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子供たちへのコミュニケーション教育

 主に小学校高学年の子供たち向けのコミュニケーションに関する小講義資料をご紹介します。弊社の「家族のためのコミュニケーション講座『伝説の車を復元せよ』」からの抜粋です。

 こうした学びは、私は、今の子供たちにとって大変重要だと考えております。

 掛け算の九九ができないと大騒ぎするくせに、自尊心が育まれていなくとも何も問題を感じない教育界の現状は、嘆かわしいことだと私は思っております。だって、人生を自分らしく逞しく生きるために必要なことは、九九のようなテクニックではなく自尊心のような生きる態度なのですから。

 実は、この文章は、先日弊社のヴィーナス通信でも配信したのですが、読者の方から、義務教育で学ばせるべきだと仰っていただけました。私もまったくその通りだと思います。自尊心やコミュニケーションが当たり前の学びとなったならば、日本や世界はきっと変わると思います。そんな願いを込めて、ご紹介します。

【コミュニケーションについて】

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◆どうしてコミュニケーションって大切なんだろう?
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 よく、「コミュニケーションは大切だ」と言われていますが、そもそもどうして大切なんでしょうか?

 アメリカの心理学者ジャック・ギブ博士が、この問題を上手に説明する理論を発表しています。

 「四つの懸念」という理論です。ちょっとむずかしく聞こえる名前ですが、とても分かりやすく参考になる考え方ですので、ここでご紹介しましょう。

 ギブ博士は、人と人との出会いはすばらしいことであり、チームであることはすてきな事だけれども、そこには、必ず「懸念」と呼ばれるものが生じてしまうと考えました。

 懸念とは、不安や恐怖のことです。

 みなさんは、初めての人と話すときに、「ちゃんと話せるかな?」「誤解されないかな?」「よい友達になれるかな?」などと心配になりませんか?ギブ博士は、どんな人でも人と関わる時には、そうした心配が生じると考えたのです。

 ギブ博士は、さまざまなチームの人間関係の研究を通して、人には、どのような懸念を生じるのかを調査しました。具体的データを集め、仕分けした結果、以下のような4種類の懸念に分けることができたので、この理論は、「4つの懸念」と呼ばれています。

 

<四つの懸念(J.ギブ)>

1.受容懸念

 ・そもそも私は受け入れてもらえるのだろうか?

 ・私は、責められたり攻撃されたりしないだろうか?

 ・相手はどのくらい信頼できるだろう。

2.データ懸念

 ・ここではどんな話をすればいいのだろうか?

 ・私はどのようにふるまえばいいのだろうか?

3.目標懸念

 ・チームが今していることは、何のためなのだろうか?

 ・われわれは何をしたいのか?

4.統制懸念

 ・ここでのボスは、誰なのか?

 ・ここでの私の役割ってどんなことなんだろう?

 

  世界中の誰もが、こうした心配を持ちながら、人とかかわっているだということが分かります。私たちは、人とかかわる時に、ドキドキと緊張することが、よくあると思いますが、それは、あたりまえのことなんですね。

  さて、ギブ博士は、チームをよりよくするためにはどんなことが必要なのかを研究したのですが、多くの研究を通して、「懸念を解消していくことが、チームの成長につながる」ということを発見しました。 

 チームが強くなるために必要な事は、何か特別なことではなく、お互いの不安や恐怖を解消して、心を開くことが一番大切な事なんだということが分かったのです。

 初対面の時には強くあった懸念が解消されていくにつれて、メンバー同士が信頼し合えるようになり、一人一人のぎこちなさがとれて自由で楽になっていき、チームとしての生産性や創造性が引き出されていくと考えたのです。

  「自分や自分のチームがより良くなるためにはどうすれば良いのか?」と考えたときに、良く思いつくことが、「このままじゃだめだ」「今の自分じゃだめだ」「何か別の力が必要だ」「新しい何かに頼らなければ」などと思うことはありませんか?

 私たちは、より良くなるために、よく今の自分を否定して、ちっぽけで弱くみすぼらしい(と思い込んでいる)自分以外の、強く大きく輝いている(と思い込んでいる)外部の何かに頼りがちになりますが、この理論の視点からは、それは決して最善策ではないと言うことなのだろうと思います。

 だって、チームが成長するための力は、どこか他にあるのではなく、チームの内面になるのですから。宝物は、どこか遠くにあるのではなく、とっても身近な自分自身にあるのですから。

 だから、頼るべきものは、遠くにあるありもしない魔法の力ではなく、最も近くにあるリアルな自分、無いと思い込んで顧みなかった自分(たち)の内面の可能性なのですね。

  それでは、懸念を解消して、チームのもっているすばらしい力を引き出すためには、どうすればよいのでしょうか?そのための方法は、いろいろあるけれども、本質的で最も効果的な方法がコミュニケーションであると言えましょう。なぜならば、懸念は、お互いに分かり合うことができなければ、解消されることはないからです。

 ギブ博士の考えでは、信頼関係というものは、取り繕ったり演技をしたりしてつくるものではなくて、出会い当初に生じてしまう懸念を、正直なコミュニケーションを通して取り除いていけば自然にできあがる心情であって、たしかに信頼関係は難しいかもしれないけれども、もし本当に信頼関係ができたならば、チームのもともと持っている大きな力が解放されて、チームは、もっと強く、もっと生産的に、もっとクリエイティブになると考えたのです。

  やっぱり、コミュニケーションは、大切なんですね。だって、信頼関係を育んで、人やチームの力を引き出す原動力なんだから。 これからも、人とのご縁や人間関係を大切にしていこう!

 

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◆コミュニケーションのポイント
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 コミュニケーションは、大切だということは分かったけれど、では、どうすれば、コミュニケーションがもっと上手になるんだろう?ここでは、そんなテーマに取り組んでいきたいと思います。

 コミュニケーションが上手になるために最も大切なことは、「習うより慣れろ」ということです。いろいろ思い悩む前に、どんどん人に向き合って、人とかかわってみましょう。そんな体験からきっと大切なことを学べるはずです。時には、失敗することや痛みを感じることがあるかもしれないけれども、そんなことは、たいしたことじゃありませんよ。むしろ、失敗が多ければ多いほど、人は大きくなり、やさしくなり、強くなるんですから。

  ときどき、「コミュニケーションは生まれつきのもので、簡単にうまくなんかならない」と思い込んでいる人もいますが、そんなことはありません。

 生まれつき話すことが苦手な人なんかいません。

 あなたは、生まれつき泣くことが苦手な赤ちゃんを見たことがありますか?

 生まれつき人の話を聞けない人なんかいません。

 あなたは、あやされているときにキラキラした目でお母さんを見つめ、お母さんの言葉に夢中になっている赤ちゃんを見たことがありませんか?

  人には、話す”くち”と、聴く”みみ”と、理解する”こころ”を持っています。それらの力は、想像している以上にとても大きいのです。人は、誰もがその力を宿しているのです。そして、ひとたびその力が本当に解放されたら、おどろくほど魅力的で、力強く輝くことでしょう。

 そんな力を引き出す参考として、以下にコミュニケーションをよりよくするためのポイントをご紹介しましょう。

1.自分を大切にすること

 コミュニケーションが上手になるために最も大切なことは、自分を大切にすることです。

 だって、自分を大切にできない人が、どうして他人を大切にできるでしょうか?自分を愛せるからこそ、他人を愛せるだろうし、自分を信じられるからこそ、他人を信じられるのですから。

 自分を大切にできているかどうかは、コミュニケーションに大きく影響します。「自分は価値ある存在だ」と感じていれば、自分を表現することにためらいはありませんが、「自分は価値がない」と感じていれば、「こんなつまらない自分の意見を聞かせるのは、相手に悪いし時間のむだである」などと、自分を表現することに引け目を感じてしまうでしょう。

 人は、誰もが価値ある尊い存在なのです。そして、人は、たいていの場合、自分で思っているほどちっぽけではありません。本気を出せば、どんな人でも、想像をはるかに超えた大きな力を発揮できるものです。

 だから、「自分はダメだ」なんていう思いは、大きな勘違いで、そんな思い込みは持つべきではありません。自尊心をもって自分自身を大切にしましょう。

 

2.話すこと

 自分が伝えたいことや感じていることをしっかりと表現することはとても大切なことです。

 「分かってくれない」「聞いてくれない」と文句を言う前に、分かってもらえるように話してみましょう。

 話し方のコツは、以下の通りです。

 ①自分が何を伝えたいのかをしっかりと把握する。自分の考えや気持ちが、他の人のそれと違っていても、大丈夫です。むしろ違いは創造性につながるものです。

 ②伝えたいことを正直に語る。

 ③正直さは、どんなに上手なテクニックよりも迫力があり、心に響き、説得力があります。(ただし、思いやりのない正直さは、相手を傷つけることがあるので注意すること)

 ④肩の力を抜いて、自分らしく表現する。

 ⑤かっこよく上手に伝える必要なんかありません。不器用でもいいんです。むしろ、不器用で正直な人の方が、器用で気取っている人よりも人気がありますよ。今のあなたで大丈夫。おだやかに、自分らしく自信をもって話してみよう。

 

3.思い込みに気をつけること

 人は、とても優れた理解力をもっていますが、決して完璧ではありません。 人は、とても勘違いしやすいのです。 しかし、たとえ勘違いでも、一旦こうだと思い込んでしまったことは、私たちの行動に支配的に影響を及ぼすものです。 だから、私たちは、誤解や勘違いのないように注意深くある必要があるのです。

 <人間関係の勘違いの一例>

 ・自分の理解

 「Aさんにあいさつしたけど、知らんふりして行ってしまった。きっと私は嫌われているのだ。向こうがそのつもりなら、もうこちらからあいさつするのはやめよう。」

 ・事実

 「Aさんは、考え事に夢中で、私が話しかけても気がつかなかったので、ふり向かなかった。」

 

4.あきらめないこと

 コミュニケーションは、心から心への伝達です。

 自分の心は、「悲しい」とか「うれしい」とか実際に体験しているので良くわかりますが、他人の心は、直接自分で体験することはできません。他人の心を知るためには、その人の言葉を聞いたり、様子を見たりして推しはかることしかできません。 ですから、コミュニケーションは、決して簡単なことではないのです。

  しかし、むずかしいからと言って簡単にあきらめるべきではありません。成功とは失敗しないことでありません。失敗してもあきらめないことが成功につながると言えましょう。

 コミュニケーションは、すれ違いがあって当然であり、たとえすれ違いがあったとしても、関係の糸を切らないかぎり、最終的にはお互いに分かり合えるものです。あきらめない心を大切にしましょう。

 

5.勇気

 人とコミュニケーションをとるためには、勇気が必要です。なぜなら、相手が自分を受け入れてくれる保障はどこにもないからです。人とかかわる時には、無視されたり、拒否されたりする恐れがあるのです。

 しかし、危険があるからといって心を閉ざしてしまうのは、自分が本当にやりたいことではありません。言うべきことは、勇気をもって言葉で伝えていきましょう。そんな勇気が、新しい可能性を開いていくのですから。

 

6.そして耳を傾けること

 ”きく”には、”聞く”と”聴く”があると言われます。単に表面的にきくのは”聞く”ですが、相手が本当に言いたいことを真剣にきこうと努力することを”聴く”と言うのです。

 人間関係は鏡であり、こちらのきき方で、相手の反応も決まってくるでしょう。 もし、私が表面的に”聞く”とすれば、相手の人も、表面的に”答える”関係となるでしょうし、もし、私が、相手に集中し、全身全霊で”聴く”とすれば、相手も本気で”応え”てくれるでしょう。

 平和で自分を元気にさせてくれる人間関係は、相手の出方によって決まるのではなく、実は、私の”聴く”態度によって作り出されるのだということを忘れないで下さい。

 以下に、よく”聴く”ためのいくつかのポイントを上げます。

①肩の力を抜いて、相手に集中してみる。

②ただ表面的に”聞く”のではなく、意識的に聴いてみる。

③会話の予習をせず、”いま、ここ”に集中する。

④相手を”他人”と思わずに、”家族のような人”と思って聴いてみる。

 

以上、家族のためのコミュニケーション講座『伝説の車を復元せよ』より抜粋

ヴィーナス通信2004年春号

弊社より定期的にリリースしているヴィーナス通信を転載します。

以下、ヴィーナス通信2004年春号です

<2004年ヴィーナス通信春号>

梅の花も咲き始め、春の足音がしてきました。みなさんお変わりありませんか、

ヴィーナスアソシエイションの手塚美和子です。

三寒四温、早く暖かい季節になるといいですね。

これから忙しい時期に突入されることと思います。

ひとときヴィーナス通信で息抜きしてください。

 そして春にふさわしい新しいお知らせが4つあります。

 ①ヴィーナスアソシエイション オンラインショップをオープンしました!

 ⇒ http://venus-association.com/shop/html/

②コンセンサス実習「高価な薬」講師用マニュアルを発刊しました!

 ⇒ http://venus-association.com/shop/html/products/detail25.html

③実習「ひょうたん山」講師用マニュアルを発刊しました!

 ⇒ http://venus-association.com/shop/html/products/detail24.html

④体験学習実習集「ダイアローグコミュニケーション」を発刊しました!

⇒ http://venus-association.com/shop/html/products/detail6.html

今回、2014年春号のテーマは、「分離感について」です。弊社代表手塚芳晴の寄稿です。

それでは、気分も新たに2014年春号の発信です!

☆☆☆ テーマ「分離感について」 ☆☆☆

1.分離感とは

分離感とは、他者と私が分離しているという感覚である。

人は、多かれ少なかれ、誰もが分離感を持っている。それがなければ、自分を認識できないからだ。  

「私は、背が高い」と認識するためには、背の低い他人が必要であり、 

「私は、強い」と認識するためには、弱い他人が必要であり、

「私は、正義である」と認識するためには、悪である他人が必要であり、

「私は、私である」と認識するためには、私ではない他人が必要である。

  分離感は、寂しさの原点でもあるが、自己認識の原点でもある。さまざまな悲しみの原点でもあるが、個としての成長の原点でもある。ネガティブとポジティブ、裏腹な性格を持つ分離感。やっかいではあるが、絶対に避けるわけにはいかない分離感について、考察を進めていきたい。

分離感にはどんな特徴があり、どのようにかかわればいいのか?そんなテーマに挑戦したい。

 

2.分離感の状態

分離感は、境界の性質とその状態の2つの視点から特徴を捉えることが出来る。

 (1)境界の性質

自他の境界は、時と場合に応じて変化する。自分と大変親和的で自分が受け入れやすい対象に対しては、境界線は柔軟であいまいになる。例えば、自分の大好きな食べ物は、自分の口の中に受け入れ、ついには自分の体と同化し、自分の一部になる。自分の大好きな人とは”もらい泣き”のような共感が起こり、自他の感情の共鳴と相互理解が起こる。逆に、自分と親和しない受け入れづらい対象に対しては、境界線は固くはっきりと浮き上がり、まるで戦争当事国同士の国境線の様に緊張と対立が起こる。

 (2)分離感の状態

①戦いの状態

 “他”に対して脅威や反感を感じ、”自”を守ろうとする状態であり、”自分”が、 “他”の脅威にさらされて萎縮し弱い犠牲者のように感じる。自他の境界線は厚くなり、固く、高い壁ができた状態となる。個の状態になると、基本的に”他” は、どんな存在であれ、潜在的な敵であり、どんなフレンドリーな装いをしていてもいつかは攻撃に回る信用のならない拒絶すべきよそ者となる。だから、他からの働きかけは、どんなにそれに愛があるように見えようが、それは何かを奪おうとしている操作や攻撃に感じ、あらゆる働きかけにプレッシャーを感じる。結果、人間関係は、競争とサバイバル、戦闘と防衛の関係となる。

②日常生活の状態

社会的に常識とされている人と人との間の距離感の状態。表立って戦い合っているわけでもなく、かといって、肉親のように親しく感じているわけでもなく、お互いに、社会的な関係を維持できる関係性の状態である。自分と他人の境界線は、比較的はっきりとしており、自分と他人の関係性は、協力関係というよりはむしろ取引関係である。自分対他人を比較的平和的に体験できる場であり、自我の成長の場ともなる。しかし、分離感の反映である疎外感や孤独感は絶えることなく、主要な社会性の特徴の一つとなる。

③共感の状態

他者に強い親しみを感じ、気持ちを分かち合うことができる状態である。もはや、”自”は、”他”と異なるものというよりは、本質的には同じものと感じる。 “他人”のいたみは”自分”のいたみであり、”他人”の喜びは”自分”の喜びである。人間関係において、相互の感情や意向など、ノンバーバルの領域について、共感的にはっきりとわかるので、そこには、うそやごまかし、隠し事の入る余地はない。関係の中で起こっている様々なあらゆることが、オープンとなり、受け入れられ、誤解なくありのままに理解される。そのような関係性の中では、隠し事、演技、うそ、ごまかしで自分を演出する必要はまったくない。自分は、他人から、ありのままを受け入れられ、すべてをそのまま愛される。愛されるために自分を変える必要が全く無いのだ。他者に対しても同様であり、自分は他者の中で起こっていることを、客観的にではなく、体験的に理解できる。他者の悲しみを自分の悲しみとして体験し、他者の喜びを自分の喜びとして体験する。そのような体験にケチをつけて、”本来ならばこうあるべきだ”などと説教しようなどとは思いもよらない。そのような体験をそのまま受け入れて誤解なく理解し、そのままを心から愛することができるのだ。このような共感の状態において、人は初めて自分らしさを自由に謳歌し表現することができる。そのような関係性に一体化した自分自身を初めて心から幸せと感じることができるのだ。

 3.分離感にまつわる思い込み

現代社会は、分離感がその基盤の一つとなっていることは、間違いないと言えよう。以下、分離感の哲学を提示していこう。

 <以下「共感の時代」フランス・ドゥ・ヴァール著より引用>

・「自然の尽力はもっぱら、そのような人(競争に負けた不適者、貧乏人)をつまみ出し、世の中から一掃し、もっと優れた者たちのための余地を作ることに向けられている」ハーバード・スペンサー(「適者生存」という言葉を生みだした政治哲学者)

・エンロンのCEO、ジェフ・スキリングは、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の大ファンで、自分の企業内で冷酷無比な競争をあおり、意図的に(彼らの信じ込んだ弱肉強食の)自然をまねようとした。・・・従業員はエンロンの社内環境で生き延びるために、たがいにせっせと蹴落とし合い、その結果、内部はぞっとするような不正行為、外部では情け容赦ない搾取を特徴とする社風が生まれた。

・(行動主義心理学の父ジョン・ワトソンは)母性愛の意義に関しては特に懐疑的で、それを危険な道具と考えた。・・・社会はこれほどの温かさは不要で、もっとしっかりした仕組みが必要だというのだ。・・・ワトソンは、自らが「キスされすぎた子供」と呼ぶものの撲滅運動を展開し、1920年代には非常に世評が高かった。」

上記の引用文献である「共感の時代」の著者フランス・ドゥ・ヴァールは、動物学者である。彼の幾多の動物研究によれば、自然界は、上記のようなゆがんだ競争社会ではなく、もっと愛と思いやりと自己犠牲と社会性のあるものであり、上記のような考え方は、自然界のほんの一部の暗い側面だけを取り出して、人間社会のひずみを正当化しようとした詭弁であると語っている。フランス・ドゥ・ヴァール氏の考えは、正しいのだろうか?その答えは、今の日本や世界を見れば一目瞭然であろう。諸国間のいがみ合いと戦争、飢餓、格差問題、自然破壊・・・、分離感の哲学が生み出した社会は、自然の美しさを反映した社会であるとは、決して誰も言うことはできない。

5.自然本来の社会性

一方、動物学者フランス・ドゥ・ヴァ―ルは、動物たちが自然に持っている社会性を研究している。以下、動物たちの共感の力が発揮された事例をご紹介しよう。

・たとえば、二匹のサルに同じ課題をやらせる実験で、報酬に大きな差をつけると、待遇の悪いほうのサルは課題をすることをきっぱりと拒む。・・・どんなに少ない報酬でも、もらえないよりはましなので、猿も人間も利潤原理に厳密に従うわけではないことが分かる。(サルの不公正を嫌う性格について)

・野生の馬やジャコウウシは、オオカミに襲われると、幼い者たちの周りをぐるっと囲んで守ってやる。

・アルゼンチンのブエノスアイレスでは、あるメス犬が、捨てられた人間の男の子を自分の子たちと一緒に世話をして救って有名になった。オオカミに育てられたという双子、・・・このような異種間の養子関係は、動物園ではよく知られている。ある動物園のベンガルトラのメスは、豚の子供たちを引き取って育てたという。母性本能は、驚くほど寛大なのだ。

・人間や動物は、利己的な理由からしか助けあわないということにはならない。・・・たとえば、人間が見知らぬ人を救うためにレールの上に身を投げ出したり、犬が子供とガラガラヘビの間に飛び込んで重傷を負ったり、サメが出没する海域で泳ぐ人の周りをイルカが囲んで守ったりする。

・猫のオスカーは、・・・老人用診療所で、毎日アルツハイマー病やパーキンソン病などの患者のために回診する・・・オスカーは、部屋から部屋へと回りながら、患者を一人一人注意深く観察し、その匂いを嗅ぐ。誰かがもうすぐなくなると判断すると、その傍らで身を丸め、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、そっと鼻を押し付ける。そして、患者が息を引き取ると、ようやく部屋を後にする。オスカーの見立ては正確そのものなので、病院のスタッフにすっかり頼りにされている。・・・彼が患者の脇で番を始めると、看護師はすぐに家族に電話をかけ、家族は・・・急いで病院に駆けつける。オスカーはこうして25人以上の死を予測してきた。・・・スタッフは、彼が救いの手を差し伸べているのだと解釈している。

・私(動物学者コーツ博士)が泣きまねをして、目を閉じ涙を流すふりをすると、ヨニ(チンパンジー)は、自分のしている遊びなどの活動を直ちにやめ、興奮して毛を逆立てながら、急いでかけてくる。家の屋根や織りの天井といった、家の中でも特に離れていて、しつこく呼んだり頼んだりしても降りてこさせられなかったような場所からやってくるのだ。・・・私の周りをせわしなく走る。私の顔をじっと見て、一方の手のひらで優しく私の顎を包み、指で顔にそっと触れるのは、何が起きているのかを理解しているかのようだ。・・・・私がいかにも悲しそうに、絶望したように泣くほど、ヨニはますます同情を示す。・・・ヨニは、(両手で目を覆う)その手を取りのけようとし、彼女の顔に向けて唇を突き出して、じっと見入り、かすかに唸り、鼻を鳴らす。

・ラブラドール・レトリバーのマーリー・・・ジョン・グローガンの『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』に出てくる暴れん坊でお騒がせの札付き犬だが、グローガンの妻ジェニーが、流産したのがわかって泣いていたときは、頭を彼女のおなかにぴったりと押し付けて、微動もせずに立っていた。

 事例にもある通り、人間を含めた動物には、生来の正義感、思いやり、共感の力を持っている。

・弱い者は、滅びるままにすべき。

・強いものが弱いものを犠牲にして成長することが正義

・思いやりや愛は、不自然であり、間抜けな人の特徴

前述の分離感の哲学は、必ずしも真実ではない。強欲の資本主義が間違っており、反省すべきだと考えられてきたのは、つい最近のことではないだろうか。むき出しのエゴイズムが暴露・糾弾され、業績悪化につながると同時に、自制心と思いやりのある高い意識の経営が台頭する傾向が強まってきている。

6.人と組織の新しい可能性

人には、他者と共感し、一体感を感じることができる能力がある。その力は、他者とは他人であるという強い分離感があるときには潜在化してしまい、機能不全となるが、凝り固まった分離感の思い込みから自由になり、肩の力を抜いて、素直に他者と向き合おうとしたときに自然に発動する。

サッカー場で応援する人たちの一体感、

共に協力し合って目標に立ち向かう職場、

コンサートホールで共に歌い、踊り、楽しむことによって増幅される感動、

旧友と分かち合う楽しいひと時、

結婚する二人をみんなで祝福する聖なる瞬間、

愛し合う2人の間で起こる言葉の必要ない相互理解。

 そのような状態の中では、人は他者をもはやどうでもよい他人とは思えない。他者の痛みは、自分の痛みであり、他者の喜びは自分の喜びである。他者がほほ笑むと、私も微笑み、他者が悲しみで涙を流す時には、自分の胸も悲しみが満ちて涙が流れる。

他者が苦しんでいた時には、見返りがほしくて助けるのではない。他者の苦しみが自分でも体験できるから手を差し伸べざるを得ないのだ。

 こうした共感の能力は、人間の新しい可能性である。それらの体験は、日常的ではないかもしれないが、不自然ではない。

 もしも、すべての人が、自分と他人とが違う人ではなく、本当に体験を分かち合える同士であることを直覚したならば、強いリアリティと喜びの中で、すべての人や世界と一体感を感じながら生きることができたとしたならば、世界は、途方もない変容を遂げることだろう。そんな認識の中では、うそや詐欺、犯罪や搾取、独裁や支配、自然破壊や戦争は、もはや不可能である。

人の新しい可能性、大いなる夢、わくわくする未来を感じることができる。  そんな未来は、不可能ではない。分離感と言う幻想に迷い込んだら見えなくなる境地がある。分離感の幻惑を見極めて、素直になれたとき、その時にこそ、人の本来の偉大なるあり方が開花するのかもしれない。それこそが、人と人の社会の新しい可能性なのではないだろうか。そんな大いなる可能性を信じてみたい。