カテゴリー別アーカイブ: 05.詩・メッセージ

人間尊重のリーダーシップ ~同志へのメッセージ~

人には、全く性質の異なる2つの動機がある。

一つは、『自分には、何かが欠けている。欠けているものを手に入れなければ苦痛であり、恐怖であり危機である。 だから何としてでも獲得しなければならない。』と言う信念に基づく欲求だ。
それは、不安と恐怖にたきつけられる渇望であり、欠乏動機と呼ばれる。

もう一つは、『自分には充分な力と価値がある。自分の素晴らしさを表現したい。未知なることに挑戦したい。』 と言う信念に基づく欲求だ。
恐怖の束縛から自由となった人に訪れる情熱であり、人本来のまさに魂の欲求、実存動機と呼ばれる。

多くのマネジメントは欠乏動機を利用してきた。
欠乏動機による管理とは、あめとムチによる管理とも言える。
恐怖心に働きかけるリーダーシップは、やろうと思えばだれにでもできる簡単な方法であり、
一旦行い始めると確実に効くこと、安定的であり将来の予測を立てやすいと言う強みがある。
しかし、反面、メンバーのモチベーションは低下し、
防衛的かつ攻撃的風土を助長するので、官僚主義が跋扈し、生産性や成長性は、必ず頭打ちとなる。

多くのリーダーは、厳しい競争にさらされており、不安と恐怖の中にいる。
強力な圧力が常にかけられており、心無い攻撃により、心身ともに満身創痍だ。
だから、その多くが、自尊心の糸が切れると、いとも簡単に恐怖心に首を垂れることになる。
『自分は、みじめで孤独な力ないダメ人間だ。自分もそうであるように、他人もそうだ。 自分は被害者であり、こんなに苦しんでいるのだから自分を守るためなら、人を傷つけても許される』 と信じ込み、恫喝を使うことに躊躇がなくなる。
自らが恐怖の代理人となるのだ。
あめとムチを使い始めた当初は、目覚ましい効果が出るので、どんどんその傾向を強めるが、 遅かれ早かれ、必ず頭打ちとなり、結果的には、自ら奮った力によって滅ぼされることになる。

しかし、その困難を乗り越えた実存動機を哲学とするリーダーも存在する。
実存動機によるリーダーシップとは、人を大切にして、人の持っている素晴らしい潜在性と可能性を信じ、 引き出そうとするリーダーシップだ。

実存動機を哲学とするリーダーの歩む道は平坦ではない。

人を大切にしたからと言って、相手がそれに応えてくれる保証はない。
そうしたからと言って、誰にも褒められるわけでも応援されるわけでもない。
むしろ、皮肉屋から「お人よしの間抜けな奴」冷笑されることもあるだろう。
実存のリーダーには、そんな痛み、不信感を乗り越える勇気が必要だ。

また、人の心からのやる気と能力は、本質的に不安定だ。
良い時は奇跡的な成果を出すが、悪い時は、永く無力だ。
実存のリーダーには、そんな浮き沈みをものともしない強い忍耐力と信念が必要だ。

さらに、人の可能性にかけるということは、将来の見通しも立ちづらいと言うことだ。
実存動機による成長は、まさにイノベーションによる成長だ。
まったく新しい商品の開発、新しい顧客との出会いによる、ある意味で奇跡による成長だ。
しかし、奇跡は、コントロールはできない。
奇跡を、事前に予測することはできない。
だから、未来の計画を立てることができない。
本質的に、実存動機は、管理とは相性が合わないのだ。

しかし、ひとたび実存動機が機能し始めた組織には、奇跡が起こる。
メンバーのハートは鼓動し始め、目の輝きが明らかに変わる。
分離感が癒され、心が開かれ、情熱と叡智が交流を始める。
現状の課題と問題点が、偏見によるゆがみを経ることなく、その真実が分かり、対処される。
今までは想像もしなかったような全く新しいアイデアや工夫が、 日常のあらゆる仕事の場面で創造され、実践されて、あっという間に現実が変わっていく。
結果的に、生産性と創造性は、想像を超えて高まり、奇跡的な成長を遂げていくことになる。

今、時代は大きく変わろうとしている。
むき出しのエゴイズムは、消費者から嫌われ、高い意識の経営が評価され、株価を上げる時代となっている。
原始的な資本主義から、高い意識の資本主義へと、静かに、ゆっくりと変わろうとしている。
そのような中で、求められるリーダーシップは、まさに、実存動機を哲学とするリーダーシップだ。

しかし、あめとムチによる欠乏動機のリーダーシップではなく、人間本来の可能性を引き出す人間尊重のリーダーシップ という理想を担える存在は、そう多くはない。
その数少ない存在の中の一人は、あなただ。

被害者意識に甘えて、強い分離感に身を任せてはいけない。
勝つべきものは、相手ではなく、自分自身なのだ。
皆がそうだからと言って、絶望に身を染めてはいけない。
一隅を照らす光となるのだ。

あなたには、泥沼に落ちようとしている仲間を救い出す責任がある。
知っているなら、あきらめても手を緩めてもいけない。
真に仲間を守る戦士になるのだ。

あなたは、断じて欠点だらけの無力な存在ではない。
あなたの潜在性と可能性は、今の想像をはるかに超えて大きい。
その可能性を信じてみよう。
自分にするように、仲間の可能性も信じてみよう。
奇跡への一歩はそこから始まるのだから。

少しの勇気が人生を変える

自分らしく幸せに生きるために必要なこと、
輝いて生きるために必要なこと、
それは、お金でも、体力でも、頭のよさでもない。
決定的な要因は、勇気だ。
ほんの少しの勇気が、人生を大きく変える。

リスクから逃げまどうだけの人生が、最も危険な生き方である。
私たちは、天国に生きているわけではない。
この世には、危険がつきものであり、逃げ切れることなどできないのだ。

大それた蛮勇など必要ではない。
ちょっとした勇気を大切にしよう。

未知に一歩踏み出す挑戦の勇気、
失敗の恐怖を乗り越える勇気、
不安を押して人と関わる勇気、
愛しているという勇気、

そんな勇気を大切にしよう。
あなたなら大丈夫、
あなたには、今は想像もできないくらい大きな可能性がまどろんでいるのだから。
あなたは、勇者だ。
そんな大きな可能性に挑戦しよう。

いま現在 とは

「アミ 小さな宇宙人」エンリケバリオス著 徳間書店 より抜粋

 

「なんてきれいな街灯なんだろう。

絵に描いてみたくなるほどだ・・・。

見てごらん。

月の光に照らされ、星いっぱいの夜空にシルエットのように、くっきりと浮かび上がったアンテナを・・・。

ペドゥリート、人生はこれらを健全に満喫する以外に目的はない。

人生が提供してくれたすべてのものに注意の目を向けるようにつとめてごらん。

たえずいろんなすばらしさを発見するだろう。

頭ばかりで考えるかわりに、感じるように知覚するようにつとめてみてごらん。

人生の深い意味は思考のもっと向こう側にあるんだ・・・

人生は現実のおとぎ話のようなものなんだ・・・

神がきみにささげた美しい贈りものなんだよ・・・

なぜなら神はきみを愛しているからね・・・」

理想を生きる

人の脳は、3歳までに、ほぼ80%が成長を遂げるという。

それに伴って、人は、ほぼ3歳までに自分の生き方を決めるという。

分かち合う生き方、

平和な生き方、

愛の生き方、

戦いの生き方、

自己犠牲の生き方、

孤独の生き方、

報復の生き方、

自分らしく輝く生き方を選択したとしたら、それは幸いだ。

しかし、多くの場合、そうではない。

しかし、例えその生き方が本意ではなくとも、

いったん決めてしまった生き方は、変えようとするまでは決して変わらない。

例え忘れてしまった遠い過去でも、例え今の意識に昇ってこなくとも、

幼いころに決めてしまった生き方は、今でも心と生き方を支配している。

そうして、人は、忘れてしまった遠い過去の痛みを一生ひきずって生きることになる。

今の事実に基づかずに、過去の亡霊に基づいて生きることになる。

今の理想に従わずに、過去の恐怖に従って生きることになる。

今とは何の関係もない過去に縛られて生きることになる。

それは、決して自分らしい生き方ではない。

それは、決して輝かしい生き方ではない。

それは、決して幸せな生き方ではない。

人は、生き方を見直すことができる。

人は過去を乗り越えられる。

過去の痛みを癒し、憎しみを許し、過去の束縛から自由になれる。

本当に幸せな生き方をしよう。あなたには、そう生きるための十分な力がある。

高い理想を生きよう。

忠実であるべきものは、過去の痛みでは断じてない。

忠実であるべきものは、あなたの大志なのだ。

夜明けは近い

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 夜明け前が、最も暗いことを忘れてはいけない。

 今がつらく、苦しいとしたら、それは、単に夜明け前だということなのだ。

 人の苦しみや思いとは無関係に、天の計らいは淡々と進行する。

 日は沈み、そしてまた昇る。

 明けない夜は、存在しない。

 もし今が、とても悲しく、苦しく、希望がなく、憎悪の極みだとしたならば、

 それは、絶望への入り口ではなく、闇の終わりだということ。

 そう、夜明けは近い。

完璧を求めてはいけない

失敗したからと言って自分を責めてはいけない。

残念ながら、あなたも私も完璧ではない。

もし完璧だとしたら、こんなに地球を汚すだろうか。

こんなにお互いに傷つけあうだろうか。

こんなに餓死する人たちを見捨てるだろうか。

残念ながら、私たちには、まだ多くの欠点がある。

まだまだ克服しなければならない課題がある。

私たちは、発展途上であり、悲しいけれども、痛みを通して学ぶ必要がある。

だから、完璧であろうとしてはいけない。

だから、完璧であるふりをしてはいけない。

だから、人に完璧を求めてはいけない。

大切はことは、失敗を恐れずに挑戦する勇気、

         失敗してもくじけないしぶとさ、

         失敗から学ぶ謙虚さだ。

背伸びをせず、等身大であることを受け入れよう。

痛みを怖がらずに、立ち向かっていこう。

人生という成長の冒険を楽しもう。

完璧じゃないからと言って自分を責めてはいけない。

欠点をもちながら、苦悩の中にありながらも一生懸命に生きるあなたが美しいのだ。

光に向かって(鞍馬寺)

      光に向かって

               鞍馬寺

天を覆う雲は厚くとも、太陽は常に大空に在る。

風が来て雲を払えば、黄金の光が燦然と輝く。

人の心に吹きすさぶ八雲を、苦悩の雲を吹く払う風として、

真実を観る智慧の光を迎えよう。

 

智慧の光が輝くとき、宇宙生命(尊天)に生かされている万象を観る。

あなたも私も、花も鳥も、みな共に生かされているこの世界。

万象が織りなすいのちの相、

宇宙に懸る金色のいのちの羅網、

遠い昔から受け継いできたいのちの絆、

私もその中の一つのいのち、

たがいに手をつなぎ響き合ういのち、

あなたも私も、樹も水も、

みな共に厳然と生かされている。

 

慈愛の温もりに抱かれ、

智慧の光に照らされ、

豊かな活力に満たされて、

今ここに生かされていることの嬉しさと有難さ、

この喜びと感謝の輪を広げよう。

あなたも私も、あの人もこの人も、

たがいに光り合い照らし合う、

明るい未来を信じ希いながら、

一日々々を宝石のように大切に生きよう。

 

すべては尊天にてまします

思考の世界と関係の世界

思考の世界とは、自己対話の世界。

自分の頭の中で、自分以外の世界で起こった出来事を

あれこれと納得できるように分析解説する世界。

自他の分離と対立の中で、自分を守るために作られた世界。

過去の痛みや苦しみの記憶に満ちている。

現実をありのままに理解するのではなく、過去の記憶に照らし合わせて解釈する。

だから、思考の世界は、今ここにいることはできない。

そこでは、今ここの現実の姿は、過去の記憶に照らし合わせなければ認識できない。

だからそこで見ているものは、リアリティではなく過去の亡霊なのだ。

しかも、あらゆる現実は、痛みの色眼鏡を通してゆがんで見える。

 いつも攻め込まれる不安と恐怖に焚きつけられている世界。

だから、この世界を作っている原動力は、恐怖心だ。

それは、他から孤立している世界。

それは、閉ざされた世界。

固く防衛された扉からは、光が差し込むことはできない。

脅威を信じているので、愛と信頼を受け入れることはできない。

孤独で不安で悲しい世界だ。

 

関係の世界とは、ありのままの世界。

今ここで起こっているありのままを知覚する世界。

そこは開かれており、自の呼びかけに他が応え、他の働きかけに自が応える世界。

他がいとおしく思える世界。

他の痛みを体験し、他の喜びを体験する世界。

他を他と感じられない世界。

自他の境界が消えていく世界。

分離感を癒し、自他の関係を取り持つもの。

それは、愛以外にはない。

不安、恐怖、怒り、悲しみは、すべて分離感を前提として分離感を強めるもの。

愛こそが、分断された部分を優しくつなげることができる。

だから、関係の世界の原動力は、愛だ。

それは、開かれている世界。

関われば関わるほど、秘密が開示されていく世界。

汲みつくせないほどの魅力と不思議と奇跡に満ちている世界。

今ここの真実の世界だ。

 

思考の世界と関係の世界は、2者択一だ。

どちらかを選べば、どちらかを犠牲にする。

私は、きっと、ずっと思考の世界を生きてきた。

これからは、関係の世界を生きよう。

勇気を持って真実に一歩踏み出そう。

それがきっと本当の自分らしい人生なのだから。

足跡

        砂の上の足跡

               メアリースティーブンソン

 

ある夜、私は夢を見た。

夢の中で、私は神とともに浜辺を歩いていた。

空には、私の人生のさまざまな場面がフラッシュのように映し出される。

そのそれぞれの場面で、私は2人分の足跡が砂浜についているのを見た。

ひとつは私のもの、そしてもうひとつは神のものだった。

私の人生の最後の場面が映し出されたとき、私はそれまでの人生の足跡を振り返ってみた。

驚いたことに、何度も私の人生の中で足跡が1人分しかない時があることに気がついた。

そして、それは人生でもっとも暗く悲しい時期ばかりだったのだ。

私は神に尋ねた。

「神様、あなたは仰いました。一度私があなたについていくと決めたなら、あなたはずっと一緒に歩いてくださると…

しかし、私が最も辛い時期に、砂浜には1人分の足跡しかありませんでした。

なぜ私が最もあなたを必要としているときに、私からお離れになっていたのか理解できません。」

神は答えた。

「いとしいわが子よ、

私は、お前が最も苦しい試練の最中にいる時にも決してそばを離れることはなかった。

1人分の足跡しかなかった時は、私がお前を背負って歩いたのだよ。」