私の理想は「回遊魚」のような生き方をすることです。「回遊魚」とは、成長段階や環境の変化に応じて、生息場所を移動する海や川に生息する魚のことですが、人間社会に当てはめれば、特定の地域、組織に縛られず、自由に生きることを優先して、その時々のご縁を頂いて仕事場を変え続けるということになるでしょう。
最近、尊敬するメンターSさんの紹介で、私の経験を、
「さすらいの人事マンとして働いてきた見聞録」
というタイトルでお話しする機会を頂きました。資料を作成をする過程で、「回遊魚」として生きたい私が、これからも良い回遊をし続けるためには、3つの「座標軸」をしっかりグリップしておく必要があることに気づきました。そして、この3つの「座標軸」をもれなく持つと、それらが交わる「座標」を獲得し、「座標」があると、「いま、ここ」への納得感、安定感が高まって、自ずと「回遊」を始めて、自分と他者とを隔てる「境界」を乗り越えていく。。そんなイメージが頭に浮かんできました。
私が考える「3つの座標軸」とは、
①良い人間関係 ②人生の目的 ③好きな仕事
です。この内のどれかが欠けても「良い回遊」は出来ません。どれかが欠けた「座標」をもたない状態で「回遊」を始めてしまうと、「死滅回遊」してしまいます。
回遊性を持たない動物が、海流や気流に乗って本来の分布域ではない地方までやって来ることがある。これらは回遊性がないゆえに本来の分布域へ戻る力を持たず、生息の条件が悪くなった場合は死滅するので、死滅回遊(しめつかいゆう)と呼ばれる。(Wikipediaより)
社会を見渡すと、「死滅回遊」してしまった人がいることに気づかないでしょうか。おそらく前述の「座標軸」の内、どれかが欠けた状態で「回遊」を始めてしまった人なのではないかと思います。
ちなみに、私にとって理想の「座標」を言葉にしてみると、
「すべての人が、身近な人との親密な関係を築き、各々が持つ才能と能力を、人の為、仲間の為、家族の為、社会の為、地球の為に存分に発揮して、イキイキ、ワクワクした人生を手に入れることに関わること。」
となります。こんなことを言うと、
「何を青臭いことを言っているんだ。」
「仕事なんて給料をもらうためにやっているんだ。」
「生きていくためには好きなこと、やりがいなんて言っていられない。」
など、私をたしなめる(注意する)声が聞こえてきそうです。
しかし、考えてみてください。コロナウィルス感染拡大によって、私たちには「最も大切なこと」が問われていますよね。「最も大切なこと」とは、言葉を変えれば、
「一人一人にとっての幸福とは何か?」
ということでしょう。
私の考える「幸福」の条件とは、①良い人間関係 ②人生の目的 ③好きな仕事 という3つの「座標軸」を持つこと。そして、それらの接点である「座標」を獲得して、「回遊」することによって自由を得ること、という考えを持っています。
一方、これまでの一般的な日本の働く人の生活環境は、仕事の場とそれ以外のふたつに単純化されていて、それは、会社員が過ごす時間と場所に如実に表されています。
長時間勤務で仕事をしている時間が圧倒的に長く、人間関係も会社中心。家には寝るためだけに帰るという人は相変わらず多いのではないでしょうか。そして、仕事以外の時間は、家でくつろいでいるか、趣味で気分を紛らわせる程度です。そこからは個人の生きがい(人生の目的)を見い出すことが難しい。それが、日本を支えてきた圧倒的多数の働く人の人生だったのではないでしょうか。
大多数の働く人が、そんな矛盾を抱えて、当然、誰でも抱くような疑問を封印することが出来たのはなぜでしょうか。それは、終身雇用と年功序列によって、将来起きることをある程度予想出来る、人生の目途が立ったからです。よって、自由度が低く、多少抑圧的であっても、個人にとって合理的な生き方だったため、企業による社員の囲い込みがうまくいって経済成長に寄与し、結果的に社会全体の生活水準向上という好循環も生じさせました。しかし、平成の30年間が終わり、令和になって、それは過去の出来事になりました。
いま、私たちには、組織に属して社会の一構成要素として受け身で生きるのではなく、人間の本来の姿(一人一人の幸福の追求)に立った生き方が求められていると思います。
私が考える人間本来の姿とは、
「身近な人との親密な関係を基盤にして、人生の目的を意識しながら、好きな仕事をしている状態」
です。それが、私たちの基本的な欲求であり、原点だと思います。
そこで、今回から3回に分けて、私の考える「幸福」の条件である3つの「座標軸」、
①良い人間関係 ②人生の目的 ③好きな仕事
について、考えてみたいと思います。
今回は ①良い人間関係 についてです。
繰り返しになりますが、今、世界中がコロナウィルスに翻弄されています。
ソーシャルディスタンスによって物理的距離感だけではなく、人と人との間の精神的な隔たりも生じています。個人の行動が制限され、経済活動も抑制され、雇用が不安定となり、所得格差がますます広がる中で、私たちの社会が「分裂」や「分断」の危機に直面していることを私は強く感じています。
但し、忘れてはならないのは、コロナ禍以前にも、日本の多くの職場では、「人間関係の希薄化」という名のソーシャルディスタンスが蔓延していました。さらに、頻繁に見聞きするようになった、「生きづらさ」という言葉。それがコロナ禍により、一層深刻化したということです。つまり、すべての原因をコロナ禍に求めるというのは誤った解釈だと思います。
コロナ渦以前に既にあった、「職場の人間関係の希薄化」の原因は何なのでしょうか。諸説あると思いますが、私は、急速に進んだ「雇用形態の多様化」、つまり、「非正規雇用社員の増加」が決定的だったと考えています。
現在、正社員、非正規雇用社員(契約社員、派遣社員、パート(アルバイト))など、様々な形態で雇用される人が同じ職場で協同しています。もはや、一人一人の「働く目的」を一致することは難しくなりました。
正社員と、非正規雇用社員との間に生じた所得格差は拡大して、ランチや、職場メンバーによる会食を一緒に楽しむこともできなくなっています。
そんな一体感を感じにくくなった職場で、もし急を要する問題が生じた場合どうなるでしょうか。恐らく、多くの場合、
「問題を放置する」
もしくは、
「当事者の意見を聞かず、解決策を一方的に決めて強引に押し付ける」
のではないでしょうか。その結果、問題解決は空振りに終わるか、逆に不信感を増長することにもなりかねません。
「雇用形態多様化」により「非正規雇用社員」を増やしたことは、経営の視点では人件費コントロールに一定の成果があったかもしれません。しかし、物事には必ずリアクションを伴います。その結果としての「人間関係の希薄化」と、それに付随してい生じた問題に対しては、まだまだ有効な対策が満足に講ぜられていないように見えます。
「雇用形態多様化」がもたらした問題とは一体何なのでしょうか。
いくら働いても生活保護水準、もしくはそれを下回る程度の賃金しか得られない「ワーキングプア―」。雇止めへの不安から、結婚できない、子供が作れないという人々が増え、人口減少が止まらない社会。そして、職場内の人間関係の希薄化によるメンタル不全やハラスメントの問題、等々。
これらの現象が日本社会の不安材料だということは誰でも知っているはずです。しかし、ほとんどの人は自分事として捉えていないように見えます。
まず、非正規雇用社員の人は、他の非正規雇用社員が抱えている問題に関与する余裕がなく自分のことで精一杯でしょう。また、雇用を保証された正社員からすると、いつ仕事を失うかもしれないという不安の実感がわかず共感できない、という感じでしょうか。
しかし、これまで目の前の問題に対して積極的に対応してこなかった人々にも大きな変化の波が訪れています。
昨今のリモートワーク導入を契機として、大企業を中心に高度経済成長以降、日本企業で一般化していた「メンバーシップ型」と呼ばれる人事制度を刷新し、「ジョブ型」に改めようとする動きが活発化しています。
「ジョブ型」とは、各自がやるべき仕事と、期待される成果を明確化して、出来ている人(こと)、出来ていない人(こと)をはっきり区別することを意味していて、「働き方改革の総仕上げ」とも言える雇用(人事)の大変革なのです。
私見ですが、その実態は、正社員を峻別したい経営者と、雇用流動性を高めて産業間にあるマンパワーの過不足を調整したい政治の思惑があるように思います。
「ジョブ型」が普及した職場では、やるべき仕事がはっきりする反面、契約で決められたこと以外はしなくても良いという理由が労働者に与えられます。例えば、目の前で困っている人がいても手を貸しても貸さなくても評価は変わらない。逆に、自分が困っていても周囲に助けを求めることを躊躇するようになります。結果として、自己責任が自己増殖して、益々職場の人間関係が希薄化するという悪魔のサイクルに陥る可能性があります。
ただでさえ問題視されている「人間関係の希薄化」がさらに進むとどうなるでしょうか。個人はますます孤立化し、社会の「分裂」と「分断」が一層深刻な事態になります。失業者と生活困窮者が増え、自死を選ぶ人が増えます。犯罪が増えて治安が急速に悪化する可能性もあります。すでにその兆候は表れているのではないでしょうか。
日本社会がこのような最悪な状況に至る道を歩まないようにするためには、私たち一人一人の積極的関与が必要だと思います。それが、今回のテーマである一つ目の座標軸、「良い人間関係を築く」ということなのです。言葉を換えれば、「身近な人との親密な関係を築く」ということです。私が考える、「親密な関係」とは、「互いに強いつながりを持った関係」のことです。
人間は、かつて大きな環境変化に何度も直面しながら、その都度適応して新しい生き方を編み出してきた「叡智」を備えた存在のはずです。
私が考える、人間が持つ「叡智」とは、
「他人を他人と思わず、他人と自分とを隔てる境界線を乗り越え、あらゆる人と親密な人間関係を築く」
という実践知のことです。
前述したように、雇用形態の多様化によって、既に職場には、自分とは「立場が異なる」大勢の人たちがいます。その、かつてはマイノリティー(少数派)だったはずの非正規雇用社員は、もはや全就労人口の30%を超えてマジョリティー(多数派)化しています。まずは、その人たちとの向き合い方をどう変えるか、なのです。
「自分は正社員で雇用が守られているから非正規社員のことは関係ない」
「自分の雇用は守られているから当面は安全だ」
などと、他人事で済ませていてはいけないということです。
これは職場に限ったことではありません。私たちは、身近な人々が必要としていること、困っていること、助けて欲しいと思っていることの理解に努めて、何らかの関わりを持とうとしているでしょうか。他人だから関係ないからといって無視してはいないでしょうか。あらゆる人間の集まりにおいて同様のことが言えると思います。
私は、政府主導で進めてきた「働き方改革」は、結局、私たち一人一人に本当の幸福感を与えていないし、むしろ「生きづらさ」の原因にさえなったのではないかと考えています。ただし、今となっては悪者探しをしていても埒があきません。政府に言いたいことはぐっとこらえて、私たち一人一人が、今おかれた環境で、身近で起きる問題を自分事として捉え、その解決に向けて主体的に関わることが出来るかが、未来を決定する分水嶺です。いま、ここから「身近な人とのかかわり方を変える」ことが重要なのです。
ネット上の情報や報道を観ると、「分裂」と「分断」に逆らうように、次々と社会にイノベーションを起こしているフロントランナー(先駆者)たちがいることを知り大変心強いです。彼ら、彼女たちは、地域社会において、「身近な人との親密な結びつき」を大切にしながら、強い意志をもって、その範囲を拡大していくという共通点があります。そして、どんなにその活動の範囲が広がっていっても、その活動の起点である、「身近な人との親密な関係」を大切に温存しているという特徴があります。そこから、私たちが目指すべき指針が得られるのではないかと思います。
最後に、私が取り組みたいことを書きます。
「ひとつでも多くの組織に、身近な人々同士の親密な人間関係を育み、それをベースにした、会社、社会全体への良い人のつながりを広げていくこと。」
次回は、人生の座標軸 ②人生の目的 について書きたいと思います。