人は言う。
「自分には創造性なんて大それたものはない」と。
その通りなのかもしれない。
創造性は、エゴの仕事ではなく、神の仕事だからだ。
だから私たちは、自分の力だけで創造しようとすると、すぐに限界に突き当たる。
しかし、ほんの少し勇気を出して創造に挑戦してみると、不思議なことが起こる。
枯渇していると思い込んでいた井戸の底から、次々と新しい水が湧き出してくる。
一つ描けば、次の絵が現れる。
一つ書けば、次の言葉が現れる。
一つ問いを立てれば、さらに深い問いが現れる。
まるで、そこにある可能性は使うほど減るのではなく、使うほど増えていくかのようだ。
創造活動は、汲み尽くすことのできない井戸である。
その奥には、想像をはるかに超える可能性がまどろんでいる。
そして、その井戸から水をくみ出せば出すほど、歓喜は深くなり、愛は広がり、光は強くなる。
創造性とは、自分が何かを生み出すことではない。
創造性とは、ロゴスとの共同作業なのである。
私が創るのではない。
創造が私を通って現れるのだ。