或る人事担当者の回想録

奥深い「採用」の話し

私はいま、企業から委託された人事の仕事をしています。経営者の意向に基づいて、人事制度を設計~導入する、という内容です。社外の人間として、客観性に基づいた仕事をすることを心がけています。求められることが、私の経験と他社事例に照らして、経営にとって、従業員にとってプラスにならないと考えられる場合は率直に見直しを意見具申しています。不適切な人事制度を導入してしまうと、結局、「やらなければよかった」ということが起こり得ることを、経営者に説明を尽くしています。

私が仕事を請け負っている企業は、従業員数が20名にも満たない小さな組織です。小さい組織であればあるほど、従業員一人一人が経営に与えるインパクトは大きくなります。これは、スタートアップ企業全般に当てはまることですが、人事考課や報酬制度以前に、良い人を採用できるか否かが企業の成長を決定すると言っても過言ではないと思います。私は、2018年に大阪のIT系ベンチャー企業の人事総務を主管したのですが、その際も、一人の従業員が会社全体に与える影響は大企業、中小企業とは比べ物にならないほど大きいことを痛感しました。だからこそ、経営者は、「ベストな人を採用したい、ベスト以外はだめ」とおっしゃるのだと思います。

しかし現実には、ベストどころか、ベターすら見つけることに苦心します。他社も懸命に良い人を探していて、あの手この手で獲得にしのぎを削っていますから、ピッタリする人になかなか出会えないのは当然です。また、出会えたとしても、求職者視点で明らかに知名度や報酬面で見劣りする会社は「選考辞退」の洗礼を浴び続けてしまいます。いつ出現するかもしれない理想の人を待ち続けて時間の無駄遣いをするのは戦略的ではありません。そこで、私は、理想の人を見つたいという情熱を持ち続けながら、「採用してはいけない人を絶対に採用しない」ことを経営者に提案しています。具体的には、以下のように採用活動の仕組みづくりから始めます。

① 応募が増えない原因(給与水準や選考プロセス)を可能な限り改める           ② 採用媒体(紹介会社・Web広告等)の抜本的な見直し
③ 合否判定ラインを決めてこれに基づいた判定ツール(面接票等)をつくる
④ 選考の進捗を成果指標(KPI)で管理して最適な状態になるよう工夫を続ける
⑤ 面接後、面接官の見立てに誤りが無いかをチェックする適性検査を導入する

仕組みが出来たら、選考を始めます。選考で、私が一番難しいと考えるのは、「面接」です。採用は「面接」に始まり「面接」に終わる、と言っても良いと思うくらいです。基本的な質問、傾聴の技法、マナー等のルールは確立されていて、学べばすぐにスキルが身に付きますが、同じ職種であっても企業によって応募者の傾向が異なるため一般化は難しく、実践を繰り返すことによってしか獲得できない勘のような部分があることは否定できないからです。私も、正解のない中で試行錯誤しながら、自分なりの方法を確立してきました。

たいていの求職者は緊張していますので、まずは笑顔を見せたり、共通の話題をふったりして話しやすい雰囲気づくりをします。これは、求職者への親切ではなく、その人の普段の姿を見るために必要な手順です。緊張が解けてきたら本題に入ります。自社と求人に関する理解度、応募の動機、働くことの意識、どんな職歴を歩んできたのか、前(現)職の給与額、希望給与額、等々を面接票に従って手際よく質問します。職務経歴書、履歴書に書かれていない事実が明らかになったら丁寧にメモします。発言の中で気になることがあったら、やんわりと質問して反応を観察しながら、徐々に水面下に隠れているその人の本質を探っていきます。これを、私は、“三性(知性・理性・感性)の探索”と呼んでいます。

面接のゴールは、三性(知性・理性・感性)の見極め。いずれか一つでもマイナスだと思ったら不合格にする、と教えて下さったのは、私が新卒で就職した半導体関連メーカーの人事部長Kさんでした。前回のブログで、北陸の精密部品メーカー会社に転職し、同社のシンガポール現地法人に赴任したことを書きました。工場の立ち上げが完了し、業務も軌道に乗って、ほぼやることが無くなってしまった私は将来のキャリアに不安を感じていました。そんな中、不思議なご縁がきっかけでシンガポールを離れ、再び、新卒で就職した会社に出戻り(再就職)することになりました。

不思議なご縁というのは、かつての上司Oさんとの再会から始まりました。Oさんは熊本の製造子会社から東京の本社に出向され、1年間ほどご一緒し、仕事の基本を叩きこんでいただきました。私の退職後、東京から熊本に帰任され、ご家族でシンガポールに旅行に来られました。シンガポールの名所を巡り、楽しい時間もあっという間に過ぎていよいよ帰国の前日。Oさんは私の変化を察したのでしょう、「仕事はどうなの?」と質問されました。私は堰を切ったように話し始めました。「転職は後悔していない」などと思ってもいないことを言ったものの、やはり本音が出てしまいました。前職よりもはるかに小さな事業の会社のため想像していたキャリアは望めなくなっていること等々。そんな私にOさんは、あっさり「戻って来ない?」と再就職を勧めてくださいました。全く予想しない言葉で、私はとっさに、「よろしくお願いします」と申し上げることしかできませんでした。Oさんが帰国され、本社の営業部、人事部に私のことが伝わりました。偶然、Oさんの帰国の翌週に営業部の部長代理Hさんがシンガポール出張に来られることになっていたので再会しました。さらに、その翌週には、人事部長Kさんが、またも偶然シンガポールに出張に来られることになっていたので面接をしていただくことになりました。

人事部長Kさんとホテルのロビーで待ち合わせをしました。私が緊張して黙っていると、Kさんは開口一番、「一杯やりながら話そうか」とおっしゃいました。ラウンジでビールを飲みながら、シンガポールでの生活や仕事のことについていろいろな質問をされました。Kさんは、一般的な人事部長というイメージからは程遠い非常にフレンドリーな方で、ざっくばらんにいろんなおしゃべりをしたことを覚えています。ただ、会話の最後に、ちょうどその時に私が悩んでいたスタッフの採用について質問をしたとき、Kさんが真顔になりました。

私「Kさん、面接で良い人を見極めるにはどうしたら良いのでしょうか?」

Kさん「僕は三性を見極めているよ。知性、理性、感性。どれか一つでもマイナスなら不合格」

お酒も回っていたからかもしれません。私の記憶はそこで途切れています。知性、理性、感性の意味を教えて頂いたかどうかも覚えていないことが本当に悔やまれます。しかし、それ以来、数多くの面接を担当しましたが、今でも面接官を務める時には必ずKさんの声が聞こえてきます。そして、自分なりの方法で、求職者の三性を把握しようと試みてきました。

三性の本当の意味は何なのでしょうか。先日、NHKの「100分de名著」という番組を視ていたら、ドイツの哲学者、イマヌエル・カントの「純粋理性批判」が解説されていました。その中で、カントは、人間の目指すべき姿として「感性」と「理性」の調和を著したことを知りました。カントは次のように定義しています。

感性=欲望
理性=道徳

人間にとって生きていく上で欲望(感性)は不可欠です。そして、同時にそれを上手にコントロールする道徳(理性)も不可欠です。カントは同書で知性については触れていませんが、欲望と道徳を、知性(物事を知り、考えたり判断したりする能力)で適切に管理する、とすれば筋が通ります。Kさんに三性のことを教えて頂いて25年経ちましたが、やっと、Kさんがおっしゃりたかったことが分かったような気がしました。

余談ですが、カントは、「自分が決めたことを、自分の意志で実行すること」が人間にとって最高の幸福だ、との言葉を残したようです。一方、経営学者のピーター・ドラッカーは、1954年に刊行した著書「The Practice of Management(現代の経営)」で、MBO「Management By Objectives and Self Control(目標と自己統制による経営)」を提唱しました。日本では“目標管理制度”と訳されて、マネジメントの管理手法として浸透しましたが、ドラッカーが考えたMBOの本来の意義は、「働く人が自ら目標を決めて、その達成に向けて取り組むことでモチベーションを最大化すること」と言われています。ドラッカーがカントの影響を受けたかどうかは分かりませんが、人事の課題で困った時には、古典に解決のヒントを求めることが出来るかもしれません。