人事担当者の「現場主義」

「現場主義」という言葉があります。国連難民高等弁務官(1991年 – 2000年)等、国際機関の要職を務められた故緒方貞子さんは、生涯「現場主義」を貫き、解決不可能と思われる問題に対しても難民に寄り添い、その願いを実現する活動をされました。緒方さんにとっての「現場主義」とは、問題の当事者を起点として、その幸福の実現をただ一つの目標とした考え方と態度だったのではないかと思います。

人事の仕事も「現場主義」であれと言われます。しかし「現場」とは何を指すのか、誰にとっての幸福の実現なのか、どんな態度で、現場で起きる問題に向き合うべきなのか、明確に応えることが出来る人は少ないかもしれません。私も40代半ばくらいまでは、何が正しいことなのかが分からず、ずっと手探りでやって来たように記憶しています。そこで、今回は人事担当者にとっての「現場主義」について書きたいと思います。

私は、中学高校と吹奏楽部に所属して、トロンボーン、テューバ、サックスを担当しました。楽器を吹いていた記憶よりも、部活を運営していた、という記憶の方が鮮明です。というのも、中高を通じて部活の代表を任されていたので、どうすれば良い活動が出来るのかを常に考え、取り組んでいたからです。

私が大切にしていたことは、メンバー全員の願いを決してないがしろにしない、ということでした。吹奏楽部の場合、コンクールなど定員が決められている場合を除いて、全員がステージに上り、演奏をするメンバーですので、誰一人漏らすことなく、というのはそういう状況から浮かんだ思いでした。ですので、もめごとや、辞めたいという話しを聞いたら、当事者から話しを聞きました。そして、メンバーがそれぞれ部活に対して思っていること、望んでいることを把握して、それが実現するようにしました。中には、自分さえ良ければよいというエゴの話しも聞いたりして、そのようなときは部活が集団活動である以上、個人の勝手は認めないと戒め、それでも従わない人には辞めてもらいました。

私が中学3年生の時、例年のように大勢の新入生の入部希望者がやってきました。そして、毎年のことですが、人気がある楽器(フルートやサックス)に希望が集中してしまい予定の定員数を超えてしまいました。その時は、くじ引きをして、外れた人には次の希望の楽器を選んでもらうという方法を採ったのですが、ある女子生徒の保護者(母親)から夜、私の自宅に電話がかかってきまして、母から取り継いでもらったところ、この方の主張は「学校の部活なのにやりたい楽器をさせてもらえないというのは納得がいかない。あなたは部長でしょ。間違っていると思わないの」という内容でした。

私は、以下のようにきっぱりと返答しました。

私「部活には150人を超える大勢の部員がいます。それら一人一人の希望をかなえてあげたいですが、どうしても出来ないことがあります。それで、先輩から引き継がれている方法は、定員を超えた場合はくじ引きで担当楽器を決定することになっています。娘さんはそのルールでくじに外れて希望楽器を担当することは出来ませんでした。しかし、他にもたくさんの楽器があり、部活に参加することは出来ます。もし、このルールに従っていただけないならば、入部していただかなくてもいいです。」

保護者「たかが部活動で大人のようなことを言って。娘の希望を叶えてもらえないのは納得がいかないが、これ以上あなたと話しても解決できないので切ります。」

結局、その女子生徒が入部することはありませんでした。それよりも、私とその保護者との会話を横で聞いていた母が「自分の息子が大人に対してそこまできっぱり言うとはびっくりした」と言っていました。責任感というのは、年齢は関係ないと思います。与えられた役割を懸命に果たそうとするのは、大人も子供も変わりない、というのはその時の私の経験で学んだことです。

それから月日が流れて就職し、入社2年目に営業部の配属となり、九州の製造工場に1ヵ月程研修で派遣されることになりました。派遣にあたって上司である部長代理Hさんから出されたテーマは次のようなものでした。

工場と営業部の担当者同士の関係があまりよくない。工場の言い分として、営業部は身勝手に要求するだけで自分たちの都合に配慮が欠けている、と。一方、営業部も、重要なお客さんの要望にもかかわらず、工場の担当者は自分たちの都合ばかりで協力する姿勢が足りないと思う、ということだ。これを、研修期間の1ヵ月の内に解決して欲しい。よろしく頼むね、と言われました。

そこで、営業部の先輩社員から話しを聞いて、上司から聞いた話と不一致がないことを確認して九州に赴きました。私の研修先は、工場の生産管理部といって、工場全体の管理、特に生産工程と納期管理を担う部門でした。工場の全部門の見学と仕事の説明を受け、全体の輪郭がつかめてきたところで、生産管理部の担当者お一人お一人から話しを聞きました。質問は「営業部に言いたいことは何ですか?何を困っていますか?」というものでした。

担当者の方々は6人くらいだったと思うのですが、皆さん率直に話しをしてくれました。事前に上司から聞いていた通り、営業部の要望は時間も関係なくファックスで一方的に送られてきて、返答の納期もいつも「最速で」と言われる。どれも最速だと優先順位をつけることが出来ないし対応に困っている、という内容でした。私はヒアリングしたメモを読み返して、実際にどのように営業部から要望がファックスで届くのか実際の様子を観察しました。担当者が言うように、朝出勤すると前日に発信された何枚かの問い合わせが届いているのでそれに採番をして、関係部門に配布して回答までにかかる納期を確認することから一日が始まっていました。そして、勤務中にも不定期にファックスの着信音が職場内に響き、その度にファックスの所へ移動して受信を確認、採番し、再び関係部門に問い合わせをするという作業を繰り返していました。その時、ふと考えたのは、もし自分がこの担当者だったらどう思うだろうかということでした。きっと、他の仕事に集中して取り組めないし、一方的にやらされる仕事で嫌になるだろうなという共感でした。担当者のイライラと、その気持ちが営業部への電話の言葉の端々に表れていて、これでは本来、ビジネスの成功のために一致協力して取り組むべき関係には到底ならないなと思いました。

そこで私は、提案のレポートを作成しました。

1)営業部から生産管理部へ問い合わせのファックスを送る時刻を決める午前11時と午後3時の2回とする。但し、それを待てない場合は、まず電話をして事情を説明して、緊急のスタンプを押した要望書をファックスする。

2)生産管理部は問い合わせのファックスを受信したら、関係部門に回答納期を確認する。午前中受信分は当日中に営業部に納期を回答する。午後受信した分は翌営業日の午前中に納期を回答する。営業部として回答まで半日以上待てない場合は、その理由と回答希望時刻を電話で生産管理部の担当者に伝える。

3)最後に、以上のルールで運用して、もし問題が生じた場合はそれぞれの上長にその旨相談して、営業部と生産管理部、双方の上長が話し合いで解決する。

いま考えると、この問題の解決はそれほど難易度が高くなかったと思います。にもかかわらず、私の研修までの長い間放置されていたのは、本社(営業部)と工場(生産管理部)の立場の違い(力関係)によるものだったと思います。工場は従うもの、という暗黙の了解が双方にあり、担当者はその見えない制約に従わざるを得なかったのではないでしょうか。

私は、前述の改善案を上司の部長代理Hさんに送り反応を待ちました。そして、Hさんから返事がありました。

「大西君のレポートをコピーして営業部全員に配布したよ。そして、まだ新卒2年目の大西君だけど立派な解決策を考えてくれた。みんなも見習って欲しいと言ったんだ」と返事がありました。そして、その日から営業部と生産管理部間のやりとりが私の改善案通りとなり、まるで霧が晴れるように問題は解決しました。

この経験は私の原体験として深く心に刻まれました。それから後、この発想(従業員視点での問題解決)を行く先々の職場で応用しました。

赴任先の台湾の職場に、代理店から派遣されて当社と代理店の中継ぎをする担当者がいました。私の着任早々、その社員が私のところに来て「相談があります」と言われました。

彼女によると、私の前任者に再三要望していたのだけれどまったく対応してもらえなかったことがあって、それは多分私が代理店の社員だからだと思う。情報の中継ぎの仕事なので、日本から電話が来て、その内容を代理店に電話して伝えるのだが、毎回、毎回、電話を掛けるのがとても面倒で時間がかかる。そこで、短縮番号を登録すればいいじゃないかと、あなたの前任者から言われてしまったが、そもそも何故、内線電話が両社の間にはないのか。内線電話があれば非常に便利になるはずだ、という内容でした。私はまず、会社が要望に対応せず放置していたことを謝りました。そして、すこし時間が欲しいとお願いしました。

私はまず、会社の関係者に、内線の設置が何故できないのかを質問しました。その回答は、現地法人と代理店は別会社であること。また代理店は工業団地に登記された会社で、これと工業団地の外の会社を内線の専用回線でつなぐことは法律的に認められていない、というものでした。私は事実確認の為に弁護士に相談に行きました。そして、弁護士の回答は、従来はそのような規制があったが、現在は問題ないとの事でした。

あとは、内線の設置にかかるコストと費用対効果を試算をしました。

【現状コスト】

1.国際通話料金
日本(本社・各工場)⇔台湾(現地法人(市中))
日本(本社・各工場)⇔台湾(代理店(工業団地内))

2.台湾国内通話料金
現地法人(市中)⇔代理店(工業団地内)

*さらに、内線の専用回線には当時の最新技術でVOIP(Voice Over IP)というものがあり、これを使えば音声だけでなくデータの送受信も同時にできることが分かり、既存のデータ用専用回線の契約は無用になることが分かりました。

【新規コスト】

専用回線
日本(本社)⇔台湾(現地法人)⇔台湾(代理店(市中))

*日本国内の本社と工場間の専用回線は既存のものを引き続き使用するので追加費用はかかりませんでした。

【結論】

現状コストの過去1年間の実績から、今後のビジネスの拡大に応じた通信費の上昇を試算したところ、年間数千万円単位のコスト削減が実現することが分かりました。以上を本社に稟議回覧しすぐに承認が下りて、前述の代理店の担当者から相談を受けた2ヶ月後には専用回線が敷設され、内線通話が可能となりました。

さらに、この改善には次の副次的な効果がありました。

・従来、内線番号表(冊子)には、台湾現地法人と代理店の代表番号しか記載されておらず、日本側から見て、どのくらい規模感の人がいて、誰がどこで勤務しているのかを把握することができず、直接連絡が出来ないという状況が解消しました。

・受付からの電話の取り次ぎ、また、日本と台湾双方で外線番号をダイヤルする手間が省けて、その繰り返しに要している時間を削減することが出来ました。

・台湾側の従業員一人一人の名前が、内線表(冊子)に掲載された、グループへの帰属意識が醸成されました。

私は、いまでも相談してくれた代理店の担当者に感謝しています。そして、従業員の希望を尊重し、それに基づいた対応さえすれば、想像さえできなかったような大きな改善を実現することができることを経験しました。この他にも、現場の担当者起点で実現した改善は多々ありますが、この場では一旦筆を置きたいと思います。

私が考える「現場主義」というのは「一人一人に神が宿っている」という発想です。上から見下ろしているだけでは到底気付かない宝の山が現場には隠れています。それを見つける最も手堅い方法は、担当者から話しを聞き、その希望や願いをかなえてあげる事だと思います。

私はいまでも新しい職場で仕事を始める際、自己紹介で話すことがあります。それは、「私は皆さんを管理しに来たのではありません。私の役割は、皆さんの仕事がもっと楽になって、もっと楽しく出来るようにお手伝いすることです。この職場の主役は皆さん一人一人です」と。

最後に、マネージャーに頼らず、メンバー同士が、互いの声に耳を傾けて、その希望や願いの実現に、自然な気持ちから「何かの役に立ちたい」と協力し合える場が、私の理想とする職場です。そのような場づくりは、従来、人の個性や性格に大きく依存せざるを得ず、企業によって、また組織によって、どうしても出来不出来の差異が生じていました。しかし、人間は本来人の役に立ちたい、人と良い関係を保ちたいと心から願うものだと信じます。この、もともと備わっている本能のようなものを、何らかの手段で表出する方法を見つけたいのです。そして、この方法をあらゆる組織に応用して、組織間の出来不出来の差異を薄めることが出来たとしたら。それは私にとって最高の喜びとなるでしょう。

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