態宣言下で迎えた3連休中日の10日、首都圏の商店街や商業施設は、多くの人でにぎわいを見せた。外出自粛が叫ばれるものの、客からは「昼くらい外で飲ませて」「店は開いている」と本音が漏れた。東京・上野のアメ横商店街(台東区)は、午後には人をよけないと歩けないほど混雑した。各所に消毒液が設置されたが、大半の人は素通り。「昼飲み」を楽しむ満員の客で盛り上がる店もあった。千葉県船橋市の大型商業施設でも、多くの家族連れや若者がショッピングを楽しんだ。セールに人だかりができる衣料品店や、入店待ちで行列する食品量販店もあった。フードコートは各テーブルがアクリル板で仕切られ、感染対策の注意書きが各所に。ただ昼時でも満席にはならず、客は自然と間隔を空けて座っていた。テーブル用の除菌シートを使う人はごく一部。料理の取り分けや、マスクを外したおしゃべりも散見され、緊張感はなかった。

 家族で訪れた浦安市の女性(35)は「店舗ごとにも消毒があったし、このくらいの混雑なら特に不安はない」。買い物袋を抱えた10代の3人組は「バーゲンに来た。自粛とはいえ店は開いているし、閉じこもってばかりいられない」と話した。 

このニュースを読む限り、感染者の急増で各地の保健所、医療機関の業務はパンク状態であるにもかかわらず「自分は無関係」だと自己解釈して、通常生活を続けようとする人が一定数いることが分かります。

一方、このニュースに対して、ある人が書き込んだ次のコメントが印象的でした。

同調圧力相互監視で抑え込んでいた日本モデルは崩壊しつつある。短期で済めばまだしもここまで長期化すると、もうやってられないよって人が増えた結果。今、去年の春と丸々同じ事やってもあの時程の自粛はしないと思うよ。

日本モデルの感染抑え込みとは、「同調圧力」と「相互監視」だった、というコメントを読んで、はっとしました。

というのも、最近、ネット配信の教養講座で、社会学者の橋爪大三郎さんが、日本特有の「同調圧力」と「相互監視」について、分かりやすい説明をしているのを聞いたからです。

橋爪さんの見立ては次の通りです。

日本文化には「正典」がない。正典とは、世界4大文明である、キリスト教文明の聖書、イスラム教文明のコーラン、インド文明のヴェーダ、中国文明の儒教(四書五経)のような、人々の思想、行動のよりどころ。政治、経済など、世俗におけるあらゆることを決める「道徳的規範」のことだ。では、正典を持たない私たち日本人は何をよりどころとしているかというと、周囲の人の言動をみて、これに合わせることによって道徳的規範を保っている。

橋爪さんの言葉にある、「周囲の人の言動をみて、これに合わせる」とは、「相互監視」機能を強化し、「同調圧力」を高めることと符合します。

さらに、「同調圧力」が高まると、非言語的な「空気(つまり道徳的規範)」が醸成されて、やがて人々は見えない「空気」に従うようになる、との仮説が頭に浮かびました。

菅総理が、緊急事態宣言の発令地域拡大の意思決定を、

「数日間様子を見極めたい」

と述べたのは、意思決定に必要な科学的エビデンスが揃うのを待つためではなく、

「発令地域拡大はやむなし」

という

「空気」

が人々の間に醸成されるのを待つためではないでしょうか。これを、大和言葉では、

「機が熟すのを待つ」

と表現するのだろうと思います。仮に、合理性に則って判断するのであれば、広がり続ける感染を食い止めるために、速やかに緊急事態宣言の対象地域を拡大すると思います。しかし、菅総理のように、多くの日本人は、合理性よりも「空気」の醸成を期待し、無意識にそれに従ってしまうようです。

関東軍による満州での軍事活動の拡大。海軍の真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦。そして極めつけはポツダム宣言受諾の判断を遅らせたのも、この「空気」だったと、当時を知る人々が異口同音に口にするのを、NHKの特集番組で視ました。

さらに、「空気の研究」で有名な、山本七平さん(故人)は、この「空気」が現代の日本社会の隅々までを支配し、様々な問題を引き起こしていると述べています。そして、そんな言説を、コロナの感染拡大以降、頻繁に見聞きするようになったような気がします。

それは、前提が役に立たない異常事態が続くなかで、「同調圧力」や「相互監視」といった目に見えない「空気(道徳的規範)」が、私たちを支配しているという「感覚」に、多くの人が気づき始めたからではないでしょうか。

さらに、「空気」に加えて私たちの社会をより複雑にしていると考えられるのは、「本音と建前の文化」です。私たちが進んで従っているように見える「空気」ですが、実際には、それほど納得している訳でも、受け入れたいと思っている訳でもない、ということが多いのではないでしょうか。

以前、お世話になったアメリカ人英語教師が、言っていたことを思い出します。

「日本に来てびっくりしたことは、実際の日本人が、それまで考えていた日本人像と全然違うことだった。それは、日本人が一人ひとり非常にユニーク(個性的)だということ。むしろ、アメリカ人の方が一般化しやすい。多くの外国人がもつ日本人像である、集団的、没個性的というのは当たっていないと思う。」

彼の言葉を信じるなら、本来個性的な日本人が本音を言わず、一見すると同質に見えるのは、所属する集団に「同調圧力」と「相互監視」が働いていて、場を支配する「空気(道徳的規範)」を乱すのを恐れるからではないでしょうか。

さらに、本音を表に出して「同質的な関係」を壊し、自身が「異質化」して、集団から「監視」される立場になることを恐れるからかもしれません。少なくとも、日本人である私はそのように考え、これまで本音を隠しがちだったという自覚があります。

冒頭、成功するトップは、人並外れた、場の空気を読む力と、一人ひとりのメンバーの気持ち(考え)を把握する力が備わっていると述べました。言葉を変えれば、メンバーを「相互監視」する「同調圧力」が何かが分かっている。さらに、メンバー一人ひとりが「空気(道徳的規範)」に対してどのような「本音」を持っているのかを「掌握」している。ふたつの力を併せ持って、メンバーと組織を望ましい方向へと導くことができるのではないかと私は考えています。

そして、トップが備えるふたつの力、「空気を読む力」と、「メンバーの本音を把握する力」は、これまで何度も書いている、イノベーションの条件と符合するようです。そこで、空気を掌握できず、メンバーの本音がバラバラでも放置してしまうようなトップの下では、イノベーションはなかなか起こらないということが分かる話を紹介したいと思います。

参考にしたのは、台湾のコロナ感染対策を担った、デジタル担当政務委員(閣僚)、オードリー・タンさんが、「なぜ台湾の人々は「コロナ危機」を共有できたのか」というテーマで語った内容です。

タンさんは、ここで、「民主主義とイノベーションの関係性」について興味深い発言をしています。

新型コロナウイルス対策に当たった蔡英文政権の面々は全員、SARSのときの経験を共有しています。疫学研究者出身の陳建仁・前副総統(2020年5月で退任)をはじめ、多くのメンバーがSARS流行前後で重要な役職に就いていました。また、現在の政権内には、感染症や公衆衛生の専門家がたくさん含まれています。これは、公衆衛生の観点から言えば、「少数の人が高度な科学知識を持っているよりも、大多数の人が基本的な知識を持っているほうが重要である」ことを学んだ結果だと思います。

基礎的な知識を持っている人が多ければ多いほど、情報をリマインド(再確認)し、お互いに意見を出し合ったり、対策を考えることができます。逆に、少数の人のみが高度な科学知識を持っているだけの状態では、何が起こっているか理解していない人が多いということです。想像してみてください。もし前代未聞の出来事が起きたときに、誰にも相談できず、あなただけに決定権が託されたとしたら、果たして的確な判断を下せるでしょうか。このことからも情報の共有がいかに大切なものなのかがわかると思います。

それとともに重要になるのが、「エンパワー(empower)」の概念です。これはトラブルやハプニングに直面した際に、すぐ反応して状況を変えていこうとする力を意味します。誰かから強制されなくとも、主体的に動き、困っている人に積極的に手を差し伸べる。多くの人がそうした力を持つことで、困難な問題も解決に導くことができるのです。今回の新型コロナウイルス禍で台湾の人々がとった行動は正にこうしたことだったと思います。

(中略)民主主義社会においては、イノベーションは社会全体に広がっていきます。決して中央にいる一握りの人たちが他の多くの人々に強制するものではありません。ですから、中央の状況と他の地域の状況が異なっていれば、それぞれに適合したより新しい方法が生み出されていきます。それは、台湾の人々がこのウイルスの仕組みを正確に理解していたからであると言えるでしょう。

このようにして、政府と人々の間にパンデミック(世界的大流行)に備えるための意識が共有されていきました。今回、「手洗いの徹底」「ソーシャルディスタンスの確保」「マスク着用」といった政府の要請を、人々がすぐに実行に移すことができたのは、この意識の共有が一番大きなポイントでした。(出典:幻冬舎GOLD ONLINE 2021年1月7日付より)

つまり、台湾では、政府が国民に正しい情報を発信し、それらが共有されていく中で国民の意識の変化(空気)を読み、国民が望んでいること(本音)を把握して、常に最適なリーダーシップが発揮できるような政策的取り組みをしたというのです。それが台湾の民主主義であり、その民主主義においては、イノベーションが社会全体に広がっていく状態を指すこと。そして、その担い手は、中央にいる一部の専門家や政治家ではなく、基本的な知識を身につけた国民一人ひとりだと言っています。

では、私たちの日本は、果たして台湾が目指しているような民主主義と比較してどんな状態にあるのでしょうか。いま一度、私たちが属する会社、学校、地域などあらゆる組織に、タンさんが述べている民主主義の原則、

一人一人が、基本的な知識を身につけていて、強制されるのではなく、社会全体にイノベーションを広げる担い手としての役割を期待されているか

に照らして、総点検してみる価値があるそうです。自信をもって「一致する」と言えないならば、その組織は何を目指しているのか。何を拠り所として運営されているのかをしっかり見極めた方が良いと思います。

ここまで述べたことをまとめます。

トップが「空気を読み」「一人ひとりのメンバーの本音を把握」する力を備える。さらに、私が考えるイノベーションを起こす三条件、「自分の考えを押し付けない」「ありたい会社の姿を示す」「経営上の重要な情報を共有する」を実践すると、自ずと「創発が生じイノベーションが起きる」ことが、台湾のコロナ対策から知見を得ることが出来ました。

しかし、こんなことを言うと多くのトップから反論されそうです。

「民主主義なんてとんでもない。メンバーがやりたいことを勝手に始めたら収拾がつかなくなるじゃないか。」

「メンバーをコントロールできなくなったら社内は混乱するに決まっている。」

このような反論への抗弁を考えました。そして、たったひとつの、シンプルな方法を見つけました。それは、

「メンバー一人ひとりの考えや意見に耳を傾ける」

という方法です。そして、仮にですが、1,000人が1,000個の異なる意見を出したとしても心配する必要はありません。1,000個すべてに対応する必要は無いからです。

但し、1,000個の意見を漫然と聞き流していてはだめで、必死に聴いて1,000個の中に潜んでいる傾向、つまり共通項を言語化(抽象化)するのです。これをドイツ語で「アウフヘーベン(止揚)」と呼びます。

次回は、「アウフヘーベン(止揚)」と、それを実践したトップの事例について書きたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)