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新時代の幸福論(回遊魚として生きる③)

私が考える、幸せな人生の条件。人生の座標軸 の内、「①良い人間関係」「②人生の目的」について書きました。

「①良い人間関係」では、コロナ禍以前にすでにあった「希薄な人間関係」が社会の分裂と分断を助長していて、それがコロナ禍で拍車がかかっている。さらに、働き方改革の総仕上げともいえるジョブ型によって加速する可能性がある。これを防ぐのは私たち一人一人が身近な人との親密な関係を築き、それを広げていくことだと思うと述べました。

「②人生の目的」では、暗黙知化している目的(人生の意味、根本原理、真価)を意識化するには、それを写し鏡となって気づかせてくれる人の存在、特に、親や恩師、上司等、師と仰ぐ存在を持つことが重要で、その人たちとの関係性が、自己の本質の発見に至る。さらに、部下や後輩など導く対象を持つことで本質を発揮して磨きをかけることが出来ると述べました。

つまり、「①良い人間関係」と「②人生の目的」は密接に関わり合っているということを言いたかったのです。今回は、「③好きな仕事」について書きますが、その前に前回、問題提起していたことを書きます。

自身の目的の実現に向けて取り組むことを見つけることが、好きな仕事(職業)の選択です。仕事は、「目的」に合致していれば成果も上がりやすいし、楽しいものです。問題は、激しくなる環境変化に伴い、仕事の経験を通じてせっかく身につけたスキルも短期間に陳腐化してしまう可能性がますます高まり、「好きな仕事」を続けることが難しくなっているということです。そこで、仕事は常に見直しを迫られる訳ですが、企業内で雇用が守られていた時代では、その変化に気付くことが少なかったものの、これからは一人一人が労働市場と向き合って、自身の仕事の経験、スキルと、刻々と変化する市場のニーズとの適合性を図っていかなければならないということです。

そこで、考えました。果たして私たちは、ずっと「好きな仕事をし続けること」ができるのだろうかと。

ずいぶん昔に「Only One」という言葉が流行りました。「世界に一つだけの花」という歌がヒットしたことがきっかけで、「自分らしさ」や「個性」を発揮することは良いことだと言われ始めました。しかし、私はこの言葉にどこか違和感を覚えていました。社会というのは、求める人がいて初めて成り立つものです。自分らしさや個性の発揮という言葉は美しい響きを持つけれども、「人に理解されなくてもよい。いつか分かってくれる人が現れるだろう」と、まるで芸術家が発する言葉のように聞こえたからです。芸術家の中には、評価や評判を気にせず、その生涯を常識の創造的破壊に捧げたような人がいます。

モーツァルトは病に侵されて最後は貧困のためにウィーンの共同墓地に埋葬されました。ゴッホは生涯たった1枚の絵しか売れなかったといいます。このように後世に偉大な芸術家と呼ばれるようになった人は確かに「Only One」と呼ばれる存在と言えるでしょう。しかし、私たちは、生活の糧を得るために生業としての仕事をしなければなりません。そして、仕事には必ず相手がいます。仕事を認めてくれる人の存在が必要です。そういった、誰の役に立つか、何が求められているか、という視点からの発想が、好きな仕事をし続けるための条件、前提になるのではないかと思います。

昭和から平成を通じて数多くのヒット歌謡曲を生み出した筒美京平さんがお亡くなりになりました。訃報に続いて筒美さんの業績に関する報道を見ていて、筒美さんが語られた言葉が目に留まりました。

「自分の持っている音楽を表明していく感じでは全然ない」

「自分が満足するのではなく、人を満足させようとしてきた」

筒美さんは、ご自身の真価を発揮する目的を、人の満足に置いていたということが意外でもあり、やっぱり、という感じがしました。好きな仕事をするというよりも、仕事の方から自分が好かれるようにしてきたのではないか。作曲家という職業が、筒美さん抜きでは語ることができなくなった、という意味で、真の「Only One」になられたのだと思いました。

正しいことをするのではなく、自分の真価を発揮して役に立つことをすることが、幸せな人生の座標軸なのだと思います。前回書いたように、真価(人生の目的)は、良い人間関係(良き師)によって気づかされます。そして、後進を育てることによって磨かれていきます。しかしこれだけでは発展しない。役に立つための場が必要です。それが良い人間関係の2つ目、横の人間関係です。横の人間関係とは、言葉を替えると「リーダーシップ発揮」の場のことです。

リーダーシップというと、強いリーダーがグイグイと周囲の人々を引っ張っているイメージがあります。しかし、環境変化が激しく答えがない現代においては、リーダーが唯一の答えを持っているという前提に立ったリーダーシップでは発揮に限界があります。人それぞれが持つ真価(人生の目的)を見出し、気づかせてあげて、それらが存分に発揮するようにして成果が最大化する。そのためにリーダーは、メンバーがお互いに自分と人との違いを認めて、尊重し合う風土を醸成する必要があります。これがダイバーシティ(多様性)の基本的取組みです。

お互いの違いに気づく方法はひとつしかありません。先入観なく、その人の言葉に耳を傾け、ありのままを受け留めること、だけです。この、「受容」と「共感」というカウンセリングのプロセスは、私が仕えた、組織の成果を継続的に高めている優れたリーダーに共通して備わっているスキルです。それを組織内に十分に展開できるかがポイントです。

そんな現代的な理想のリーダーとリーダーシップ像として、アメリカ映画「十二人の怒れる男」が参考になります。

『十二人の怒れる男』(12 Angry Men)は、1957年製作のアメリカ映画。ほとんどの出来事がたった一つの部屋を中心に繰り広げられており、「物語は脚本が面白ければ場所など関係ない」という説を体現する作品として引き合いに出されることも多い。父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員が評決に達するまで一室で議論する様子を描く。(Wikipediaより)

法廷に提出された証拠や証言は被告人である黒人の少年に圧倒的に不利なもので、陪審員の大半は少年の有罪を確信していました。全陪審員一致で有罪になると思われたところ、ただ一人、名優ヘンリー・フォンダ演じる、陪審員8番(建築家)だけが、検察の立証に疑念を抱き無罪を主張します。彼は他の陪審員たちに、固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを要求します。そして、陪審員8番の熱意と、理路整然とした推理によって、当初は少年の有罪を信じきっていた陪審員たちの心にも徐々に変化が生じて、最後に無罪の評決が下るというストーリーです。

主人公の陪審員8番の言動は、他の陪審員の発言と諸事情を考慮しつつ、前提を疑い、しぶとく真実を探求し、誰もが納得する合理的な根拠を用いて、様々な利害の矛盾を超えていくお手本です。有罪、無罪と物事を単純化して割り切るのではなく、反対側から見たらどう見えるだろう。その人の立場だったらどう感じ行動しただろうかと、ニュートラルな立場に身を置くことであらゆる可能性を排除せずに妥当解を導き出す姿は「リーダーシップ」のお手本だと思いました。

私がこれまでに仕えた経営者で、魅力的で尊敬できる方というのは、優れた経営者であると同時に魅力的なリーダーでもありました。一方、いわゆる「ワンマン社長」は、ご自分の考えに固執するあまり、経営判断も常にそこから発想するためワンパターン化し、環境変化に適応するのが徐々に難しくなっていくという特徴がありました。やはり、従業員の意見をよく聴いて、その背後にある心を読み解くことが大切だと思います。

余談ですが、人事担当者の仕事は、経営者の姿勢に直接影響を受けます。かつて、私が尊敬する経営者の下で働いた時の人事部は、経営の意向と従業員の気持ちの、どちらかに偏ることを避けて、両方に配慮した意思決定をしていました。方法としては、誰かが考えを述べたら、今度は反対意見を敢えて発言して、先に出された考えを揺さぶる、欧米で良くやる手法(ディベート)を採用していました。その結果、柔軟な発想が出来たのではないかと思います。

但し、この議論のプロセスは「十二人の怒れる男」のように、非常に時間と根気が要りました。ある時、テーマが何だったかは忘れましたが、ルール運用が現状にそぐわなくなっているので見直しが必要ということになり、どうすべきかを決めなければならなくなりました。人事担当者5名が会議室に集まり、前述の方法で話し合いを始めたのですが、どうしても結論が出ず、一旦会議を中断して定時後に再開して深夜になり、それでも結論が出ないので、「じゃあ、お酒でも飲みながら」ということになって、バーでグラス片手に話しを始めたら、すぐに結論が出たということがありました。

私は、今でもこの方法が理想だと思っています。人事という仕事は、あらゆる可能性を吟味しないと本来意思決定などできないからです。その後勤務した会社では、経営の決定を実現することが求められ過ぎて、従業員の考えや気持ちへの配慮が二の次になったことがありました。そして、せっかく時間をかけて準備した、本来はとても良い試みが、結局従業員に受け入れられず効果が出ませんでした。やはり、制度や運用方法を検討するプロセスには、必ず従業員の考えや気持ちを反映することが必要だと思います。

以上、幸福な人生のための3つの人生の座標軸について書きました。

1.良い人間関係

2.人生の目的

3.好きな仕事

すべてがそろい、その接点である座標を持つことで、激変する環境を乗り越えていく。そんな新時代の幸福論(回遊魚として生きる)を、私自身が実践するとの決意を新たにすると共に、是非、この話を、これから社会に出る若者にしてみたいと思いました。

新時代の幸福論(回遊魚として生きる②)

前回は、3つの人生の座標軸 ①良い人間関係(身近な人との親密な関係) について書きました。私が考える、「親密な関係」とは、「互いに強いつながりを持った関係」のことです。身近な人とのかかわり方を変えることによって、

「他人を他人と思わず、他人と自分とを隔てる境界線を乗り越え、あらゆる人と親密な人間関係を築く」

という人類の叡智(実践知)を発揮して、社会の「分裂」と「分断」の進行を防ぐという考えを述べました。

今回は、二つ目の座標軸 ②人生の目的 について書きたいと思います。

1.「目的」とは何か

ビジネスの現場では、「目的」とともに「目標」「方針」という言葉をよく使います。しかし、それらを正しく使っていない人を見かけます。会社の意志決定の基本であるにも関わらず、それらの意味を正しく理解している人は意外と少ないのではないでしょうか。

私は、「目的」「目標」「方針」を次のように理解して使っています。

目的:    最終的な到達点、永遠の問い、理想の世界、何かをする意味や理由

目標:    目的に至る通過点、ある期間内で達成すべき状態

方針:    目標達成のために採用する手段、方法、選択肢のひとつ

登山に例えるならば、

「目標」とは、「元旦に富士山に登頂し初日の出を拝む」

「方針」とは、「5合目まで車で行って、そこから徒歩で登山を始める」

となります。そして、「目的」とは、理由を説明する言葉。例えば「願い事を叶えるため」などとなるでしょうか。

しかし、登山の目的ならともかく、「人生の目的」は何か、ということになると、たいていの場合、言葉にならない無意識レベルに潜んでいて、はっきりと自覚することは難しいのではないでしょうか。著名な登山家のマロリーは、

「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」

と問われ、

「そこにエベレストがあるから(Because it’s there. )」

と答えたという逸話は有名です。この言葉からマロリーにとって登山とは人生の目的そのものだったと想像できます。

ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory 、1886年6月18日 – 1924年6月8日もしくは9日)は、イギリスの登山家。 1920年代にイギリスが国威発揚をかけた3度のエベレスト遠征隊に参加。1924年6月の第3次遠征において、マロリーはパートナーのアンドリュー・アーヴィンと共に頂上を目指したが、北東稜の上部、頂上付近で行方不明となった。マロリーの最期は、死後75年にわたって謎に包まれていたが、1999年5月1日に国際探索隊によって遺体が発見された。以来、マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは、未だに論議を呼んでいる。 (Wikipediaより)

ニーチェが、

「すべての知識の拡大は、無意識を意識化することから生じる。」

と言ったように、無意識レベルに潜んでいる「目的」を発見、発揮するためには、何らかの方法で意識化する必要がある、ということになると思います。

2.「目的」の発見

ニーチェは次の言葉も残しています。

「君はこれまで、何を本当に愛してきたか、何が君の心をひきつけ君の心を支配し、かつまた有頂天にしたか。これまで崇拝してきたそれらの対象を、順々に心に思い浮かべてみるがよい。それらの対象は…一つの法則、君の根本法則を君の前に明らかにするにちがいない。」

私は、ニーチェが言う、「一つの根本法則」とは、「人生の目的」と同じ意味だと解釈しています。

そして、「人生の目的」を発見するためには、「一つの根本法則」を「意識化」する以外に方法がないと思うのです。

特定の信仰を持つ人にとって「人生の目的」とは、大いなる存在(神、万物の創造主)との対話によって気付きを得るものです。それは、現世で果たすべき役割、という言葉で表されます。

一方、特定の信仰を持たない大多数の日本人にとって、大いなる存在の力を得て自らに課された役割と人生の目的に気づくことは稀かと思われます。その結果、多くの日本人が悩むのは、「人生の目的」がはっきりしない中で、次々に与えられる「目標」の達成に翻弄されることです。「目標が目的化」するというのはこういった状態のことです。その結果、環境や自らの行いに対する納得感と満足感がなかなか高まらない。一度高まっても維持できない。そんな構図が頭に浮かんできます。

ニーチェは、神に頼らず自らの力で生きる意味を見つける、「超人になれ」と言いました。しかし、これはなかなか難しい。私たち普通の人間が、特定の信仰に頼らなくても、また「超人」にならなくても、「一つの根本原因」である「人生の目的」を発見し、意識化するためには、一体どうしたらよいでしょうか。

私は、前回書いた、人生の座標軸 ①良い人間関係(身近な人との親密な関係) がそのカギを握っていると考えています。

良い人間関係(身近な人との親密な関係)において、「人生の目的」を発見する上で重要と考えるのは、縦の人間関係です。縦の関係とは、師(親、恩師、上司等)から自己理解のフィードバックを受けること。また、後進を育てることによって自身の成長の機会とする、ということです。

縦の関係を掘下げてみたいと思います。

「士は己を知る者のために死す」という言葉があります。

中国前漢時代の歴史家、司馬遷(しばせん、紀元前145/135年 – 紀元前87/86年)が執筆した「史記」の中の「刺客列伝」で取り上げた故事です。

男子たる者は、自分の真価をよくわかってくれる人のためには命をなげうっても尽くすものだとの意。中国、晋(しん)の智伯(ちはく)が趙(ちょう)の襄子(じょうし)に滅ぼされたとき、その臣であった予譲は、いったんは山中に逃れたものの、このことばによって復讐(ふくしゅう)を誓い、姓名を変え、顔面を傷つけるなどして別人を装い、襄子をつけねらったが捕らえられ目的を果たせず、襄子の計らいで与えられたその衣を刺し通し、自らも返す剣の刃に伏して命を絶った、と伝える『史記』「刺客伝」などの故事による。(出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))

ここでのポイントは、自分では気づけなかった「一つの根本原因」つまり「人生の目的」の写し鏡になってくれる人の存在が必要だということです。

この言葉を企業で応用するならば、経営者が、従業員に業務を与える前に、その一人一人の真価を見極め、その真価を発揮できる環境を与える、ということになるでしょう。「真価」とは、いうなれば、その人のコアの部分。つまり「人生の目的」ということになります。

そして、経営者は、従業員一人一人の真価(目的)と、会社の目的(経営(企業)理念)とクロス(融合)する施策を講じます。目的で結ばれた経営者と従業員の関係は強固で、基本的な役割さえ決めておけば、業務(ジョブとタスク)をきっちり定めなくても望ましい行動をしてくれるようになります。これが理念経営と目標管理の理想の姿です。

さらに昨今では、2015年に国連総会で採択された、持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs〈エスディージーズ〉)が社会の共通言語となり、企業にも具体的な行動が求められるようになりました。SDGsは共通善(誰も否定しない目的)そのものです。経営者が、従業員一人一人の真価(目的)との整合性を図る上で重要な指針となっています。

今回は、人生の座標軸 ②人生の目的 について考えてみました。まとめると、「人生の目的」は、無意識レベルに潜んでいてはっきりしない。無意識を意識化するカギは「良い人間関係(縦の関係)」をもつこと。「縦の関係」をもつことによって自分の真価に気づかせてくれてその発揮によって、「人生の目的」に基づいた生き方ができるということを述べました。

次回は、人生の座標軸 ③好きな仕事 について考えてみたいのですが、先に問題点を整理しておきたいと思います。

自身の目的の実現に向けて取り組むことを見つけることが、好きな仕事(職業)の選択です。仕事は、「目的」に合致していれば成果も上がりやすいし、楽しいものです。

問題は、激しくなる環境変化に伴い、仕事の経験を通じてせっかく身につけたスキルも短期間に陳腐化してしまう可能性がますます高まり、「好きな仕事」を続けることが難しくなっているということです。そこで、仕事は常に見直しを迫られる訳ですが、企業内で雇用が守られていた時代では、その変化に気付くことが少なかったものの、これからは一人一人が労働市場と向き合って、自身の仕事の経験、スキルと、刻々と変化する市場のニーズとの適合性を図っていかなければならないということです。その際、常に立ち戻る原点として、私たち一人一人に備わっている真価(人生の目的)があるということです。

次回は、私たちが環境変化の荒波にもまれながらも、好きな仕事をしていく方法を考えてみたいと思います。