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敵を知り己を知れば百戦殆うからず

腐敗認識指数というものがあります。政府・政治家・公務員などの公的分野での腐敗度をスコア化し評価しているもので、Transparency Internationalという団体が毎年調査しています。最新の2019年のデータを確認したところ、ベトナムは調査対象180カ国中96位でした。ちなみに、トップはデンマーク、日本は20位、中国は80位、最下位はソマリアです。ベトナムより下の国は主に、中南米やアフリカ諸国が占めていますので、アジアで最も不正が多い国と言っても過言ではないと思います。その原因の一つに、民間企業に比べて圧倒的に公務員の給料が安いことがあげられると私は思っています。そして、社会主義で権力と冨が一極に集中しやすいことも挙げられます。

そのような国情からベトナムの一般国民は、不正な手段でお金を得ることについても、賄賂で目的を果たすことについても、あまり罪悪感を抱かないようです。むしろ、知恵を働かせてお金を獲得する人をヒーロー。逆に、不正に立ち向かう人は愚かだと思われている節があります。もう一つ付け加えると、中国でも政治絡みの不正、腐敗が多いことは有名ですが、特徴としてベトナムと異なる点は、中国では、不正に得たお金を特定の誰かが独り占めしてしまい、権力構造が変わるたびに不正が摘発されて牢屋に送られるということを繰り返します。一方、ベトナムでは、不正で得たお金を仲間で分け合う(全員一律ではなく階層毎に分け前のレートがある)ので、結果として全員不正に関与することになり、表面化しにくいと言われています。そんな状態ですので、ベトナムで不正に向き合うのは、それこそ命がけで並大抵の努力では解決できないと覚悟していました。

前回のブログで、当社の食堂に関連して解決すべき問題は二つあったことを書きました。一つは、衛生管理もでたらめで当社の誰かがキックバックしたお金が工業団地管理局Cに流れているという疑惑。そして、もう一つは顧客である某韓国企業から差別を助長すると指摘された二つの食堂(日本人出向者向けとベトナム人従業員向け)の扱いです。

まず、私がやったことは、明確にあるべき姿(目標)を設定することでした。それは、食堂業者を入れ替える事。そして、新しい食堂業者は、日本の本社からも、日本人出向者たちからも、大多数のベトナム人従業員たちからも、文句を言われないところを選ぶ、ということでした。そこで、私が選んだ新しい食堂業者とは、某韓国企業で5万人の従業員に食事を提供している会社でした。この食堂業者は韓国資本の会社で、某韓国企業がベトナムに進出をさせたという経緯がありました。この食堂業者はベトナムでは外資企業ですのでキックバックの心配もありません。韓国人駐在員が複数名いて、ベトナム人を介さなくても私が韓国語で直接交渉、打合せ出来る。さらに、当社にとって重要なお客様である某韓国企業がお墨付きを与えた会社であることから、社内で文句を言われる可能性が低いと考えました。

食堂切り替えに際して食堂業者の韓国人駐在員たちが最も危惧したのは、24時間稼働する私たちの工場では、食事の提供を中断することは出来ないことで、果たしてスムーズな引継ぎができるのだろうか、ということでした。戸惑う韓国人たちに私が言い放ったのは、「韓国人はやるときはやる(韓国語で“ハンダ ミョン ハンダ”)でしょ。あなたたちにしかこの仕事は出来ないんだ」という言葉でした。彼らは、最終的には「やる」と言ってくれました。Xデーを決め、深夜食の提供が終わる0時になったら、既存の食堂業者を有無を言わさず追い出し、一斉に韓国の食堂業者の調理スタッフが食堂になだれ込んで調理場を乗っ取り7時からの朝食をつくり始めるという算段でした。この計画は、私の上司でベトナム現地法人社長Wさんと私の部下2名以外、完全秘密にしました。しかし、全く想像しなかったところから計画が発覚してしまったのです。

韓国の食堂業者は、当社の日本人出向者用食堂の調理師を募集するために、工場近隣の村で採用広告を出してしまい、食堂変更が当社の社員にばれてしまいました。すぐさまキックバックの張本人から工業団地管理局Cに報告をしたのでしょう。なんと、私はこのCから直々に食事の誘いを受けたのです。

私と社長Wさん、通訳として部下一名で、局長Cが指定したレストランに乗り込みました。大きな円卓のある個室ではCとその妻が満面の笑みで我々の到着を待っていました。そしてもう一人見覚えのある女性の姿も。その女性は既存の食堂業者の社長でした。当社からの要望(衛生管理や食事の改善等)に対して、のらりくらりとやってきた張本人です。そして、着席するなりCは驚くことを言い出しました。

「この食堂業者の社長はね、私の妻の従妹だ。彼女に改善を求めることがあれば、今日ここで私が立ち会うのでなんでも言って欲しい」

私はCが、当社からのお金の還流が止まることを聞きつけでっち上げた話だと瞬間的に理解しました。しかし、従妹だという以上、それを信じたふりをして会食はなごやかな雰囲気で進みました。

Cはベトナム戦争従軍者で、しかもミグ戦闘機パイロットとしてアメリカの大型爆撃機B52を撃墜したという武勇伝を雄弁に語りました。そして、ベトナム軍の強さは敵の裏をかくこと。敵を油断させて奇襲攻撃で戦意を喪失させることだ、と。余談ですが、ハノイには「軍事歴史博物館」というのがあって、撃墜したB52を保存処理した残骸をモニュメントとして展示しています。このB52はハノイ防衛のために配備されていたソ連製の対空ミサイルによって撃墜されたのですが、Cの話しでは、当初からベトナム軍はソ連を疑っており、ミサイルの射程距離など性能に関する情報はアメリカ側に筒抜けだったと。そして、アメリカ空軍はミサイルを避けるために、その射程距離よりも高いところ航行してハノイを爆撃することを事前につかんでいた。そこで、ベトナム軍は、このミサイルを独自に改造して射程距離が1.5倍に増すように改良した。そうとも知らず従来の射程距離のやや上を余裕満々でハノイ上空に侵入したB52は、このミサイルの餌食となり15機が撃墜されたとのことです。

食事が終わり、Cとその妻を見送りにレストランを出ました。食堂業者の社長が運転する車がレストランの前に停まってCとその妻が車の後部座席に乗り込みました。その瞬間、私はこの女性二人が従妹である、ということは嘘だと見破りました。普通、女性同士ならば、しかも、従妹ならば二人は運転席と助手席に並んで座り話しをするでしょう。明らかにC夫妻の行動は不自然で、食堂業者の社長と役人夫妻の関係に見えました。私は、社長Wさんにそのことを説明しCにおもんばかる必要は一切なく、計画通り実行したいと伝え、許可してもらいました。

その数日後、Xデー当日の昼、私はCに面談を申し出て工業団地管理局の彼のオフィスを訪問しました。私なりに仁義を切っておきたいとの考えがあったからです。Cと会うのはこれが最後になるだろうと思っていましたし、私の考えを伝えておきたかった。

私「Cさん、あなたがもし私の立場で、管理責任がある食堂で社員が嫌な思いをしたり、不安になったりしていることを知ったら何をしますか。そして改善を求めても一向に問題が解決しないとしたらどうしますか。」

局長C「それでも話し合いで解決をするように努力する。」

私「私は、社員に対して果たすべき役割を全うするだけです。それは私の意志で行います。」

そして、管理局を出て帰社し、その時が来るのを待ちました。

夜勤者へ深夜食の提供が終わり、あらかじめ決めておいた手順通り、食堂業者を追い出しました。中には抵抗する人もいましたが当社の警備スタッフを総動員して強制的に排除しました。続いて新しい食堂業者が調理場に入り、食材の在庫チェックとリストアップを始めました。後から不当な賠償請求に応じないようにするためです。(実際に請求された金額は法外で、その根拠は嘘だらけでしたのでこの時のリストアップは役立ちました。)韓国人駐在員たちはいっせいに調理場のチェックを始めました。そして、しばらくして私に「こんなに不衛生で管理されていない調理場は他に見たことが無い」と報告しました。

朝食の調理に向けた準備は粛々と進んでいき、私たちはその様子をずっと見届けました。深夜1時頃だったでしょうか、私の部下に一本の電話が入りました。Cからでした。Cの怒鳴り声は携帯電話から漏れて、近くにいた私にも聞こえてくるほどでした。あとから、部下にその内容を聞いたところ、

「日本人はいまだにパールハーバー(奇襲攻撃)をやるのか?」とか、「あの日本人(つまり私)は正気か?」とか、「これからどうなっても知らないぞ」といったものでした。この時点で、私はCにお金が渡っていたということを確信しました。

朝になって、続々と食堂に集まってきま社員は、いつもと様子が違うことに驚いていました。そして私は、彼らが食事をする様子を見てほっとしました。皆、おいしそうに食事を口に運んでいたからです。実は、このXデーと同日の昼、朝夕の社員の通勤を委託していた「運転手付きレンタカー会社」も一気に入れ替えを行いました。この会社からもキックバックを受けている疑いがあったからです。このことは割愛します。

不正に関与していた社員たちは、まさか食堂が一晩でそっくり入れ替わるとは全く予想していなかったと思います。彼らは、しばらくの間おとなしくしていましたが、作戦を立てたのでしょう、徐々にあからさまな妨害行為が始まりました。まず、食事に異物が混入していると職場で騒ぎ始めました。自分で混入させたのだと思います。そして元の業者に戻せと組合に訴えました。組合の委員長はキックバックのことや、私の対応について理解してくれていたので取り合いませんでしたが。特に過激な行動にでた数名(不正の張本人の子分たち)について、私は別件で処罰を考えていまして、迷わず実行に移しました。

私の赴任前、ベトナム工場では、社員数名に端を発するストライキが発生し、運営が混乱したことがありました。その張本人とされる人物は既に退職していたのですが、裏で操っていたのことが明らかだったのが食堂変更への不満を煽った中の一名だったのです。私は、既に公安(警察)とコンタクトしていて、この社員の携帯電話の通話記録を入手し、ストライキの数日前から当日にかけて、ストライキの張本人とされた元社員に、繰り返し電話をしている証拠をつかんでいました。この証拠をもとに懲罰委員会を開き、組合と従業員代表者同席の下、この社員を出勤停止処分にしました。その結果、次第に食堂変更に対する社内の騒動は収まっていきました。

一件落着に思えたのも束の間、工業団地管理局が突然、日本人出向者の就労許可の延長は認めないと通達してきました。理由は、当社の日本人出向者の数が多過ぎてベトナム人の活躍の機会を奪っているというものでした。確かに日本から50名もの社員を送り込んでいるというのは多すぎると言われても仕方がないと思います。しかし、一方で2,000名に迫る勢いで急速にベトナム人の雇用も進めていましたし、技術移管の段階にある当社ではこれが最適な方法との合理的な抗弁をしました。しかし、我々の主張は受け入れられませんでした。管理局のこの判断を機に、食堂業者変更を進めた私に対する周囲からの風当たりは一気に厳しくなりました。私が余計なことさえしなければ問題は発生しなかったのに、といった空気です。問題の本質はもっと別のところにあるのに、という憤りを強く覚えました。しかし、私はあきらめませんでした。

次回のブログでは、日本人出向者の就労許可をめぐる工業団地管理局Cとの水面下の対決。そして、韓国S社からの2つの食堂(日本人出向者用とベトナム従業員用)の改善要求に対して、私がどのように対応したか書きたいと思います。

たかが食事と思うなかれ 社員食堂が会社の命運を握る

前回のブログに続いて、Eさんのことから書き始めたいと思います。

Eさんは、成果の見込みがないことをするのをとても嫌いました。また、経験の浅いベトナム人従業員に対しては、特に親身に接してその成長を促しました。そんなEさんに対するベトナム人従業員たちの評価は「Eさんは仕事の方法だけでなく、なぜこの仕事をするのかといった目的を、時間をかけてじっくりと説明してくれるのでやる気が出る」という肯定的な内容ばかりでした。

一方、ベトナム人従業員たちの日本人出向者に対する評価は散々な内容で「仕事をやれと言うだけで方法を教えてくれない」とか「教えてくれても一方的にまくしたてるので何を言いたいのかよく分からない」とか「残業しないと意欲がないと言われる」などと、ひどいものばかりでした。人事の私に対して彼らを再教育して欲しいという要望だったのかもしれませんね。同じ日本人出向者としてこんなことを聞かされると複雑な気持ちになりましたが、一方でぼろくそに言われても仕方がないな、ということをしょっちゅう目にしていました。というのは、日本人出向者の何人かは、周囲に響き渡るほどの大声でベトナム人従業員たちを叱責して、さぞベトナム人従業員たちは嫌な気分を味わっているだろうと想像していたからです。しかし、彼らは逆に「日本人はかわいそうだ」と言いました。ベトナムでは、怒って大声で怒鳴る人は感情がコントロールできない「かわいそうな人」だから、と。彼らの方が一段上でしたね。

日本的な喧嘩両成敗的発想で日本人出向者たちにもEさんの印象を質問してみました。彼らのEさんに関する評価は一致していて、異口同音に「理屈っぽい」「理想を言うだけで一向に手を動かさない評論家」「部下に甘い」などという内容でした。Eさんが日本人出向者たち抱いていた印象と面白いくらい真逆だったので、これは水と油の関係で両者が咬み合うことはないはずだと思いました。

ところで、前回のブログで書いたように、この会社では、食堂が現地採用のベトナム人従業員用と日本人出向者用と二つありました。私は両方の食堂を管理する責任を負っていました。ベトナム人従業員用の食堂は500人が一度に食事が出来る規模でした。この食堂では一日に5回(朝食、昼食、夕食、夜食、深夜食)ベトナムの現地食を提供していました。24時間稼働の工場でしたので、製造部は昼夜勤の2交替制(日勤と夜勤を3日おきに繰り返す2直2班制)で(勤務が切り替わる間のなか日はお休み)、ベトナムでも日本と同じく法律で一日の労働時間は8時間と決められていましたので、4時間は残業扱いとしました。通常、24時間稼働の工場は、3直3班(8時間勤務の昼夜勤を3つの班をつくってまわす)だったり、2直3班(12時間勤務の昼夜勤を3つの班をつくってまわす)方法を採るのですが、当社は社長の方針で、工場の稼働率が低下した時に余剰な従業員を抱え込まないために2直2班制を導入していました。しかし、12時間勤務が常態化すると従業員に肉体的、精神的疲労が増していくため、その影響が顕在化しました。特に夜勤時は部門長である日本人出向者たちが不在なので、作業ミスが多い(夜勤時生産の製品不良率が高い)、また、私が不定期に深夜の見回りをする際に、製造のオペレーターが堂々と居眠りをしているところを発見することも度々でした。このような労働環境との直接的な因果関係は不明ですが、めっき工程で火災が発生し一つの建屋が全焼するとの事象も発生しました。そのことについては別の機会に書きたいと思います。

一方、日本人出向者用食堂は、ベトナム人従業員用食堂と同じフロアにあったのですが、入り口は別々で、ベトナム人従業員がそのエリアに立ち入ることはありませんでした。入り口を抜けると右側に10名ほど着席できる会議室兼VIP用の個室(壁はガラス張りで外から内部の確認が可能)が二つありました。この前を通り過ぎると一度に50名程が同時に食事が出来る空間にテーブルと椅子が設置されていました。ベトナム人従業員用食堂はコンクリートの打ちっぱなしの床でしたが、こちらは木目のフローリングがされていて壁にもクロスが張られ日本のレストランと変わらない内装でした。冷暖房はしっかりと効いていて、衛星放送が視れるテレビとソファー、日本の新聞雑誌、マンガを収めたラックも設置され、さながらサロンのような雰囲気でした。セルフサービスでコーヒー、ジュースも提供していました。2週間で一回転するようにメニューを組んで、朝食、昼食、夕食を提供していました。しかし、日本人出向者たちからは量と味に対してクレームが絶えませんでしたが。

前回のブログで書いたように、Eさんがベトナム着任に際して会社から受けた待遇(ホテルや自由に使えるタクシーなど)はとても良いものだったと思います。しかし、彼が偉いのは、会社にいる時はそのような待遇を周囲に自慢することも、見せることもなく、いつもベトナム人従業員たちと一緒に行動したことです。私が、最初Eさんに社内案内した際に、食堂が二つあることを説明し、当然、日本人出向者用食堂で食事されるだろうと思っていたのですが、Eさんはあっさり、食堂が二つある理由は何か?なぜ全員一緒に食事をしないのか?と質問されました。私は詳しい理由は知りませんでしたが、この会社が中国の工場を設立した時から日本人出向者向け食堂は別に設けるようになったと説明しました。Eさんは全くナンセンス、といった反応をして、以後、このエリアに立ち入ることはなく、ベトナム人従業員用食堂で部下たちと食事をしました。

Eさんと日本人出向者たちは、関係改善に決して手をこまねいていたわけではなく、分かり合おうと努力もしていたように思います。同じ電子部品の技術者ですしキャリアのバックグランドや知識面で共有することが多い分、本来は良い関係を築けるはずだと信じていたはずです。でも、見えない溝は一向に埋まらず、力を出し切れなかったと思います。それは、ベトナム人従業員と一緒に食事をするという態度ひとつをとっても根本的な何かが違ったからだと思います。私の退職からしばらくしてEさんはベトナムから帰任したと風の便りで知りました。持っている力を出し切れず不本意な思いをされたのではないかと想像します。Eさんと日本人出向者たちが埋められなかった溝の原因については改めてブログに書きたいと思います。

私も、日本人出向者用食堂で食事をするのは、味のチェックをするために週2回程度と決めていました。それ以外はベトナム人の部下たちと一緒に食事をしました。これは、決してベトナム人従業員と親密になろうとか、良い人と思われようとか、そういった意味ではなく、食堂の機能を把握し、問題を発見したらすみやかに解決するという役割を果たすためでした。中国でも同じことを聞いたことがありましたが、会社経営において、従業員に提供する食事次第でストライキに発展することもある、と私は思っていました。ベトナムでは、これは都市伝説ではなく本当に提供する食事が原因でストライキが発生した日系企業がありましたし、人事総務の最重要ミッションのひとつだと考えていました。

人事総務の責任者である私が、自分たちと一緒にベトナムの食事を食べていることが最初ベトナム人従業員たちは不思議だったようです。「どうして他の日本人と一緒に食事をしないんですか」とか、いろいろ質問されましたが、徐々に食事についての不満を耳にするようになりました。味もさることながら、中には「昆虫が混入」しているとか、「肉が腐っている」とか聞き捨てならない話しがありました。私は、食堂の運営を任せている業者に改善を求めましたが、何故か横柄な態度でまともに取り合おうとしません。そのような中、ある従業員がこの食堂業者と癒着してキックバック(支払代金の一部を還流する不正のこと)を受け取っており、さらにキックバックで得た資金を工業団地管理局Cに提供しているという情報までつかみました。つまり、食堂は、不正の温床となっていて、従業員の健康や満足は二の次として扱われてきたという可能性があることを知り、私は強い義憤を抱きました。

また、前にも書いたように、この工場で生産する電子部品は主に某韓国企業のスマホやタブレットに搭載されていて、納入先は、ベトナム某省にある従業員数5万人を有する大工場でした。同社にとって当社は電子部品のメインサプライヤーでしたので、私たちは同社の担当者から定期的に監査を受けていました。人事総務も例外ではなく、従業員の採用や人材育成、離職防止策などについてこまごまとチェックされました。そのような中で、同社の担当者が最も問題視したのは、当社の食堂の運営についてでした。彼らの指摘は、日本人出向者とベトナム人従業員の食堂が別々に存在していることは差別を助長することにあたり同社の倫理規定に反する。継続的な取引を望むならば改善すべき、との内容でした。

同社の担当者は私を彼らの工場の食堂に招待してくれました。5万人の大部分を占める製造ラインオペレーターは3直3班制なので、一度に食事をする従業員数は15,000名程。それが二つの食堂に分散して30分の時差を設けて食事を開始する仕組みでした。つまり一度に収容できる人数は一食堂で3,500名~4,000名くらいだったのではないかと思います。韓国からの出向者も一緒に食事をしていて、メニューはベトナム食、韓国食、洋食など自由に選べるようになっていました。私は韓国食を選んだのですが、正に本場の味でした。そのような背景から当社の食堂のあり方について改善を求めたのは当然のことだなと納得しました。

私は、帰社し、一人食堂にたたずんで考えました。解決すべき問題は二つあります。一つは、衛生管理もでたらめで不正の温床となっている食堂業者をどうすべきか。もう一つはお客さんに命じられた二つの食堂の改革です。私がどのような対応をしたかは次回のブログで書きたいと思います。