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kindle本「自尊心が全てを変える」 ⑥自尊心を回復するということ

(以下、kindle本「自尊心がすべてを変える」より抜粋)

⑥自尊心を回復するということ

ちなみに、自尊心を回復するということは、別人になるということではありません。

あすなろは檜になることはできませんし、ひまわりはバラになることはできません。

自尊心の回復とは、特殊な努力をして別人になろうとすることではなく、もともとの自分の輝きを取り戻そうとする試みです。

人は、多くの場合、自分の周囲に自分を囲い込み、封じ込める自分への呪いともいえる否定的な信念を持っているものです。

「ダメ人間」「運が悪い人間」「必要のない人間」「何をやらせてもうまくできない人間」「人に嫌われる人間」「生まれてこなかった方が良かった人間」・・・。

自尊心の回復とは、そうした呪いから自由になるということです。新たな信念を植え付けて自分を洗脳するということではなく、すでに植え付けられてしまっている呪い(思い込み)を解き、自由を取り戻すことを意味しています。

自由を取り戻した自分は、いまの想像をはるかに超えて輝かしく、力強いものなのです。

人は、別人になることはできませんが、自分らしい輝きを取り戻すことなら不可能ではありません。あなたは、本来のあなたでいる時こそが一番輝いている。ひまわりはひまわりとして堂々と咲いている時にこそ、一番輝くのです。

本書では、私の体験を通して学んだこと、さまざまな心理学上の理論を通して、大切な自尊心をどう回復していくことができるのかを探求していきたいと思います。

自分のことを好きになれずに困っている人、もしくは、そうした知り合いを応援したいと願っている人たち、大歓迎です。今困っているからこそ、起こる奇跡も大きいのだろうと思います。ともに、本書を通して、探求を進めていきましょう。

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当ブログにおけるkindle本「自尊心がすべてを変える」の一部紹介シリーズは、ここまでです。

ちなみに今回ご紹介した文章は、以下の全目次の中の「第1章 自尊心の回復が全てを変える 1.自尊心とは」の中の①~⑥まででした。

【kindle本「自尊心がすべてを変える」目次】
第1章 自尊心の回復がすべてを変える
 1.自尊心とは
   ①自尊心とは
   ②自分を好きになっても構わない、と言うか好きにならなければ大変なことになる
   ③日本人の自尊心は病んでおり、心には痛みが潜んでいる
   ④日本が国力を失ったのは自尊心のせい?
   ⑤人は変われる
   ⑥自尊心を回復するということ
 2.あらゆる心の闇は自尊心の欠如から生まれる
   ①心の闇の根本的な原因とは?
   ②健全なハートには強い免疫力がある
   ③自尊心の低い人の内面で起こっていること
   ④あらゆる心の闇は自尊心の欠如から生まれる
   ⑤不健康なハートは、愛すれば愛するほど愛する人を傷つけてしまう
 3.自尊心の回復がすべてを変える
   ①私が体験した自尊心回復のプロセス
   ②自尊心の回復がすべてを変える
   ③自虐は、最凶最悪の弱い者いじめ
   ④自尊心を回復し、自分らしく堂々と生きよう
第2章 自尊心回復の7つの原則
 第1原則「自灯明法灯明」
    <エクササイズ 「自尊心回復のための基盤づくり」>
 第2原則「自尊心を巡る誤解を解く」
   ①「自分を愛する」ことと「自己愛」は違う
   ②「こだわり」と「頑固さ」は違う
   ③「謙虚さ」と「自虐」は違う
   ④「自分にまける」のは「弱い」からではない
   ⑤「自分を信じる」ための条件なんかいらない
   ⑥利己主義と自尊は違う
    <エクササイズ 「自尊心を巡る誤解を解く」>
 第3原則「リラックスと集中」
   ①リラックスは最強最善のスキル
   ②優等生症候群
   ③なぜリラックスがこんなに難しいのか?
    <エクササイズ 「リラックスを深める瞑想」>
 第4原則「自分を受け入れる」
   ①「ありのままの私」とは
   ②受け入れるということ
   ③自分を受け入れるということ
    <エクササイズ 「ありのままの私を受け入れる」>
     (1)ありのままの私を受け入れられていないと言う現状を理解する。
     (2)ありのままの私を受け入れるための瞑想
 第5原則「自分に対する攻撃をやめる」
   ①自分の欠点に対する扱い方
   ②自虐は最凶最悪の弱い者いじめ
   ③自虐の生き方は過去の亡霊に支配される生き方
   ④人は、自分で生き方を選べる
   ⑤自虐を止める
   ⑥自己嫌悪ではなく反省をする
    ⑴現状認識
    ⑵原因探求
    ⑶対策
   ⑦忠実であるべきものは過去の亡霊ではなくこころざし
    <エクササイズ 「前向きに自分と向き合う」>
 第6原則「自己犠牲ではなく自己選択として生きる」
   ①自己犠牲は美徳?
   ②自己選択として生きる
    <エクササイズ 「自己犠牲を見直す」>
 第7原則「恐怖から自分自身を取り戻す」
   ①恐怖心とは
   ②マズローの欲求理論に基づく恐怖論
    ⑴生存危機の恐怖
    ⑵衣食住の恐怖
    ⑶疎外の恐怖
    ⑷存在価値の恐怖
   ③自尊心を持って生きる
    <エクササイズ 「恐怖と向き合い恐怖を癒やす」>
第3章 自分を生きる勇者となる
 1.そもそも“私”とは
   ①“私”とは?
   ②“私”とは体?
   ③“私”とは感情?
   ④“私”とは思考?
   ⑤“私”とはなぞ?
   ⑥“私”のなぞは、夢と冒険に満ちたロマン
 2.自尊心を生きる
   ①成長とは
   ②恐怖を乗り越える
   ③理想を定める
    第1ステップ 自分の使命に気づく
    第2ステップ 自分の理想を定める
   ④自尊心をもって理想を生きる

 

以上が、kindle本「自尊心がすべてを変える」の全目次です。自尊心回復に向けての考え方を分かりやすく解説している良い本だと思います。続きはぜひ本でご覧ください。

 

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kindle本「自尊心が全てを変える」 ⑤人は変われる

(以下、kindle本「自尊心がすべてを変える」より抜粋)

⑤人は変われる

実は、私自身が、若いころは(今でもときどきそうですが)、はだはだしく自尊心が欠如した人間であり、自分も嫌いだったし、人も嫌いでした。人間関係なんて煩わしく疲れるもので、さまざまな問題行動を起こし、関係各所の方々に多大なる迷惑をかけてきた人間だったのです。

そのような人間が自尊心について語るのはおこがましいのですが、だからこそ、自尊心が欠如した人たちの痛みが良くわかるし、その重要性も良くわかるので、こうした話をさせて頂いております。

そんな私でしたが、さまざまなすばらしい人達と出会い、関わりながら、さまざまな仕事に挑戦し、探求していくことを通して、ゆっくりと徐々に徐々に不信と絶望が解け、肩の力が抜けてきて、自分も捨てたものではないということが理解できるようになると同時に、人間関係も決して恐怖と不安、戦いと傷つけあいではなく、その本質は、明るく、温かく、ダイナミックでエネルギッシュであり、むしろ自分を元気にさせてくれる尊いものなのだという確信を得ることができるようになりました。

現在では、若いころの自尊心が低く問題ばかり起こしていたころの私には、まったく想像もつかなかったような素敵な仕事、人材育成、教育の仕事に関わることができるようになっています。

そんな体験を通して、「人は変われるのだ」と私は信じています。人は、たいていの場合、自分で思っているほどちっぽけな存在ではなく、その潜在性や可能性は、人の皮肉な思惑をはるかに超えて偉大であると私は考えています。そうした大きな可能性を引き出すことができるカギこそ自尊心であり、自尊心の回復が、健康で幸せな生き方、自分らしく力強い生き方を導くのだと私は思うのです。

 

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kindle本「自尊心が全てを変える」  ④日本が国力を失ったのは自尊心のせい?

(以下、kindle本「自尊心がすべてを変える」より抜粋)

④日本が国力を失ったのは自尊心のせい?

自尊心は、人の経済力にも影響を及ぼすと考えられています。自分に自信がなく、うしろ向きで、引きこもりがち、挑戦をせずにびくびくと生きるような生き方をしていたら、きっとその人が本来成し遂げうる輝かしい可能性が封じ込められてしまうことでしょう。

最近の日本は、かつて「ジャパン アズ ナンバーワン」と言われていた世界経済の頂点を極めつつあった黄金時代と比べて、その輝きを失ったと言われています。

「日本の労働生産性は、主要先進7か国中最下位」
「かつては1位だった日本の世界競争力が、2015年には27位に転落」
「日本の技術革新は欧米の周回遅れ」
「世界経済のリーダーから世界の下請けに没落」・・・、

最近の新聞報道をにぎわす日本経済の危機的な状況を挙げると、枚挙に暇がありません。

なぜこんな事態に陥ってしまったのか?さまざまな原因はあるのでしょうが、私には、日本がこうした政治・経済共に力を失ってしまった背景には、日本人の自尊心の低さがある様な気がしてしかたがありません。

「どんなに調子が良い時でも自分の悪い所を見つけて欠点を責め、嘆く」
「悪いことがあると、いつもそうだったし、これからもずっと悪いことが続くと思う」

自尊心が低い人にはそんな悲観主義的な傾向が強いと言われています。日本の没落の背景には、そうした否定的で後ろ向きなメンタリティが影響していると言えるのではないでしょうか。

 

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kindle本「自尊心が全てを変える」 ③日本人の自尊心は病んでおり、心には痛みが潜んでいる

(以下、kindle本「自尊心がすべてを変える」より抜粋)

③日本人の自尊心は病んでおり、心には痛みが潜んでいる

しかし、残念なことに、この自尊心について、日本では大変大きな問題を抱えていると言われています。

結論から言えば、さまざまな国際比較の意識調査から、日本人は、世界の中で、自尊心が低く、自分に対して否定的、自虐的な傾向が大変強いということが分かってきています。

日本人は、世界一自分はダメ人間だと想い、計画を立ててもやりとげる自信がないと感じており、世界一孤独感を感じており、世界一夢を持てないと思っているのです。

日本人には謙譲の美徳と言うものがあり、こうした意識調査では、自分を良しとすることができないのだと主張する人がいますが、自分をダメだと感じ、人と関われずに引きこもり、希望を持つことができない心情は、決して健全な謙虚さではありません。

謙虚さと自虐は違うのです。謙虚さは、自分も他人も大切な存在だと思える心情であり、末永く良き人間関係が続く可能性がありますが、自虐の人はそうではありません。

自虐の人は、初めのうちは腰が低く謙虚な人のようにふるまえますが、時間がたって関係性が近くなればなるほど、自分に対するやり方を人間関係にも投影するようになり、自分に攻撃的であるように、近づいてきた他人に攻撃をするようになってしまうので、末永く良い人間関係をはぐくむことが困難なのです。

さまざまな考え方がありますが、私は、日本人の自尊心には、問題があると考えています。
自分が嫌いであり、自分は愛されておらず、いなくても良い存在なのだと感じている人が多いのではないかと考えております。

自分のことを好きになるという当たり前のことができないがゆえに、生きづらさを感じている人、困難を抱えている人が多いのではないかと感じているのです。
 

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kindle本「自尊心が全てを変える」 ②自分を好きになっても構わない、と言うか好きにならなければ大変なことになる

(以下、kindle本「自尊心がすべてを変える」より抜粋)

②自分を好きになっても構わない、と言うか好きにならなければ大変なことになる

私は、大学においてキャリア関係の授業を2つ担当しており、その中で自尊心の重要性について良くお話をさせて頂いておりますが、よく受講した学生から「自分を好きになってもいいんですね」と質問を受けたりします。その通り、自分を好きになっても構わないし、むしろ好きにならなければ大変な事態が人生に起こってきてしまうでしょう。

そもそも自尊心とは、自分の存在を尊いと感じることであり、あたりまえと言えば当たり前の心情です。自分の人生には価値があると思えるからこそ、困難があっても立ち向かうことができるだろうし、自分には可能性があると信じられるからこそ人生における様々な課題に挑戦することができるのだと言えましょう。

もしそのあたりまえの自尊心が欠如してしまっていたら、人はどうなってしまうと思いますか?
自分は欠点だらけの無力な存在で、取るに足らない意味のない存在だと思い込んでいたとしたら、人はどうなってしまうのでしょう?

もし自分にはできないと思い込んでいたとしたら、目の前の仕事をやり遂げる自信もわいてこないだろうし、他人と友情を育み協力し合えるとも思えなくなってしまうでしょう。

そもそも、そんな価値のない人間の言葉など、人に聞かせること自体が迷惑になると思ってしまい、なにかを人に話すこと、普通に人と対話することもできなくなってしまうかもしれません。

自尊心は、まさに、人が自分らしく健康に生きていく上での基盤ともいえる大変重要な必須要素なのです。

ですから、自分を大切にするべきなのだと言えます。

自分のありのままをそのままで良しと受け入れるべきなのだと言えます。

完璧ではないものの発展途上で頑張っている自分を信じるべきなのだと言えます。

自分の人生や存在を愛するべきなのだと言えます。

だって、自分すら大切にできないのに、どうして家族やお客様、他人を大切にできるでしょうか。

自分すら受け入れることができないのに、どうして欠点ある他人を仲間として受け入れることができるでしょうか。

自分すら信じることができないのに、どうしてよくわからない他人を信じることができるのでしょうか。

本当の所、自分を愛せなければ、他人を心から愛することなどできません。そのように演じることはできるかもしれませんが、それは本音ではないのです。

それは、遠い関係の他人のみならず、近しい家族や恋人、自分の子供のように愛することが当たり前と考えられる人たちに対しても同様なのです。

 

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kindle本「自尊心が全てを変える」①「自尊心とは」

最近出版したkindle本「自尊心がすべてを変える」は、少しずつですが、購読してくださる方が増えてきています。

また、仕事柄、こうした自尊心関係の講話をさせていただく機会も増えてきており、まさに時代が健全な自尊心の回復を求めているのではないかと思います。

当書は、自尊心への誤解を解消し、健全な自尊心を回復するとともに、自分本来の個性や力強さを引き出すきっかけとなるとても良い本だと思います。

もっともっと広く多くの人に読んでもらいたい、そんな願いがあり、当ブログでも、少しだけ当書籍を紹介していきたいと思います。

当書籍は、自尊心をどう回復するのかを「自尊心回復の7原則」と題して書いておりますが、そのテーマに向けての序章として、自尊心の重要性や回復の意義について書いている部分をシリーズでご紹介していきたいと思います。

今回はその第一回目、「自尊心とは」です。

【①自尊心とは 「自尊心がすべてを変える」より抜粋】

①自尊心とは
「自尊心」と聞いて、みなさんは、どう感じますか? 自尊心と言うものに対して、どんなイメージを持っているでしょうか? 「自尊心が高い人」ってどんな人だと思いますか? あなたは、「自尊心の高い人」を友達にしたいと思いますか?

実は、日本においては、自尊心と言う言葉を巡って、とても大きな誤解が起こっているのです。

日本においては、自尊心とは、傲慢さやうぬぼれ、思い上がり、と言った意味で解釈されることが多く、持つべきものではない性格だと認識されることが多いのではないでしょうか。

しかし、欧米においては、自尊心は、self-esteemと呼ばれており、それは育むべき美徳であって、傲慢さやうぬぼれの意味も含まれるprideとは違うものだと認識されています。そう、欧米においては、自尊心は、「勇気」「誠実」「やさしさ」などと言った美徳と同列に扱われており、子供のころから育むべき徳性であると考えられているのです。

心理学上の自尊心とは、ありのままの自分を無条件で受け入れることを言います。

ありのままですので、自分の欠点、おっちょこちょいで、間抜けなところがあり、よく失敗をする自分の弱い側面も含まれることになりますが、そういうあまり好きにはなれない自分をも受け止めることができるメンタリティが自尊心なのです。

心理学では、この自尊心は、大変重要な要素であり、コミュニケーションやリーダーシップ、キャリアや結婚、健康や寿命にまで、良くも悪くも大変大きな影響を及ぼすと考えられています。

前著の「自尊心の重要性」でも書きましたが、不健康でネガティブな自尊心は、凶悪少年犯罪、幼児虐待、ドメスティックバイオレンス、依存症、うつ、自殺、などなど、現代社会を彩る様々な病理の原因とも考えられている一方で、力強く健全な自尊心は、その人のたくましく輝かしい生き方、リーダーシップを発揮する生き方、自分らしく主体的な生き方を導くとも言われています。

 

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自尊心を回復するということ

自尊心を回復するということは、別人になるということではありません。
あすなろは檜になることはできませんし、ひまわりはバラになることはできません。
自尊心の回復とは、特殊な努力をして別人になろうとすることではなく、もともとの自分の輝きを取り戻そうとする試みです。
人は、多くの場合、自分の周囲に自分を囲い込み、封じ込める自分への呪いともいえる否定的な信念を持っているものです。
「ダメ人間」「運が悪い人間」「必要のない人間」「何をやらせてもうまくできない人間」「人に嫌われる人間」「生まれてこなかった方が良かった人間」・・・。
自尊心の回復とは、そうした呪いやそれに伴う恐怖から自由になるということです。新たな信念を植え付けて自分を洗脳するということではなく、すでに植え付けられてしまっている呪い(思い込み)を解き、自由を取り戻すことを意味しています。
自由を取り戻した自分は、いまの想像をはるかに超えて輝かしく、力強いものです。
人は、別人になることはできませんが、自分らしい輝きを取り戻すことなら不可能ではありません。あなたは、本来のあなたでいる時こそが一番輝いている。ひまわりはひまわりとして堂々と咲いている時にこそ、一番輝くのですから。

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自己犠牲ではなく自己選択として生きる

私は、「自分を犠牲にして他人を助けることは、美しいことだ」と教えられてきました。ですから、子供の頃は、忠実にそうあろうと思い、いろいろと努力したものです。しかし、そうした努力は、たいていの場合実を結ぶことはできませんでした。自分のためではなく人のために何かをしようと思っても、それは、自己犠牲どころか、必ず自分のためになることにつながっていたからです。

純粋に他人のためだけにやっているのだと思い込んでも、どこかしら自分の得になる要因が必ずありましたね。かっこいいヒーローになったような気がして自己陶酔ができましたし、人からほめられてうれしかったし、人から「大変だったね」と同情されたし、何しろ人から注目を集めることができて得意気な気持ちになるなど、私にとっては犠牲の悲しみを体験したと言うよりはひそかな喜びを感じておりました。

私は、「自らを省みずに人のためにやったのだ」と言った時、決してそんなかっこいいことではなく、きっと名誉であるとか名声のような秘めた欲求と引き換えに行っていたような気がして、「自己犠牲の精神」にはたどり着けていないような、むしろ「尊い自己犠牲の心」を傷つけているような罪悪感を感じていたように思います。

しかし、そうした純粋な自己犠牲の精神と言うものは、本当に存在するのでしょうか?また存在したとしても、それは尊いのでしょうか?

いろんな考え方があるのでしょうが、私は、そのあたりは、非常に微妙なところであるような気がしています。だって、自分を犠牲にしたら自分の両親が悲しむじゃないですか。悲しむ人や苦しむ人を生み出す行為は決して尊い最善の行為とは言えませんよね。犠牲と言う言葉には、どこかしら悲しみやネガティブな要素が入っているのだと思います。暗いし陰気くさいし、太陽のような圧倒的な明るさが無い。何かもっとハッピーエンドな問題解決方法があるかもしれないのに、そんな探求をあきらめて、「それ以外の選択肢がなかったんだよ」なんて巧妙な言い訳をしながらどこかで自分を正当化できそうな悲劇を選んでしまった弱さや暗さがあるような気がします。

そもそも、犠牲の上で助けられた人は、うれしいのでしょうか?私だったら、あまりうれしくはないですね。私の性格にもよるのでしょうが、むしろ、「他人を犠牲にして自分が助かるなんて自分はダメなやつだ」「自分は助けた人を犠牲にしてしまった加害者だ」と感じてしまい、それを合理化するために「余計な事をしてくれるな」「他人のことではなく自分のことをまず大事にしてくれよ」「自分も救えないやつに救ってもらいたいなんて思わないよ」なんて思いがやってきてしまいます。少々罰当たりかもしれませんが。

結局のところ、自己犠牲は、自分を犠牲にするので自分を幸福にすることもできませんし、助けた人を犠牲の搾取者と言う加害者にしてしまい、心を罪悪感の呪いでしばりつけて支配してしまうことにつながり、助けた人たちの心にも不幸の影を落としてしまうのです。

ですから、自己犠牲は、決して美徳ではありません。

私は、大切なことは、自己犠牲ではなく自己選択なのだと思います。
自己選択とは、自分で意識的に自分が大切にしているものを選ぶということです。そして、それはあくまでも自分のため、自分の価値のために自分が選んだ行為であり、それは自尊心を持った意志であって犠牲ではありません。ですから、その恩恵にあずかる人も、罪悪感を感じる必要がないのです。
例えば、「あなたが働く」ということに関して、自己犠牲の視点からそれを表現すると、「苦労を引き替えに家族のために働く」となり、自分も苦労の被害者となりますし、家族も苦労を搾取する加害者にしてしまいまうでしょう。

しかし、それを自己選択の表現に変えると、「家族が幸せに生きることが私にとっての喜びなので、その喜びのために、苦労しないで楽に生きることよりも苦労をいとわずに働く事を選ぶ」という意志となり、自分も自分の(喜びの)ために働くので被害者ではなく、家族も他人の苦しい労働を搾取しているわけではないので、一切の罪悪感を感じる必要はなくなるでしょう。結果的に、あなたは喜びを実現できて幸せであり、家族は心からあなたの強さを誇りに思えるだろうし、感謝の思いが自然にわいてくることでしょう。

たとえ「自分の命を引き換えにしてでも人を助ける」と言う行為であっても、それを自己犠牲の視点から見るのではなく、自己選択の立場で見たいのです。
もしそれが自己犠牲によるものだとしたら、犠牲になった人も不本意で不幸だったであろうし、助けられ残された人たちも、決して無条件の安堵と歓びを享受することはできません。人に犠牲を強いた加害者としての罪悪感に一生を通して縛られ、心に影を落とすことになってしまうことでしょう。

もしそれが自己選択であったならば、亡くなった方は、自分のため、自分の信念のために生きたという満足を得て、自分の肉体の命よりも大切なものを選んだ強さを誇りに思うことができただろうし、残された助けられた人たちは、自分自身を“犠牲を踏み台にした加害者”としてではなく“命がけで愛された者”として自分たちを肯定的にみることができるのです。結果的に、深い心からの尊敬と愛をもって亡くなった方に感謝することにつながるでしょう。

心の基調が、自己犠牲であることと自己選択であることは、そうした大きな違いを生み出すことになると言えるのです。

自尊心を回復するための方法 ③誤解を解く

自尊心という言葉を巡って、とても多くの誤解があるように思えます。

さまざまな勘違いや思い込みによって、「自尊心」や「気高く生きる」、「矜持」といった、本来美徳とされるべき価値が傷つけられているように思えます。

「自尊心」と「傲慢さや自惚れ」は違います。

自尊心は、自分を信じ、愛して、自分らしく輝いて生きるということ。傲慢さや自惚れは、自分の本質を信じられないがゆえに、自分を嫌い、うそやはったりでごまかして生きるということ。両者は、まったく異なった意味を持っているにもかかわらず、日本においては、たいていの場合、同じものと信じ込まれており、自尊心の重要な価値にあやをつけられているように思えます。

そうした誤解によって、日本では、「自分を大切にすること」「自分の人生を祝福すること」「自分の大きな可能性を信じること」、そんな当たり前のことができなくなってしまっているのではないでしょうか。自分を愛することが、あたかもタブーであるかのように感じ、自分を大切にすることは罪であるという呪縛にかかって不自由な人生を強いられている人たちが多いのではないでしょうか。

自尊心は、努力をして育むような能力ではありません。自然に生得的に与えられている基盤であって、誰もが根底に持っている美徳です。自尊心がないように感じるのは、生まれつきそれが少ないからではなく、ネガティブな思い込みや有害な信念が阻害しているからです。太陽がないのではなく、厚い雲が光を遮っているから暗く感じるのです。

ここでは、そうした、多くの誤解に光を当てていきたいと思います。

 

1.「自分を愛する」ことと「自己愛」は違う

自己愛性パーソナリティ障害と言う専門用語もあり、自分を愛することは、いけないことなんだという信念を持っている人も多いと思いますが、それは、誤解です。

自己愛性パーソナリティ障害とは、ありのままの自分を愛することができない病です。長所もあれば欠点もあり、おっちょこちょいでカッコ悪いところも有り、人より劣っているところもある、そんな等身大の自分自身に満足できずに、一切の欠点と劣等性を否定し、自分にはそんなものはないと思い込み、優れて特別で力ある無敵の自分という幻想を信じ執着する病であって、決して自己信頼からくるものではありません。

ナルシスが愛したものは、きらきらする水面に映った外面であって、ありのままの全体ではありません。手を差し伸べれば消えてしまう影であって、実体ではありません。

自己愛が愛しているのは幻想であって現実ではないのです。

一方で、自分を愛するということは、ありのままの自分を愛するということ、等身大の人間としての自分を受け入れるということ、発展途上の自分を信じるということです。

ありのままの自分を愛しているので、欠点がばれないように強がる必要もなければ、自分の本当の姿を(醜いと思っていないので)隠してうそをつく必要もありません。
自分を愛することができる人は、無理して背伸びする必要もなければ、人に良く見てもらおうと意気込んで肩に力が入ることもありません。明るく正直でオープンであり、そこには暗さや病が付け入るすきはありません.
「自分を愛する」ということには、まったく病理や陰はありません。むしろ、自分らしく力強く生きていくうえでの重要な基盤の一つ、美徳の一つとなると言えましょう。

 

2.「こだわり」と「頑固さ」は違う

こだわりと頑固さは、違います。

頑固さは、何につけ、背景の動機には恐怖があります。頑固な人は、本音でそうしたいというよりは、そうしないと怖いからそれに執着するのです。

「そうしないと欠乏が満たされない」「そうしないと自分を保てない」「そうしないと苦痛に耐えられない」・・・、焼けつくような渇望や危機意識があるので、良きにつけ悪しきにつけ、たいていの場合その欲求に逆らうことはできません。他人に迷惑がかかろうが、どんなに説得されようが、明らかな問題があろうが、そうせざるを得ないのです。

一方で、こだわりは、そうしないと怖いからするのではなく、シンプルにそうしたいからするのです。自分が愛し、挑戦したいと願っていることだからこそ、情熱的に集中力をもってそれにこだわるのです。

自分のハートの奥から湧き起ってくる情熱であり、たいていの場合、その欲求は気高く、美しく、真理をついており、他人に賛同はされるものではないかもしれませんが、他人を傷つけるものであることは、滅多にありません。

こだわりの人は、決してぶれません。得だからと言ってすべきでないことに手を出すこともなければ、損だからと言ってすべきことから逃げたりはしません。

こだわりの人は、決してあきらめません。自分の魂からの欲求であり、使命感があるので、例え艱難辛苦が立ちはだかっても、簡単にあきらめるわけにはいかないのです。

頑固であってはいけませんが、こだわりを持つべきです。そもそも、自分が大好きで、心から愛するものを、そんなに簡単にあきらめてはいけません。それが正しい道であれば、必ず道は開けてくる。チャンスとピンチは準備が整った人にやってくるもの。だからどんなに高い壁でも、乗り越えられない壁などないのですから。

 

3.「謙虚さ」と「自虐」は違う

謙虚さは、自分が尊く大切だからこそ、相手も尊び、敬う心を言います。

自虐は、一見腰を低くする謙譲さと勘違いされることがありますが、それは卑屈さであって、決して謙虚さではありません。

それは、自分を嫌うこと、自分を卑下することであって、決して自分を尊いとは思っていないからです。

人は、自分にするように人にするものです。自分を尊いとは思えない人は、本当のところ他人を尊いとは思えません。そのふりはできますが、本音では、そうは決して思えないのです。

心理実験で、人の不幸を喜ぶ人にはどんな特徴があるのかを調べた実験がありまが、その結果わかったことは、人の不幸を快感に感じる人は、一様に自尊心が低かったということがわかりました。

自尊感情が高い人たちは、人が苦しみ悲しんでいる姿を痛みと感じ、共感的、同情的でしたが、自尊心が低い人たちは、それを見て、喜んだのです。

自虐や自己卑下は、決して美徳ではありません。むしろ、慎むべき性向であって、その傾向が強まれば強まるほど、依存症、自傷行為、いじめ、虐待、ストーキング、など様々な問題や犯罪につながっていくでしょう。

 

4.自尊心は、自分の非を認めないことではない

自尊心は、「自分は間違えていない」と主張することではありません。自分の非を認められないのは傲慢さです。

傲慢さは、自分の本質が醜く弱いダメ人間だと思い込んでおり、そんな自分が暴露されて攻撃されて矯正されることを恐れています。ですから、自分の間違いや失敗、欠点を認めることができません。

「周囲の配慮がないからこうなった」「自分は弱いんだから失敗して当たり前だ」「弱い自分を責めるなんて不当だ、だから報復しても許される」などと、あらゆる詭弁を弄して言い訳を考え、自分を正当化します。

自分には欠点も変えるべき点もないと主張するので、反省も改善もなく、従って成長がありません。言い訳と詭弁と報復のテクニックは上手になるものの人間としての成長を遂げることが出来ないのです。

自尊心とは、欠点もある不完全な自分を受け入れられる魂の健全さのことです。

自尊心の高い人は、自分は成長の過程にある存在であルことを理解しており、発展途上の自分を信じることができるのです。

ですから、自尊心は、自分の至らなさ、欠点、問題を快く受け入れ、目をそらさずに正面から向き合い、対策を練って改善努力をすることが出来ます。

結果的に健全な自尊心を持つ人は、大きく成長し、時と共に自分らしくより大きく輝かしい存在となり、力強く魅力的にリーダーシップを発揮して生きるようになるのです。

 

 

5.「自分にまける」のは「弱い」からではない

自分に負けるのは、弱いからではありません。

自分に負けるのは、自分と戦うからです。

自分の一部を嫌悪し、矯正する戦いを挑み、勝とうとするから負けるのです。

戦いの当初は、作戦や対策を練り、一生懸命に頑張って、いくつかの勝利を得られるかもしれませんが、永遠に勝ち続けることなんかできません。戦いを続ける限り、いつかは敗北の憂き目を見るでしょう。

「完璧な自分」になれないことが問題なのではなく、「完璧な自分」になろうとすることが問題なのです。

「非の打ちどころがない自分」「無敵な自分」「一切の欠点がない自分」・・・

それは、たいていの場合、無理難題であって、強引であって、優しくありません。

それは、たいていの場合、頭ごなしであって、専制的であって、民主的ではありません。

そんな不自然な目標や理想を信じ込んで、本気でそうあろうと取り組んでも、ハートと体は、その欺瞞に気づいており、永遠に従い続けてはくれません。ハートや体は、正直であり、思考の狂気につきあうつもりなんか無いのです。

失敗は、成功へのステップであって、排除すべき無駄ではありません。

ネガティブな思考は、思いついて当たり前であり、退治すべき敵ではありません。

ネガティブな感情は、人として当たり前の感情であり、けがらわしい罪ではありません。

誘惑に負けるのは、誘惑に勝てない弱い人だからなのではなく、それに勝ち続けようという無謀な戦いに疲れ、絶望し、やけくそになったからであって、むしろ自暴自棄の絶望にはまり込んでしまうほどの強い意志で自己否定の努力を続けた強い人こそが、最も誘惑に負けやすい人なのです。

内面に、強い分離感と葛藤と痛みを抱える限り、決して誘惑には勝てません、誘惑に勝てるのは、我慢強いからではなく、誘惑に魅力を感じない時、その必要を感じない時です。

十分に満足を感じているとき、十分に幸せを感じているとき、内面が平和である時、愛し愛されているときこそ、誘惑の甘い罠を撃退できるのです

自分を不自然な物差しで裁き、窮屈な型枠に押し込めようとするのではなく、ありのままの自分を受け入れ、大切にするべきです。

自分を大切にすることは、自分に甘いことではありません。自分自身のリーダーとして、自分の内面に責任を持つこと、むしろ、時には自分に厳しくあることこそ自分を大切にすることなんだろうといえましょう。

よきリーダーに必要なことは、フォロアーを受け入れ、理解し、愛すること。自分の人生のリーダーとして自分らしく輝いて生きるために必要なことは、まさに、自分をいつくしみ、大切にすることなのです。

 

6.「自分を信じる」ための条件なんかいらない

「○○をやり遂げたから自分を信じられる」「○○ができるから自分を信じられる」「○○ができれば自分を信じられる」など、自分を信じるために条件が必要であるかのうような思い込みがありますが、それは誤解です。

信じられる自分になる必要なんかありません。すでに十分に信頼に値する自分なのですから。

信頼に値しないのは、自分自身なのではなく、自分を裁くものさしです。

人を裁く評価基準にいったい何の権威があるのでしょうか?

いったい何の権威があって、良いだの悪いだのと評価を下せるのでしょうか?

評価基準に従ったならば、本当によき人生を歩めるのでしょうか?

たいていの場合、人を測る物差しは、個人のニーズではなく、社会のニーズ、権力者のニーズであり、人が人らしく力強く生きることを目的としたルールと言うよりは、人を支配、コントロールするためのテクノロジーです。

そんなものに個人の人生を支配されてはいけません。人は、他の権威に従うのではなく、自分のこころざしに従うべきなのです。自分を愛するために、自分を変える必要なんかありません。自分を信じるための条件なんかありません。そのままで十分に尊く、かけがえのない大切な存在なのです。

 

「あなたは、この世に望まれてきた大切な人。あなたがなんであり、

どこの国の人であろうと、金持ちの人であろうと、貧乏であろうと、

それは問題ありません。あなたは、同じ神様がおつくりになった、

同じ神様のこどもです。」   マザーテレサ

 

マザーテレサの言葉通り、人の存在は、尊くかけがえのないものだといえましょう。

そんな存在を大切にすることの、どこがいけないのでしょうか?

私たちは、難しいことを考える前に、まずは肩の力を抜いて、自分自身を信じ、大切にするべきなのではないでしょうか。

冷たく攻撃的な皮肉屋たちの言葉に惑わされてはいけません。毒のある信念をうのみにして勘違いの人生を生きるべきではありません。

堂々と自分を大切にし、愛し、信じ、力強く生きようではありませんか。

Kindle本「自尊心が全てを変える」より抜粋)

 

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「自灯明、法灯明」

お釈迦様が入滅される直前に弟子たちに伝えられた教えと言われています。

「他を頼るのではなく、自らを頼りとしなさい。自然(真理)の法を頼りとしなさい。」という意味だと私は解釈しています。

自尊心を回復するための方法を考える際に、真っ先に指針とすべき言葉なんだろうと私は思っています。自分を大切だと思うために他を当てにすべきではないと考えているからです。

もし、自分自身を大切だと思うために、他人の称賛が必要だとしたら、その人は、他人の称賛に依存して生きなければいけません。他人の称賛だけではなく、優しさや愛情にしても同じです。

また、豊かな資産があるからこそ自分の尊さを実感できるという人は、自分の価値を認識するために豊かな資産に依存することになります。資産だけではなく、地位や名誉、権威やお金にしても同じです。

さらに、自分のアイデンティティを国家や宗教、理想的な人物に委ねるとしたならば、自分を信じて生きるのではなく、外部の権威を笠に着て生きることになり、依存的な生き方となってしまいます。

自分の価値を実感するために、他人の働きかけや他の権威、力に依存すると、それが得られているときには、比較的安定していられるでしょうが、減少し、欠乏感を感じ始めたら、自分自身が無価値であるように感じてしまい、大変な苦痛を体験することになってしまうでしょう。

自分を癒し、自尊心を回復するコントロールセンターは、自分自身の内面にあるべきです。

コントロールセンターが、自分自身にないとしたら、それは、外部にあるということであり、結果的に外部のパワーに自分自身が支配されることになってしまうでしょう。そのような生き方は、決して自尊心に裏付けされた自分らしい生き方とは言えません。

自分らしく力強く生きようとこころざした場合には、まずは、自分自身に依って立つという覚悟が必要です。自尊心を回復しようとこころざした場合には、まずは、一切の依存心を手放し、自分で何とかしようとする覚悟が必要なんだろうと思います。

これは、かつて体験した不条理、過酷な痛み、悲惨な体験においても同じなのだろうと思います。そのような心の傷があるからこそ自尊心を損なってしまい、回復できないという状況においても同じことが言えるのだろうと私は思います。

かつて自分に仇をなした他者に謝罪してもらう、自分を傷つけた奴に報復し痛い思いをさせる、愛されなかったことによって空いた心の空虚さを誰かの愛で埋める、・・・、

もし本当に意義のある自尊心の回復を図ろうとする場合は、過去のトラウマをいやすために他を頼ろうとするあらゆる企図を放棄する必要があるでしょう。

なぜならば、そのような試みは、まさに、他者依存の混迷を深めると同時に、例え実現できたとしても、本質的な心の痛みは癒えることはないからです。

たいていの場合、心の中には、痛みが先に存在しており、さまざまな出来事は、その痛みを顕在意識で体験していくためのトリガーにすぎないからです。

また、心の中にある痛みは、他者から植えつけられたのではなく、自らが受け入れたからこそ存在しているのであって、痛みが自分の内面に存在することの責任を他人に押し付けるのではなく、自分ですべてを引き受けなければなりません。

そして、自分の内面の傷を癒し、手放すことができる人は、自分だけであり、自らの意志と努力によって、自分の内面を健全化する必要があるのです。

逆に言えば、人には、自分自身を癒すための十分な力があるのだろうと思います。

仏教では、「人は、生まれながらにして仏である」とも言われています。

人の内面には、自らを浄化し、自由に生きるための十分な力が、生まれながらにして宿っているということなんだろうと私は思います。

自尊心を回復するために必要なことは、まず第一に、そうした、自分の内面にある力を拠り所とするのだという覚悟なのだろうと言えるでしょう。

Kindle本「自尊心が全てを変える」より抜粋)

 

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