イノベーションを産む仕組みと運用②

前回に続き、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメントの仕組みについて、

阻害要因②:トップとメンバーが同じ絵を見ていない

を基にして考えたいと思います。

繰り返しになりますが、トップとメンバーが、「同じ絵を見ていない」とは、「ビジョンが共有出来ていない」状態のことです。ビジョンが共有できないと、創発の目的が曖昧なままで、矢印を向ける対象が定まらず、メンバーの知性を結集することが出来ないのでイノベーションが産まれない、と考えられるのです。

トップは成り行き任せ、つまり、空気に流されずに、メンバーとビジョンを共有することに熱心に取り組んで、メンバーが常に、望ましい「心境」になるようにメンテナンスしなければなりません。

それにもかかわらず、トップは、ビジョンを描き、それをメンバーと共有する取り組みに失敗しがちです。それは何故なのでしょうか。今回は、私が見た典型的な失敗例から書き始めたいと思います。

ある企業の人事を担当していた時に、トップから、「従業員意識調査」の実施を指示されました。

私は人事面談や日常的な雑談を通じて従業員が経営陣を信頼、信用しておらず、相当な不満を持っていることを知っていました。意識調査をするとポジティブな意見よりも、様々な不平不満が噴出し、経営もそれらに正しく対応する術を持ち合わせていないので、きっと収拾がつかなくなるだろうと考えて、実施の期限を示されなかったことを盾にして、対応を引き延ばしていました。

いつまで待っても調査を実施しないことに業を煮やしたトップは、私を呼び出し叱責しました。私は、調査のリスクを説明して延期を提案しましたが、

トップは、

「やれと言ったら、やれ」

の一点張りで、実施は避けられなくなりました。

私は仕方なく、単純な意識調査よりもネガティブ要素が出にくい、「エンゲージメント」調査をすることにしました。従業員に分かりやすいように質問項目を設定して、手づくりで実施しました。

結果は、ネガティブ要素が出にくいように工夫したにも関わらず、大半の従業員が、今にも離反してしまうのではないかと思われる程の、経営への不信感、事業継続への不安、継続勤務に対する意欲の低下がはっきりと読み取れる散々な内容となりました。

経営陣への報告会の際、私の率直な報告に対して、トップは言葉を詰まらせて、

「どうしたらいいんですかね。」

と、私に質問しました。私は、実施前にリスクを伝えており、それでもトップダウンで強行したことを承服していなかったため、

「それはあなたの考え次第」

との本音を隠しつつ、明言を避けました。

一向に火消し役を志願しない私を一瞥したトップは、一人の役員に顔を向け同じことを言いました。すると、その役員はトップに忖度したのでしょう、

「人事が対応しないようなので私が対応します。」

と言い出しました。

続けて、

「従業員のフリーコメントには、直視すべきものと、取りに足らない無視してもよいものがあるようなので、対処すべきものだけに絞ればよいと思います。」

と根拠に乏しいことを発言しました。すると、あろうことかトップは、安堵の表情を浮かべ、

「それでは、後はよろしくお願いします。」

と言い残して会議室から出て行ってしまいました。

私は、この時のトップが見せた態度から、経営者として、最もしてはならないことを見せつけられた思いがしました。彼のいったい何が問題だったのか、それから、何度も何度も考えました。

そして、ある考えに至りました。彼の犯した最大の失敗は、

「従業員の声を真面目に聞こうとしなかった」

こともさることながら、意識調査以前の問題として、

「従業員と一緒に目指したいビジョンを示すことができなかった」

ことだと気づきました。従業員が自分と同じ絵を見る仕掛けもせず、興味本位で意識調査を強行したことが問題だったと気づいたのです。

このトップは、そもそも職場にいることが少なかったのですが、稀に特定の従業員と会食を催すことがありました。

従業員と向き合い、本音を聞き出す絶好の機会であるにもかかわらず、そんな場で彼の口から出るのはいつも、

「上場を目指す」

という言葉でした。

顧客満足やサービス向上の課題、また、従業員のモチベーションに真正面から向き合うでもなく、出てくる言葉は「上場」。

ある従業員が、

「なぜ上場を目指すんですか」

と質問した時、彼の回答は、

「え?上場すれば経済的にも恵まれるし良いに決まってるじゃない」

でした。

その言葉を聞いた時、従業員たちは何を感じたでしょうか。彼らは、「上場」は、トップが、「大金を手にしたい」と思っているからで、

「自分達や事業は、その道具に過ぎないんだ」

という冷ややかな受け取り方をしたそうです。

そんな、従業員の気持ちに鈍感で、自らの言説を変えることなく、ひたすら「上場」を唱え続け、自身の言動を反省も内省もしないトップの下で、その会社は、当初の資金調達には成功したものの、計画通りに事業を発展させることが出来ず、赤字体質から抜け出せないまま、従業員の離職も相次ぎ、上場できる状態とはどんどんかけ離れたところへ彷徨って行ってしまったようです。

では、このトップは、もし「上場」という目標を実現したければ、一体何をしなければならなかったのでしょうか。私は、その鍵は、トップと従業員が共有する

「上質なビジョン(絵)」

を持ち得るか否かにかかっていたと考えています。

人は、どんな時にトップ、つまりリーダーを信じ、ついていこうと思うでしょうか。

私ならば、

「この人についていったら、もっと良い世界を見せてくれるに違いない」

と信じた時、その人についていきたいと思うはずです。

この、「もっと良い世界」とは、

上質なビジョン

のことです。

かつて、日本全体が貧しく、物不足だった時代においては、

「経済的に恵まれた豊かな世界の実現」

をビジョンに掲げて見せさえれば、ほぼすべての人はついていったはずです。しかし、いまは違います。「上質なビジョン」とは、地球規模の問題解決に貢献するというアジェンダ。

つまり、

真の人類の幸福

の実現に寄与出来るか、という問いに対する答え、哲学に昇華しているのです。

最近、テレビ等に出演する、経済人や知識人と呼ばれる人の胸に、SDGs(持続可能な開発目標)のバッチがつけられているのを頻繁に見かけるようになりました。

SDGsは、誰も疑う余地のない事実であり、正論です。しかし、その事実をどのように解釈するかは人間に委ねられます。

個人の解釈、つまり主観の部分については、これはSDGsに限りませんが、極論するといくらでも嘘がつけてしまうのです。企業のビジョンも、トップの主観次第でなんとでも言えてしまう。だからこそ、何を示すかが問われるのです。

メンバーにとっては、トップの嘘を見抜くことはそれほど難しいことではありません。メンバーは大抵、これはどの企業でも同じだと思うのですが、トップの言葉、示す絵とその言動が一致しているかを厳しく観察しています。そして、そのトップが、本気ついていくのに値する人物か、それとも、必要最小限のことしかしないかを判断するのです。

もし、メンバーが本気にならず、企業の発展に全力を尽くしたいと思わなければ、創発は生じず、イノベーションも産まれません。だから、トップが示すビジョンの質が企業の存続そのものを決定するといっても過言ではないのです。

では、メンバーが、本気で力を発揮したくなるようなビジョンを示すことができるリーダーとは、いったいどのような条件を兼ね備えている人なのでしょうか。

私は、

皆の幸福を実現したいという高い精神性と倫理

を備え、

自分を常にバージョンアップし続けなければならないと考え、実際に実践している人

ではないかと考えています。

「会社はトップの器以上には大きくならない」

という言葉は有名ですが、それはこういったことが背景にあるのかもしれません。

「ビジョン」について、もう少し深堀します。

トップがビジョンを考える上で不可欠なことは、人類が歩んできた歴史と現在の立ち位置に関する深い洞察です。

最近、「BS1スペシャル“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス」を視ました。

「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の作者であるイスラエルの歴史学者、ユ・ヴァル・ノア・ハラリの思想を解説する番組だったのですが、この中でハラリ氏が、私たちが「上質なビジョン」を考える上で参考になることを語っていたので下記します。また、文末には参考情報として「サピエンス全史」の概要を記します。

人間は、知能(問題解決能力)と、意識(感情や主観=物事を感じ取る能力)を組み合わせて問題解決を行ってきた。しかし、現在は、AIが人間よりもはるかに高い知性を持つため、自ずと問題解決をAIに頼る傾向が際立っていて、投資先のほとんどは人間ではなくAIなどの知能に向けられている。

この傾向がさらに進むと、人間は、意識(感情や主観)を全く持たないAIに支配されてしまうだろう。AIは感情や主観のない、人間とは全く別の存在であることを我々は自覚すべきだ。

よって、AIは知識に限定して活用し、我々人間は、自身の意識(感情や主観)を大切にして、失わないようにしなければならない。それは、どんなに新しい科学技術が開発されても

人間至上主義

を貫き通せるかにかかっている。「人間至上主義」を失うと、科学技術は暴走し、誰も止められなくなる。やがて、人間は、一部のエリート(多くの富を保有し神のように創造と破壊の力を持つ)と、圧倒的多数の無用者階級に二分されてしまうだろう。

この番組を視て私が至った結論は次の通りです。

「企業の存続(創発とイノベーションを継続的に起こす)には、トップが、

人間至上主義(人間の真の幸福の実現)

に基づく上質なビジョンを描き、これをメンバーと共有できるかにかかっている。」

前掲のユ・ヴァル・ノア・ハラリは、「ビジョン」のことを、

「フィクション」

と呼び、我々人類が幾多の革命を起こし得た能力と解釈しています。(その理由は文末の参考情報に詳しく書きました。)

私は、人類が持つ、フィクション(ビジョン)を共有する能力が、人間の幸福実現のために使われるのか、それとも、不幸をもたらすことに使われるのかを分かつのは、トップの精神性と倫理観、そして、人類が築いてきた「歴史」「人物」「古典」からの学びによって得た、知識と知恵に基づいて、どのような「主観」を持ち得るか、にかかっていると思います。

世界のリーダー達がリベラルアーツという学問分野を学び続ける理由は、正にこの、「主観」を形成するためです。人類の普遍的価値を身に着けて、正しいフィクション(上質なビジョン)を描き、メンバーと共有出来るようになるためなのです。

ビジョンを描くための学びの方法はリベラルアーツに限りません。人は個人的な経験をきっかけにして、客観的事実に対する見立て(主観)を劇的に変えることがあるからです。

一例として、これはある神奈川県の大手企業で実際に起きたことなのですが、その会社のトップは従来、従業員のメンタルヘルスについて無関心で、むしろ否定的な考えさえ持っていました。

社員がうつ病を発症して休職したという報告を受けても、発症の原因は個人が持つ何らかの因子がそうさせていると信じ込んでいて、会社として特段対処する必要はないと考えていました。

ところが、他社に勤める自分の子供が、職場の人間関係が原因でうつ病になった途端に、メンタルヘルスの取り組みの重要性を痛感し、自社において非常にしっかりとした制度を人事に命じて整備させたそうです。

愛する人が苦しむ姿を見て初めて事の重大さに気づいたのでしょう。これは、客観的事実が同じであっても、その人の捉え方次第で180度対応が変わってしまうということの分かりやすい事例です。

トップの皆さんにおかれては、是非、不確実性がますます高まる未来を、家族のように愛する人が苦しんでいなくても、「人間至上主義」という一筋の灯明で自社と顧客とすべてのステークホルダーを照らして、メンバーをより良い世界へと導いていただきたいと願うばかりです。

次回は、上質なビジョンを示し、メンバーと共有しながら、チームとして創発を生じさせてイノベーションを産み出すマネジメントの仕組みについて、

阻害要因③:トップとメンバー間で経営上の重要情報が共有されていない

を念頭に置きつつ考察したいと思います。

参考情報:ユ・ヴァル・ノア・ハラリの思想

「BS1スペシャル“衝撃の書”が語る人類の未来~サピエンス全史/ホモ・デウス」より。

歴史学者ユ・ヴァル・ノア・ハラリが2つの著作を通じて立てた問いは、「人類は果たして幸福になったのか」ということだった。

サピエンス全史では、人類の歴史を俯瞰しつつ3つの改革を描いた。

ホモ・デウスでは、科学革命によって生ずる未来予想を描いた。

人類はこれまで3つの改革に成功した。

認知革命は7万年前、農業革命は1万2千年前。

そして、目下、グローバリゼーションによる人類の統一の真っ最中である。人間は益々高度な技術を発明し、近い将来、あたかも神のように生命を操ることが出来るようになるだろう。

かつて、人類には多くの種族がいた。最も大きな勢力が、約250万年前に誕生したのが私たち「ホモ・サピエンス」と「ネアンデルタール人」だった。

フィジカル面では、ネアンデルタール人が、私たちホモ・サピエンスよりも優れていた。

一方、認知力面では、私たちホモ・サピエンスが、ネアンデルタール人よりも優れていた。

ネアンデルタール人は実際に見たことしか信じなかったのに対して、ホモ・サピエンス「フィクション」を信じることが出来た。

ホモ・サピエンスは、「フィクション」を考え、選択し、多くの人と共有することによって仲間になり、集団で協力して行動することが出来るようになった。ホモ・サピエンスが体力で勝るネアンデルタール人に勝てたのは、この一点だけだった。

ホモ・サピエンスは、やがて、「フィクション」を集団で共有して文化を築き、文化はより広範囲に統合されて文明へと発展していった。そして、文化から文明へと拡大した背景には宗教があった。為政者が神との関係によって権威を得て、帝国が築かれ、貨幣が広範囲で共有され、現在に至る資本主義が誕生した。

20世紀になり、グローバリゼーションが進展し人類統一へ。これらは全てホモ・サピエンスだけが成しえた、「フィクション」を描く能力の成せる業だったのだ。

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