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若者 バカ者 よそ者によるイノベーション①

「若者、バカ者、よそ者 イノベーションは彼らから始まる!」(著者は真壁昭夫さん)という本が2012年に出版されました。それ以降、イノベーションを起こす条件の一つとしていろんなところでこの本のタイトルが語られるようになりました。Amazonのサイトにはこの本について次の解説があります。

行き詰まった日本を変えるにはどうすればいいか。その答えは、いままでのやり方を変えることだ。家電メーカーの業績不振は、中国や韓国メーカーの技術的なキャッチアップと円高によるものだろうが、変わらない企業の側にこそ問題がある。では、具体的にどうするか。人が変わらなければ、結果が変わらない。著者は、過去の成功体験に頼らないで組織を改革するには、「若者、バカ者、よそ者」の力が必要だと説く。つまり、強力なエネルギーを持つ若者、旧来の価値観の枠組みからはみ出たバカ者、組織の外にいて従来の仕組みを批判的に見るよそ者である。本書はシュンペーターのイノベーション理論をわかりやすく解説し、元気のない日本企業と社会を活性化することを目的にしている。新製品の発明・発見、新市場の開拓、新しい産業組織の実現など、いま日本に求められているのは、まさに創造的破壊なのだ。経営者、管理職層に読んでもらいたい一冊である。

そこで、「人事が起こすイノベーション」の締めくくりとして、3回に分けて「若者、バカ者、よそ者」について、それぞれ掘り下げて考えてみたいと思います。今回のお題は「若者」です。

友人のDさん(友人といっても20歳以上歳の離れた若者です)が最近転職をしました。以前勤めていた会社は全国的に有名な健康食品の通販会社なのですが、入社早々社内におかしなことたくさんあることが分かり心底呆れ返ってしまったそうです。例えば、出社すると全員が会長(亡くなった創業者の妻)の部屋の前で、ドアが閉まっていて姿の見えない会長に向かってお辞儀をして大声で挨拶をさせられるのだとか。そして、退職の直接的な原因は、上司が仕事の相談にまともに応じようとせず、放置されたことだったそうです。

そんな意欲を維持したくてもできないような環境に別れを告げて転職したDさんに久しぶりに会ったところ、一目見て表情も明るくイキイキしているので、転職がうまくいったのだと思いました。それで話を聞いてみると、とにかく「仕事が好きだし、楽しい」のだそう。毎日残業で忙しいけれど、全然苦にならない。とにかく楽しいのだそうです。そんなDさんの姿を見て、仕事は本来こうでなきゃならないと気づかされたのでした。でも、一体どれくらいの人がDさんと同じように「仕事が好きだし、楽しい」と思っているのか気になり始めました。

そこで関連する情報を調べたところ、2018年に米国のギャラップ社が実施した「エンゲージメント・サーベイ」の結果が目に留まりました。全世界1300万人のビジネスパーソンを対象としたこの調査によると、日本企業はエンゲージメントの高い「熱意あふれる社員」の割合がたったの6%で、米国の32%と比べて大幅に低く、調査した139カ国中132位だったとのこと。さらに「周囲に不満をまき散らしている無気力な社員」の割合は24%、「やる気のない社員」は70%に達しておりいずれも調査対象国中最下位レベルだそうです。従業員エンゲージメントとは、従業員の企業に対する信頼関係や愛着心を意味する言葉ですが、田中道昭さん(立教大学ビジネススクール教授)によると、仕事や会社に対するワクワク感や幸福感とも言える概念であり、社員幸福度とみなすことが出来るそうです。ではなぜ、日本には熱意あふれる、幸福度の高い社員がこんなに少ないのでしょうか。

元キリンビール株式会社の副社長で、高知支店長時代に行った改革を「キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!」という本に著した田村潤さんは、熱意あふれる社員がごくわずかしかいない原因について、次のような見立てをされています。

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私は昭和48年入社ですが、少し上の世代は戦争経験者で「どんなことがあってもやる」という意気がありました。その世代がだんだんリタイアしてくると、それほど苦労しなくても業績が上がっていく時代に育ってきた人間が主流を占めるようになっていきました。日本企業の生産性が悪くなるのはアグレッシブさがなく、困難を乗り越えた経験がないために受け身になってしまっていると感じています。これは何とかしなければならないといろいろな改革が進んで新しいルールが次々と出来る。すると今度はそのルールを守ればいいのだということでそれを乗り越えようとする力が失われる。形式主義に陥っていると思うのです。

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田村さんは、ここで、精神力と形式主義が「社員の熱意の低さの原因」との見立てをされています。その考え方に基づいて仕組みと仕掛けをして高知支店の改革に成功されたわけですから、おそらく間違いないのだと思います。しかし、私はなんとなく引っかかるのです。熱意あふれる社員が少ないのは、世代とか時代とかそんなことよりも、もっと単純な理由ではないかと。

以前、ある調査結果を読んだ記憶があるのですが、それは職場における精神の健康度に関する考察で、役職者が非役職者と比較して高い傾向があることがはっきりしたという内容でした。そして、精神の健康度を決定する要因は「仕事の裁量度」、つまり、自分がやりたいことを誰からも邪魔されずに出来るかにかかっているとの結論が導かれました。私がこれまでに複数の会社で実施に関わったモチベーションや意識調査の結果を見ても、役職者の方が非役職者と比較してポジティブな傾向が出ました。さらに、その中でも業績が好調で、現場への権限移譲が進んでいる組織の方が、結果はさらにポジティブな方に振れていました。

以上を俯瞰すると次のようなことが言えるのではないかと思います。

「仕事の裁量が大きくなるにつれて、意欲と満足度、さらには幸福感までもが高まっていく。」

友人のDさんが、なぜそんなに仕事が楽しいのか、もっと詳しく知りたいと思ったので会社の様子について質問したところ、社長が社員の前で、皆さんの力を存分に発揮して欲しいと度々発言していて、細かいことには口出ししないのだそうです。それが社風になっていて、直属の上司も、あれこれ指図しないし、仕事を任せてくれるのでとてもやりやすいという返事が返ってきました。

イノベーションを起こすために「若者」を揃えたとしても、Dさんの会社のように、彼ら彼女たちが思う存分仕事に打ち込める環境を整えなければ、内に秘めたエネルギーを発揮できずくすぶってしまうでしょう。私の知る福岡県のある一部上場の電子部品メーカーでは、2019年4月、採用活動が功を奏して例年の倍の80名もの大学新卒社員を採用しました。しかし、一年以内に8割の新入社員が退職してしまったそうです。その理由は様々だったでしょう。ただはっきりしていることは、その会社が「若者」を揃えることには熱心だったものの、彼ら、彼女たちがイキイキと仕事をする環境を整えることまで配慮が足りなかったということです。想像ですがその核心には、仕事を任せて(全員一律ではなく一人ひとりできることを見極めてです)、やる気を高め、維持するという仕掛けが不足していたのではないかと思います。

では、「若者」の意欲が高まらない原因が、「仕事の裁量の低さ」だとすると、それを防ぐための手立てはどうしたらよいでしょうか。

「若者」は経験が浅く、多くの場合仕事に不慣れですので、当然周囲の先輩社員や上司に指導を仰ぐことになります。すると、自ずと口やかましく指図されることが多くなります。細かいことを要求され続けると「若者」の意欲は下がり、自分で考えて工夫することがなくなって徐々に成長にブレーキがかかり始めます。一方、仕事が不慣れな中でも、安易に答えを与えず、まず自力でやらせてみて、うまくいったこと、出来なかったことを振り返らせて、徐々にステップアップさせるような指導の下では、「若者」はぐんぐん成長していきます。ポイントは、既存社員達の「若者」に接する態度が決め手になるのです。

私がこれまでに出会った人の中には「若者」を成長させることが出来る人と、そうでない人がいました。その割合は前者が2、後者が8という感じです。さらに、後者の8には圧倒的に、経験豊富なベテラン社員が多かったと思います。人はだれでも、年齢を重ねるにつれて自分の経験を大きめに自己評価し、それを人に押し付けがちになります。指導を受ける側の立場、視点に立った「正しい接し方と指導方法」を身につけない限り、育成に関わろうとしない傍観者か、もしくは「若者」のエネルギーを殺す存在になってしまいます。

そこで、「若者」にとって悪い存在となっているベテランのイメージをはっきりするために、私が出会ったお三方について書きたいと思います。

一人目のSさんは、高校卒業後、某総合電機メーカーに入社し定年退職まで勤め上げられ嘱託再雇用となり、65歳で契約終了となると同時に、私が入社した商社に再就職しました。創業者である社長が大学を卒業してそのメーカーに入社し、Sさんにお世話になったことから顧問という肩書きが与えられ、さらにトヨタの高級車をプレゼントされるという厚遇で迎えられました。そんなSさんの社員に対する態度は常に高圧的でした。社員は、社長がSさんを大切にしていることを知っていたので、どんなに理不尽なことを言われても逆らわず、服従するような態度が固定化していました。Sさんは、朝礼等、社員の前に立つときは常に不機嫌で社員のこと、社内で見つけたことについて不平、不満を述べました。その内容ほぼ全て業務とは直接関係のないことばかりでした。例えば、ごみの捨て方が分別のルールを守っていないとか、お弁当の容器がきれいに水洗いされていないというようなことばかり指摘し、都度腹を立てました。注意だけならまだしも、Sさんはあろうことか、誰にも相談せず、個人のごみは一切捨ててはならないというルールを決めてしまいました。それ以降、社員はごみを自宅に持ち帰らなければならず不便な思いを強いられました。実施した意識調査のコメントに、「ごみを捨てることが出来ない会社など見たことも聞いたこともない」といった辛辣なものがありましたが、社員は皆、似たような感情を抱いていたと思います。Sさんは会社が導入した経費精算や勤怠管理のシステムに対しても社員向け説明会の場であからさまに拒絶する態度を見せました。まともに説明を聞かず「とにかく気に入らない」と発言しました。それでも他の社員は、社長の手前、それを咎めることもできず好き勝手を言わせるままになっていました。Sさんの中にはかつての会社の「道徳的規範」が強固に確立していて、それをあたかも絶対的正義のようにみなして、すべての場所で通用すると思い込んでいたのではないかと思います。Sさんのように頑なで自分の考えを絶対視し、人の意見に耳を傾けない人は、日本企業では決して珍しい存在では無いのではないでしょうか。そのようなベテランの存在が「若者」のやる気を奪い、イノベーションの妨げになっているということを、もう一度私たちは真剣に考え直すべきではないかと思うのです。

二人目のTさんは、某大手家電メーカーの経理部門を勤め上げ、定年後嘱託再雇用満了後に、私が入社した出版社の顧問を務めていました。週一回出社されて、社内の各部署から業務の報告を受け、適宜アドバイスをするという役割でした。社員が困っていること、悩んでいることへの解決策を提示することがTさんの役割だったはずですが、Tさんの存在自体が社員の悩みの種になっていました。Tさんが許可をしないと社長の決裁伺いが出来ないという暗黙の了解があり、Tさんを納得させることが社員にとって非常にストレスになっていたからです。私が苦心したことは、その会社では顧客情報の一元管理が出来ておらず、各部署で情報を共有して効果的な営業活動が出来ていないことをなんとかするということでした。そこで、クラウドサービスを導入して、短期間で、一気に抜本的な業務の枠組み改良を行うという問題解決の方向性を考えつきました。私が社長にプレゼンして決裁伺いをしようとしたところ、社長は、「Tさんに相談してから再度提案しろ」と指示しました。その時私は、入社して間もなかったことからTさんのことについて詳しいことを知りませんでした。Tさんに私のアイデアを説明しました。するとTさんは、アイデアの内容そのものについてコメントするのではなく「クラウドサービスには情報漏洩の危険性があるので導入は認められない」と言い出しました。私は、クラウドサービスの情報は暗号化されていて情報漏洩のリスクはゼロとはいえないまでも低い。その証拠に、多くの企業で採用、導入されていますと反論しました。しかし、Tさんは私の意見を頑として受け入れず「危険なものは危険」の一点張りを通しました。私は、Tさんが古い基準で物事を差配していることの問題点を社長に訴えました。そして、システムを導入することで業務効率が上がり社員の激務も解消されるので人事的側面からもクラウドサービスの導入は必要と主張しました。結局、私の必死の訴えが功を奏して社長から決裁を得て導入することが出来ましたが、導入後もTさん導入準備に横やりを入れて、ことあるごとに嫌味を言い続けました。Tさんの理解では、クラウドサービスは技術的にも未成熟で実用には耐えられないもの、という認識をもっていたのかもしれません。しかし、会社の持続的成長に貢献すべき顧問という役割を果たすのであれば、ご自身の経験を活かしつつも最新のテクノロジーに関する知識を実装して正しい現状認識と判断をしていただきたかったと思います。

三人目のGさんはバブル崩壊後に廃業した某大手都市銀行出身者で、私が入社したソフトウェア開発企業で、常務取締役として管理部門を管掌していました。この会社は、東証一部に上場していましたが、某大手メーカーの連結対象子会社でもあり、社長筆頭に同社から役員が天下ってきていました。Gさんがどのような経緯で取締役に就いたのかはよくわかりません。私が入社してしばらくした頃、急速に業績が悪化しました。赤字化することを避けたい経営の意向で50名程の雇用調整を実施することになりました。私はそれ以前の会社で雇用調整の実務を担った経験があったので、全体のスキームを考え、再就職支援会社など外部の協力企業との調整を詰めて、いよいよ退職勧奨の実務(部下面談)を担う管理職向けの研修日を迎えました。Gさんは、取締役として、担当する退職勧奨面談はなかったので研修には参加しませんでした。研修の終了間近、質疑応答のパートに入った頃、Gさんが研修会場に姿を現し、私たち人事部員が研修受講者である管理職達から様々な質問を受けている様子を会場の後方で腕を組んで見届けました。そして、質疑応答も混乱なく無事に終わりかけていた最後になって、ある管理職から私たちが想定していなかった質問が出されました。私は、取り決めていなかった内容だったため、持ち帰って検討し、ルールを決めて関係者に通知すると返事をし、管理職達はその回答に納得して解散となりました。私は、急ごしらえながら無事に一歩を踏み出せたと考えて安堵しました。そして、管理職全員が研修会場を退室して私たち人事部員が会場の片づけを始めようとしたところ、Gさんがものすごい剣幕で私たちのところに歩み寄ってきて「全員別室に集合しろ」と怒鳴りました。私たちは意味がわからず恐る恐る別室に入ると中央にGさんが座りじっと私たちをにらみつけています。全員着席した途端にGさんは一方的にまくし立てました。「管理職に質問されて答えられないことがあるなど言語道断だ。一つでも抜けがあればすべて意味がないことだ。お前たちの仕事はまったくなっていない。」私は悔しさと怒りのあまり握りこぶしを今にも机の上に振り下ろしたくなる衝動に駆られました。それでも我慢出来たのは、私が抜けて仲間に負担がかかることを避けたかったからです。銀行出身のGさんからすれば、数字が完璧に一致しなければすべてやり直しという仕事観から発した言葉だったと思います。同社にとって初めての大きな雇用調整であり、やってみないと分からないことも多々ある中で、しぶしぶ研修に応じた管理職達に、なんとか主体的に部下のことを考えさせることが出来たという意味で、研修の最重要課題はクリア出来たと自負していました。しかし、本題とは異なる、全く予想もしない視点から頭ごなしに否定されたことは、私にとって一生忘れない記憶として刻まれました。最終的に、雇用調整は計画通り進捗し、トラブルも一件も発生せず無事に終えることが出来ました。私たちがGさんから受けたようなことを起こさないためにはどうしたら良いか、私の問題意識の原点のひとつになっています。

私が関わったお三方の記憶をたどる中で、改めて「若者」のやる気を高めて、イノベーションの担い手となってもらうために必要なことがはっきりしてきました。それは、「成功体験」をもつベテラン社員の扱いをどうするのかということです。

今後日本の企業では、間違いなく定年延長が具体化していきます。政府は、社会保障費削減のために、これまで保障を受ける立場であったシルバー層を、社会保障制度を支える立場になってもらうということを企図していると思います。現在、多くの企業では定年は60歳で65歳まで嘱託として継続雇用するという制度を運用しています。今後、定年を65歳に繰り下げて、70歳まで働ける環境を整えるように多くの企業では対応するでしょうが、制度変更はあくまで表面的なことです。制度変更による影響は今回のブログに書いたような「若者」のやる気にまで及ぶことを政治がどこまで理解しているかは疑問です。

「若者」に接する態度を気を付けるよう、ベテラン社員に意識付けをするという消極的な方法では効果は覚束かないと思います。OJT研修をやっても効果は限定的でしょう。より強制力のある仕組みが必要と考えます。

私が勤務した会社では、60歳定年を迎えると、会社に出社する必要はなくなります。毎月仕事に関するレポートを会社に提出することで、65歳まで継続雇用されて給与が支給されるのです。これは、ベテラン社員による現役社員への影響を抑えたいという意図から設けられた制度のようです。しかし、同社も近々65歳定年に移行を余儀なくされるはずですので、同じスキームで環境変化に対応できるのか疑問です。

そこで思い出したのは、千葉県香取市、水郷と呼ばれた佐原を観光したときに聞いた「ベテランの扱い」に関する話です。江戸時代、幕府の直轄領として交易で繁栄した佐原では独自の文化が発達しました。ユネスコ無形文化遺産にも登録された山車曳き廻しは特に有名です。この山車が保管されている「水郷佐原山車会館」で、説明員の方に聞いたことが参考になると思うのです。佐原には江戸時代から続くすべての世代の男性によって組織される自治組織があります。そして、満60歳、つまり還暦を迎えると全員、無条件で若者の下に就いてお茶汲みをするのだそうです。このルールによって、権力が固定化されず、派閥もできず、世代の入れ替わりが円滑に行われてきたと説明員の方は力説していました。この佐原モデルからは、個人の意識に依存するのではなく、ベテランの役割を強制的に変えることの必要性について教訓を得ることができます。この智慧を「若者」が意欲高くエネルギーを発揮してイノベーションを起こす組織づくりに活かせないか考え続けたいと思います。

今回はイノベーションの担い手である「若者」がエネルギーを存分に発揮して、意欲高く幸福感を感じて仕事をするにはどうしたら良いかを考えました。人生100年時代といわれる今だからこそ、改めて世代間の良い関係性づくりについて、成り行き任せではなく、しっかりとした理念を掲げて、具体的な方策を講ずる必要があることを再認識しました。

ニューノーマル時代のイノベーション

前回のブログでは、イノベーションを起こすトップの作法として、ダイアローグ(対話)によってメンバー一人ひとりが持つ異なる考えや意見を聴くこと。仮に1,000個の異なる意見が出ても、それらに個別対応するのではなく、「アウフヘーベン(止揚)」して、共通項を導き出すことを提起しました。

今回は、「アウフヘーベン(止揚)」は時代の要請に則った手法であることの検証をふまえて、それを実践した企業とトップの事例を書きたいと思います。

止揚(しよう、独: aufheben, アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。(Wikipediaより)

まず、本題に入る前に、「アウフヘーベン」を活かす方法について理解を深めたいと思います。

西山圭太さん(東京大学未来ビジョン研究センター客員教授/前・経済産業省商務情報政策局長)が、日本企業の弱点と人材不足の克服へ(膠着する日本経済の深層)というタイトルで、日本経済が行き詰っている原因について語っています。一つ目はマーケティングを軽視すること。二つ目は、顧客の要望の聴き方を間違っていること。以上を指摘しつつ、その克服のカギは、「アウフヘーベン」することだと述べていて参考になるので引用します。

(日本企業は)「技術があればいいんだ」みたいなことになっています。(中略)当時、ドイツ企業と比較したことがあります。日本とドイツは、やっている業種・業態が似ています。製造業が多く、B to Bが中心。ところがある時期から、圧倒的にドイツのほうが利益率が高いのです。なぜかというと、ギリギリの標準化をドイツ企業はするのです。当時、日本の経営者の方にこの話をしたとき、彼らがどう言ったかというと(中略)「いやいや、お客さんの意見はもちろん聞いています」と言うのですが、そこに大きな誤解があり、ドイツ企業と日本企業の決定的な差があるのです。ドイツ企業も(中略)仮に1000人のお客さんがいたとして、1000人のお客さんの意見を徹底的に聞くけれど、そこで1000種類つくることはしません。1000人のお客さんの意見を、ドイツ的にいえば「アウフヘーベン」して、1000個ではなく、例えば10個とか50個にするのです。ところが、日本の場合は1000個を1000個のままやる。お客さんから見ると、「言ったとおりやってくれた。こんなありがたい人はいない。また来年お願いします」となって(中略)日本はそれをやっていて、しかもそれをすごく良いことだと思っている。(10MTVオピニオンより)

この話しは、私も製造業に属していた期間が長かったので、現場で体験したことにそのまま当てはまります。加えて西山さんは言及していませんでしたが、人事的な視点から言えることは、「お客さんの1000の要望をすべてかなえようとする」発想は、従業員の全人格的労働、つまり、時間制限なく働かせることが出来るという意識が背景にあったからではないでしょうか。ドイツのように厳格な労働時間規制があると、当然、経営は最大限効率良く成果を上げる方法論を練り上げるはずです。日本はそれとは対称的だったとも言えると思います。

西山さんの話しは、ビジネスの世界における「アウフヘーベン」の話しですが、前回も取り上げた、台湾のデジタル担当政務委員(閣僚)のオードリー・タンさんが、行政の見地からも、多くの人々の意見の中から共通項を見いだして「アウフヘーベン」することの有効性について述べていますので引用します。

「最初から完璧を目指すと、取り残される人々が必ず出てきます。それでは公平とは言えません。真に多様で公平な社会を目指すためには、私は二つのステップを経る必要があると思っています。一つはこの『共通の理解』を得ること、つまり、ある問題に対して、満足できるわけじゃないけど受け入れられるという状況にまで持っていくことです。最終的な目的地を決める前に、人々が今共通認識として持っていることは何かを学ぶのです。この過程を経て、ついに共通の目的が定まれば、あとはその実現に向けて突き進む。そのためには、この共通の理解を意思決定に携わる人だけではなく社会全体に周知する必要があります。私の役割は、この2ステップを経るための場を用意することなのです」(VOGUE JAPAN 2020年8月21日「完璧を目指そうとしなくていい」──台湾のデジタル大臣、オードリー・タンが目指す政府と社会)

タンさんは明確に、「答えありき」で政府が民意を問うのではない。自らの役割は、そもそも何もない状態から人々の「共通認識」を見いだし、それを人々に受け入れられる「共通の目的」として定め、「社会全体に周知」する場を用意することだと述べています。

また、タンさんは別の場で、人間の知恵を結びつけ具現化することこそがDX(デジタルトランスフォーメーション)の本領発揮の場なのであって、従来のITが、機械と機械をつなげることであったのと比較して、そもそも目的が異なると述べています。

私は、西山さん、タンさんは、共に「ニューノーマル」を示唆しているということに気づきました。

「ニューノーマル」、日本語では「新常態」「新しい日常」などと訳されます。これまでとはがらっと異なる世界がやってくる、という文脈で使われる今再頻出ワードの一つです。

この言葉は、産業経済は2007年から2008年にかけての世界金融危機後に、近年の平均的な水準に復元するだろうという、経済学者や政策決定者たちの間に共有された信念に警鐘を鳴らす議論の文脈から登場してきた。リーマン・ショックを含む一連の危機の前後で生じた避け難い構造的な変化を経て、「新たな常態・常識」が生じているという認識に立った表現である。(Wikipediaより)

「ニューノーマル」という言葉を「アフターコロナ」に当てはめて近未来を予測する人の中には、非対面の「リモートワーク」が不可逆的に普及するので、企業は必ずしも都心に拠点を持たなくてもよくなるだろうとか、情報セキュリティーをより厳格化する必要がある、などといった、非常に単純化した概念にとどまるものが多いようです。

一方、そのような中で本質を突いているなと思ったのは、慶應義塾大学教授の宮田裕章さんの言葉でした。オードリー・タンさんが言っているような、実現すべき目的は、「権力が与えるのではなく、一人一人から生まれる」と述べていて目を奪われました。

従来の企業活動は、新聞、雑誌、広告も含め、多くの人に届けられるモノを提供するということが中心でしたが、これからはデータで一人ひとりを捉えて「体験」を共創していく時代になるでしょう。「新しい日常」というのは権力を持った一部が定義して画一的に求めるものではなく、激動する社会の中で一人ひとりが見いだして、響き合って生まれるものであってほしいと考えています。(宮田裕章(慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授))

この中で、宮田さんが述べている、「激動する社会」についてですが、同じく慶應義塾大学教授の菊澤研宗さんが詳しく解説しています。私たちが直面している現実について理解を深めることが出来るので引用します。

新型コロナ後のニューノーマルとは、ある意味で安定状態がノーマルではなく、異常事態がノーマルになるということでもあると思う。まさにVUCA(ブーカ)と呼ばれる不確実な時代が到来しているのだろう。VUCAとは、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)の略語であり、米軍がテロ対策に用いた用語だといわれている。このVUCAに対応できない企業はパラダイムの不条理に陥り、合理的に失敗することになる。このようなVUCA時代に、①環境変化を感知し(sensing)、②そこに機会を捕捉し(seizing)、③既存の資源を再構成して自己変容(transforming)する能力のことを、ダイナミック・ケイパビリティ(変化対応的な自己変革力)と呼ぶ。(菊澤研宗(慶応義塾大学商学部教授))

ここまで引用した方々の言葉を私なりにまとめます。

「新型コロナ後のニューノーマルとは異常事態がノーマルになること。不安定、不確実、複雑が増し、ますます曖昧な中で意思決定が求められるようになる。そのような環境では、権力が一方的に押し付けた目的と方法は役に立たない。従来の発想を逆転して、一人ひとりがもつ認識からアウフヘーベンして共通理解を醸成し、社会全体に周知して実現に取り組む。そのような変化対応的な自己変革力が求められる。」

そこで、会社が直面した危機的な状況を、「変化対応的な自己変革力」で乗り切るべく奮闘した事例がないか探したところ、レストラン「ロイヤルホスト」で知られる、ロイヤルホールディングス会長の菊地唯夫さんが、2011年3月に発生した東日本大震災の際に経験されたことを語った日経ビジネスオンラインの記事が目に留まりましたので、やや長文ですが引用します。

菊地唯夫 [きくち・ただお]氏 1965年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本債券信用銀行に入行。頭取秘書を務めていた98年に経営破綻を経験する。その後ドイツ証券を経てロイヤル(現ロイヤルホールディングス)に入社。総合企画部などを経て2010年社長に就任。ロイヤルの経営立て直しに着手する。16年会長兼CEO(最高経営責任者)、19年から現職。

痛烈な皮肉から芽生えた自覚 外食は再びよみがえる 2020年9月11

社長に就任した2010年は、リーマン・ショックの影響が残り、外食産業の景気も低迷していました。ロイヤルホールディングスも2期連続の赤字から立ち直るための方策がなかなか定まりませんでした。定まらないどころか、経営陣の間では経営方針をめぐって対立が起こっていた。「何とかしてまず利益を回復させよう」という考え方と、「従業員の処遇やお客様の満足度向上が先だ」とする考え方です。

本来、企業経営というものは企業価値の向上を通じて全てのステークホルダーに恩恵を与えるものでなければなりません。2つの考え方が対立すること自体が問題なのですが、当時の私はそこまで気が回りませんでした。社長だったのに「どうすれば会社を良い方向へ導けるか」というビジョンを持ち合わせていなかったのです。

その結果、対立が思わぬ形で表面化してしまいました。11年1月、社長を退いた会長が株主を巻き込み、株主提案を突き付ける事態にまで発展したのです。一部の取締役が経営を実質的に支配しているとして取締役の刷新を求める提案でした。

提案株主と話し合いの場を設けましたが残念ながら決裂し、会社として会長の職を解くことを決めました。この騒動は世間に知れ渡り「お家騒動」「内紛」などと厳しい批判も浴びました。私は店長や料理長など、幹部クラスの従業員を集めて会社の現状を説明する必要に迫られました。

そこでの出来事は今でも忘れられません。一通り説明を終えて、「ゴタゴタが起きて皆さんには申し訳ないけど、今いらっしゃるお客様に迷惑がかからないように頑張ってください」と私が伝えた時です。1人の従業員が突然手を挙げて大声で言いました。「社長、大丈夫です。我々は経営陣なんて一切見ていませんから。お客様しか見ていませんから」と。

ああ、これは私に対する痛烈な皮肉なんだ。そう心に突き刺さりました。「今のロイヤルは経営陣と現場を支える従業員との間に大きな溝が横たわっているのだ」と痛感しました。本気でこの会社を何とかしなければと思い始めたのはこの時からです。初めて経営者としての本当の自覚が芽生えたと言えるかもしれません。

そのすぐ後に発生したのが東日本大震災でした。皆さんのご記憶の通り、地震がもたらした被害は甚大でした。我々も物資の調達が困難になり、「ロイヤルホスト」を中心に東北地方の多くの店が営業できない状態になりました。そこで会社が決めたのが、トラックに支援物資を積める限り積んで応援に行くこと。13日に最初の支援チームが出発し、私も「15日までには現地の状況視察を兼ねて応援に行く」と社員に伝えていました。

(中略)現地の様子を自分の目できちんと確認したい気持ちからの行動でしたが、想像以上に従業員たちが喜んでいました。「社長が自分たちと同じ船に乗ってくれた」。そんな印象を持ったようです。それが全国の従業員に伝わり、私に対する見方や会社の雰囲気が変わるきっかけになった気がします。

宮城県の東南端にある山元町では、30人ほどのチームを組み、がれき撤去のお手伝いをしたり、避難所にいる被災者に煮込みハンバーグや豚の角煮丼などの温かい食事を提供したりするボランティアもやりました。そのときのことを今も鮮明に思い出します。

ホテルに戻ると毎晩、皆が集まって何か話し合っています。何をしているのだろうと思ったら、食事内容や提供方法について改善するところはないか、反省会を開いているのです。これには感動しました。「この会社にはお客様のことを思う素晴らしい従業員がたくさんいる。もっと彼らが輝ける場を用意してやらねば」と心から思いました。

従業員がお客様に良いサービスを提供できる「仕組み」を作るのが経営の役割であり、それがゆくゆくは会社の業績につながっていく。新米社長の私はそのことにようやく気付いたのです。経営と現場が問題を共有し、同じ方向を向かなければ会社は立て直せないと。

それから、私は1人でこっそり店舗に足を運ぶようにしました。店長会議など、普段の会議ではなかなか出てこない現場の「本音」を知りたかったからです。コーヒーや軽食を頼み、店長の時間ができそうな時を見計らって声をかけました。現場が抱えている問題を色々と聞き出せる有意義な機会でした

(中略)従業員向けに決算説明会を開き始めたのもこの頃です。ロイヤルの置かれている現状を説明した上で、会社の方針や今後の施策を伝える場を作れば、従業員もモチベーション高く仕事に励んでもらえるのではと思ったのです。(中略)経営と現場との距離を徐々に縮める。私がロイヤルの経営の立て直しに挑んだ数年間は、そのための地道な活動の繰り返しでした。

ロイヤルの菊池社長(当時)が経営の立て直しに取り組んだことは、トップダウンではなく、店舗で働く社員一人ひとりの本音を経営の意思決定に活かすことだったようです。東日本大震災の混乱の中で、自らの役割を、「従業員がお客様に良いサービスを提供できる「仕組み」を作るのが経営の役割であり、それがゆくゆくは会社の業績につながっていくことだと気づいた」という言葉にその意志が凝縮されていると思います。

さらに、「経営と現場との距離を徐々に縮める」べく、「従業員向けに決算説明会を開き、会社の方針や今後の施策を伝える場を作ることで、従業員のモチベーションを高めることに取り組んだ」と述べています。私が考えるイノベーションの条件である、「自分の考えをメンバーに押し付けない」「経営が目指す絵を描きメンバーに見せる」「経営上の重要情報をメンバーと共有する」にぴったり符合します。

今回は、アフターコロナに私たちを待ち構えている「ニューノーマル」の姿について様々な視点から考察しました。

「ニューノーマル」において、実現に取り組むべき目的は、従来のように、権力を持つ側が一方的に決めるのではなく、一人ひとりの認識を集めて共通認識を見出し、共通理解を醸成して、すべての人が、たとえ満足できないとしても、受け入れられる状態にする。

そして、

誰一人漏らさず全員が一致して取り組めるかどうかにかかっていると思います。

それこそが、新型コロナ後の、異常事態がノーマルになる、「ニューノーマル」への変化対応的な自己変革力を備えることになるという気づきを得ました。今後、「ニューノーマル」についての概念は、様々な変遷を経て徐々に明確化されていくと思いますが、「人間中心主義」に基づいたものでなければならないということを、私は主張し続けたいと思います。

民主主義とイノベーション

成功するトップが、人並外れて持っている能力っていったい何なのだろうかと、これまで私が仕えた方々のことを思い出しながら考えてみました。

一つは、場の空気を読む力。もう一つは、一人一人のメンバーの気持ち(考え)を把握する力、ではないかと。今回は、そんな考えに至った理由を書きたいと思います。

2021年が始まるや否や、コロナ感染の拡大を受けて政府は、東京、神奈川、千葉、埼玉に緊急事態宣言を発出しました。その後も、全国に感染拡大が広がる中で、各道府県の知事達からは、「自分たちの道府県にも緊急事態宣言の発出を」との声が出始めています。一方、菅総理は、現時点では、「数日間様子を見極めたい」とし、対象地域の拡大について明言を保留しています。そのような中で、次のようなネットニュースが配信されました。

緊急事態宣言下で迎えた3連休中日の10日、首都圏の商店街や商業施設は、多くの人でにぎわいを見せた。外出自粛が叫ばれるものの、客からは「昼くらい外で飲ませて」「店は開いている」と本音が漏れた。東京・上野のアメ横商店街(台東区)は、午後には人をよけないと歩けないほど混雑した。各所に消毒液が設置されたが、大半の人は素通り。「昼飲み」を楽しむ満員の客で盛り上がる店もあった。千葉県船橋市の大型商業施設でも、多くの家族連れや若者がショッピングを楽しんだ。セールに人だかりができる衣料品店や、入店待ちで行列する食品量販店もあった。フードコートは各テーブルがアクリル板で仕切られ、感染対策の注意書きが各所に。ただ昼時でも満席にはならず、客は自然と間隔を空けて座っていた。テーブル用の除菌シートを使う人はごく一部。料理の取り分けや、マスクを外したおしゃべりも散見され、緊張感はなかった。

 家族で訪れた浦安市の女性(35)は「店舗ごとにも消毒があったし、このくらいの混雑なら特に不安はない」。買い物袋を抱えた10代の3人組は「バーゲンに来た。自粛とはいえ店は開いているし、閉じこもってばかりいられない」と話した。 

このニュースを読む限り、感染者の急増で各地の保健所、医療機関の業務はパンク状態であるにもかかわらず「自分は無関係」だと自己解釈して、通常生活を続けようとする人が一定数いることが分かります。

一方、このニュースに対して、ある人が書き込んだ次のコメントが印象的でした。

同調圧力相互監視で抑え込んでいた日本モデルは崩壊しつつある。短期で済めばまだしもここまで長期化すると、もうやってられないよって人が増えた結果。今、去年の春と丸々同じ事やってもあの時程の自粛はしないと思うよ。

日本モデルの感染抑え込みとは、「同調圧力」と「相互監視」だった、というコメントを読んで、はっとしました。

というのも、最近、ネット配信の教養講座で、社会学者の橋爪大三郎さんが、日本特有の「同調圧力」と「相互監視」について、分かりやすい説明をしているのを聞いたからです。

橋爪さんの見立ては次の通りです。

日本文化には「正典」がない。正典とは、世界4大文明である、キリスト教文明の聖書、イスラム教文明のコーラン、インド文明のヴェーダ、中国文明の儒教(四書五経)のような、人々の思想、行動のよりどころ。政治、経済など、世俗におけるあらゆることを決める「道徳的規範」のことだ。では、正典を持たない私たち日本人は何をよりどころとしているかというと、周囲の人の言動をみて、これに合わせることによって道徳的規範を保っている。

橋爪さんの言葉にある、「周囲の人の言動をみて、これに合わせる」とは、「相互監視」機能を強化し、「同調圧力」を高めることと符合します。

さらに、「同調圧力」が高まると、非言語的な「空気(つまり道徳的規範)」が醸成されて、やがて人々は見えない「空気」に従うようになる、との仮説が頭に浮かびました。

菅総理が、緊急事態宣言の発令地域拡大の意思決定を、

「数日間様子を見極めたい」

と述べたのは、意思決定に必要な科学的エビデンスが揃うのを待つためではなく、

「発令地域拡大はやむなし」

という

「空気」

が人々の間に醸成されるのを待つためではないでしょうか。これを、大和言葉では、

「機が熟すのを待つ」

と表現するのだろうと思います。仮に、合理性に則って判断するのであれば、広がり続ける感染を食い止めるために、速やかに緊急事態宣言の対象地域を拡大すると思います。しかし、菅総理のように、多くの日本人は、合理性よりも「空気」の醸成を期待し、無意識にそれに従ってしまうようです。

関東軍による満州での軍事活動の拡大。海軍の真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦。そして極めつけはポツダム宣言受諾の判断を遅らせたのも、この「空気」だったと、当時を知る人々が異口同音に口にするのを、NHKの特集番組で視ました。

さらに、「空気の研究」で有名な、山本七平さん(故人)は、この「空気」が現代の日本社会の隅々までを支配し、様々な問題を引き起こしていると述べています。そして、そんな言説を、コロナの感染拡大以降、頻繁に見聞きするようになったような気がします。

それは、前提が役に立たない異常事態が続くなかで、「同調圧力」や「相互監視」といった目に見えない「空気(道徳的規範)」が、私たちを支配しているという「感覚」に、多くの人が気づき始めたからではないでしょうか。

さらに、「空気」に加えて私たちの社会をより複雑にしていると考えられるのは、「本音と建前の文化」です。私たちが進んで従っているように見える「空気」ですが、実際には、それほど納得している訳でも、受け入れたいと思っている訳でもない、ということが多いのではないでしょうか。

以前、お世話になったアメリカ人英語教師が、言っていたことを思い出します。

「日本に来てびっくりしたことは、実際の日本人が、それまで考えていた日本人像と全然違うことだった。それは、日本人が一人ひとり非常にユニーク(個性的)だということ。むしろ、アメリカ人の方が一般化しやすい。多くの外国人がもつ日本人像である、集団的、没個性的というのは当たっていないと思う。」

彼の言葉を信じるなら、本来個性的な日本人が本音を言わず、一見すると同質に見えるのは、所属する集団に「同調圧力」と「相互監視」が働いていて、場を支配する「空気(道徳的規範)」を乱すのを恐れるからではないでしょうか。

さらに、本音を表に出して「同質的な関係」を壊し、自身が「異質化」して、集団から「監視」される立場になることを恐れるからかもしれません。少なくとも、日本人である私はそのように考え、これまで本音を隠しがちだったという自覚があります。

冒頭、成功するトップは、人並外れた、場の空気を読む力と、一人ひとりのメンバーの気持ち(考え)を把握する力が備わっていると述べました。言葉を変えれば、メンバーを「相互監視」する「同調圧力」が何かが分かっている。さらに、メンバー一人ひとりが「空気(道徳的規範)」に対してどのような「本音」を持っているのかを「掌握」している。ふたつの力を併せ持って、メンバーと組織を望ましい方向へと導くことができるのではないかと私は考えています。

そして、トップが備えるふたつの力、「空気を読む力」と、「メンバーの本音を把握する力」は、これまで何度も書いている、イノベーションの条件と符合するようです。そこで、空気を掌握できず、メンバーの本音がバラバラでも放置してしまうようなトップの下では、イノベーションはなかなか起こらないということが分かる話を紹介したいと思います。

参考にしたのは、台湾のコロナ感染対策を担った、デジタル担当政務委員(閣僚)、オードリー・タンさんが、「なぜ台湾の人々は「コロナ危機」を共有できたのか」というテーマで語った内容です。

タンさんは、ここで、「民主主義とイノベーションの関係性」について興味深い発言をしています。

新型コロナウイルス対策に当たった蔡英文政権の面々は全員、SARSのときの経験を共有しています。疫学研究者出身の陳建仁・前副総統(2020年5月で退任)をはじめ、多くのメンバーがSARS流行前後で重要な役職に就いていました。また、現在の政権内には、感染症や公衆衛生の専門家がたくさん含まれています。これは、公衆衛生の観点から言えば、「少数の人が高度な科学知識を持っているよりも、大多数の人が基本的な知識を持っているほうが重要である」ことを学んだ結果だと思います。

基礎的な知識を持っている人が多ければ多いほど、情報をリマインド(再確認)し、お互いに意見を出し合ったり、対策を考えることができます。逆に、少数の人のみが高度な科学知識を持っているだけの状態では、何が起こっているか理解していない人が多いということです。想像してみてください。もし前代未聞の出来事が起きたときに、誰にも相談できず、あなただけに決定権が託されたとしたら、果たして的確な判断を下せるでしょうか。このことからも情報の共有がいかに大切なものなのかがわかると思います。

それとともに重要になるのが、「エンパワー(empower)」の概念です。これはトラブルやハプニングに直面した際に、すぐ反応して状況を変えていこうとする力を意味します。誰かから強制されなくとも、主体的に動き、困っている人に積極的に手を差し伸べる。多くの人がそうした力を持つことで、困難な問題も解決に導くことができるのです。今回の新型コロナウイルス禍で台湾の人々がとった行動は正にこうしたことだったと思います。

(中略)民主主義社会においては、イノベーションは社会全体に広がっていきます。決して中央にいる一握りの人たちが他の多くの人々に強制するものではありません。ですから、中央の状況と他の地域の状況が異なっていれば、それぞれに適合したより新しい方法が生み出されていきます。それは、台湾の人々がこのウイルスの仕組みを正確に理解していたからであると言えるでしょう。

このようにして、政府と人々の間にパンデミック(世界的大流行)に備えるための意識が共有されていきました。今回、「手洗いの徹底」「ソーシャルディスタンスの確保」「マスク着用」といった政府の要請を、人々がすぐに実行に移すことができたのは、この意識の共有が一番大きなポイントでした。(出典:幻冬舎GOLD ONLINE 2021年1月7日付より)

つまり、台湾では、政府が国民に正しい情報を発信し、それらが共有されていく中で国民の意識の変化(空気)を読み、国民が望んでいること(本音)を把握して、常に最適なリーダーシップが発揮できるような政策的取り組みをしたというのです。それが台湾の民主主義であり、その民主主義においては、イノベーションが社会全体に広がっていく状態を指すこと。そして、その担い手は、中央にいる一部の専門家や政治家ではなく、基本的な知識を身につけた国民一人ひとりだと言っています。

では、私たちの日本は、果たして台湾が目指しているような民主主義と比較してどんな状態にあるのでしょうか。いま一度、私たちが属する会社、学校、地域などあらゆる組織に、タンさんが述べている民主主義の原則、

一人一人が、基本的な知識を身につけていて、強制されるのではなく、社会全体にイノベーションを広げる担い手としての役割を期待されているか

に照らして、総点検してみる価値があるそうです。自信をもって「一致する」と言えないならば、その組織は何を目指しているのか。何を拠り所として運営されているのかをしっかり見極めた方が良いと思います。

ここまで述べたことをまとめます。

トップが「空気を読み」「一人ひとりのメンバーの本音を把握」する力を備える。さらに、私が考えるイノベーションを起こす三条件、「自分の考えを押し付けない」「ありたい会社の姿を示す」「経営上の重要な情報を共有する」を実践すると、自ずと「創発が生じイノベーションが起きる」ことが、台湾のコロナ対策から知見を得ることが出来ました。

しかし、こんなことを言うと多くのトップから反論されそうです。

「民主主義なんてとんでもない。メンバーがやりたいことを勝手に始めたら収拾がつかなくなるじゃないか。」

「メンバーをコントロールできなくなったら社内は混乱するに決まっている。」

このような反論への抗弁を考えました。そして、たったひとつの、シンプルな方法を見つけました。それは、

「メンバー一人ひとりの考えや意見に耳を傾ける」

という方法です。そして、仮にですが、1,000人が1,000個の異なる意見を出したとしても心配する必要はありません。1,000個すべてに対応する必要は無いからです。

但し、1,000個の意見を漫然と聞き流していてはだめで、必死に聴いて1,000個の中に潜んでいる傾向、つまり共通項を言語化(抽象化)するのです。これをドイツ語で「アウフヘーベン(止揚)」と呼びます。

次回は、「アウフヘーベン(止揚)」と、それを実践したトップの事例について書きたいと思います。

経営の神様の金言②(本田宗一郎さん)

新年を迎えた日本は、コロナウィルスの感染拡大で揺れています。菅総理大臣は1都3県に緊急事態宣言の発令を決定し、これから私たちの生活にどのような影響が出るのか戦々恐々とした雰囲気が漂っているようにみえます。

具体策の一つとして、飲食店の営業時間を20時までとする、罰則規定を設けた規制が行われるようです。罰則規定が設けられるという点について、緩やかな規範の下にやってきた方針の大転換だと問題視する意見がマスコミや識者と呼ばれる人たちから出ています。なんとか年末年始は乗り切りましたが、今後一定期間は継続的に感染者数が増加することは避けられそうもないので、医療機能不全を回避する対処療法的な対策と、先々を見据えた感染拡大抑止策の両面から舵取りをしなければならない政府には、非常に高度な判断が求められます。

日本の場合、残念ながら問題が大きくなってしまった訳ですから、まずは顕在化した問題への対応に優先度を上げて取り組まなければなりません。このような状況に陥るとモグラ叩きゲームのようになった医療現場は疲弊し、人は離れます。よって、目下、最も重要なことは、医療機関からの医師、看護師の離反を防ぐということで、その一点にあらゆる手段を講じなければなりません。それが出来ているのか、いないのか、連日テレビに出演している医師の話しを聞くと、十分な対応が出来ているようには見えません。それよりも、人々の関心が、飲食店の営業時間短縮や、ワクチンの安全性に向いているようです。それは、政府が正しい情報を提供し、人々の素朴な疑問に真摯に応える等して、適切に導いていないからではないかと思います。

台湾のコロナウィルス感染対策の先頭に立つIT担当大臣のオードリー・タン氏が、NHKの特集番組のインタビューに答えていた次の言葉が印象的でした。

「感染対策で最も必要なことは、政府が国民を信じる(Trustする)ことです。信じれば、国民が政府を信じ返して(Trust backして)くれる。」

相互の信頼関係が台湾のコロナウィルス感染対策の理念になっていること。その点の圧倒的な不足が、日本の対応を迷走させ、いつまで経っても国民に納得感を与えられない真因だと、私は感じています。

さて、本題に入ります。前回の松下幸之助さんに続き、もう一人の昭和を代表する名経営者であった「本田宗一郎さん」の金言と、私が考えた3つの、「創発が生じ、イノベーションが産まれる条件」と符合するか、検証したいと思います。

参考にしたのは、前回同様、週刊東洋経済のバックナンバーです。「インタビュー本田宗一郎1973年9月1日 3758号「わが退陣の弁 もう若い者の時代」です。

このインタビューは、本田宗一郎さんが、本田技研工業創立25周年を機に、副社長の藤沢武夫さんと一緒に経営の第一線から退く意図を明らかにしたことを受けて行われたものです。本田さん66歳、藤沢さん62歳だった当時、決して老齢というわけでもなく、しかも、創業者社長の去り際があざやかだともてはやす記者(インタビュワー)の言葉に対して、本田さんは何と答えたでしょうか。

「人間はなま身なのだから、いつ、どうなるかわからない。事故や病気で明日にでも死ぬかもしれない。だから、われわれがいなくても経営できるようにしておくのが、株主や従業員に対する義務だと思うんですよ。経営者というのは“かけがえのない人”であっちゃいけないんだ。その経営者が急に死んでも、ちゃんと経営ができるようにしておくというのが、経営者の役目だと思う。」

と言っています。これが、本田さんの基本的な考えです。

だから、

「こういう考えで、藤沢副社長と二人で早くから後継者を育ててきたわけです。そして、後継者が育ってきたら、私たちは早くバトンタッチすることがいい。」

として退任を決めたようです。

その準備は退任の10年程前から、「重役会にほとんど出なかった」という行動から一貫していたようです。

そこで、【条件①:トップがメンバーに自分の考えを押し付けない】に関連したことを、本田さんは次のように語っています。

「なぜ(重役会)に出ないかというと、私でも副社長でも、出席して「こういうふうにしたらどうだい」と役員たちに相談をもちかけると、こっちは相談のつもりでも、相手は命令と受け取っちゃうんですね。だから、われわれは出席しないで、若い役員たちだけで議論をしてもらう。(中略)こういうことをやってきたから、うちは若い人がどんどん育ってきたわけだ。」

私は、人材育成担当者の交流で、青山の本田技研工業の本社で人事部の方から話しを伺ったことがあります。本田さんが引退され、お亡くなりになられて数十年も経つのに、社員一人一人のやる気と、強みを発揮する環境の醸成を第一に取り組む、「ホンダイズム」が脈々と受け継がれていることを目の当たりにしました。

例えば、これはどこの会社でも同じですが、「上司は部下を育てる役割」を担っています。そして、たいていの企業では、部下育成の取り組みを人事評価基準に入れる等、対策を講じますが、ホンダではもっと根本的に、「上司が部下を育てない原因」を徹底的に考え抜いて対策を講じたそうです。

お名前は失念しましたが、人材育成の責任者の方は次のようにおっしゃっていました。

「上司が部下を育てない理由は、優秀な部下に依存してそうでない部下に頼る必要がないからです。だから、ホンダでは優秀な部下を抱え込まないようにするために、高い人事評価を与えられた社員(部下)は、一定期間を経過すると他部門に異動させなければならない、という厳格なルールがあります。そのため、上司は、4番打者はいずれいなくなると分かっているので、次の4番打者、さらにその次の4番打者の候補を育てざるを得なくなり、自然に人材育成が促進するのです。」

この言葉はまるで、「重役会に出ない」ということを自らに課し、次世代に任せて育成を行った本田さんの智慧に倣っているかのようです。

実際にインタビューで本田さんは次のように語っています。

「これからも本田技研はいまのシステムでずっとやっていくでしょうね。今後、経営者に突発事故が生じても、経営自体はちゃんと回転していくだろうと、自信を持っていますよ。」

個人の自主性に依存するのではなく、育成が促進するシステムを講じて運用する。目から鱗が落ちる思いをしました。

続いて、【条件②:トップとメンバーが同じ絵を見ている】についてですが、本田さんの場合、あることがきっかけで、同じ絵を見続けてきた社員が、自分よりも優れた考えを持つに至ったことを痛感して引退を決意したと語っています。記者からの、「若い社員の人たちと、ものの考え方でギャップを感じるようになりましたか」との質問に対する本田さんの以下の回答は非常に興味深いです。

「感じるですね。低公害エンジンの開発でも、私は開発に成功すればGMやフォード、トヨタ、日産などとこの排気問題に関しては同一のスタート・ラインに立てると考えた。ところがこれが若い人たちから猛反対を受けた。「社長は企業本位に立って排気ガス問題を考えているが、それはまちがいで、社会的責任の観点から開発に努めるべきだ」というわけだ。全く彼らの言うとおりだ。」

全面的に社員の言葉に理解を示したうえで本田さんは自己を内省します。

「長く経営にたずさわっていると、どうしても経営の苦労がしみ込んで、つい経営というものを基盤においた話をしがちである。ところが、最近は企業の社会的責任が非常にやかましく言われだした。こうした急激な変化に対応するには、私も年老いたなということをはっきり認めざるをえない。こうした問題は、どこの企業でもかかえていると思うんだが、トップが早く認識するかどうかの違いだろう。それは、下の意見が上に通じているかどうかによる。」

さらに、経営にとって耳の痛い意見でも言いやすい環境を整えていたと本田さんは続けます。

「本田技研ではふだんから、誰でも私や藤沢副社長にずけずけものを言えるようにしてある。若い従業員は純粋な立場から企業責任を考えている。こうした意見が、すぐにトップに反映するようにしてあったということは重要だと思う。」

そして、結論として自らのポリシーを語ります。

「経営者としては、従業員の心の中に生きることを考えていけば、自然と、企業の社会的責任の問題だって解決できると思う。従業員の心の中に生きることはいちばん大事なことではないかな。それは、大衆の心を知るという一つの基本なのだ。」

本田さんの言葉は、冒頭私が書いた台湾のオードリー・タン氏の言葉、

「感染対策で最も必要なことは、政府が国民を信じる(Trustする)こと。信じれば、国民が政府を信じ返して(Trust backして)くれる。」

に通じると思いました。人が人と心を通わせることが、成功の普遍的要因であることを、時空を超えて、お二人が教えてくれているようです。

【条件③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されている】については、インタビューでは具体的な話をされなかったようです。しかし、経営上の重要情報が共有されていなければ、社員の育成にも成功できなかったでしょうし、社会的責任を果たすべきだという社員の言葉は出なかったと想像します。

本田さんにとって、会社存在の目的と事業の目標を達成するために、社員と経営の重要情報を共有して、一体化することはあまりにも当たり前すぎて、敢えて語るまでもないことだったのかもしれません。

2回に渡って、「経営の神様」と「昭和の名経営者」、お二人の金言を振り返り、答えのない時代に企業が継続的に成長発展していくための智慧を探りました。

次回は、現代を生きる経営者の言葉の中から、「創発を生じ、イノベーションを起こす」条件を探ってみたいと思います。